個々の思考からこの世界の元の仕組みに沿った生き方へ

人間には個々に思考があり、
その個々の思考から外の世界を観、
判断するようになっている。
その個々の思考から生まれてくる価値観に基づき、
人間は生きている。
それは一つの方向であり、
その視点からだけでこの世界を観ると、
一人一人の人間が独自に存在しているということになる。

それに対してもう一つの方向は、
自分を入れているこの世界という器があり、
器の側から自分とこの世界全てを観るという視点である。
この世界の方から自分を観ていくと、
この世界はずっとはるか彼方に生まれ、
そして今のような形になるために、
新陳代謝を繰り返しながら
ここまで進んできたことが観えてくる。

宇宙の原型が出来て、
銀河が、太陽系が、地球が出来、
そこに私たちの元となる生命が誕生しました。
地球自身も変化しながら、
その変化の中で生命が誕生し、
人間が生まれ、
その歴史の中で私たち一人一人がここにいる。

宇宙の始まりから、
この世界の原料は
新たなものを外から持ってきたのではなく、
ただあり続けるだけである。
つまり、特定のエネルギー、質量が
同じ量だけあり続ける世界で、
ぐるぐるかき回されるようにして
一つ一つが移り変わり、
この世界が変化してきた。
そうすると、私たち一人一人の存在は
この世界の新陳代謝にしかすぎない。

人間以外のものを観ると、
その法則の中で永久にあり続け、
そのことに不満を漏らさない。
人間も、自分の側に立って物を観るという
特別な能力を与えられさえしなければ、
愚痴を言ったり、争ったり、
差別したりはしなかっただろう。
しかし、そういった特殊な能力を得たがために、
人間は自分自身を自らの価値観の中に閉じ込め、
不自由になり苦しむという結果を与えられた。

人間以外の
元の世界からずっとその仕組みのままに存在してきたものには、
今の人間たちのような矛盾はないはずである。
この宇宙の天体の動きにしろ、
地球の中の自然の動きにしろ、
そういった仕組みのままにあり続けている。

自然を観ると自然はひとつらなりの命であり、
そこには不要なものが何一つない。
全てそこにあるべくしてある状態で、
お互いを生かし合うという命のつながり、
命の連鎖である。
それがこの世界の根本にある仕組みである。

この世界の中にあるものをぐるぐるかき混ぜ、
ひとつらなりの渦をつくり、
その中で変化させること。
それが進化である。
常にぐるぐる回っているわけだから、
変化は進化であり、
ある一定のサイクルによって
それが繰り返されている。
そして、人間もその渦の中にある。

しかし、最初に触れたように、
人間には個々の意識である自我があり、
他と自分を区別し観ることが出来る。
他と自分を区別するという能力は、
この世界と自分を区別することも出来る。
この世界と自分を区別出来た時に、
この世界と自分の関わりがわかり、
この世界の中の自分の存在、その意味、
そしてこの世界がなぜ創られたのか
ということがそこから観えてくる。

この世界が創られ、
ずっと変化し進化し続けてきた
その歴史の延長に自分がある。
この世界の原料も法則も全く変わることなく、
ぐるぐる回りながら変化してここまで来た。

この世界の元にある法則のままに、
人間も人間以外のものと同じように
自我を持たずに存在したら、
きっと対立もせず
今のような行き詰まりも
与えられずに存在できただろう。
しかし、それは人間以外の動物の種類が一つ増え、
それを人間と言うだけである。

この世界に人間のような特別なものを降ろされた。
宇宙の創造の過程のなかで
特別に出来た特殊な星、地球。
他にもあるかもしれないと言われているが、
まず同じようなものを発見することは不可能だろう。
この広大な世界の中で
不可能と言われるような可能性の中で、
この星は創られている。
これは意図的としか思えない。

この星は、そのもの自体が生命のつながりで、
命の宝庫、命の巣になっている。
そして、その中には無限なる生命の連鎖がある。
それもまた、他の天体とは全く違う特異な存在である。

この星は、
大気という薄いベールに包まれた
芸術とも言える仕組みによって維持されている。
その生命の宝庫、生命の海の中で、
私たち人間は存在している。
その膨大な数の生命の中でも
特異な存在として人間がいる。
さらに、沢山の人間の中の一人として自分がいる。

今、この一人の人間がこの世界を見て、
この世界を判断し、そこで思考が生まれ、
その思考の元に行動し、
自我というものの元に他と自分を区別している。
あるものはそこで思い悩み、
あるものは争うということをくり返している。

私たちは一体全体何ものなのか。
私たちを創り出したこの世界は、
一つのものから分かれ、
相変わらず一つの宇宙の中で
変化の連鎖、生命の連鎖が続いている。
命と命がバトンタッチしながら変わり続けていく。

しかし人間は、
もともとそういう仕組みの中から生まれてきて、
現在もその中であり続けているのに、
そのことに気づかず、
自我という個に執着し、思い悩み、
争い、対立し存在している。
それが人間の姿である。

では、この人間を特異なものとして悪と観た時に、
今の人間はこの世界の悪なのか。
そうではなく、
それはプロセスとしての一つの進化の過程であり、
そういった状況を生みだすような
何か目的があるのだろう。
この世界が変化し続けていく中で、
それもこの世界を表現するための一つにしかすぎない。

では、そういった場所を与えられた人間は、
何をここで気づいたらいいのか。
どの道この世界は、
特定の決まったエネルギーと質量が
ぐるぐる回ることによって変化し、
それを進化として存在し続けている。
それがまた元へと戻っていくとしたならば、
変化をすることによって
人間の中にある精神が変わっていく、
ということにここでは気づかないといけない。

もともとはひとつらなりであり、
全てが関連し合い、
お互いがお互いを存在させ合っている。
そういった関係性の中でこの世界があり、
全てはつながっている。
つながるということは善意であり、
つながらなければ自分と他が発生し、
つながると他は自分になる。
自分と他という区別が消え、
全て自分になる。

そうやってつながっていくと、
この世界が一つになり、
自分がこの世界そのものであり、
この世界が自分そのものである
ということに気づく。
逆につながらなければ、
自分とこの世界は対比するものとして区別される。

つまり、この世界を観た時に、
捉え方によって
この世界と自分を区別することも出来れば、
全てを一つとして観ることも出来る。
区別して観ることを私たちは悪意と呼び、
そこでは差別や対立が生まれる。
反対に全体を一つとして観れば、
そこには善意があり、
絆が生まれ愛が発生する。

この世界はもともと一つから始まり
ここに至っているのだとしたら、
私たちがこの世界の始めから
未来までの全体像を理解した上で、
自分とこの世界を対比させて観た時に、
この世界が一つであり、
善意であり、
善意から絆が生まれ、
それが愛であり調和であることに
気づくことが出来る。

しかし、全体像を捉えないで
自分とこの世界を見たら、
もともとこの世界から生み出され
維持されている自分が、
この世界と自分を区別していることになる。
そこにはつながりがなくなり、
悪意、差別、対立が生まれる。
しかし、この世界の全体像、
たったそれだけのことを理解するだけで、
この世界は善意であり愛であり調和になる。

元が一つのところから
この世界が出来ているのだから、
わざわざそれを切り離すということは
悪意の行為である。
悪意だから問題事が発生する。
しかし、全てが一つであるというだけでは、
こちらと向こうという区別がなくなり、
全てが自分であることを観ることが出来ない。
つまり、こちらと向こうと区別していった時に、
元が一つであり
全てが自分であるということが観えてくる。

そうすると、
わざわざ悪意や差別、対立をつくり、
この世界の奥にある元が
一つだということを理解させようとした
意図が働いていることが観えてくる。
それがこの世界をつくっているものの意志。
それを神としたならば、神。
それを法則としたならば、法則。
それを仕組みとしたならば、仕組み。

色々なものがあってこの世界が構成され、
その一つ一つの存在は認められる。
全てはこの世界の一部にしかすぎない。
だから、そこで対立する必要もなければ、
差別する必要もない。

5月に行われる「エコビレッジ国際会議」で、
自分は一体全体何を伝えたいのだろうと思った時に、
一番の根本的なところを伝えたいという想いがあった。
エコビレッジのエコにはつながる、命という意味がある。
だから、エコビレッジというのは、
つながる村、命の村。
私たちを生かしている自然や宇宙の
仕組みに基づいて生きている暮らしが、
エコビレッジである。

そうしたら、
私たちはこの世界に生み出されたものとして、
そろそろ自分の側から自分を観るという時代から、
この世界の側から自分を観て生きることを
選択する時代が来ているだと思う。

だから、何も特定の場所に
エコビレッジという場所をつくらなくてもいい。
私たちは地球という命の星に生み出され、
その一部分としてこの一つの家、
一つの村に暮らしている。

そのことに気づいたら、
地球がエコビレッジであり、
それこそが神がこの世界をつくって
私たちを降ろした目的なのではないか。
そういった意識のもとに生きていけば、
他と自分を区別せず、
全てのものとつながり、
全てのものが自分自身であることに気づく。
そうしたら、今の沢山の問題はたちどころに消え、
差別のない平等な世界が訪れる。

その元の仕組みに皆が気づけば、
自分だけが何かを抱え、
その抱えたものによって自分が縛られ、
さらにもっと不自由になって
抱え続けないといけないようなことはやめるだろうし、
自分の願いが叶わないからといって、
卑屈になり、心貧しく生きることもない。
皆一人一人が尊厳を持ち、
平等で対等な世界を生きていける。

そういう世界をつくるのが、
エコビレッジの目的だと思う。
私たちが新たに誰かと共に暮らそうとした時に
その暮らしが理想のように進まないのは、
他の誰のせいでもない、
自分の心の中にある区別や差別が原因である。
この世界が一つであるということを
まだ十分に理解出来ていない
自分たちの心を見直す必要がある。

そういったことに気づき、
私たちは学ぶために、
今身近な人たちとつながり
エコビレッジとして
生活を始めていくことが大切である。
そういう生活の仕方を学んでいくために、
また人類がそのように進化していくために、
私たちはこの運動を進めていかないといけない
ということを国際会議で伝えたいと思っています。


「個々の思考からこの世界の元の仕組みに沿った生き方へ」への6件のフィードバック

  1. 一人一人が自分の心を見つめることが大切なんだと改めて思いました。
    木の花で大切にしている一人一人の心の調整を図るといった作業が、誰しもが持っている悪意(区別や差別の心、自分側から見た世界)に支配されないずに、善意(調和の心、外側から見た世界)を持って生きる上でいかに大切なのかと感じました。
    大人会議を聞いているときもそうですが、いさどんブログを読んでいる時も、心にすーっと清らかな水が染みこんでくるくるような感覚があり、今まで重かった身体が軽くなって背筋を伸ばしたくなります。とても心地が良いです。
    日々ブログを読むことを楽しみにしています。

  2. いつも読ませて頂いてます。。

    本当に、そのとうりですね。。皆が、一つなのを認識(思い出せば)全てがうまくいき、素晴らしい地球になって

    。。。  それもあと少し。。。

    進化の過程の中で、通らなくてはいけない、最終章を体験してるような気がします。。

     木の花の、皆が、次、次に成長してる様子を聞き、私も「勇気百倍!」「さあ、やらなくちゃー!」と

    自分の役割を、真剣に、担って生きます。。

    本当に、いつもありがとうございます。。   たけちゃん より

  3. 壮大な宇宙観だよね。
    このことをみんなが共有すれば、本当に平和で愛にあふれた地球になっていくだろうという。
    このことを、さらにわかりやすく社会に伝えていこうと思います!

  4. なんどもなんども読み返しました。スケールが大きい・・・まさにそのとおり!

    自分の普段思っていることが良くも悪しくもちっぽけなものに感じます。

    もっともっと広く見つめていかねば…・

    いつも本当にありがとうございます。

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