貧乏神も厄病神も神のうち

今日の午後、
「生きているのが辛くて自殺したい」
とおっしゃる64歳のちよこさんが、
いさどんに相談するためファミリーを訪れました。
「自分に何かがとりついているのであれば、
お祓いして下さい!」と訴えるちよこさんに、
いさどんはこんな話をしました。

ちよこさん:
精神がすごく不安定で
いらいらして眠れないんです。
何かが私の中にいて、眠ろうとして眼をつぶると、
それがいつも私をおびやかすんです。
本当にパニックになってしまって、
いくらお清めしてもらっても全然よくなりません。
辛くて辛くて仕方がないので、
この苦しさから逃れるために
ずっと死ぬことばかり考えています。

私はマイナス思考で
何でも悪い方に解釈してしまうんです。
だから、きっと悪い霊も
私の体の住み心地が良いと思うんです。
私に何かついていたら、
お祓いしてもらえないでしょうか?

いさどん:
仮に何かがあなたについているとして、
そういったものと自分が合っているということを考えたら、
対策としては自分が明るく
前向きに生きればそれですむことです。
お祓いするとかそういう話ではありません。
ところが、日常の出来事が上手くいかないと、
多くの人は原因を別のところに逸らそうとして
そういう発想になってしまいます。

死のうとしている理由ですが、
何か得体の知れないものが自分の中にいると感じる以外に、
生きていく上で死にたいと思うような別の理由はあるんですか?

ちよこさん:
別にないです。
元気になって、
家族にもお料理してあげたり、色々したいんです。
でも、体が言うことを聞きません。

いさどん:
それを出来るように
トレーニングしたらいいんじゃないでしょうか。
「出来ない、出来ない」と言って
やらなければそのままです。
まずは自分が一つ一つ努力して、
自分の気持ちを切り替えていくことが大切です。

ただ、あなた一人が
いきなりそれをやろうと思ってもなかなか出来ませんし、
今まで慣れ親しんだ家族に
協力してもらうのもなかなか難しいかもしれません。

ちよこさん:
娘だって、「こんな眼に見えないものを
どうしていいかわからない」と言っていますし、
霊能者のところに行こうとも思ったんですけれど。。。

いさどん:
仮に霊能者のところへ行っても、
元々あなたの中にそういったものが
住みつくような体質があるのだとしたら、
またそういうことが起きるでしょう。
だから一番良い方法は、
そのついているものの居心地が悪くなり、
ついているものが自ら退散するような人になればいいんです。
それが特効薬ですし、
そうしたら薬もいりません。

暗くなり取り越し苦労をして、
考えなくてもいいようなことや
事実と違うことまで考えたところで、
実際その通りにはなりません。
考えることで、自分のエネルギーを沢山使って
辛い思いをしただけ損な話です。
もったいないエネルギーの使い方をしているのだから、
一生懸命やる割には実を結ばない結果になってしまいます。

お祓いしたからといって
心の中身まで変わるわけではありません。
自分に積み重ねてきた人間性がねじれて汚れているのなら、
そこを綺麗にして整えていく作業が必要です。
仮にお祓いしてもらっても、
次にまた何かあった時に、
またお祓いでとってもらわないといけないことになってしまいます。

僕も昔はお祓いみたいなことをしていた時期もあったのですが、
これは間違っていると思い、
今はそういうことをしません。
代わりに、その人の心の状態を整え、
心の環境を良くするお手伝いをしています。
心が健康になれば、
そういった不健康をもたらすものが仮にいたとしても、
自然と居心地が悪くなって去っていくものです。

僕がこういった時によく話す話ですが、
木の花の敷地の角のところまでは
厄病神も貧乏神もついてくるのです。
敷地の中にあなたが入ってくると、
彼らはあそこの角であなたのことを待っているんです。
あなたがしばらくここにいてだんだん良くなってくると、
僕があそこの角まで行って
暇そうに立っている厄病神と貧乏神に聞くんです。
「あなたたちはそこで何をしているの?」と。

そうすると、
「お宅に10日ばかり前に来た人がいるでしょ。
あれは私たちの友達で、
私たちは今まで仲良くしてきたんです。
私たちはここから中へ入れないから、
あの人が出てくるのを待っているんです」と言うから、
僕がこう言うんです。
「あの人はダメだよ。
もうあなたたちと付き合いたくないってここへ来たんだから。
付き合いたくない証拠に
あなたたちが入れない所へ入ったんだから、
待っていても無駄ですよ。」

そうすると彼らは、
「いやいや、あの人と私たちは長い縁だから、
絶対切れるものではないと信じています。
固い絆で結ばれているのだから、
いつまでも待っています」と言って
「なあ」と厄病神と貧乏神が二人で相槌を打つのです。

そこで僕はこっちへ戻ってきて、
「今あそこの角へ行ったら、
あなたの古い大切な友達だというのが、
あなたとまた一緒に暮らせるのを待っていると言っているけど、
どうするの?」と聞くと、
「ここに来てみてよくわかりましたが、
あの連中は私を病気にさせたり、
財布の紐を緩くさせてずっと苦労させてきたんです。
私は二度とあんなものと付き合う気はありません!
あんなものは絶対嫌です!」と言うんです。

そこで僕がその人に言うのです。
「それだからあなたの了見は間違っているのです。
あの人たちの名前をもう一度言ってみなさい。
下に何がついていますか?
厄病神様と貧乏神様です。
つまり、あの人たちも神様です。
神様というのは、
上の方の神様から下の方の神様まで、
高い神様から、
人を騙したり病気を与えたり貧乏にしたり、
中には人殺しに導くような神様もいます。
この世界の出来事全ては神様が表しているのです。
その一つ一つが神様の働きなのです。

そして、全て合わせて一つの神様です。
その色々な部分が出てきて、
私たちの心にふさわしく与えられているのだとしたら、
上の方の大きな神様から、
「おまえたち、
あのじとじとしているもののところへ行って教えてやってこい」と
厄病神と貧乏神があなたのもとへ派遣されてきた
と考えることが出来ます。

つまり、厄病神と貧乏神が悪いのではなく、
元の神様が私たちに悪い心があることを教えるために、
自分たちの心の鏡として彼らを派遣しているのです。
「おまえたち、あそこに行って病気の風を吹かせてこい。
あのものも辛く痛い思いをしたら、
『これはいかん』と改心するようになるだろう」と。

あの神様たちは大きな神様に頼まれて、
自分のまわりに対立や病気、
貧乏の風を吹かせてくれているのだとしたら、
あなたにとっては自分を知るチャンスです。
そこから自分を切り離して
成長させるチャンスだと思いませんか。
そうしたら、
厄病神だって貧乏神だって神様なのですから、
嫌だというのではなく、
どんな神様だって大切にしないといけません。

良いことばかりが起きると
人間は勉強しないものですが、
困ったことが起きれば
「何でだろう?」と反省し勉強するものです。
自分の中に良い心があれば良いことが起き、
悪い心があれば悪いことが起きるようになっているのだとしたならば、
自分の心を教えるために
彼らは私たちのもとに来てくれています。

だからあの角のところへ行って、
「長いことお付き合いいただいてありがとうございました。
あなたたちは長いこと
私の心に気づきを与えてくれていたのに、
私が勉強することをしなかったものだから
気づけませんでした。
あなたたちは、私の心の姿を教えるために
病気や貧乏を与えてくれていたんですね。
おかげでようやく気づくことが出来ました。
これからは卒業して生きていけそうです。
ありがとうございました。
やはり神様はありがたい!」とあそこの角で言ってごらん。

そうしたら厄病神も貧乏神も、
「私たちはあなたと縁が深く
絆が切れると思っていませんでした。
私はありがとうとか感謝とか
そういう言葉が一番嫌いで、
そういうことを言われると
もうここにはいられない!」と言われて、
たちどころにしゅるしゅるしゅると天に戻っていく、
そういうものだと思いませんか?とよく話をするんです。

それで、ちよこさんのお話を聞いていると
事情はわかるのですが、
そういったものにふさわしい自分だったということを学び、
おかげで自分の心を知り成長できたと
感謝出来る心になると、
厄病神と貧乏神の役割がなくなって
あなたから去っていくという仕組みになっているんです。

こういうことは
病気の問題ではなく心の問題ですから、
心の体質が変われば
体の体質も人生も変わっていくものだと思っています。

実際にここには、
うつ病や心や体の問題を抱えた人が訪れますが、
信じて取り組む人にはすぐに答えが出ます。
薬もいらなくなります。
ちよこさんも、こういったことを
自分の心がつくっている幻覚として取り組み、
そういったものを打ち払うだけの精神力を養っていけば、
すぐに健康になります。

ちよこさん:
でも辛くて、
やっぱり安定剤を飲まないとおれなくなるんですよ。

いさどん:
安定剤を飲まないといられない時には
安定剤を飲めばいいんですよ。
それを「安定剤を飲まないとダメだ」とか、
「飲んではダメだ」と思うこと自体、
もう心が病んでいる状態です。
飲まないといけない状態の時には素直に飲めばいいんです。

しかし、ずっとそれに頼って
生涯を送るようなことではいけませんから、
少しずつでも治していこう、
良くなろうとする心があれば、
安定剤を飲んでもいいと思います。

ちよこさん:
でもね、
もう本当に辛くて辛くてたまらないんです。

いさどん:
そこで、「でもね」と反論するということは、
「そんなことを言われて
そうすれば良くなるかもしれないけれど、
私はこういう状態が好きなんです」
と言っているようなものです。
「嫌でたまらないのです」と言いながら、
10年も20年も引きこもっている若者や、
「あの息子は困った、困った」と言いながら、
息子を引きこもらせている親というのは、
世の中によくいます。
やはり、どこかでけじめをつけないといけません。

ちよこさん:
パニックになって気持ちが耐えきれなくなると、
いてもたってもいられなくて死にたくなって。。。

いさどん:
でも実際に、パニックというのは
何か事が起きているわけではありません。
自分の心の中だけの問題です。
そこで死ぬと、死んだ後も
永久にその状態でいないといけないんですよ。
そうしたら、その方が辛いですよね。
だから、そういった形で
死ぬということは一番馬鹿な発想で、
自分が嫌だと思う方向に
余計行くことになるということです。

ちよこさん:
だからそれほど辛いということなんです。
本当は死にたくはないんですけれど。。。

いさどん:
気持ちはわかります。
死にたくはないんだけれど、
死にたい気持ちになるということですよね。

ちよこさん:
本当は天命を全うして、
最後には自然死のようにしていきたいんです。

いさどん:
そうしたら天命を全うして、
「色々あったけれど、
おかげで沢山勉強させてもらって良い人生だったね」と
死ねるように持っていきましょうよ。
心が切り替われば、
そんなに難しいことではありません。

ちよこさん:
そうやって簡単に言うけれど。。。

いさどん:
そうです。簡単だからです。
その気持ちになったら簡単ですが、
難しいのはその気持ちになれないからです。
自分一人では
自分を客観的に観ることは出来ないし、
家族もそういった手伝いは出来ない。
お祓いしてもらっても、もちろん治らない。
お医者さんも薬を出すだけです。
でも、もしあなたが僕のことを信じてくれるのであれば、
僕はお手伝いをします。
ただし、行動するのはあなたです。
その上で僕を信じて
僕に賭けてくれないといけません。
信じてくれたら、
新たなあなたが現れて次の行動につながります。
そうしたら、あっという間に良くなります。

ちよこさん:
夜、眠れない時にはどうしたらいいんですか?

いさどん:
その時には、
「今、私はこういう状態なんだ」と過ごしてもらえたらいいです。

ちよこさん:
それは我慢するということですか?

いさどん:
我慢するということではありません。
我慢というのは、
「嫌だ嫌だ」と思ってやることです。
そうではなく、上手な付き合い方は、
「今、自分はこういう状態のところにいるんだ」と味わうことです。

例えば怪我をしたら治るまで痛いですよね。
その時に、怪我をして痛いのを嫌だと言っても、
痛みは逃げていきません。
「嫌だ嫌だ」と思えば思うほど痛みは強くなるのです。
でもそこで、なぜ自分が怪我をしたのかを振り返り、
「不注意だったし、
心の持ちようも冷静ではなかった。
だから神様は、こういう怪我を与えてくださった。
この痛みをしっかりいただき、
今後怪我をしないようにしていかないといけないな」と思い
ありがたい気持ちが湧いてくると、
嫌だと思っていた時よりも
痛みは確実に小さくなります。
そして、心が前向きだと怪我の治りも早いのです。

だから、眠れない時には
眠れないまま過ごしたらいいんです。
ここで問題なのは、事が起きる前に
「そういうふうになったら、どうすればいいんですか?」と
聞いてくるちよこさんの癖です。
確かに、今まではそうだったかもしれません。
でも、もしここで
あなたが僕に賭けるというのであれば、
私たちはあなたの人生を変えるために
お預かりするわけです。
あなたは一日、二日、三日と確実に変わっていくわけです。

ですから、
それは日にちが経って変わっていったあなたが、
その時その時に考えればいいことです。
あなたの癖は今のこの状態で、
「もし私が1週間ここにいて、
こういうことが起きたらどうしたらいいんですか?」と聞くことです。
1週間経ってみないとわからないことを、
あなたは既に悪く考えているのです。
まず、そういった考え方を改めないといけません。

賭けるというのは、今までは
自分一人でやってきても良くならなかったのだから、
それを何とかしてくれる対象に賭けるということです。
だから、僕の言うことを
素直に聞いてくれないとなかなか治りません。

僕がここでケアを引き受ける条件は、
「このままではいけない、何とかしよう」という心と、
「あなたに賭けますから、
よろしくお願いします」という心を持っていることです。
人の言うことを信用しないし、
このままで治す気が無い人には、
「あなたにはもうちょっと苦労が必要ですね。
その気になったら、また来てください」と言います。

ちよこさん:
私の場合はどうでしょうか?

いさどん:
あなたの場合は、
もう十分こりごりしていますからね。
その気があるのならお手伝いは出来ますので、
気持ちよくこういうことを卒業して、
良い人生を送っていただきたいと思います。
あなたが健康になることは
世の中のためにもなりますし、
神様も意地悪して
こういうことをしているわけではありません。
「気づけ、気づけ」と
その人にふさわしいものを
与えて下さっているわけですから、
早く勉強して次のところへ行かないといけません。

全てありがたい
と思えるようになれば大丈夫です。
そのうちに、そういうことも懐かしくなり、
それこそ良くなってくると
皆に話して聞かせるようなことにもなります。

ちよこさん:
そうなったらいいんですけどね。

いさどん:
「そうなったらいいんですけどね」という言葉の裏には、
「私にはならないですよ」という心が働いています。
物事は因果応報といって、
良く考えれば良いことが起きますし、
悪く考えれば悪いことが起きるようになっています。
痛い思いをするのはつまらないことですから、
もう少し賢くなって痛くなる前に、
「今、私の悪い癖が出たな。
このまま行くと
また悪いことが起きるのだからやめとこう」と思うと、
神様も「そうか、
痛い思いをせずに学ぶようになったか。
それが私の求めている心だぞ」
と言って喜ばれるわけです。
そして自分も喜べる。
それが人生の目的ですから、
もうちょっと賢く生きましょうね。

ちよこさん:
わかりました。
わかっているんですけど。。。

いさどん:
ここでは「けど」はご法度ですよ。
「けど」は二心ですから、
嘘をついているのと同じです。
これは僕のためではなく、
あなたのためにならないからです。
ここでは、「わかっているんですけれど、
やれないんです」と言うと、
「わかっているのならやればいい。
やれないはいらない」と言われます。
それだけのことです。
そうすればたちどころに良くなります。
僕と話していると、
ちょっと楽になってきませんか?

ちよこさん:
はい。ちょっと楽になってきました。

いさどん:
この調子でいけばいいんですよ。
僕の調子に乗せられていけば良くなります。
でも、僕の調子に乗せられただけではダメです。
それは僕の力ですから。
それを自分で練習し
マスターして自分のものにしたら、
どこにいっても「けど」は言わなくなるし、
賢く生きていけます。

はい!そこで「けど」と言わない!
今言いかけたでしょ?

自分の心の種を知って変えさえすれば、
あっという間に良くなります。
自分がいただいた心の種は、
長年自分が育ててきたのだから、
自分で取り去っていきなさいというのが、
この病気を通して伝えたい神様の意志です。

ちよこさん
でも自信がないんです。

いさどん:
それは当たり前です!
自信がないから、
ここに来ているんですよ。
僕には治す自信がありますが、
これはキャッチボールですから、
こっちに治す自信があっても、
僕が投げたボールを受けとめなかったら、
ボールは向こうにいってしまいます。
受けとってくれないとダメですよ。
そうすれば絶対に良くなります。

最初は死にたいって話だったのに、
こうやって話していくと何となく面白いでしょ?

ちよこさん:
そうですね(笑)

いさどん:
そうやって笑って、
問題事も笑っていくと、
笑いが厄病神を追っ払いますから。
その調子でいけばいいんですよ。
ところで、やる気はあるの?

ちよこさん:
はい。

いさどん:
それならやりましょう。
あっという間に良くなって、
こんなバカバカしい人生はやめて、
気持ちのいい人生を始めましょう。
この調子で笑いながらやれば大丈夫ですから!
自分が暗くなるようなら、
人のペースに乗って
明るくなるようにすればいいんです。
そして自分のペースにすればいいのだから。
結構楽しい時間だったでしょ?

ちよこさん;
はい(笑)

いさどん:
半分とは言わないけれど、
3分の1くらいは良くなったようなものですよ。
この調子でいきましょうね。

将来、こういったことも
思い出にしていかないといけません。
「昔、私はこういうふうだったんですよ」と。
ここへ病気で来て
健康になって社会に戻っていった人が沢山います。
僕が卒業していった人に言うのは、
「病気を克服したということは勲章です」
ということです。

人間は自分のことばかり考えて
生きているものですが、
世のため人のために生きて初めて
価値を積んでいくことが出来るのです。
以前のあなたと同じように
苦しんでいる人が世の中には沢山います。
それを克服した人は、
「私もそうだったんだよ。
だから心配せずに
こういうふうにするといいよ」と伝えると、
徳積みになるし、
人を救えるんです。

だから、今のこの悪い状態というのは、
神様が良い役割を与えようとされているのに、
あなたがそれを学んで克服しようとしなければ、
その役割は出来ず
勲章はもらえないということになります。
そして、神様の中でも
厄病神や貧乏神と
仲良く付き合っていくということになります。

厄病神も貧乏神も
「ここは居心地が悪いから」と言って、
しゅるしゅると昇天していくような姿勢を
あなたが取れば簡単です。
そうすれば、心も体も自然と元に戻ります。
あとは信じてやっていきましょう。
結構楽しかったでしょ?

ちよこさん:
はい、そうですね(笑)

いさどん:
そうそう、笑っていかないとね。
笑いが一番!
でも、「笑いましょう。
ありがとうと言うのがいい」と言って、
おかしくもないのに笑ったり、
何にもありがたくないのにありがとうと言うのは
何も効果はありません。
心から笑えて、ありがたい
と思えるような心を取り戻していきましょうね。


「貧乏神も厄病神も神のうち」への4件のフィードバック

  1. ニコニコしながら読んでしまいました。
    僕も疫病神様や貧乏神様から「最近付き合い悪くなったね」といわれています(笑)。

  2. そのように人が自分を癒して行くよう導かれる長年の実績をお持ちになっているのはすごいです。私も暗闇の中でもがいてきましたので、訴えている人の気持ちが判ります。そして、そういう人の心に光が差すように穴をあけるいさどんの導きはこの世の救い主の慈愛です。

  3. うんうん頷きながら読みました。
    疫病神や貧乏神が「私はありがとうとか感謝の言葉とかが一番嫌いでそういう事を言われるともうここにはいられなくなります」のところとかすごくわかりやすく学べました。

    本当にいさどん節いいなぁ、ありがとうございました。

  4. 3月の体験ツアーに参加した美和です。
    直接いさどんに読んでいただけるかと思い、ここに書き込みします。すみません。
    わたしに聞こえてくる「声」の話を覚えていらっしゃるでしょうか?
    帰って来てから、「後ろの人」の声に耳を澄まし、何か言われたらいさどんに言われたように
    「あなたはだれですか」と聞こうと待ち構えているのですが、いっこうに気配が感じられません。
    隠れているのか、わたしの後ろから離れてしまったのかわかりません。
    ツアーに参加する前は朝4時くらいに必ず目が覚めていたのに、それも無くなりました。
    あれほど「声」に戸惑っていたくせに、いざ聞こえなくなると「寂しい」もしくは「見捨てられた」という
    感情が沸々と湧いてくることに自分で驚いています。
    今後、「声」が聞こえなくなっても「あれは一体何だったのか?」と
    自分探しの旅はつづくと思います。
    自分の中で、(後ろで?)何が起こっているのか、もっと深く知りたいのです。
    ツアーの昼食の時にいさどんとお話したのが、遠い昔のことのようです。
    このブログを読むと、本当に色んな人のケアをしていて忙しいのに
    時間を取っていただけたことにあらためて感謝しています。
    折に触れ、木の花のことを思い出します。
    ご飯を食べるときが一番思い出しますね。
    我が家でも子どもたちが「いただきますします!いただきます!」
    とあいさつしてくれるようになりました。
    「なぜ木の花ファミリーに行ったのか」
    理由はよくわからないままなのですが、
    確実に何かが変わってきたなと感じています。

    このコメントに返事は要りません。
    近況報告までに。

    こちらは桜が満開です。
    明日は朝から美濃の小倉公園でお花見してきます。

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