現代医療について語る

9年間にわたるうつ病をここに来てから3ヶ月で克服し、今はメンバーとして活躍しているエリー。
大学教授として言語病理学を研究していた経歴を活かし、週末は東京に通い臨床のお仕事もしています。
今日は、現代医療、特にうつ病への精神医療についていさどんにインタビューしました。

エリー:
現代医療、特にうつ病への精神医療について考えるところ、感じるところをお話し下さい。

いさどん:
まず、私が病気をどう捉えているのかについてお話します。
人が生きていく上で出会う色々なトラブル、困難の中の一つに、
医療で捉えられている「病気」というものがあります。
困難には病気だけではなく、人間関係の対立など色々な問題があります。
その中でも病気については、
「病気」という切り口で捉えると、病気を問題事として捉えています。

この世界はどんなものも、相反する二つのものによって形成されていると考えています。
ということは、全ては陰陽で成立しているということです。

そうすると、病気でもトラブルでもそうですが、それは陰陽どちらか一方に偏った現象です。
マイナス現象というのは、物事が起きた時に現象を終息させ、収めていく力です。
それに対し、プラス現象というのは物事が起きていく時の力です。
それを収めていく力がマイナス現象だとし、収める作用として病気を捉えれば、
そこに病気が発生する原因、つまりプラスの要因が働き、
その結果病気やトラブルが起きているということになります。

プラスが極端に発生した場合にマイナスを起こし、
本来の安定した状態に戻そうとする力、それがトラブルということです。
その一つの表われが病気であり、うつ病はその精神疾患の一つであるわけです。

一方、現代医療の病気に対する捉え方は、
症状を現象として特定し、その症状をなくすという考え方です。
例えば、湿疹が起きているとか、怪我をしたということに対して、
その湿疹をなくしていくこと、怪我を治療するという捉え方です。
湿疹をなくすということは確かに有効で、
湿疹がなくなれば見栄えも良いですし、苦痛もなくなります。
怪我も、当然治すために治療をしていくことになります。

ただ、湿疹が出た背景を捉えてみると、それは内蔵疾患かもしれませんし、
内蔵疾患につながる自律神経の問題かもしれません。
また、自律神経を不安定にさせている精神性にもつながっていきます。

怪我についても同様で、単に偶然に怪我が起きたのかといったらそうではありません。
怪我をした時のその人の注意不足、それは心の不安定が原因していると捉えられます。
そうやって観ていくと、その背景には必ずその人の精神性が現れてきます。

湿疹が起きている原因が内蔵疾患だとしたら、
適度な食を超え、食べ過ぎてしまうような原因がその人にあるのかもしれません。
そうしたら、なぜ食べ過ぎてしまうのかということを考える必要が出てきます。
それは、その人を取り巻く環境や環境に影響を受ける人柄、人間性につながっていきます。

人間に限らず生命には、常に健康体を保っていこうとする力が働いているものですが、
その生命が健康体になろうとする力以上に偏った行為をしてしまうと、
バランスを欠くことになってしまいます。
そこでは、何かストレス的なものやそういう自然に反するような精神性が原因となり、
そういった行動から症状を起こしています。

そうすると、精神疾患でも何でもそうですが、
バランスを整えるために薬で精神性を操っていくような治療を行ったとしても、
根本の精神性は変わらないために症状は改善されません。
病気というものは、まわりの環境から来る様々な心の葛藤や、
本人が元々持っている心の癖によって、バランスが崩れた結果起きてきます。

環境に起因することや、本人が元々持っている病気を引き起こす癖に起因することもあると捉えれば、
そこのところを観ずに治療を行うということは、「人を観て心を観ず」ということになります。
「人を観て心を観ず」の状態で相手と接していたのでは、
相手を観ていても相手を観ていないということになります。
今、そういう医療が多く行われていると思っています。

病気については、原因のところまで捉え対処していくことが出来れば、
表面的な治療をしなくても状況は改善されるでしょう。
元の原因とは心のボタンの掛け違いです。
ボタンの掛け違いというのは、全部のボタンがずれて掛けられている状態で、
やることなすこと違う結果が生まれてくることになります。

しかし、元は最初の一個のボタンが掛け違っていたに過ぎず、
そのままにしていくから、全部掛け違うということになるのです。
これを逆に捉えると、最初の一個だけ正せば、全て正され健全になっていくことになります。

そういった捉え方をすると、精神医療だけではなく他の病気でも、
広い意味で捉えれば人間が生きていく上で出会うトラブルの一つであり、
根本的な原因を観て振り返ることが出来れば、その問題は解決に向かっていくものです。

根本の原因を観ることが出来れば、そこに気づきが生まれます。
気づきというのは自分の中から湧き出てくるものです。
「自分は自分にバランスの悪い、負荷をかけるストレスを与えていたんだ」ということに気づけば、
たちどころにそれを止めることが出来ます。

私たちはここに滞在する人たちにそういった気づきを提供しています。
「健全な精神に健全な肉体が宿る」ということで、
心のバランスが良くなれば、体のバランスも自然に良くなるものです。

ホリスティック医療が叫ばれている中で、
医療現場がなぜそういったものの見方をずっとしてこなかったのかということを考えると、
近代医療はそこにお金が絡み、利益を生む産業になっているということが言えます。
人々の問題事を解決し社会に寄与していくために医療があったはずなのに、
それが産業になっていることに一番の問題があるのではないか、
そういう産業の担い手としての医師の教育がされているのではないか、
ということも大いに考えるところであります。

病気やトラブルが私たちの人生に発生しているということは、
生きている上で私たちがそういった形の自己表現をしているということです。
私たちは、自分の心を表現し日々を生きています。
その表現が偏ってバランスを欠き、
プラスの過剰、「自分だけが」「自分さえよければ」という心で表現した時に、
マイナス現象が働き、病気を発生させているという仕組みになっています。

そうすると、病気などのマイナス現象は、「プラスが過剰ですよ。
あなたの心はバランスを欠いていますよ」ということを教えてくれているメッセージということです。
バランスを欠いていれば、人生という道を歩む時に不安定になり、辛いことになるのは当たり前です。
バランス良くいけば、健康で豊かに持続可能な人生を歩むことが出来ます。

また、バランス良く人生を歩むことが出来れば、
冷静さを持ってまわりの出来事から学び、
自らの心の問題事の種を取り去って成長していくことが可能です。

バランスを欠いていると何も成果がないどころか、苦痛が与えられることになります。
しかし、苦痛を与えられて問題なのかといったら、
苦痛はそこから学び、人生を尊いものにして自分の価値を高めるために与えられていると考えれば、
医療という視点から観た問題事としての疾患とは捉えられないと私は考えます。

そのことを人々が理解しなければいけません。
そういう視点で病気というものを捉えると、病気に対する認識が随分変わってくると思います。
病気は嫌なもので問題事である、退けるものである、病気はない方がいいという考え方は狭い視点です。
確かに病気はない方がいいのですが、
病気を生業の対象にする人がいていいのかということについては、そういう人は少ない方がいいでしょうし、
病気がなくなっていけば、そういう職業こそなくなっていくことが社会にとっては良いことでしょう。

そういう意味からすれば、現代医療が今のままでいつまでもあり続けるということは問題です。
問題といっても、人間がこの世界に生まれてきて、
その問題事に出会う意味を理解するために今の段階があるのだと捉えています。

今現在、病気が沢山起こり、問題事が山のようにあるということは、
その現象の奥にある根本的な意味を、
社会的にも個人的にも学習していくことが問われているのではないかと考えています。

社会と、その社会を構成している個人という二面で今の時代を捉え、
医療や社会に対する新しい在り方を皆で考えていくことが、
こういった現象の奥にあるメッセージとしてあるのではないかと思っています。

今朝読んだ新聞記事の中に、15年前の阪神・淡路大震災で6千数百名が亡くなったこと、
6年前のスマトラ沖地震では22万6千人が亡くなったこと、
そしてハイチの大地震では23万人が亡くなったと書いてありました。

その後に68万215人という数字があったのですが、
これは日本でこの4半世紀、約25年の間に発生した自殺者数です。
20年間で55万人を越えた人が亡くなっていて、
昨年には3万2千845人が自殺したという記事が載っていました。

日露戦争の時には年間1万人が死んだと言われていますが、
その3倍以上の人が自殺で亡くなっているのです。
そういった数字が12年も続いています。
自殺者をなくすには、社会的な問題と個人の心の問題の
2面の根本的な原因を捉えていくことが非常に重要だ、ということがこの記事からうかがえます。
動機が判明した中ではうつ病などの病気の悩みが最も多く、
その次に負債等のお金の問題が原因であるということです。

そうすると、お金というものの捉え方が心の問題になっているということです。
お金や心の問題で発生した病気を、
医療が薬だけで抑え込もうという矛盾的行いが起きているのが現状です。
その人の心の癖は個人的な問題であり、その背景にある負債は個人的かつ社会的な問題です。
そういったことを多角的に捉えて初めて、問題を解決することが出来ます。

単に病気を治すということよりも、社会にそういった問題が発生しているということに皆が気づき、
それを絶ち切っていけば、現代医療が今の限界を超え、
本当の意味での健全な社会と健全な人を生み出すことにつながるのではないかと考えています。

エリー:
今の話は、今まで自分が聞いたこともないような話なので目から鱗でした。
今のような捉え方をしたら、社会における全ての問題が解決出来るような気がしています。

今まで、「病は気の病」ということで、精神が大きく関わっているとはいうものの、
そのことによって脳に器質的な変化が起き、
それを薬によって調整していくから薬も必要であるし、
現代医療の価値はそこにあるのではないかと思っていました。

いさどん:
そうですね。脳に問題があるということは、
例えば分泌物が足りないとか、多く出てしまうというような症状を捉え、
そこを解明していくということはとても大切なことですし、それは医療の大きな使命だと思います。

先程の内蔵疾患であっても、脳の中に異常な分泌物が出たり足らなくなったりすることも、
元をただせばそうなるべき理由があるということです。

例えば、心が不安定でストレスが溜まっていくと、自律神経のバランスが崩れていきます。
自律神経は臓器の安定を司るところですが、
心が不安定になったからと言って、内蔵が悪くなる必要はないはずです。

しかし、そうなるような仕組みを私たちはいただいています。
ところが、医療現場ではまだ現象だけを捉え、治していこうとしています。
しかし、現象にはそれが起きる理由があり、
さらに観ていくと現象を引き起こしているストレスや、
ストレスを引き起こしている心の癖とつながって現象が起きている、ということが理解出来ます。

さらに、その人にはそのストレスを受ける必要がある、と言うことも観えてきます。
魂の不完全というものがあり、その不完全に気づくためにそういった現状を与えられているのです。
全てはプロセスの一部であり、それに沿った現象が起こり、
そこから最終的に対処療法的治療を受けていくことは、その現象の根本的解決にはつながらないのです。

今エリーが言った医療の考え方というのは、あるところまで来るとその先を捉えず、
表面的な症状を治せばいいということになるのです。
それだけでは「なるほど、そうか!」と納得がいくものにはなりません。

エリー:
今の現代医療を支えている人たちは、まず魂や心というものの存在を認めていない人が多いですからね。
心や魂というのは脳の活動の結果生じてきているものという捉え方からすれば、
原因を魂や精神性に持っていくという捉え方は最初から排除しているわけです。

そこに観えてくるものは現象と言われているものですが、
そこで観えている病気の症状にいかに対処していくのかということ以外に、
唯物論的な観方からすると限界があるわけです。
限界があるという考え方は唯心論の立場からするとそうですが、
唯物論の立場からすればそういう捉え方はありませんから、
限界と捉えないでそのまま行ってしまうということになります。

いさどん:
そこでは、症状を治せばそれで良しということですよね。

エリー:
それ以外にないというか、人間というのはそういうものだという観方です。

いさどん:
ここではうつ病がテーマになっていますが、
明らかに現象を起こしているのは、人の想いや想いにつながっている行動です。
想いというのは、唯物論で言われる「捉えどころのないもの」です。
それが元になり、うつ病的な現象が現れてきているわけですから、
そこを切り離してしまうと、逆にこういった医療現場に従事する人すら、
心の矛盾が発生する状態になるのではないかと思うのですが。

エリー:
そういったケースは非常に多いと思います。

いさどん:
そこから目を背け、とことん機械的に医療に従事するような人は
医療現場にい続けることが出来るかもしれません。
しかし、そこに矛盾を感じるような心を持っている人は、
自分が治す立場にありながら、バランスを欠いた不安定な状態になってしまいます。
しかし、それは物事の本質を捉え出してきた結果ですから、好ましいことだとも捉えられます。

エリー:
だから、精神医学者や精神科医、臨床家のかなりの人たちが、
心を病んだり、お酒に溺れたり、生活破綻者になっている現状があると思います。

いさどん:
そこのところは、先程お話した、それこそ「人を観て心を観ず」ということだと思います。
つまり、そういった人たちは原因がさらに遡ったところにあるのに途中までしか観ず、
立場上の仕事をしているところに問題があるのではないかと思います。

エリーは、現代医療の治療現場に今までいたわけですよね。
それは良い悪いは別にして、結果としてここと出会ったわけです。
エリーはここでの治癒に対して、唯物的な治療方法ではない、
何か他の理由によって治っていったと捉えていますか。
どのような要因がエリーの病気の治癒につながったと捉えていますか。

エリー:
元々私は宗教的な家庭で育ちましたので、唯物論に対しては否定的な立場でした。
ただ、成長の過程で生きることのしんどさに耐えられなかったのではないかと思うのですが、
そういったことについては割り切って生きていきたいと感じていました。

そしてここと出会い、自分が今まで一生懸命目を背け、
逃げていたというか、忘れていたものと向き合わざるを得なくなったように感じました。
懐古的な言い方になるかもしれませんが、
ここにいることで、昔の自分の心に引き戻されたというふうに感じています。

今は素直になってしまえば、現代医療に対しては非常に否定的で、
唯物論の考え方の浅さ、愚かさを強く感じています。
自分のうつ病は、「心の問題から逃げない」というスタンスに立つことによって治癒したのだと思っています。

いさどん:
元々エリーは信仰的な家庭に生まれ、唯心的な育ち方をしました。
それが大学という学問の世界に入り、唯物的な視点で学問をしてきました。
そして、自分自身が心の疾患と出会うことにより、
また唯心的なところに出会って自分らしさを取り戻した、ということですか?

エリー:
そうですね。

いさどん:
そうすると、今エリーは唯物的なものを否定するという話をされたのですが、
そうではなく、唯物的なことと唯心的なことのバランスを取って織り交ぜて考えていく、
と捉えた方が適確なのではないかと思います。

私は現代医療に対して否定的ではありません。
ここでの効果は私たちの働きかけに反応する段階の人には有効です。
私たちは相手の心に働きかけ、
相手がその働きかけを受け取り、自分の中で解釈し、反応を返す、
それに対してこちらがまた働きかけるというキャッチボールが出来て初めて、
ここでの対処は効果があります。

それが出来ない段階の人、混乱してしまっている状態の人に私たちの対処法が効果的なのかというと、
強制的な場も必要でしょうし、ある意味では苦痛を和らげるための投薬的なものも必要だと思います。

本来はそこまで行く前に、唯心的なことと唯物的な捉え方のバランスを取ることが理想です。
しかし、現実には唯物的な治療も非常に有効だと捉えていますし、
過去にも自然の中にある薬草や鉱物を使って症状を治してきたと思うのです。
車の両輪のようにその二つのバランスを取っていくということが大切で、
今エリーが言ったような「唯物的なものが問題だ」ということではないと思っています。

ただ、唯物的なことが栄え過ぎ、そちらの方に偏り過ぎたとは思っています。

エリー:
普段から極端に走る自分の癖が出たのだと思います(笑)。
また、極端な教育を受けてきましたから、
その反動が大きくて、こういう考え方になったのだと思います。
私の性格はエキセントリックと言いますか、すごく極端なんですよね。

現代はヒステリー的社会だと思うのですが、ヒステリックに物理的なものを求め、
一方で非常にスピリチュアルを求めていると思っています。
私の目から観ると、それがすごくおかしく思える時もあります。

いさどん:
そうですね。今、やたらと物理的な世界が進んできた結果、
非常にスピリチュアルな、それこそバーチャル的な世界がもてはやされています。
私もそれは危険なことだと思っています。

全てが陰陽で成り立っているというところに話を戻しますと、
私たちは霊性と肉体という両方を持って存在し、そのバランスによって生きています。
そこにアンバランスが発生することによって、
そこから痛みをいただきながら学び、成長しているということが人生だということです。

成長するということを目的に問題事を捉えれば、
問題事も悪いものではなく、成長するための糧として希望が湧いてくるものです。
自分を発見するチャンスになります。
そうやって、広い意味での病気に対する捉え方が必要なのではないかと思います。

現代医療に対する想いということからすると、
そういった多面的な観方を医療現場の方たちが取り入れ、
精神疾患といったものを捉えていくことが必要な時代が来たのだと思います。
しかし、それすらもプロセスとしてそういう段階に来たということで、
決して今までの医療の在り方を否定してはいけないと思います。

今までの医療は非常に有効でした。
しかし、次の段階に進む時には、必ず今有効なものにも限界が来て、
問題事がそこから観えてきて、次のステージに行くということだと捉えています。

(エリーの対談後の感想)
私は宗教教育を受けて育ってきましたから、教祖的なものにすごくアレルギーがあるのですが、
いさどんの考え方というのは、すごく冷静で健全でいらっしゃるので感銘を受けました。
唯物論と唯心論を自分が分けて考えていると言われたことで、
自分が対立を生むような捉え方をしていたということにも気づきました。
いさどんのような考え方を自分が今まで求めてきて、今自分がここにいるのだと思っています。
今まで二極の対立する考え方のどちらかを選ぶ生き方しかしてきませんでしたから、
第三の道、新たな生き方があるということを知り、目から鱗でした。


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