「この私の人生を、あなたにプレゼントします」ー ある車中での会話から(2)

東京への往復の車中の会話、後編です。

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いさどん:昨日の夜、家に帰る時に夜空を見上げながら、できればこの質量を放棄して、あの星に向かってこのまますーっと行きたいなあ、って思った。それは、「上」に行く、ということではないんだよ。宇宙空間へ出るというだけのことで、宇宙には上下はないからね。
それで、どこへ行くかというと、やっぱりこの太陽系を離れて、銀河の旅をしたいんだよ。この天の川銀河も離れて、別の銀河へ行きたいなあって思ってしまうんだよ。

こうやって話すと絵空事みたいだけど、僕のその想いは本物なんだよ。そしてその想いが現実を創っていく。聖書に「始めに言葉ありき」とあるでしょ。言葉っていうのは想いからできてるから、始まりは想いなんだよ。「想う」という段階では、目には見えない。つかむこともできない。けれども、すべての形あるものは、始めにイメージすることから生まれてくるんだよ。「想う」ということは、宇宙を創造する原理なんだよ。
だから、僕は銀河の旅のこともすっごいマジに考えてるのよ。この肉体から離れることが、すごく楽しみなんだよ。そしてその真剣な想いは、より現実化していくんだ。

結局、その人が何を思考するかが、その人の存在を決めるんだよ。愛ある思考を持っていれば愛ある世界ができるし、愛もどきだったらもどきの世界ができる。そのことに僕はずいぶん前に気付いたものだから、疑わないでとことんやることにした。そうすると、その世界は現実化し、深くなっていく。

ともこ:私も愛ある者になりたくて、それをやろうとするんだけど、一生懸命やろうとしてるうちは“もどき”だなって思うの。「愛あるものになるんだ!」って頭の中で思ってるだけで、心はそうじゃない。そんな者にも、本物の愛が育っていくのかな?

いさどん:それがもどきであるうちは、もどきの世界ができるよね。でもいつか、その一生懸命がもどきじゃないものにつながれば、その時にはそれにふさわしい世界が表れるよ。その人の心のあり方が忠実に再現されるのがこの世界の法則だから。そこのところをとことん理解して、信じて、それになりきれば、その想いにふさわしい現象を生んでいくよ。

僕は確信を持ってるんだよ。昔、富士のふもとに菩薩の里を創ろうとイメージした時に、「いや、そんなことは無理だ」とか「自分みたいなものが人に影響を与えられるようになるのだろうか」という想いが湧いた。だけど同時に、それだからいけない、自分で自分の想いを否定するようなことではいけない、と思ったんだよ。だからその自分を否定する自分を否定して、自分にはそれができるんだと信じ切ることにした。やるだけやって、結果をもらえばいいじゃないか、って考えるようにしたんだ。

極端なことを言うとね。これは本当だろうかと考えるようなことがあった時に、それは僕をたぶらかそうとしている悪魔が、僕をからかって、天になりすまして与えたものだったとするでしょ。僕は、それでもいいと思うんだよ。なぜなら、僕はこの道を歩む時に、とことん信じることをベースにしているから。とことん信じて、まっすぐ進むということをベースにして歩んでいる限り、たとえそれを与えているのが悪魔だったとしても、それでもかまわないんだよ。
そして、僕が人生を終える時に悪魔が
「はっはっは。どうだ、見事にお前を騙してやったぞ。引っかかったな」
と言ったらね、僕はそこでにっこり笑ってね、
「そうですか。あなたは悪魔で、私を騙してきたんですね。
でもその悪魔に私が提供したものは何だと思いますか」
と言うんだよ。そしてね、その僕を騙し続けてきた悪魔に向かって、こう言うんだ。
 
「僕はまっすぐ信じて、この道を歩み切りました。
 この私の人生をあなたにプレゼントしますよ。」
 
 
ねじれて、歪んで、疑っているものを悪魔と呼ぶならば、その悪魔にとって、そんな恐ろしい返り討ちはないんだよ。だってそれは、完全に彼を否定するものだから。彼はそこで「ああ、やられた」と言って消えていくか、それとも、申し訳なかったと言って心を入れ替えるかの、どちらかだろうね。
だから、たとえ悪魔であったとしても決して屈しないんだよ。ましてやそれが神であるならば、なおさらそのまま進んでいけばいい。

ともこ:今の話を聞いて、私の人生はずっと疑いがベースになって来てるって思う。人との関係でも、いつか自分は見放されるんじゃないかという怖れが常にあって、わざわざその関係を壊すような行動を起こすんだよ。どうせダメなんでしょと疑って、その通りの結果を招いて、ほらやっぱりダメなんだと確認してある意味安心してる。そうやってわざわざ自分の不信を深めてるの。

いさどん:疑いがベースということでは、僕もそういう時があったんだよ。だけど、疑う自分がどういうものかと考えてみると、それって価値がないでしょ。僕はそういう自分を評価できないわけだよ。そういった心がある自分は、好きじゃない。疑う心を持ち続けるということは、それでよしとしているってことなんだよ。それを捨てるか捨てないかは、その人の意志だからね。
僕には、強い意志と決意があった。それはどういうものかというと、常に道理の通った方を選び、自分に価値をつけるということ。その王道を行くことをとことん徹底するから、時には矛盾した自分を否定することもある。それだけの意志があるか。僕にはそれがあるから、怖いとは思わないんだよ。

ともこ:私の場合、信じて、自分が傷つくことを怖れてるんだ。

いさどん:信じて傷付くとしたら、それは信じ方が間違ってるってことだよ。

ともこ:信じ方が中途半端ってこと?

いさどん:中途半端というのは、つまり信じてないということだよ。信じることを怖れてるってことは、つまり自分の想いと違うことが起きるかもしれないと疑ってるってことでしょう。ということは、信じてないってことなんだよ。
だから、「信じることを怖れてる」というのは正確な表現じゃないね。つまりは「疑ってる」だけのことなんだよ。どこまでも疑ってるっていうことさ。

ともこ:そうか。言葉は正確に使わないとね。

いさどん:そう。言葉が間違ってるんだよ。信じることを怖れていて、信じるも何もない。

ともこ:うん。
思うんだよ。信じてる人は気持ちいいだろうなって。

いさどん:いやあ、もしもこういう究極的な意味で信じる信じないという話になったら、信じてる人はほとんどいないんじゃないかな。まあ、人生の部分的なところでは信じてるって言えることはあるだろうね。だけど究極的に信じている人は、なかなかいない。もし本当に信じていたら、どんなことが起きようとも怖れる必要はなくなるよ。

ともこ:いさどんは信じてるの?

いさどん:何か出来事が起きた瞬間は「わあー」って思う時もあるよ。だけど、今までいろんなことが起きたけど、結果的にここまで歩んできてるってことは、その出来事はその瞬間のプロセスを見せてくれただけとも言えるんだよ。「人間万事塞翁が馬」と言うでしょ。今起きていることに対して、結論なんて何も出せないんだよ。
そして今までいろいろあったけど、事実として、この道を信じてやって来て道理から外れたことは一度もないんだよ。うっと思うことが起きれば起きるほど、たくましくしてもらってるんだと思うよ。

ともこ:今こうやっていさどんの話を聞いているとね、何を疑うことがあるんだろうか、って、疑うことの意味を感じなくなってきたよ。

いさどん:そうでしょう。

ともこ:それを、今のこの瞬間だけじゃなくて、日常の中の一瞬一瞬に活かしていけたらいいなって思うんだ。たとえば誰かと話している時に自分の中の疑いを感じる、その瞬間に。

いさどん:それは、その時にそれまでの見通しが外れるような出来ごとが起これば、瞬間は僕だってウッと思うよ。だけど、見通しが外れるってことは、自分の考えていたことと違うことが起きる、つまりわかっているのではないことが起きるんだから、逆に楽しみなことになる。予想以上の何かが起きるぞって思うんだ。
見通しが壊れるってことは、その考えに固執している人間にとっては恐怖なわけだよ。自分の思った通りにならないんだから。僕の場合は、それを楽しむんだよ。さてこれからどうなるだろうね、って。

ともこ:そうなんだね。私なんてね、自分の思った通りにならなくて、勝手に傷ついてたりするんだよ。

いさどん:思った通りにならなかったことを、その結果も見ないうちに何で悪いことだって決め付けるの。思っていたよりもいい結果になる可能性だってあるんだよ。そしてどんな結果であっても、それがまた次を生んでいく。結果は、常に紡がれて続いていくんだよ。

人間は、自分の意志で人間をやっているのではなく、この宇宙から何かを受託して、銀河や太陽系、そして地球がどういう歴史を刻むのかということの延長に、この世界で役割をもらっているんだよ。つまり我々は、銀河の舞台、地球の舞台の役者なわけだ。
役者にはシナリオがあって、多少のアドリブの自由は与えられつつも、そのシナリオを忠実に演じてるんだよ。そしてそれは大きな仕組みの中にあり、役者はシナリオを演じながら、その仕組みが発しているメッセージが一体何であるかを考えるべきなんだ。それが優れた役者になるということだよ。ところがそこを観ようとしないものだから、シナリオ通りに進んでいることであっても、自分の考えと違うと言ってウッとしたりするわけだ。

そして、我々は地球という舞台で肉体をもらって役者をやりながら、同時に観客でもあるんだよ。シナリオライターと監督はというと、天、つまり神の領域にあり、我々は役者として自分たちで演じながら、同時に観客としてその舞台で展開される物語を楽しみ、その奥にあるシナリオライターや監督からのメッセージを感じとることができるという、すごくおもしろい世界にいるんだよ。

そんな場所を与えられているのだから、楽しまなくちゃね!

 

 


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