富士山世界遺産登録から、人類の未来が観えてくる

6月26日、ユネスコは正式に、富士山を世界文化遺産として登録しました。
日本中がお祝いムードとなったこの出来事を、宇宙視点から見てみました!

世界遺産登録の朝の富士山 ー おひさまハウスひまわりより
世界遺産登録の朝の富士山 ー おひさまハウスひまわりより

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ともこ:
今回富士山が世界遺産に登録されて、巷ではずいぶん話題になってます。今までも日本の世界遺産登録はいくつかあったけど、今回は今までにない盛り上がりみたいですね。

いさお:
やっぱり富士山は日本人にとって特別なんだよ。「我らが富士山」という感覚が日本人にはあるよね。

いさどん:
世界遺産に登録されるということは、それにふさわしい価値があるということだよね。
富士山は過去に一度、自然遺産で登録しようとしたけれど却下された。確かに富士山は見た者に感動を与えるし、特にスピリチュアルなことを感じる人には大きな存在としてあるんだけれど、では、自然遺産としてふさわしいように日本人があの山を守ってきただろうかというと、心の奥に秘められている富士山への愛着の割には、大事にしてこなかったんじゃないかなと思うんだよね。その結果が、自然遺産登録脚下になったんだろうと僕は考えるんだよ。
それで、世界遺産登録を諦めきれない人たちは、他の切り口を考えた。そして文化遺産でいこう、ということになり、相当な年数をかけて登録運動を展開した。僕らがここへ移住して来た時にはすでに世界遺産登録運動はあったから、少なくとも20年にはなるだろうね。そこまで続けて来られたのは、政界や財界も絡んでいたからだと思うよ。

今回、文化遺産として登録されたことについて、僕は矛盾を感じるところがあってね。それは、マスコミや地域、関係者のはしゃぎようが、どうも経済的効果への期待に集中してるところなんだよ。世界文化遺産として登録されたことで、本来は自然遺産と同じように保護されるべき対象の富士山に、現状はどんどん人が集まって、その経済効果を歓迎している部分ばかりが見えてくる。

明治時代の富士講の人々
明治時代の富士講の人々

そもそも、今回富士山が文化遺産として登録されたのは、富士講に代表される信仰の精神がもとになっているわけでしょう。だけど登録を推進してきた人たちの生活や人間性にそれが根付いているかというと、これはほとんど0の状態だね。富士山を紹介する映像を見ても、富士講だとかそういったものはネタとして使われている感じだし、お山開きなどの行事も行事として残っているだけで、精神性が伴っているかと言ったらほとんどない状態。イコモス(世界遺産登録の審査を行うユネスコの諮問機関)はそこら辺を把握して登録したのかというと、どうもロビー活動が功を奏したんじゃないかと捉えられるところもあるんだよね。
僕は、今回の世界遺産登録を歓迎はしていないです。しかし、こういった時代の中で、富士山が日本人の心の中に根付いているということをもう一度呼び覚ます機会にもなるということでは否定もしない。今のところ、様子を見ていかないとわからないというところです。

19年前、木の花ファミリーがここ富士宮の地で始まったのは、富士山があったからなんだよ。温泉と富士山、どっちを選ぶかという時に、両方あるといいね!と言ってたけど(笑)、そんな贅沢はダメ、どっちか片方にしなさい、ということで、やっぱり富士山を選んだ。

いさお:
そうだったんだ。

いさどん:
木の花ファミリーの名前は、富士山の主神である木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)から頂いているでしょう。そのくらい我々は富士山を大事に思い、ずっと心の拠り所として歩んできたんだよ。
昔から「霊峰富士」と言ってね、それがために周囲に怪しげな宗教が存在することにもなったわけだけど、多くのまっとうな宗教もこの精神性の要となる山を求めて集まってきた。世界文化遺産登録のもととなった富士講が山へ登る時には、六根清浄を唱えるでしょう。「六根」とは人間の五感と意識、「清淨」とはそれが清らかで美しいということ。それは、人間がこの世界に生まれてきて最も求めることであり、また、求めなければいけないことなんだよ。そしてその六根清浄の象徴が富士山なんだよ。

富士山に見守られながらの田植え
富士山に見守られながらの田植え

我々は富士山からご利益を得ようということではなく、この富士山を命の象徴として、その恵みである水と共に生き、健全な食をいただいて、自然生態系のネットワークを健全に表現するということをここでやっている。もともと、すべての生命の元は太陽であり、その太陽の恵みである火と水が合わさって、火水(かみ)、すなわち神となり、命(みこと)として健全に生きていくことが全ての人の目的にあるんだよ。つまり、我々は日々の暮らしの中で健全な生態系を表現することで、社会の健康の見本を示していくということをここでやっているわけだよ。
ということはまさしくね、我々はルーツは違うけれど、富士講の精神そのものを受け継いでここで生活をしているということになる。昔、富士講の人たちは、一般の生活をしながら時々富士山に登ってそれをやっていた。ところが木の花の人たちは、この地に根付いて、六根清浄の精神を日々の生活の中で表現している。そして人々が調和して生きていくという、未来の社会モデルを提示することを意識してここに暮らしている、という意味では、今回富士山が世界遺産になったことで、浅間神社や忍野八海、三保の松原などが構成資産として登録されたけど、その中にやっぱり「木の花ファミリーの生活」を入れるべきなんじゃないかと思うんだよ。

みんな:
おお~(笑)。

いさどん:
ところが、登録運動をしていた人たちも、イコモスも、文化遺産として肝心な、人々の精神性の部分が今日現在どこに存在しているのかということについては、残念ながら調査の対象から外しているんだよ。だからこの貴重な存在の木の花を見過ごしている。
ということは、(声をひそめて)これはね、僕がそれを不満として言っているように聞こえるかもしれないけど、実はこれは神の計らいでね、今これがわかっちゃいけないのです。今はまだ、形を優先して、形にとらわれてる時代だから、段階としてまず富士山が注目される。

ともこ:
なるほど(笑)。

いさどん:
しかし今回注目されたことで、どうやらこの夏の富士山の頂上付近は渋谷の交差点並みの混雑になりそうだね。これはイコモスも懸念してる。ところが登山者を制限するとなったら、関係者は自分たちのお金の話ばかりで喧々諤々の状態。見苦しいったらありゃしないよね。

いさお:
土産物屋のおじさん怒ってたもんね。「入山料なんて安易に決めてもらっちゃ困る!」って。

いさどん:
そう。怒る人と喜ぶ人といろいろで、これは利害そのものなんだよ。そんなところに話題が終始すること自体、富士山が文化遺産となった意味をみんなが理解してないということなんだよ。

ということで、ここまでは、地上の人間たちの生活と、生態系の象徴としての富士山を見て我々が精神性を保ちながら社会にどのように役割を果たしていくのか、という話。

これを宇宙視点でみるとどうなるか。
端折って話しますよ、ここからは。おっきな話になっちゃうからね。

自然とは、つまり自然生態系とは、絶対調和だよね。様々なものがそれぞれ独立した存在として、高いプライドを持っているということかな。ミミズもバクテリアも、カビだって、自らの存在を見事に主張しながらすべての生命が連鎖して、地球生態系を創ってるわけだよね。
さらに、宇宙の星と星の関係や銀河と銀河の関係に思いをはせると、その姿が地球生態系に表現されているのがわかる。その地球生態系は無限なる連鎖として、ひとつの地球という命を紡いでいる。そしてそれを担っている我々一人一人の中にも、小宇宙としての無限なる生命の連鎖があるんだよ。
というふうに考えると、我々はこの自然の象徴である富士山を通して何を観るかと言ったら、宇宙を観ることができるんだよ。宇宙というと地球から離れた遠い世界のような気がするけど、実は我々が観ているこの世界が宇宙であり、自分の魂の器になっているこの肉体も宇宙なんだよ。我々の体も、自然生態系も、宇宙も、すべてが相似形として創られていると考えると・・・・富士山が世界文化遺産として登録されるということは、その本当の意味は、宇宙の法を人間たちがもう一度取り戻し、我々人間の存在する意味を知るチャンスだということ。本当はそうあるべきなんだよ。

国際会議でファミリーの暮らしを紹介するみちよちゃん
国際会議でファミリーの暮らしを紹介するみちよちゃん

その意味を知っている人が世界に何人いるか知らないけれども、少なくともここでは語り、そしてそれを日々の生活の中で実践してるわけだ。これは手前味噌の話じゃなくて、まさしく木の花ファミリーがあってこそ、世界に向けて富士山が文化遺産として登録されるのはふさわしいと思うんだよ。今みちよちゃん(ファミリーメンバー/グローバル・エコビレッジ・ネットワーク理事)がヨーロッパに出張して、世界各国の人に向けたプレゼンを富士山麓のエコビレッジからのメッセージとして発信しているのは、とても意味のあることだよ。だけど世界遺産登録に尽力した多くの人たちは、その肝心なところにまだ気付いていない。

ともこ:
尽力した人たちもそうだろうし、社会全体も、信仰が認められて文化遺産になったはずが実はその信仰の実態がないまま登録だけがなされたということを認識していないね。

いさどん:
信仰の部分は言葉としては語られているから、それが意味深いものであるということは意識してるよね。だけどそれが人々の生活に本当に定着しているのかといったら、ほとんど0でしょう。

いさお:
他の国の文化遺産はどうなんだろうね。今ふと思ったけど、「遺産」という言葉を使ってるでしょ。

いさどん:
結局イコモスの姿勢もそこがあいまいなんだろうと思うんだよ。僕はこの地域の取り組みを見ていて、富士山を自然遺産で登録するのは無理だろうと思ってたんだよね。じゃあ文化遺産ならどうかいったら、確かに過去にはその文化はあったけど、まさしく遺跡でね、そういったものは本来は根付いていくべきものなのに、現状は化石のようになっている。
だけどその化石に対して、木の花ファミリーの存在が、クローン技術で恐竜を蘇らせるように、六根清浄からなる富士山信仰を現代に蘇らせることができると考えるわけだ。

いさお:
遺伝子を拾ってきて、みたいな(笑)。

いさどん:
そうそう。それは霊的なものとして、もともと人間の魂にDNAとしてインプットされてるものなんだよ。

ともこ:
ここでそれを保っていったら、みんなの中にも実はそれは眠っているから、いつかそれを呼び覚ますきっかけになり得るってこと?

いさどん:
だからね、「世界文化遺産登録」という切り口だけで語ると、それが見えてこないわけだよ。そこで富士山を、霊峰、信仰、六根清浄というふうに分解してね、さらに、それをつなげ直していくと、人間と富士山の付き合いということだけに限定された話じゃなくなるわけだよ。それは人間と自然とか、人間と命、人間と神であり、神というのは八百万だから最終的には宇宙全体と人間との関わりということになって、人間とこの世界全体の話になるわけだ。
人類は今後も進化し続けて、いつか人間は、自分たちが何者かということを、自分たちを離れた位置から観るようになる。今は物理的に地球から離れて地球を見ることができるようになったでしょ。観測上の概念だけだったものが、実際に宇宙空間に飛んでいって見れるようになったわけだよね。そこまで人類が行くとね、思考の中に眠っている宇宙観がよみがえってくるんだよ。

いつか必ず、人類の進化の延長に、この富士山文化遺産登録の意味がよみがえってくるよ。今、世界遺産登録という切り口だけで語ると、富士山の話に限定して未来を語ることになってしまう。そうするとなんとなく、そういった信仰の対象は富士山だけ?というように、宗教的なせまい意味になる。宗教が自分のところが最高と言って他に対して排他的なのは、自らの切り口からだけで見るからそのようなことになるわけでしょ。それと同じことが起きてしまうんだよね。ところが本当は、どの切り口からであっても同じところに行き着き、すべてを網羅しているものなんだよ。
富士山を登る時に、登山口はいっぱいあるでしょ。どの登山口から登っても、登っていくときには絶対迷わないよ。だって頂上は一つしかないから。でも降りる時には迷うんだよ。下り口がいっぱいあって、それこそ道から外れてあの樹海の中に入ったら出て来られないかもしれないわけだよ。
人生という登山も同じだよね。高みを目指すときには絶対に迷わない。最終的には道はものすごく狭くなって、宇宙の根源の唯一お一人である神様に行き着くだけなんだよ。そこだけ観ていたら絶対行き着くんだよ。ところが下へ下りようものなら、もう迷う道はいっぱいある。いろいろ我が出てきて、問題ごとに出会って、迷うことになるんだよ。

そういう視点でとらえたら、今回の世界文化遺産登録は、いつか必ず人類が到達する道を示していると言えるわけだ。人類は必ずそこへ歩みを進める。ただ、今はほとんどの人がその意味を分かってない。我々はそれを理解したものとして、だからこそ大事な歩みをしていることを自覚するべきなんだよ。それによって、この生き方が大切だということに確信を持って、より力強く歩むことができるでしょ。一人一人はバカやったり迷ったりしたこともあったかもしれないけど、ああ歩んできてよかったな、と思えるでしょう。

ちいこ:
質問です。さっき、頂上を目指すのは簡単で、下りる時には迷うって言ったでしょ。ということは、精神的に高みを目指す方が簡単で、落ちる方が実は難しいってことなのかな?

いさどん:
たとえばね、正直をやることと嘘をついていくのと、どっちが難しいと思う?

ちいこ:
んー・・・・今は正直の方が難しいと思う。

いさどん:
そーお?正直であるということはね、真実を言っていけばいいだけなんだよ。かっこ悪かろうが都合が悪かろうが、真実は1つしかないんだからすごく簡単なんだよ。
だけど嘘をつくと、ついた嘘がバレそうになったらまた嘘つかなきゃいけない、すると今度はあっちでもこっちでも嘘つかなきゃいけない、というように広がっていって、だんだん嘘のかたまりになって、どれが嘘か正直かがわからなくなってしまうんだよ。それに対して正直は、一つしかない、一本道。だから高みを目指すことのほうが簡単なんだよ。なのに人間は、ついつい嘘をついてしまうんだよね。

ともこ:
なんでだろうね。私も正直の方が難しいって思ってるよ。

ちいこ:
思っちゃうよねえ、みんな。

いさどん:
正直の方が簡単に決まってるんだよ。いつも言ってるじゃない。

ともこ:
その簡単な正直を阻むものはいったい何??

いさどん:
それが心の汚れってものだよ。執着とかね。つまり、堕ちていく世界だよ。
本当は美しくなっていくことなのに、それを苦しく感じる人間の精神とはなんだろうね。

みんな:
わかんないね~。

いさどん:
人間てそういうところがあるよね。バカやってストレス解消したりして。ビーガンやりながらたまにはカップ麺食べたりとか(笑)。
最近思うんだけど、人にはいろんな心の道があるでしょ。どの切り口から進むかを選べるわけだけど、そんなものは実は手段にしか過ぎないんだよ。じゃあ目的はどこにあるべきかといったら、まずは我々の体の構造を見ること。我々の命の構造が大きくなって地球生態系の構造となり、更に大きく太陽系の構造となり、それが銀河の構造となり、大宇宙の構造となって、それらすべてが我々の器なわけだ。その中の一部として、我々にはどのような役割が与えられているのか。それ以外の最終到達点があるだろうか、ってことになるんだよ。
人間たちはまだまだ、幸せだの悟りだの、特定の手段や信仰の形で求めようとしてるけど、そういう手段の先にある、共通の真実を知ること。それは、自分の中に真実を開いていくということなんだよ。そして真理の光がさしていく。それにはご利益的な信仰を超えなきゃいけないんだよ。

なかのん:
おもしろいと思ったのは、信仰の対象は自然なのに、今回富士山は自然遺産ではなく文化遺産で登録されてるんだよね。

いさどん:
そうだね。自然は本来文化を生み出すもとなのだから、自然=文化なんだよ。

なかのん:
他の事例だと、文化というと建物とかそういうものが取り上げられるけど、自然物が文化遺産として登録されたことによって、自然遺産で登録されるよりもより本来の姿が表されるようになったのかな、と思う。

いさどん:
表されると言っても、今の人たちは世界遺産登録の本当の意味がわからなくなってるよね。だって文化遺産登録されたのに、誰も六根清浄について考える人がいないわけだよ。ただ富士山に登って、きれいだとか感動したとか言って土産物を買っていくくらいのことでね。
誰か、「信仰」の意味を辞書で調べてくれない?

ようこ:
ウィキペディアには「神や仏などを信じること。また、ある宗教を信じて、その教えをよりどころとすること」と書いてあるよ。

いさどん:
でしょ?それは人間に特定されたものであって、本当はそれを超えなきゃいけないんだよ。人間の目から見た信仰では世界が狭い。宇宙はすべてを包括して、人間も含めて、「あってあるもの、なきてなきもの」という境地へ行くべきなんだ。それが悟りというものだから。
悟りとは、つまり「信仰」を離れることだね。神や仏などの対象と合一することなんだよ。

ちいこ:
さっきいさどんは、人間たちはいつか自分たちを離れた位置から自分たちを観れるようになる、って言ってたよね。そのためにも、この富士山世界文化遺産登録には意味があるのかな?

いさどん:
それはあるね。だってこれも、歴史を刻んでいく中での1ページだからね。ただ、人間て後から理解することが多いよね。その出来事が起きた時にはそれがどういった意味を持っているのかはわからないんだけど、わからないまま進んでいくと、次々と新しい展開につながって、いつか理解できるようになる。だから、今はわからなくてもいいんだよ。

いつか必ず、この富士山世界文化遺産登録の意味を、人々が知る日が来るだろうから。

 

 


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