神の食べ物は喜びである

木の花ファミリーではこの1ヶ月間、エコビレッジ・デザイン・エデュケーションを開催していました。
以下は、ある日の講義の中でいさどんが語ったものです。

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宇宙は陰と陽でできています。そして、相反するもの同士がお互いの存在を証明し合っているのです。

神様は光の中におられて、光の世界から我々の世界を見ておられる。光は全ての元であり、そこには相反するものはありません。光だけの世界では現象は起きません。それがこの世界の最初であり、最終到達地点は光の世界ということです。
そこで人間の世界を見てみると、問題事が多いです。個人の中にも光と闇が常にあって、楽しい時もあれば悲しい時もあります。そうすると人はもっと楽しいことばかりならいいのにと思って、楽しくないことは受け入れられない。こっちはいいけど、こっちはだめというように選別していくものです。それは自分の癖が出ているのです。

それである時、僕は神様に問うたのです。「この世界をあなたの世界とします。そうすると、これは全てあなたの仕業ですね。しかし、あなたの仕業というわりには、人間の歴史を観ると、血で血を争う醜い世界が展開されています。全ての元であるあなたは、人の親であり師匠です。『親の因果が子に報い』とか、弟子のできの悪さは師匠の責任ということからすると、人間の愚かしさはあなたのせいではないですか。あなたが人間をこのようなものとして地上に降ろしたから、人間はいつまでたってもこのようなものなのではないですか」と問いかけました。そうしたら、神様は「私は全てであり光である」と答えられたのです。

それは、今の人間達の世界も私の現れであり、そして光である、ということなのです。僕は意味がわかりませんでしたが、そんな僕にわかるように説明してもらいました。
光の中では光は見えない。闇の中では闇は見えない。光の中で光を見ようとしても、闇の中で闇を見ようとしても、対象がないと光や闇の概念が生まれない。我々は明るいとか暗いとか、ものを見て近いとか遠いとか、特定の基準があると、そこから対象のものとの区別が生まれ、すぐにセンサーが働いて判断をします。闇の中では闇を認識できないのです。反対に光の中では光が認識できないのです。始まりの光だけの世界に神様はおられて、「私は光であるが、その世界では私が認識できない。私は決して人間を愚かしいものとして降ろしたのではない。私が何であるのかを知りたかったのだ。始まりでは、私はあってあるもの、なきてなきもの。そして、私に対して私を認識するものを創ることが、私を理解することであった。光に対して闇を創ると、そのギャップの分だけ光を認識できる。天に対して地を創ることによって、天地が理解できる。その私の想いから世界が生まれた。それは私を割って、私でないものを創ったということだ」と言われたのです。

それがこの世界の元の命の仕組みです。命は「みこと」と言って、神のことです。「私を割って私でないものを創る」。それは、光を分けて、光ではない闇を創った。そうして互いの位置に置くことによって、互いの存在がわかるということです。それが陰と陽の仕組みです。
陰はかげですから、見えない世界です。それに対して陽は、見える世界です。だから、始まりは見えないところから産まれたのです。我々の認識で見えるものは、こうして顔を見て、言葉を交わしてみなさんと認識し合いますが、その言葉を聞いて頭で解析します。例えば光の話をすると光の想像をしますし、闇の話をすると闇を想像します。このように頭では見えていますが、語ろうとする想いは見えません。想いを思考にし、それを言葉にしてみなさんに伝えています。その解析の繰り返しによって今、みなさんはそのような表情をしてこの話を聞き、知識として取り入れ、それを活かし、自らの人生に当てはめて形として現していきます。それが陰陽の表われの姿なのです。そこでは見えない世界が見える世界に表われているのです。

今も始まりもそうだったのです。神様は見えない想いの奥の世界においでになります。その神様の想いの圧が高まっていくと、世界が創られていきます。
IMG_0502私たちの現象世界でも同じようなことがあります。例えば、僕は昔は視力は良かったのですが、歳を取り、老眼が進んできました。老眼の部分と度のない部分がある遠近両用の眼鏡はとても便利なものです。けれどこれは始めは誰かの頭の中にあったのです。こういった便利なものを想像していた時には、形のないものでした。しかし、その想像のものがここに現われています。これは誰かのイメージから生まれ、形になったものです。
この世界(現象世界)は、ない世界=神様の世界(潜象世界)から、見えない世界=想念の世界(現象世界)に産まれ、そして見える世界(現象世界)に産まれてきているのです。

当時僕は神様に文句を言っていたのです。人間の在り様を見ているとがっかりします。「この世界は全てあなたの現れだとしたら、あなたが問題だからこういった問題のある世界が表われているのではないですか」と責めたのです。そうしたら、「だめか?」と答えが返ってきました。

私が私を認識するために、一つだった私の世界の陰から陽を産み出し、互いの側から互いを認識する仕組みを創ったのだ、と神様は言いました。それでこの世界ができたということです。始まりの一方だけでは、「ない世界」があるだけになります。「ない」ところから「ある世界」を創るためには、見えない世界と見える世界を現象界として、「ない世界」から産み出すことをされたようです。それで、「私もあるものになった」と言われたのです。

次に、あり続けるためにはエネルギーが必要になります。私たちも存在するためにはエネルギーを必要とします。空気や食べ物など、そのエネルギーによって成り立っていくのです。そして、あるためには「何のため」という意味も必要になります。そのあるための意味にのっとって、例えば僕だったら少しウエイトがオーバーしたらエネルギー摂取量を少なくしようかとか、足りないと思えばエネルギーを多目に摂取しようとかいうように、存在する全てのものに目的を持つものです。

それで、「あるものである為には、私にも食べ物が必要である」と神様は言われたのです。「神様にも食べ物が必要なのですか。その食べ物は何ですか」と僕は尋ねました。すると、「私の食べ物は喜びである。喜びが、この世界を推進するエネルギーである」と答えられました。「喜びを発生させるためにこの世界を創った」と言われるのです。喜びの反対は悲しみですが、悲しむ目的でこの世界は創られていない、というのです。
これを先入観念抜きにして聞くと、全ては喜びのためにある、全ては善きことのためにある、ということになります。信じられませんでした。問題事がいっぱいあって悲しいことだらけの人間の世界が、喜びの生産工場だと言うのです。被害妄想の人なら、この世の中には何もいいことがないと鬱になってしまいます。それを神様は、喜びの畑だと言われるのです。

つまり、始まりの何もないその完全なる世界は、完全であるから不完全になれず、それゆえその完全なる世界をさらに完全にするために、世界に不完全を散りばめた、と言われたのです。すると、完全から不完全への道ができ、この世界が動き始めたのです。

不幸や悲しみという世界から、完全なる光の世界に向かう道が開かれて、そこに向かっていくことによって少しずつ光が見えてきます。だんだん明るくなっていく喜びの道を通って、私たちが元々いた、神様のところに戻っていく。神様のおられる元の位置は完全の世界なのですが、それでは不完全なのです。だから、完全の世界に不完全を置くことで、その完全を認識する道ができました。そして、始めは不完全な所に身を置き、そこから完全に向かって歩むようにしたのです。つまり、善きことのために歩むように道を創られたのです。

そうすると、その道を行くことは喜びが産まれるばかりです。「その喜びの種を人々が人生の畑に蒔いて、その喜びを収穫物として収穫していく。そこで発生する人々の喜び(収穫物)が私の食べ物であり、この世界を創っていく推進力である。その為に人を地上に降ろし、私の代理(命)とした」ということなのです。さすが神様、賢いですね。
つまり、完全は不完全の裏付けによって成っているのだから、その完全をさらに完全なる世界(絶対完全)に創ったと言われたのです。それは、「完全に不完全を散りばめることによって成った」のであり、「そこに人を介して喜びという収穫物を産み出し、その喜びを収穫していくことを、私がこの世界を創っていく推進力とした」ということなのです。それは天の神と地の人の共同作業ということです。

私たちは命(みこと)としてこの世界を生きています。その中で、喜びの種(出来事)を人生の畑に蒔きながら、その結果を学び、収穫(喜び)していくことが私たちの人生の目的であり、それが神様がこの世界を動かしていくことになるということです。これは、私たちが生きることが直会(なおらい)であるということです。

この世界に問題事はたくさんあるけれど、それは豊かな世界を創っていくことなのです。問題事はそのまま放置しておくと問題だらけになります。それがなぜ起きているのかを、考えることです。そして、それを学ぶと、その奥にある神様の意志を受け取ることになり、喜びの人生となり、天と共にこの世界を豊かにしていくことになるのです。有難いことです。有難宇御在益。ありがとうございます。
  


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