「覚悟しております」

昨年秋、木の花ファミリーを離れた元メンバーが木の花ファミリーの批判を始めたことをきっかけに、一部インターネット上にて真実とは異なる情報が流布し、先週発売された週刊文春に木の花ファミリーに関する記事が掲載されました。
以下の会話は、記事が掲載される2ヶ月以上前の3月下旬に話されたものです。この機会に、皆さまにもシェアいたします。

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

いさどん:
昨年秋から色々なバッシングを受けてきたけれど、もし僕が逆の立場だったら放っておくよ。例えばそれが自分が関わった場であったとしても、縁を切ればいいだけのこと。そして自分の生き方をすればいい。

ともこ:
だからさ、やっぱりみんな木の花のファンなんだよ。

いさどん:
そうだね。興味があるんだよ。そして、ある意味、ここが本物であって欲しくないという心があるんだよ。逆もあるかもしれないけどね。もしも本物ならば、とことんそれぞれが探求していけばいい。

ともこ:
でも、ありがたいね。こういうことが起きるたびに、ああ、大事なのはこっちの道だな、ということを確認させてもらっているよ。

いさどん:
ここまでのことを、こちらから世の中に出すことはできない。でもこうして暴露されたからこそ、そのことについて語れるんだよ。それを聞く人も、その時には「そんなことあり得ない!」というような感情があったとしても、時代が進んでいった時に、「あれ?これってどこかにあったよな」と、それが鮮烈であればあるほど、思い出すじゃない。

ここまで真剣に自分と向き合って生きている人たちがいるということを、こんなふうに広めることなんて、我々にはできないよ。だから、これは神業なんだよ。

ともこ:
そうだね。世間に対してもそうだし、私たちの中でも、真剣に考えるようになったよね。

いさどん:
なぜこれを生きているのかということを再考することになった。

ともこ:
うん。すごいよね。木の花にいると何の不安もなく安心して暮らせちゃうから、中にいるとボケてくる人もいる。その時にこういうことを起こしてもらって。

いさどん:
目を覚ませ、と言ってもらっているようなもの。

ともこ:
そうだね。

いさどん:
目を覚ませということを我々に伝えながら、世間にはここの存在を知らしめている。一挙両得。同時進行でやっている。まさに神業だよ。
でも、これは天のはからいだからできると思うんだよ。人間だとどうしても、物理的に、一つひとつ対処療法的にしかできない。何かが起きてきたから解消するということしかできない。これから起きてくることもわからないし、流れも創ることがなかなか難しい。
天の意志を感じているからこそ、我々はこのように立体的に捉えることができるわけだよ。これは天との共同作業だよ。

ああ、言葉が降りてきた。

「地を生きる者たちは、その目に限定があるがために、天のはからいがあることが見えぬようだが、常に天のはからいをもって地があることが理解できるか。」

それはあなた、理解しているに決まっています。ただ、私たちは地上を生きる者ですから、とりあえず地上の現象をまず最初に受けて、それから天の意志を受け取る順番がありますので、一瞬はうっとするものではあります。ただ、その天のはからいを理解した時には、豊かな心となって、一瞬のくもりの心も、あっという間に晴れて、喜びへと変わるのです。有り難いことです。
有り難うございます。有り難うございます。有り難うございます。
有り難うございます。有り難うございます。有り難うございます。
有り難うございます。有り難うございます。有り難うございます。

肉体を持っていることは、ダイナミックだね。でも、ダイナミックと感じるためには、天の意志がわかってないと、生きることをダイナミックと感じて楽しめないよね。人間たちも、一部ではあるけれど、ここまで天を感じて生きる段階に突入したってことだよ。
あなたにも役割があるんだよ。こうしてここに来て、心を安定させたのは、何もあなたの心を安定させて楽にすることが目的じゃない。すべて世のため人のためにあるんだから。そうすると、自分が何で降りてきたのか、その目的が、神さまの手先となって世のため人のためにあるということ、この時代を紡いでいくための役割を果たしていくってことになるんだよ。それがよく理解できたら、より充実した人生になるよ。
それにしても、外れていった人たちはユダみたいだね。そして、ユダにも役割があったんだよ。

ともこ:
不安だろうね。

いさどん:
それも含めてね。
あなたは、マインドコントロールされていますか?

ともこ:
ううん。されていない。

いさどん:
それが自らの意志であるならば、マインドコントロールじゃないんだよ。自分の意志で、そういう想いや行動ができるようになった時に、それはマインドコントロールとは言わないんだよ。

ともこ:
決してマインドコントロールではないけど、すっごい助けてもらっているって思う。

いさどん:
それは、共に生きることによって、より強く、高く生きるための、お互いの相乗効果だよ。だから、人は群れて生きるんだよ。しかし、自分たちの傷口を舐め合うために群れるようなことではいけないけどね。

(しばし沈黙)
ねえ、ともこさん。僕たちは、ひとつかね?

ともこ:
うん。ひとつだよ。

いさどん:
たぶんね、天上では、一つの命、魂を形成していて、分かれたもの。今も一つの地球生態系を担っている。

ともこ:
私、やっぱりね、いさどんを大事にすることが大切だと思うの。今の時点では、私からは人のためになる智恵はあまり湧いてこないんだよ。だけどその分、いさどんからたくさん湧いてくる。だからいさどんを大事にすることだと思うんだよ。

いさどん:
それはそうだね。

ともこ:
そういう人と、こうやって一緒に過ごせていることが、すごくありがたいことだと思うの。

いさどん:
昔ね、自分というのは何だろうと思った時に、そこら辺にいる人の一人だと思っていたんだよね。だから、あまり自分の言葉とか想いを大事にしていなかったのだけど、自分が想うことや語っていること、それからやっていることへの真剣さがだんだんわかってきたから、これってもしかして宝くじに当たった?と思ったんだ。
しかし、宝くじだったら、例えば全国で150本とか当たるわけだよ。ではこんな人間が日本に150人いるだろうか?1年に何回かその宝くじが発売されるとしたら、当たる人はさらに増えるよね。じゃあこんな生き方をする人がそんなにいるだろうかと思ったら、いないわけだよ。そうしたら、宝くじなんてものではないことに気付いた。

ともこ:
ほんとだね!(笑)

いさどん:
例えばお釈迦様やキリストの存在を考えると、それはすっごく少ないことなのよ。だけどそこで気付いたんだよ。どんなに少なくても、そこにいるんだってことさ。
ということは、「自分はそんなものじゃない」と否定した時に、可能性はゼロになる。しかし、そのものであることの可能性が少しでもあるとしたら、それが自分であることも有り得る。それを「そんなこと有り得ない」なんて思っていたら、自分が希少な役割をもらってきていることを放棄することになるんだよ。
だから、まず、自分はそういった役割として生まれてきたんだ、ということを信じて、とことんそれをやり切ることだと思ったんだよ。そうでないと、その希少な役割であることを放棄することになり、天に対して大変失礼なことをしていることになる。だから、自分はそういうものであるということを、自分の中でちゃんと納得しようと考えた。そして、とことんそれを生きようと思ったら、やっぱりそのように生きられるんだよ。それは、自分が創っていく部分と与えられたものと、両方だと思ったんだよ。
だから、へりくだり過ぎてはいけない。かと言って、驕ってもいけない。ただ自覚ある者として、粛々とそれを生きる。そう思ったね。そうやって自分に言い聞かせてきた。
最近はそんなことを思うこともなく、ただ粛々とこの道を歩むものとして生きるだけになってきた。昔は葛藤があったからね。よく自分に言い聞かせたよ。

ともこ:
今の話を、批判している人たちに聞かせてあげたいな。この生き方をしていくことが、どれだけ覚悟がいることかって。

いさどん:
そうだね。これを歩むことは、大変な覚悟がいる。その覚悟は、一切の駆け引きとか、損得とか、そういったものを抜きにしないとやれない。自分の立場なんて考えていたら、心がつぶれてしまう。
こうやって、いろいろと批判の嵐にさらされるでしょ。その時に、やっぱりうっとするよ。だけどその後にね、ちゃんと湧いてくるんだよ。「そこでくじけては、これをやっていく者の資格はない」って。いつも思っている。
だからね、懲りないよ、この人は。そういう自分が僕は好きだね。

ともこ:
それがどれだけすごいことかっていうのが、彼らには見えないんだろうね。

いさどん:
矢面に立てば立つほど、対抗するのではなくて、粛々と生きていく決意が湧いてくる。
でもね、粛々とやっていく意義があるでしょ。そしてそれを伝えることは大切だと思いながら、面倒くさいと思うこともあるんだよね。なぜかというと、人間というのは、わかる時が来ないとわからない。それで、わかる時が来ていない人間にわからせようなんてことをすると、すごくエネルギーがかかるわけだ。ところがわからない人に限ってうるさいんだよ。本当は、今わからなかったら、それはわからない時なのだから、わかる時が来るまでおいておけばいい。
我々の考え方はいつもそうでしょ。流れが観えない時は、今は時期ではないのだから流れが来るまで待っていなさい、と。そして、観えたら行きなさい、ということなんだよ。だけど、今の人々にはそういうことがない。わからないと、わかりたくてわかりたくて仕方がなくなる。そういった欲が深いものだから、焦ってしまって間違った方に物事を決めつけてしまう。だけど、それが一番の間違いの元だよ。

道というものは、自然に見えてくるものなんだよ。だから、自分で結論を出すものではない。結論を出したら、それは道じゃない。自分の考えだよ。道は天が与えてくれているのだから。そして、時代が刻んでいくのだから。
我々は、自らの想いの通りに生きて、その想いが何であるかをこの世界からいただく者でしょう。そしてそれが生きるということでしょう。「生きる」ということは、「いただく」ということ。そしてそれを知ることなのだから。
人間が生きている要素をどんな切り口から見ても、自分の力で生きている要素なんてひとつもない。それを、自分で生きていると思っているから、結論を自分で出そうとして、そういったことがわからないんだよ。それで、それを人間に伝えようとすると、面倒くさくてしかたがない。だけど、わからない者ほどそれを求めているから伝えなくてはいけない。

ともこ:
わからない者にほど伝えないといけないのか~。。

いさどん:
わからない者は放っておけばいいのだけど、わかる時が来ていないのに求めてくる。

ともこ:
やっぱり、わからないからうるさいんだね。落ち着かないから。

いさどん:
そう。観えるようになると、ちゃんと落ち着いてくる。

ともこ:
そうだろうね。わかんないうちは不安だもん。

いさどん:
そういった自分の姿が観えないんだよ。だから、それを伝える役割の側からするとすごく面倒くさいんだよ。だから、立場上役割として、それでも伝えなければいけない時には伝える。世のため人のためということは、わかる者のためだけにあるわけではなくて、わからない者も世であり人であるからね。その矢面に立つのも役割だということだよ。

ともこ:
そうだよね(笑)。

いさどん:
視点が地上から離れて、宇宙空間まで出なくても、せめて10m、せめて5m、せめて1mでも視点が地上から離れたら少しはわかるようになるけどね。
それとね、時間を、過去・現在・未来とつなげて捉えると物語になっていて、そこには流れがあるでしょ。そういったものを観る心の大きさや余裕がありさえすれば、そんなことはたちどころにわかることなんだよ。
ところが、今というものを二元的な損得や善悪だけで見ているものだから、それはわからない。それは過去に捉われて、未来にこだわって、今がまったく見えない状態に陥ることになる。
だから、こういう役割を与えられたものとして、天から「難しいことを与えておるゆえ心して行け」と伝えられているわけだけど、そこは本当にそうだと思う。だからこそ、そこでは「覚悟しております」という決意に行き着く。最初から覚悟して生きてきたし、今もその覚悟があることをやっぱり思うよ。

だから、どこまでも行くよ。そして、どんな者の投げかけも、受けて立ち、その奥にある真実を伝えていく。
だってね、心に濁りがないことは確かだから。自分で自分の心を観て、濁りがないことを確認している。だから、どんなに非難されようとどうしようと、その時が来るまで大切な役割を果たしていく。

ともこ:
そうだよね。だから、批判をしている人たちも、本当は知ってるはずでしょ?自分の心のことを。

いさどん:
そうだね。でも、本当の自分と向き合おうとしないんだよ。しっかり見たらあることはわかるのだけど、そう思いたくないし、認めたくないんだよ。どの位置の心で今の自分の行動があるか。僕は心のランキングの話をするでしょ。あれで見たら、一目瞭然でわかるよ。
こんなことは宗教でもたくさんやってきた。それを宗教がご利益に使ったものだから、人々の魂にはそれが入っていない。知識としてしか生かされていないから、心を磨くための智恵として湧いてこない。
だから、この道を進むことは大切だね。そこで、大きな希望があるのは、やっぱり天が後ろ盾になっている。だから、我々が行く道にはちゃんとそこに流れがあるし、出会いが用意されている。そしてこうやってどんな無理解に出会おうと、絶対なる結束のもとに歩んでいけているでしょう。抵抗が大きければ大きいほど、しっかりと結束が強くなっていくでしょう。これがあることが、この道がいかに大切で揺るぎないものであるかの証さ。

ともこ:
そうだね。あの人たちの書いたものを見て、辛いだろうな~って思うんだよ。あんな心でいるのは、辛いよ。

いさどん:
そこなんだよ。ある意味、気の毒だとは思うんだよ。

ともこ:
でもやっぱり、個人の選択だよね。

いさどん:
ああいった攻撃的な感情や人を裁く心を持っていることが、自分の魂をどの位置に置くかということになる。ある意味、正義の旗印のもとに地獄を生きているわけでしょ。それがわからないんだよ。

ともこ:
うん。わかんないんだよね。わかんないならわかんないで、そのまま置いとけばいいのにね。

いさどん:
物事を決めつけたいんだよ。

ともこ:
不安だから。

いさどん:
そう。不安だから自分の思っている方へ決めつけたいんだよ。逆に、自分の思っている方でない時には、特に不安になる。

ともこ:
そこには成長がないね。

いさどん:
成長するという意味が分かっていないからね。人は自分を壊した分だけ成長するのに、自分を保って成長しようとしているのだから。それは、この世界の法の逆に行くことになる。
あなたもね、心のランキングから言ったらずい分下の方にいた時もあるけど、それがこうやって今の位置まで来られるのだから。神様は、わざわざ自分から遠い位置に人々を置いて、闇に行けば行くほど、ほんのちょっとの光でも見えるようにされたんだよ。中途半端に明るいと、光があるのが当たり前になってしまう。それこそ光そのものの世界では、光なんて認識できない。だから闇を創られたんだよ。それで、闇にいる者も救われる。
どうして、こんな解釈があるのに、みんなわかろうとしないのかね。

ともこ:
ねえ。

いさどん:
いろんなことがあるけどさ、こういう心になるといっぺんに幸せになれるでしょ。

ともこ:
うん。

いさどん:
幸せどころか、有り難くて仕方ない世界だよ。

ともこ:
そうだよ。そして、怖いものがないんだよ。

いさどん:
そう。世界が輝いて見える。
僕も長い間人間をやって、通りの悪い者と付き合っていると疲れるんだよ。でもこの心を持つと、それが全てリセットされて、だからこそ、わからない者がいるからこそ行こう、となるんだよ。「その覚悟はできております」ということだよ。

ともこ:
こんな覚悟を持って生きている人間が沢山いてほしい。

いさどん:
さあどうかな。でも、少なくとも僕は自分に出会ってそういう者だと思うよ。
つまり、何事もないからといって、今までと同じように生きていてはいけないんだよ。人にはよくあるでしょ。問題がないからこのまま行けばいい、って。そうではないんだよ。時が来たら、問題が起きていなくても捨てなくてはいけないものもある。それだけのけじめと心が必要だよ。時期が来たら、次へ行く。

ともこ:
そういう心も、普通はなかなか持てないね。

いさどん:
今まで覚悟の連続だったもんなあ。
日月地神示の艮の金神の言葉って、すごく迫力があるでしょ。あれは、覚悟を持っていけって、常にそれを伝えている。生半可なことではいけないぞって。それが、心を創るってことだよ。

(しばし沈黙)
ありがとう、ともちゃん。

ともこ:
ありがとうは私のセリフです。

いさどん:
いやいや。そこにいるからさ。そこにいることが有り難いんだよ。だってこんな話は、対象がなければ出てこないんだから。あなたは僕の言葉を聞いて有り難うと思うかもしれないけど、それを引き出す器だから、両方で有り難いんだよ。

ともこ:
そうですね。

いさどん:
(ここでいさどんがおならをする。)おならもしますよ(笑)。

ともこ:
肉体があるね!(笑)

いさどん:
昔、いつの頃かは覚えてないけど、やっぱり女の人の前ではおならができないなーとか、出そうになったらがまんしなきゃいけないと思っていた時があった。昔のおならは食べ物が悪いから臭いだろうしさ。そういう気持ちもあったね。
でもこの生活を始めて、みんなと一緒に暮らすようになって、それがどうってことなくなったんだよ。何だろう。何でも許される関係、というふうになった時に。一般の女の子たちは、父親がおならしたら「やめてよ」って言うでしょ。それが、そうではない関係ができた時に、それこそ空気のようなこととして受け取れるようになる。そういう関係がふっとできた時に、こういった人間関係で生きることの豊かさを感じたね。人の壁をここまで取れるんだ、って。
それこそ、年を取って介護が必要になって下の世話をしてもらうようになるのは仕方がないとしても、それは開き直ってのことでしょ。そうではなく、自分で全てできるにも関わらず、それをオープンにできる関係ってすごいと思うんだよ。それこそトイレまでついてきて、お尻拭いてと言ったら拭くぐらいのつもりでいるでしょ。我々がそこまでの人間関係を創れているということを、世の中の人々は想像できない。もっとひとつになれるよ。

ともこ:
世の中の人は想像できないだろうけど、どこかでその必要性を感じているんじゃないかと思うの。

いさどん:
それと、どこかでそれを求めている。

ともこ:
そうそう。だからこんなに反応して来るんだよ。

いさどん:
もう時代がそういった方向に進み出しているからね。

ともこ:
そういう意味では、やっぱりいさどんは大変だよね。

いさどん:
いや、僕は土台をつくる人だからね。
お釈迦様がそう言われたもの。
昔、僕は「お釈迦様が難行苦行をしてこの道の元を創られたと聞きますが、私は、あなたからこのように道をいただきながら、実際は毎日自分の生業にいそしんで、修行するわけでもなく、人々に道を説くわけでもなく、日々を過ごしております。私も、宗教家や政治を司る者たちのように、日々を世のため人のためや、もしくは自らを磨くための修業をするべきではないでしょうか」と尋ねた。
そうしたらお釈迦様は、「道は一つである。もしそなたが私の道を受け継ぐものであるならば、私の歩んだ道の延長に受け継げばよい。二度と再び、私のやったことを受け継ぐ必要はない。」と言われたんだよ。それは時代のバトンタッチだから。
「私の時代は、そのような苦行の道を歩んだけれど、それは道が観えるための働きであった。ただ、私の時代の人々は、心がまだ美しかった。人々には、正しいことを正しいといえば、正しい方へ行こうとする仏の心がまだ残っていた。しかし、そなたは今の世に生きるゆえ、人々に正しいことを伝えても、世の中には正しいがいっぱいあって、人々はどれが正しいかわからない時代になっている。私が苦業を通して苦を味わい切り開いた以上に、そなたが道を歩むことは苦を発生させることであり、それは私の時代よりも大変なのである」と仰った。だから、いつも道を歩むものにとっては一緒だ、ということだよね。
「そんな宗教のもとになった経典に残っている正しい道を語っていては、道が順調に進んでいくわけがない。常に無理解の中で、正しいを説いていかなければいけない。今の時代は、人々が賢くなっているから、正しいが山ほどある。その時代に真実を伝えることは、並大抵の覚悟ではできないことである。そのような覚悟を持っていけ。もしお前が私の道を受け継ぐと言うならば、その先を行けばいい。だから、私の道を真似ることは一切いらない」とも言われた。
よくあることだよね。師匠のやったことと同じことをやっている人がいる。経典をいつまでも大事にして、時代に合わなくなってもやろうとする。

ともこ:
その方が楽だもんね。

いさどん:
そう。それである程度の境地に至ったら、合格をもらおうとする。でもそうではない。道というのは、常に受け継がれていくものであり、時代と共にあって、新たに生まれ変わっていくものなんだよ。そこに共通するのは、志のみ。その道を継承する者は、常に前人未到の道を歩むことになる。それがこの宇宙の姿だよ。


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