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宇宙そのものとして生きる時代へ ~収穫感謝祭でのいさどんの挨拶

2015年12月16日

今年も暮れを迎え、これから新年を迎えるための新たな気持ちになるために、この行事を執り行う時が来ました。ちょうど昨日、ここで2年間開催されてきたカタカムナの学びに区切りをつけました。そして今日、一年の締めくくりとして収穫感謝祭を迎えるということは、そういったことを計算していなかったにも関わらず、なぜこのように物事の段取りが進むのだろうか、と今朝思っていました。それは、わたしたちが日頃から自分たちの都合で生きているのではなく、天や観えない世界を意識しながら生きている証なのでしょう。そして、これこそが時代の流れであり、この世界の道理だと確認する機会となりました。

今日は収穫感謝祭ということで天津祝詞を奏上しましたが、本来そういった祝詞はご利益を願うものではありません。ところが、人類の歴史を振り返ってみると、1000年も2000年もの間そのようなご利益主義が続いてきましたから、人々は知らない間にそのような場で自らの都合を願うようになっているのです。今の世の中で人々は地鎮祭やいろいろな神事を通してこのような祝詞に出会うのですが、その中身を理解してそこに集っている人はほとんどいません。しかし、ここに天津祝詞の解説がありますのでそれを見ていきますと、この宇宙の法則を天はわたしたちに示しており、神々に対してこの世界を清めてくださるようお願い申し上げるのが天津祝詞の精神ですと書いてあります。しかし、そのこと自体が宗教化しているのです。神々に対してこの世界のことをお願いする前に、本当はわたしたち自身がこの世界そのものなのであり、宇宙そのものであることを理解し、生きることが大切なのです。

先日、タイの僧侶であるプラ・サンコンからの招待を受け、彼の寺院に新たに建立された仏塔の落成式と仏像の開眼式に参列しました。その翌日にお話しする機会をいただきました。そこでわたしがお話ししたことは、お釈迦様から導きやご利益をいただくことではなく、お釈迦様の精神イコール宇宙そのものであり、それが本来の人のあるべき姿だということです。ところが、しばらくの間人々はそういったことを忘れ、自然に対して負荷をかけ、自分たちにとって都合の良い世界を求めてきたがために、今の地球上には様々な矛盾が起きています。しかし本来、わたしたち自身の中にもブッダの精神が眠っているのだとしたら、自分が何を想い、何を言い、何を行うかによって、わたしたちは天津祝詞に示された通りの世界をもたらす存在にもなるのです。それは、天がわたしたちに秩序を与えるように、わたしたち自身もこの世界に秩序をもたらす存在になれるのです。それは、天人一体の世界を認識したものたちが生きることによって可能になるのです。そして、それこそが本来の宗教の姿であり、人のあるべき姿なのです。今、人々がそういった精神の原点に立ち返る時が訪れています。

昨日、カタカムナの学びの場に一区切りをつけたのは、わたしたちがそのことを理解したものとして、その精神を生き、それを最優先に生活に表していく時が来たからです。それが天や宇宙と一体の生き方です。昨日から今日になるのも、一年が経つのも、すべて宇宙の仕組みです。わたしたちはその中で生きているのですから、わたしたちは宇宙そのものなのです。したがって、わたしたちの日々の考え方も宇宙そのものでなくてはならないのです。

先程、畑隊、田んぼ隊、そして大町ビレッジの代表の人たちから挨拶がありましたが、皆の話には筋が通っていました。これは、ここ全体がそのようになってきたからこそ、筋が通っているのです。2012年12月21日に銀河の冬至を迎え、新たな時代を迎えるための3年間の準備期間を経た今、2016年の「発信」の年に向けて皆の中にそういった心ができてきたと感じました。

今回カタカムナの学びに区切りをつけたのも、それは単純に方針が変わったということではないのです。学んできたものをしっかりと会得し生活に表していくという意味では、ただ学びが提供されるのを待っているだけではダメなのです。しかし、今まではそういった時代がずっと続いてきましたから、優れた者とその学びをもらい導かれる者の差ができてしまったのです。そのため、今の時代は格差の時代です。格差のために、貧富の差などいろいろな矛盾が発生したのです。しかし本来、この世界は全く平等な世界です。一人ひとりが当たり前に持っている個性が存分に発揮され、誰もが必要とされ、無駄なものは何ひとつないのがこの世界の本質なのです。そういったことをわたしたちはこの生活を通して表現してきましたし、ようやくそれがここ全体で表現できるようになってきたことを今日感じています。そして新たな年を迎えるのです。

今、いろいろなことが変化する時代を迎えています。そこで、なぜ今のような地球規模の変化が人類に与えられたのかというと、これは現代人によってもたらされた地球の近年のカルマの表れです。ですから、わたしたちはカタカムナと出会い、自らのカルマをそぎ落とし美しくすることを会得しましたし、そのことの重要性を理解しました。地球のカルマが人間の欲望によって汚れてしまっている今、わたしたちもその火の粉をかぶらないわけにはいかないのです。その時に、それを越えていく叡智をこれからわたしたちは発信していくのですし、汚れ歪んでしまった自然とどのように向き合っていくのかを考えていくためには、心にしっかりとした柱が立っていなければいけません。そのことをわかったものとして揺るぎない信念を持ち、歩んでいく時が来たのです。

わたしたちの人生を考えたときに、長い人生を望むのか、それとも短い人生を望むのか。そこでは長い人生を望む者もいれば、短い人生を望む者もいます。それは、その人の意識がどこにあるかによって、全く正反対のことが起きるのです。それと同じように、今、社会的に観てもたくさんの混乱が起きていますが、これを生かしていくことを考える者もいれば、右往左往する者もいるのです。それは、その者がどこを観て、どのような精神でそれを観ているかによって全く違う解釈になるのです。

ということは、この世界の解釈は自由自在だということです。今というこの時代は一度きりしか来ないのですから、それを自分の都合の良いように解釈するのではなく、なぜこのようなことが起きたのかをもう一つ違う視点を持って捉えていくことが大切です。わたしたちが毎日当たり前に起きていること、呼吸すること、一秒が経つこと、一日が経つこと、一年が経つこと、そして寿命を迎えて死んでいくこと、こういったことすべてが一体どういうことなのかを、よく考え理解する時代が来ているのだとつくづく思います。

今年は、作物の収穫という点では今までになく厳しい時代だったかもしれませんが、ここではたいへん充実した一年だったと思うと、たくさんの収穫があったと感じています。収穫には、物理的なものと霊的なものと両方があります。その両方の収穫を豊かにいただいていくために、今年は多くの新たな出会いがありました。来年、わたしが関わるプロジェクトだけでもたくさんあり、それは社会を豊かにするためのプロジェクトです。その新たなものを挙げますと、ニーム・ミミズ・蓮池・マコモ・メダカ・エキウム・マヌカ・・・といろいろなプロジェクトがありますが、それは自分たちの都合によって自然を変えることではなく、元々自然にあるものの力を借りることなのです。

来年、まず一番に力を借りるのは、バクテリアの力です。そのリーダーが光合成細菌の力です。今の世の中にはすでに汚れが蔓延していますから、わたしたちがいくらカタカムナを奏上して美しい響きをもたらそうとしても、それだけでは不十分です。そこで、ニームやミミズ、光合成細菌といったものの力を借りて、厳しい環境を乗り越えていくことが必要です。そういったものは世の中に害をもたらしません。虫の中にも害虫化してしまったものがいるとしたならば、ニームにはそういったものを選り分ける能力があると言われています。たとえばミミズでも、「この土なら繁殖して土作りします」という土と、その土を嫌いミミズが引っ越していく土があるのです。自然はそういったことを知っているのです。その力をもらいながら、次なる豊作をわたしたちは享受していくのです。これからそういった情報を世の中にも提示する時が来ていると思うと、未来はとても楽しみです。

来年一年は「発信」の年でもあり、同時に冬眠期間でもあります。つまり、しばらくの間しっかりとそのデータを蓄積して充電し、いずれ世に知らしめるための年なのです。今、わたしたちはそういったことに対してふさわしい段階に来ていると思うと、物理的な収穫という意味ではいろいろな困難な時代を迎えながらも、必ずそこを越えていく答えがその先に現れてくると思い、来年は希望ある年だと感じています。一人ひとりの中にそういったことに共鳴する心が湧いて、その心が高まってくると、ここは新たな時代を迎える雛形として十分価値ある場となります。そして、そこで生きることは誇りを持って人生を終われるということです。

今日の収穫感謝祭ではまず降神祝詞を奏上し、神様に降りていただいて、神事を執り行いました。世の中に宗教はたくさんありますが、こういったことを現実のこととして、頭の中でイメージする人はほとんどいません。しかし、現実にわたしたちは天と共に生きているのです。そして、自分の中にいのちとして神が生きているのを理解する者なのです。

今日はとても良い一日でした。昨日の一区切りを迎え、わたしたちはただ勉強しているのではなく探究していることを伝え、けじめをつけたところで、今日の収穫感謝祭を迎えたということは、まさしく天の計らいと感じました。誰がこの段取りをしてくれているのでしょうか。それは、天とわたしたちが共に行っているのです。それが、天と共に生きるということです。これからも、地球と共に、宇宙と共に、天と共に、神人一体の生活をしていきましょう。
  

新米の御神酒を手に、新たな時代に向かってみんなで「乾杯!!」
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