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生きることのプロフェッショナル

日々学んでいることを、日常の生活に反映していくことが大切だよ。
今、自分に起きている出来事の発信源は、その人自身の精神性にある。例えば体の痛みでも、その原因は自らの心の姿勢にあるのに、ただあそこが痛いここが痛いという物理的な話だけをしていては、日々起こる現象から学んでいることと、日常のあり方が別のものになってしまう。その姿勢が、新たなトラブルを生む元になる。
物理的な症状も、心の姿勢も、日常の出来事につなげて考えられるようにしていかなければいけない。疲れているとしたら、疲れるのにも理由がある。一人ひとりがきちんと自己チェックをして、自らを健康にすることが大切だよ。人が健康でいるということは、その人自身のためでもあり、社会全体のためでもあるのだから。

現代は、休むことが豊かさだと思われている。お金があって休日が十分にあってレジャーを楽しめることが豊かさなのだと、多くの人が思っている。しかし本来、生きることと豊かさとは直結していなければいけない。
休むことを豊かさだとするならば、極端なことを言えば生活に余裕があれば休んでいいということになり、お金がたくさんあって楽に生活できることが生きることの目標になってしまう。しかしそれは、天や自然と直結していない生き方だよ。もう一度、生きるということを天に返す。それは、生きることが自然であるということ。
本来、生きることに休日はない。宇宙の星々も、地球上の生命も、休むなどということはしていない。休むとは、人間の歪んだ発想から生まれた豊かさの延長線上にあることであり、歪みの象徴のようなものだ。

毎日を生きて、ものごとがスムーズに進み、自分自身にもこの世界にも負荷をかけないというところに、矛盾のない豊かさがある。
ここの暮らしは、農繁期になればみんな忙しくなる。忙しく働くということは健康であるということであり、健康であるということは、無駄や無理や矛盾のない生き方をして自分の中に滞りが起きないということ。滞りが起きるとしたら、そこに考え方や生き方の矛盾があるということだ。
その矛盾に、毎日の生活の中で些細なことからちゃんと気付ける人にならなければいけない。そうすると、ものごとがスムーズに進み、流れがよくなって、いろいろな意味で健康になる。それを表面的に知識だけを学習して生活に反映していないと、結果として現象化されていないのに頭の中だけでこういった思考を回してOKにしてしまい、矛盾はそのままになっていく。それを、一人ひとりがしっかりとチェックできることが大切だよ。

ここのように自然と共にある暮らしの中では、農繁期や農閑期というものがある。その中で無理が発生した時にこそ、より意識して、矛盾のない生活をしていく。忙しくて余裕がない時にこそ、無駄のない緻密なものの観方をしていけば、するするっと通り抜けていくことができる。そしてものごとの流れがスムーズになると、そこには大きな充実感が生まれる。
そこを緻密に観ていないと、少しの無駄が発生した時に無理が生じて、そのつじつまを合わせるためにさらに無理を重ねて、疲労になっていく。そういったところから心や体に矛盾が生まれ、心なら不満や疲労感となり、体なら病気になったりどこかの具合が悪くなる。その矛盾を解消するのは、緻密に自分自身を観る心だ。

そういったことができるようになった時に、人は本当の意味で健康に生きられる。それは達人の領域だよ。しかし僕たちはもう、達人でなければいけない。それは何か特別なことができて他の人より抜きん出ているということではなく、生きるということがとてもスムーズで、無駄なく効率の良い、さわやかな心で生きられるということだよ。
みんなは生きるということのプロフェッショナルにならなければいけない、と僕は思う。忙しい時だからこそ、常にそういったことを考えて、無駄のない心で生きる。無駄がないからこそものごとがスムーズに進み、そこに余裕が生まれ、さわやかな生き方ができる。それができると、生きることそのものに豊かさを感じられる。

だから、忙しいことを忙しいだけで終わらせてはいけない。これから人々は、その領域へ行くべきだ。
ここではたくさんの人が助け合い、連携して、普通ではできないことをやっている。その中で一人が心や体の滞りを持っていると、それが矛盾となり、働いてみんなに貢献することができない。それは、歪みが発生して病気が蔓延している今の社会と同じ状態と言える。
やはり生涯をぴんぴんころりで健康に、本当に世のため人のため、「傍」を「楽」にする(=はたらく)ために生きていく。そういう世界をつくることが大事だよ。そこでは病気は学びのために起こるのであり、本当に少ないものになっていくだろうね。

今の世の中では、お金があって働かずに楽をすることが豊かさだと思われているけれど、それがこの世界の矛盾をつくっている。つまり、社会的に成功した人たちが矛盾をつくっているんだよ。
自分の存在が他に貢献しないことは、自然にはあり得ない。ところが人間は、自然にはあり得ない矛盾を発生させることを豊かさだと思っている。その背景には、自分だけがいい思いをしたいという自我の心がある。そこと本当に人々が向き合った時に、傍を楽にするために働く、矛盾のない平等な世の中ができるだろう。

最も肝心なことは、近年の物質至上主義の価値観の中で、自らの行いが自分自身の霊的価値や地球生態系を汚染してきたことに人々が気付き、生命の本来の目的や、人として生まれてきた意味に目覚めること。自分が健康であるということは、世の中に対して責任があるということであり、本来健康とは、自分個人の都合のためにあるわけではないんだよ。今の世の中ではまったく逆さまの捉え方をしているけれど、これこそが21世紀の人々が目指すべき世界だ。

今はまだ多くの人々がこのことを理解できないけれど、このわからない生き方をしていることを誇りに思う。

 

 


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