どうぞウソをついてください ~ ジイジから子どもたちへ

この夏、韓国から7人の子どもたちがやって来て、約1ヶ月間を木の花ファミリーで過ごしました。彼らにとっては、毎日出会うものも聞くことも新鮮で、1ヶ月の間に様々な体験をしました。ある日、「どうしてウソをついたらいけないのか」について話してほしいというリクエストがあり、韓国と日本の子どもたちに向けて、ジイジがこんなお話をしました。


 
ジイジ:
では、まず質問です。ウソをついてはいけないと思う人!

子どもたち:
はーい!(子どもたちの約半数が手を挙げる。)

ジイジ:
じゃあ、ウソをついてもいいと思う人!

子どもたち:
はーい!!(残りの半数が手を挙げる。)

ジイジ:
さて、どっちが多いかな?ウソをついたらいけないと思う人は、きっとウソをついて叱られたことがある人だね。それから、ウソをついて困ったことがある人だね。
ジイジはね、ウソをついてもいいと思いまーす♪(子どもたち:「えっ」という顔をする。)だって、ウソをつくとどうなるかということを経験するためには、ウソをつかないとわからないでしょう?
子どもの時には、ウソをつくものです。子どもはウソつきだと思う人~!

子どもたち:
はーい!!(^O^)ノ

ジイジ:
そうだよね、子どもはウソつきだよね。じゃあ、ウソをつくとどうなる?

あやな:
怒られる。

ジイジ:
怒られる?でも、上手にウソをついたら怒られないでしょう?

あやな:
たしかに(笑)。

ジイジ:
だからね、上手にウソをつけばいいんだよ。怒られないように。

ゆうとう:
冗談なら怒られないよ。

ジイジ:
冗談はウソとは言わないよ。ウソをつくというのは、本当のことと違うことを言うことです。本当のことって、いくつあると思う?

ゆりか:
ひとつ!

ジイジ:
じゃあウソはいくつあると思う?

ひみこ:
無限!

ジイジ:
無限というか、たくさんだよね。そうすると、ウソをつく人はいろんなことを考えます。だから頭が良くなるね。そういうのを「悪だくみ」といいます。悪いことを考えるには頭をたくさん働かせないといけないから、賢くなります。
ウソをついて成功すると得した気分にならない?得した気分になる人!

子どもたち:
う~~ん。

みのり:
いや~、得というより、罪悪感がある。

ジイジ:
でも成功すると、ちょっとだけ得した気分にならない?

みのり:
まあ、ちょっとだけね。

かのこ:
罪悪感はあるけど、大人に怒られずに済んだ!っていうのはある。

ジイジ:
それをいっぱいやったら、得だよね。それでね、ウソをつくと頭が良くなるよ。だって、ウソがばれそうになったらどうする?ウソをつくと、本当のことがばれないようにする必要があるでしょう。だから本当のことがわかりそうになった時にどうする?

(「またウソをつく」「本当のことを言う」「黙る」「逃げる」などいろんな意見が出る。)

ジイジが言いたいのはね、なぜかわからないけどウソをつきたくなる時があるでしょう?そういう時には、たくさんウソをついていいんだよ。そうすると、それは本当じゃないから、後で本当のことがわかると困るでしょ?だからそれをずっと隠しておくためには、いろんなことを考えなければいけなくなって、頭が良くなる。でもね、その頭は、悪い頭だよ。それで、悪い考えが頭の中にいっぱい増えると、悪い人になるよ。

ウソをつく人というのは、まず人から信用されなくなります。(シャンリンに向かって)シャンリンはたくさんウソをついていいよ。シャンリンはウソをつくというけれど、実はシャンリンは、とてもわかりやすいウソをついています。それはウソでしょ、とわかるウソ。そういう人は、正直なウソつきです。
子どものころにウソをつくのは、ウソの練習をしています。問題なのは、ウソをついていることがわからなくなってしまうことです。自分が今ウソをついていることがわかっていれば、心のどこかに「自分はウソをついているなー」というのがあるでしょう。でも「自分はウソなんかついてない!」と本気で思っていたら、それは本当のウソつきですね。
シャンリンは、ウソをつく時に「自分はウソをついているな」ということを知っているでしょ?だからシャンリンは正直なんです。困るのは、自分がウソをついていることをわからなくなってしまうことです。

ウソをつきたい時にはウソをつけばいいんだよ。ただしその時に、「今、自分はウソをついている」ということをよくわかった上で、ウソをついてください。そうすると、後で困ったことが起きた時に、「ああ、自分がウソをついたからこうなったんだ」と気付くことができます。そうしたら、ウソをつくのをやめよう、と思うでしょう?
ウソは本当のことと違いますから、必ず後で困ったことになります。その時に、自分がウソをついたことをわかっていないと、その困ったことは自分に原因があるのではなく、人のせいだと思うようになります。これは本当に困った人です。自分がウソをついていることをちゃんとわからないまま大きくなると、ウソをついていることに気が付かないままウソをつく大人になるのです。それは心が汚れているということです。
そういうふうになっちゃいけないよ、子どもたち。わかった?

子どもたち:
はーい!!! ヽ( ≧▽≦ )ノ

ジイジ:
もうひとつ、みんなに言いたいことがあります。人は赤ちゃんで生まれてきて、大人になり、いずれ死にます。その人生の中でウソをついていくということは、本当ではないことで生きていくということです。ウソをついていると、心が悪い人になるでしょう?そうすると、人生を生きていてもいいことが起きません。人生の途中ではいいことばかりに出会ったと思っても、必ず人は生きている間に、そのウソの分だけの困ったことを受け取らないと、死んではいけないようになっています。さらに、そのままで人生を終わると、ウソつきとして人生を終わることになります。そうすると、もしも次の人生があるとしたら、今度はウソつきとして人生が始まるのです。

ジイジは昔、木の花ファミリーを始めた頃に畑で作物を作っていました。畑へ行って土を耕して、種を播いて、野菜を育てたりしていました。畑では、植物はもちろん、動物や、土や、雨や、風や、いろいろなものに出会います。そこで、人間以外のものはウソをつきません。だから自然の中で生活していると、とても心が穏やかでした。それは、疑わなくてもいいからです。
でもそこに、ジイジを訪ねていろんな人がやって来ます。そして人間が来ると、その場にウソができるのです。そういったウソをつく人間から勉強できることは、あまりありません。自然の中で畑を耕していると、例えば作物の出来が悪ければ、それは土が間違っていたり、気候が合わなかったり、どこに原因があるのかを正直に教えてくれます。たくさん収穫しようと思って肥料をたくさん入れると、作物は病気になります。自然は、いつも正直に人間のやっている間違いを教えてくれます。自然は絶対にウソをつかないのです。
だけど人間は自分に都合のいいようにものを考えるから、ウソをつきます。大人は子どもに「ウソをつくな」と言いますね。それは子どもがウソをつくからです。でも実は、大人の方がもっとウソをついています。そういった経験があるから、大人は子どもに「ウソをつくな」と言うのです。つまり、人はみんなウソつきだということです。
そこで大事なのは、自分がウソをついている時に、ウソをついていることをわかっていることです。それは、自分が間違っていることを振り返る心があるということです。

ウソをつくと、それは本当のことと違いますから、生きていると必ずその間違いの結果が自分に返ってきます。欲が深い人は、畑で種を播くと、まだ作物が育つ前からたくさん収穫することを考えます。たくさん採るためにはたくさん肥料を入れて大きくしよう!と思うのです。でもそれは、作物のことを考えていません。その人が欲をかいた分、作物は病気になって、本当のことを教えてくれるのです。
ウソも同じです。ウソをつく時には、それを言うことでいいことがあると思っています。だからウソをつくんでしょう?でもウソをつくと、必ず自分が思っていたことと反対の、都合の悪いことが起きます。そこで、ウソをつくのはよくないな、ということを学ぶのです。ということは、みんなはウソつきの練習をしているのです。そのために、そういった仕組みがあるのです。

たくさんウソをつくと、たくさん困ったことが起きるよ。ウソつきの頭をたくさん働かせると、ウソつきの人になっていきます。でもウソをつくのは、ウソつきになるためではなく、ウソをつくとどうなるかということを勉強するためにあるのです。
その時に、自分がウソをついたことがわかっていれば、すぐに勉強ができます。ああ、あのウソがこういう結果になったんだ、と。でも自分がウソをついていることがわからない状態になっている人は、困ったことが起きても人のせいにします。だから、ウソから勉強することができません。そして本当に困った人になります。ジイジはそういう大人にたくさん出会ってきました。
ですから、そういう大人にならないように、ウソをつかないのではなく、練習のためにウソをついてください。そしてウソをつけば必ず困ったことが起きますから、そこでウソをつくとこうなるんだ、ということを勉強してください。
ジイジも子どもの頃にはたくさんウソをつきました。そしてウソをつくとまずいな、ということがわかって、だんだんウソをつかなくなりました。大人は子どもに「ウソをつくな!」と言うけれど、子どもの時にウソをついていないと大人になってからウソをつきますね。それは本当に困った人になりますから、小さいうちに練習としてたくさんウソをついてください。そしてたくさん困ってください。そしてどうして困ったのかといったら、自分がウソをついたからだということに気付いてください。そうしたらきっと、ウソをつかない人になるでしょう。

きよみ:
ウソついていいよって言われたら、ウソつく気がなくなる。

ゆうとう:
大人は「怒らないから正直に言いなさい」と言いながら、本当のことを言うと怒るよ。

みのり:
それ、めっちゃあるー!

ジイジ:
それでは、ウソをつく時には、正直にウソをついてください。そしてできれば、相手の人にもわかるようにウソをついてください。そうしたら相手の人は「ああ、ウソをついているな」と言って認めてくれるかもしれません。

人間以外のものはウソをつかないのに、人間はウソをつきます。ということは、人間が生きていると問題が起こるということです。
例えば、(スマホをいじっているイェヨンを見ながら)スマホは優れた機械ですね。でも人が話している時にそれをいじっていたら、相手の話を聞いていないことになります。場合によってはそれがないと眠れなくなったり、歩きながら使っていて人や車にぶつかったりもします。何でもそうですが、その人の考え方や使い方によって、いいものにもなれば悪いものにもなるのです。
でも本当はこういうことのために使うんだよ、という正しい使い方があります。人間はいろんなふうにものを考えて、いろいろな使い方をしますが、どんなものであっても、正しい使い方をしなければ、すべて悪いことになって返ってくるということです。そういった正しい人生の生き方や物の使い方を勉強するために、みんなは生きているのです。いっぱいウソをついても、それをしっかりと学んで、どうしたらいいかをわかる人になりましょう。

以上、ジイジのウソつき講座でした♪

 

 


今、自らのエリアを超えることが人類に求められている

ジイジ:
一般的に、人間は生きていると、エリアというものを意識している。つまり、自らの存在が許容範囲の中に入っていることを認められるために、その自らの存在が許容範囲の中にあるような関係を探している。そして、人は誰でもそれをその人流に一生懸命やっているものである。そこで、一生懸命やっているのに事が成らないと、「なぜ、こんなに努力しているのにそれがならないのか」と考えるようになる。しかし、そのエリアという枠の中で生きている限り、努力は自らの枠の中にあるから、その人間性が高まることはない。ところが、本人にしてみれば、一生懸命であり、努力しているつもりなのだ。自らの枠の範疇を超えないで新しい景色には出会えないのだから、当然のことなのだ。それが人間の精神状態の限界をつくっているエリアなのだ。

僕は今、眠りながらそういったことをとうとうと語っていた。そして、「エリア」という言葉が自分の口から出たときに、「これは新しい区分だ」と思って、今ふたりに語り始めた。その前は完全に眠りながら語っていた。

ようこ:
今、ジイジの語っている雰囲気がいつもと違う気がします。何か新しい感じを受けました。

ジイジ:
人はそうやって自らのエリアを確保しようとするのだが、それは僕が新しいのではなく、自分がエリアを超え、「いただきます」の精神でものを観るようになると、その自分の許容範囲以外のものが観えてきて、出来事を判断するようになってくる。それで、人は相手が新しいと思うのだが、実は、自分が新しいのだ。対象を常に調整するものと決めていると、自分の解釈の範疇で理解しようとするのだが、調整すべきは自分自身である。自分自身を調整すれば、そこで観える景色は必ず変わる。ところが、自分自身を調整せずに、対象を調整しようと画策していると、「観える景色をいつも同じでありたい」とする考えのもとに、エリアの中にいることになる。

ところで、今日は何日?

ゆうこ:
今日は7月10日です。エリアが変わったから、この場の雰囲気も今までと違う気がする。

ジイジ:
その前の確保しようとしているのも、自分の意識がそうさせているのだが、人はそれを自分がしているとは感じていない。それは、無意識にそうしているからね。

ようこ:
エリアというものがあって、その中に自分自身がいることを意識していなかったことがわかると、そこを超える選択肢ができる。自らのエリアが固定されていることにひとたび気付けば、そこを超えられる。

ジイジ:
まずはそこに気付かないといけないのだが、人にはそれが観えないものだ。無意識に自らの許容範囲の中で毎日を送ろうとする。それが、自我というものだ。そういう性質を卒業できている人間は、一つ一つの出来事に感情的に反応しなくなる。それは、起きたことを情報として受け取るだけのことだから、事が起きると、それを自らの内に入れ、取り込み、次へと進んでいく。たとえば、賢いと認識している人にその人にとって許容範囲に入らないことが起きると、理屈をこねて、「これはこういうふうで、こうだから、こうなったのだ」と納得しようとすることも、自らのエリアの中であがいている状態だ。だから、自我のエリアの中にいるという意味では、何も考えないでエリアの中にいるものも、考えてエリアの中にいるものも、結局同じことだ。

ようこ:
許容範囲を超えた出来事が起きて、それをいただくということは、自らのエリアを超えるためにあるのですよね。

ジイジ:
そう。エリアを超えるために、許容範囲を超えた出来事は与えられる。通常、人間が生きていると、それが常に起きるようになっている。たとえば、先日西日本に起きた記録的豪雨による水害もそうだ。それは、もっと大きな規模で与えられたこと。そこで、自分の許容範囲を超えたところでそれを受け取る心があれば、その人間の精神性は広がっていく。それは、日常の些細な出来事でも、親子関係でも、仕事のことでも、学校の勉強でもそうだ。

ようこ:
逆に言うと、このカラクリがわかっている人には、エリアを超えるための大きな現象は起きない。

ゆうこ:
自分の概念を超えたところに、いろいろなことがあるということですね。

ジイジ:
自らの概念を超えたものを与えられるのが、人間世界で生きるということだ。でも人は、気持ちとしては、許容範囲の中にいようとするものだ。ここで言っているエリアとは、簡単に言うと、自分の許せる許容範囲ということ。

ようこ:
エリアの広さと、世界観の広さは比例しますね。ジイジのように、世界観が宇宙観で、宇宙そのものが自分自身だったら、エリアという言葉自体が存在しないような領域だと思いました。

ジイジ:
宇宙がエリアだ。でも、現象界を生きていると、どうしても現象界に意識が行き過ぎて、そこに囚われる。

ようこ:
ジイジは現象界に囚われていないから、四拍手(下記参照)の所作も閃いたのだと思います。これは、ジイジがふと空間を観ていたときに、潜象界からのエネルギーが空間の至るところから入ってくるのを感じたところから始まっているのですよね。

ジイジ:
そう。ある日、ぼーっと空間を観ていたら、いろいろなところから「カ(宇宙最極小微粒子)」がふわーっと噴き出しているのが観えた。「あれ??」と思ってさらに観ていたら、エアコンの吹き出し口のように空間の切れ目が垂れては、そこから生命エネルギーが湧き出してくるのが感じられた。だから、「こちらから意図的に空間を切ってみてもいいのだ」と思いつき、あの四拍手の所作が生まれた。あれは、天然循環だからね。四拍手の所作をもって、人間がケガレチ(汚れ地)としたこの世界を清浄にしていく。ところが、人間がケガレチにする速度が速くなり、そのケガレが大量になってきたことから、今、世界にたくさんの矛盾が起きている。

ようこ:
自然災害でも、矛盾を0にする作用ですものね。

ジイジ:
自然災害も、破壊だからね。破壊が起きているということは、破壊が起きるだけの負のエネルギーが溜まったわけだ。負のエネルギーが一気に爆発して自然災害が起きるということは、「負のエネルギーを溜めている」というメッセージなのだから、今の姿勢を改めなさいということだ。だから、大きな病気にかかって大変な目にあうのと同じことが、人類の共通点として起きている。個人が自らの負のエネルギーを溜めて病気になるのと同じように、今、地球規模でそれが起きている。それは、人類のエリアを壊し、人類が次のステージに進んでいくために起きている。

「五風十雨」という言葉があるのだが、それは五日に一回風が吹き、十日に一回雨が降り、とても穏やかな日々が過ぎていくということ。五日に一度吹く風は優しい風だ。そして、十日に一回雨が降り、あとは良い天気に恵まれて、「ありがたい毎日が送れています」ということ。だから、五風十雨というのは、「おかげさま」という意味だ。

ようこ:
2018年が「再スタートの年」というのは、木の花ファミリー内だけの話ではなく、地球規模の再スタートというイメージが湧きました。先日の西日本での水害もそうですし、自分たちがこれまで生きてきたことの答えをもらって、実態を知らされる年ということを思いました。それで、次に進んでいくというイメージがあります。

ジイジ:
天誅(てんちゅう)が下った後に、それをどう受け取って、どのようにスタートさせるのか、ということが再スタートという意味で、天誅が下って実態を思い知るのが2018年になるのだろう。そして、2019年、2020年と共にこの3年が1セットになっており、東京オリンピックが開催される2020年はクニツクリの再スタートということになるのだろう。

ようこ:
ジイジの地球暦で、組織化の星である土星にスイッチが入っていないということも、エリアを壊す役割があるからですね。

ジイジ:
そう。土星は英語でサターンと言うだろう?つまり、土星は魔(サタン)なんだよ。悪魔とか、惑わすとか、翻弄するとか、サタンというのはあまり良い印象ではないね。しかし、神の使いでもあり、非常に重要なのだが、そこに取り込まれると、それが絶対になってしまって、自らの枠が壊せなくなってしまう。それを壊しゆるくして、自由自在になることが、本来の交わりの目的ということを今、イメージしていた。

ようこ:
アマウツシのアマは宇宙ということだから、宇宙をうつすということは、自由自在に生きるということ。

ジイジ:
そのために、本来交わりはあるべきだ。ところが、たとえば快楽に目的が行ってしまうと、見当違いのほうへと進んでいってしまう。

エリアを超えるということは、エリアを超えて感動するものもいれば、エリアを超えて腹が立つものもいる。そこで、感動とともにエリアを超えていけば、自らのエリアは無限に広がっていく。地球上でたくさんの矛盾や問題が噴き出している今、自らのエリアを超えることが、人類が次の時代を切り開いていくための突破口となる。

 


 

木の花ファミリーでは、食前や大人ミーティング開始時、畑や田んぼ作業の締めくくりなど、日常の節目に「四拍手」という所作を行っています。以下は、四拍手についての解説です。

 

四拍手の示すところ

カタカムナの第五首・第六首と同じように、「四拍手」も宇宙の創造・発展・消滅の法則を示しています。「四拍手」を行ずる者は宇宙の仕組みを知り、宇宙(天)と共に世界を創造していく者としての意識でこれを行うことになります。この世界を清浄(イヤシロチ化)に導くための所作として、厳粛な気持ちで行ってください。

潜象界は現象界(三次元世界)と同時に重複して存在しています。その潜象界に存在する現象化の元となるエネルギー(カ)は現象界の至るところに供給されています。現代の人間の活動によりそういった美しい世界は汚れ穢れ(ケガレチ化)ています。それを清浄(イヤシロチ化)な世界に戻すために、そのエネルギーを意識的・積極的にこの世界へと迎え入れるための所作として、空間を指で指して切ると①、その空間が垂れ②、その切り口から無垢な生命エネルギー(カ)が現象界に流れ出てきます。この所作を三回(至るところの意)行ってください。

【宇宙創造の仕組み「フトマニ図」の作成】

      天は丸く⑦ 地は方なり⑩

そうすると、美しい生命エネルギーの響きがその場に流れ出て広がっていきます。それは宇宙創造の仕組みであり、その宇宙創造の仕組みを積極的に行い現象世界の穢れを清浄にするものです。
宇宙には始まりも終わりも方位もなく、ただ巡り続けています。ですから、宇宙は丸いのです。
宇宙の枠(球)が出来ると、縦方向にトキ(縦のライン⑧)とトコロ(横のライン⑨)が発生します。そのことにより、現象化の仕組みが整い形の世界が始まり、星が生まれます。
方位は星の上に存在します。ですから、四方(東西南北)が地球上に現れます。

【宇宙の心を表現する所作】

現象化(形)が始まるためには、初めに宇宙(天)の意志(ア)が発生します。現象の始まりである「ア」という高次元の響きの発生(ア)⑪から、宇宙の根本法則であるアマノミナカヌシ⑫(トキ軸)が降りてきます。同時にカムミムスヒ(ヒタリ回り)⑬とタカミムスヒ(ミキリ回り)⑭を示す陰と陽の働き(トコロ軸)が発生します。この世界は宇宙(天)の心から創造されることを示しています。

【四拍手の所作⑮】

宇宙の創造原理が整いエネルギーが、下図のように八方向に整うと、現象化の段階に入ります。両手を合わせ、四回拍手することによって、右手と左手で合わせて二×四回拍手(四)する(二×四=)八方宇宙を意味します。その場合、左手は陰を示し、右手は陽を示します。ですから、左手は前(陰)に差し出し、右手は手前に引き(陽、第一関節分手前にずらす)、両手を合わせてください。
この表現は、陰(精神性)が陽(物質性)より優先され、この世界の本来の姿である「霊主体従」を表します。
指さす方向も意識も斜め上45度(天)へ向けて、四拍手で締めてください。

【終わりに】

天の心を忘れた現代の人々は、豊かさの追求の結果、自我に囚われ、本来人が生まれ生きる目的であるこの世界の清浄化(地上天国)を忘れ、今や地球は宇宙のオアシスから宇宙のごみ溜めと化しています。私たち人間はその尊い役割を取り戻し、もう一度、天の意思と共にこの地球に美しく光り輝く響きを取り戻すために、宇宙創造の精神を悟り、地上のイヤシロチ化のために心を整え所作を行うことにより、地上天国の実現に向け、その志しを表現しましょう。

 

 


線路は続くよ 天までも

人は、自分が歩んだ結果、そこに道ができるのだと思っています。それが人生だと思っています。しかし、仏道というお釈迦様が説いた道は、「この世界には道がある」と伝えています。それを見つけ、そこを進みなさい。その道は、線路のようなものです。線路ですから、そこに乗ってしまえば脱線することはありません。その線路の上を進みたくないと思えば脱線することもあるでしょうが、その道を進もうという思いがある限り、どんなに障害があろうとも、その上を進むようになっているのです。

その線路の上を進む中で、様々なことに出会います。それを素直に受け取っていく心さえあれば、出会うことはすべて、先へ進むためのエネルギーへと変えていけます。その線路の枕木の一つひとつは、変化です。変化であり、進化です。先へ向かうとは、必ず進化することであり、それは上へと向かっていく道です。つまり、自我を取っていく道です。魂として、天へと向かう道なのです。

この線路は、一人ひとり誰もに与えられています。そして、必ず先へ、必ず上へと進むようになっています。ところが、自ら勝手に下へ落ちていくための線路を敷く者がいます。そうすると天は現象を起こし、戒めて、方向が間違っていることを伝えます。あれ!間違っていた!ではどの方向に進めばいいのだろう、と上を見上げた時、人間は元の道へと戻ることができるのです。しかし、いくら天が救済のために現象を起こし、痛みを与えても、それを与えられた人間が上を見なければ、ではそのまま行きなさい、ということになります。
それは、進めば進むほど、下降していく道です。本来上昇していく道が下降していくのですから、進めば進むほど差が広がっていきます。そうすると、やがて修正が効かなくなるのです。そういうことも、この世界にはあるということです。

人間は、人生を30%の定めのもとに生まれてきます。そして残る70%は、自由が与えられています。その70%の自由によって、自ら落ちていくものもいます。
30%は、この世界を生きる上で、自分の力ではどうにも変えることのできない宿命です。それはいただくものです。その30%を、徹底して生きればいいのです。ところが人間は、70%の自由にばかり心を奪われ、30%を忘れてしまうのです。そうすると、自らの存在価値すら失い、取り返しのつかないところまで進んでしまうのです。
70%の自由を正しく使えるか、間違って使うかについては、それぞれの個性の違いはありますが、仕組みは皆同じ条件です。正しく使えない者は、それにふさわしい痛みを与えられます。そこでの痛みは、救済です。その救済の手に乗れば、痛みを学習として、正しく進むことができます。一方、70%の自由を正しく使う者は、現象として痛みをもらいません。痛みが伴わないことにより、進んでいる方向の正しさを確認していきます。痛みを伴わないと、人は奢って「これでいいのだ」と自我を増幅させるものですが、どんなに正しい道を歩んでいても、常に「これは天のご意向だ」という心があれば、ずっと痛みや問題ごとなく歩んでいけるのです。

その歩みは、人々の見本となります。この世界が始めからそのような完成形ばかりで構成されていれば、今の世の中のような不幸や混乱はなかったことでしょう。しかし、それでは面白くない。この世界がダイナミックではない。喜びがない。愚かしさがあるからこそ、それに対する尊さがあり、孤独があるからこそ愛があり、辛い道があるからこそ喜びがあるのです。

愛や、尊さや、喜びは、愚かしさを表現するためにまかれた肥料のようなものです。そして、人生という素晴らしい食べ物をいただくのです。そんなふうに食べ物を育てるのは面倒だから、最初から肥料を食べておけばいい、ということには、この世界はなっていません。すべてを現象化に預け、初めてその尊さがわかるのです。地球は、その表現をする場所なのです。

 

私は、この世界と共にある。
私の悲しみは、世界の悲しみである。 私の喜びは、世界の喜びである。

 

 


どうぞ、地球が喜ぶ生き方をしてください ~私たちが菜食をする意味~

先日、木の花を訪れたアメリカ人のアナンヤといさどんとの会話の中で、こんなお話がありました。


アナンヤ:
昨日、草刈りをしていたら、草の中からたくさんの虫が出てきました。草を刈れば、彼らの住処を奪うことになりますし、たくさん殺すことにもなるでしょう。ここでは肉や魚を食べませんが、牛や豚などの命を奪わないということと、草や虫たちの命には何か違いがあるのでしょうか。

いさどん:
それは僕から教わらなくとも、あなたがこれからピュアな存在となっていけば、自然にわかることです。でも、とても大切な投げかけですから、今解説しますね。聞ける相手がいる時には聞けばいいのですが、本来、人が目覚めるということは、他人に聞かなくても自然に自らの中から湧き出してくるものなのです。

私たちは、この物理的な肉体の中に、DNAとして膨大な情報を持っています。しかし、私たちは霊的な存在でもあるのですから、真実は、この物理的DNAの情報量よりもはるかに膨大な情報を、霊的DNAとして持ち合わせているのです。そこに目覚め、アクセスできるようになると、近代文明が求めてきた学問的知識は幼稚なものであることがわかるでしょう。
氷山は、水面上に出ているのは全体の約10%だと言います。残り90%は水面下に沈んでいて、表からは見えません。これまでの歴史の中で、人類は物理的な目覚めの進化の過程の中で、今、脳の10%を使うようになりました。残る90%は、まったく使っていないとは言いませんが、有史以来の文明に貢献したのは、ほとんど10%の方でした。残る90%の脳にアクセスできるようになると、閃きが湧いてくるようになります。偉大なる先人であるキリストや仏陀、孔子などは、学校にも行っていなければ師匠もいなかったのですよ。ですから、私たちにとって大切なことは、知識で覚えようとすることではなく、感じることです。生きることを感じるのです。

そこで先ほどの質問に対してですが、小話をひとつご紹介しましょう。
昔、僕がまだ畑の現役だったころ、土手の草刈りをしていました。その畑には、生姜とウコンが植えられていました。僕はその管理をしていたので、草が生えれば草刈りをします。しかし、生姜とウコンの間に生えている草は取りますが、同じ植物である生姜とウコンは残していくのです。
そこで僕は、疑問に思いました。同じ植物なのに、この差別は何だろうかと。そうしたら、今僕に刈られている草が、こう教えてくれました。

──── それでいいのですよ。私たちは、そういう存在なのですから。今あなたは、私が土手の草である状態を見ています。でもあなたが、刈った後の私を生姜の畑に入れてあげれば、私はいずれ、あなたの育てる作物になるでしょう。ウコンのところへ持っていけば、ウコンになるでしょう。私は、あなたが大切にしている存在にもなるのです。
あなたが刈り取った草をそのままそこにおいておけば、私はまた土手の草となり、あなたに刈られることになるでしょう。そのことに私たちは、何の抵抗も感じない存在なのです。ですから、それでいいのですよ ────

そこで僕は、自分の目指している境地はこの雑草たちの境地だ、ということに気付いたのです。この世界は、なんて素晴らしいのだろう、と。

では、動物と植物の違いはどうでしょうか。
植物は、そこに種が落ち、芽が出ます。そして木ならば何十年も何百年もそこにいます。それは、自然のままに育つということです。そこへ我々が切り倒そうとしてチェーンソーを持って行っても、彼らは「やめてくれー!」と逃げては行きません。木が逃げていったら大変ですね(笑)。つまり、それはカルマが少ないということです。そもそも、彼らは光合成によって成り立っています。太陽のエネルギーを使い、水と炭素の化合物を作ることで成り立っているのです。
一方、動物たちは、我々人間が近付いていくとペットでない限り逃げますね。動物は、植物よりもカルマが多いのです。そしてさらにカルマが多いのが、人間です。動物よりは魚の方がカルマは少ないですが、それも同じことです。そして、命がまだありながら、その途上で屠殺されたカルマというのは、肉体がなくなってもカルマの迷いが存在しています。
例えば、ライオンがシマウマを食べる時には、その生命の存在をすべて、自らの命に変えます。そうすると、シマウマの魂も自然循環の中に入ります。それは殺されたわけではありません。循環の中に入っただけです。それは循環を健康な状態に保とうとする自然の作用なのです。それを、ライオンがシマウマをつかまえて食べるところだけを区切って見ると、弱肉強食に見えるでしょう。自然界は、小さく区切って見ればどこもそうなっています。しかし大きく観れば、すべてのものが活かされていく循環の中にあります。命というバトンが次へ次へと渡されていくのです。

他にも、肉を食べる必要のない理由はいろいろとあります。もちろん魚もです。それを人が食べたいと思うのは勝手ですし、食べることに対して何も言いませんが、人が本当に目覚めたら、自ずと食べないことを選択するでしょう。
現代の食肉生産は、霊的にはとても汚れたものになっています。かつてユダヤ人がアウシュビッツで殺されていきましたが、屠殺の現場も同じようなものなのですよ。今年の初めに木の花にケア滞在に来ていた女の子は、農業大学の実習で豚の牧場へ行き、豚がどのように飼育されているかを見て大きなショックを受け、それがきっかけで心の病気になりました。ひどいことに、雄豚は睾丸をつぶされるのだそうです。そうすると去勢されて、肉が柔らかくなるからです。それは一例であり、食肉生産の現場ではもっと恐ろしいことがたくさん行われているようです。
幸いなことに、私たちはこのような暮らしをしていますから、そのような恐ろしい食べ物を食べなくても生きていくことができます。これはとても重要なことです。菜食は健康とおだやかな心をつくるのに貢献しますが、私たちは自分たちの健康が目的で菜食をしているわけではありません。3時間もあればその全容をあなたに伝えることができますが、それは単純なことではありません。ですから、それを食べずに生きられることは、とても誇らしいことです。

(菜食の意味については、木の花ファミリー通信第90号「食から始まる意識革命」をご覧ください。)

今、20世紀型社会の偽りの仕組みが暴かれ始めています。マスコミは様々なことを暴きますが、実はそんなことは重要なことではありません。それは時代が切り替わる時に、当然のこととして起きているだけなのです。何よりも大切なことは、次の時代をどう生きるかということに気付くことです。

どうぞ、次の時代の歩みに、切り替えてくださいね。そして、地球が喜ぶ生き方をしてください。私たちが生きることは、私たち自身の自我や願望を満たすために生きているのではありません。私たちが存在する世界の表現に貢献するために、私たちはその役割を果たし、その結果、生かされているのですから。どうぞ、地球が喜ぶ生き方をしてください。

 

 


私は何のために生まれてきたのですか

人と人とのつながりとは、いったい何なのか ──── 。
そんなことをずっと考え続けてきたという、22歳のインド系アメリカ人、アナンヤ。大学で心理学を専攻していた彼女は、世界の様々な地域における人々の関係について研究を進める中で、どうしたら人々が互いに調和し、地球とも調和して生きていけるのかを知りたい、と木の花ファミリーにやって来ました。

ある日、「自分の中に様々な問いがある」というアナンヤと、いさどんが話をする場が持たれました。まず最初にいさどんが「あなたが何かひとつ質問をすると、僕はその10倍以上答えるかもしれません。長くなったらごめんなさいね」と言い、会話はアナンヤのこんな質問から始まりました。


アナンヤ:
ここに滞在しながら皆さんを観察していて、学んだことがあります。ここの皆さんは、今世界で起きていることに対して、何か物理的な行動を起こすというよりも、自分自身がその世界の一部であることを理解し、自分ではコントロールすることのできない、何か大いなる流れに沿おうとしているように感じられます。目には見えない何かに、耳を傾けようとしているように思えるのです。

いさどん:
そうです。

アナンヤ:
私が知りたいのは、それがこのコミュニティの核となる部分なのかということです。

いさどん:
私たち人間は、この世界に、一人ひとりがとても個性的に自らを表現しながら、存在しています。そしてその個性的な人間が、たくさんいます。そのたくさんの人間一人ひとりが、それぞれの目的に基づいて、自らの見える範囲内のことだけを考えていると、一人の人間の行動や、それがもたらす影響の範囲というのは、限定されたものになります。しかし、そのたくさんの人々が、ある共通点を持って行動すると、それはネットワークになるのです。
例えば、宇宙には天体がありますね。そのどれ一つとして、単独で存在しているものはいません。すべてが連動し、互いに連携し合いながら大いなるネットワークを築き、その中に一つひとつの星々の存在する位置があります。この世界で最も大きな存在は、大宇宙です。現代の人間の解釈では、まだ、この大宇宙のすべてを想像すらすることはできません。今、人類がその仕組みを想像できるのは、天の川銀河くらいの範囲でしょう。私たちは天の川銀河に生きていますが、その他の銀河については、成り立ちそのものが違いますから、今の私たちの思考では解釈することができない世界なのです。

もう少し、身近なところへ視点を移してみましょう。私たちは、太陽系生命体です。なぜ太陽系生命体かというと、太陽が私たちの存在の基軸になっているからです。
私たちは、太陽のエネルギーが元となった生態系の中で存在し、消滅していく仕組みになっています。私たちの肉体は、太陽の光が地上に届くことによって営まれる生態系の中で食べ物をいただき、呼吸をします。1日が過ぎることも、1年が過ぎることも、すべて太陽が基軸となって生きているということは、わかりますね?

アナンヤ:
はい。

いさどん:
私たちが存在することも、1日、1年、あるいはもっと長いサイクルを計算することも、すべて光が基軸になっています。宇宙的に捉えると、光が基軸となってこの世界が運営されているということは、何かその背景に、それを動かしている法則があるはずです。その存在を考えるようになると、私たちが自分というものを認識した時に、それは“自分が”生きているのか、それとも、何かの法則のもとに、自分の個性が必要でこの世界に生み出され、役割を果たすために生かされているのか、ということが観えてきます。
簡単に言うと、この世界には、目には見えない巨大な法則があり、私たちはその法則が創り出す流れに乗っているということです。

あなたが今、あなたであるように、今のあなたは過去のあなたとは違います。未来のあなたもまた、今のあなたとは変わります。それは、あなた自身の人生物語です。しかしもう一つ違う視点から観ると、宇宙の物語の中で、あなたが役割としてある一定期間、あなたの人生を表現したということでもあるのです。
人間は一人ひとり、そのことを知っています。それは、地球に生まれる前の霊的な存在の時に、そのビジョンを共に練っていたからです。そして地球に生まれ、肉体を持った時点で、そのことを封印したのです。しかしそれは、大いなる法則が紡いでいく物語の中に組み込まれています。
始めのうちは、そのことを忘れています。忘れている間は、思い出させるための出来事が起きてきます。中には、思い出さないまま人生を終わる人もいますね。そういった人の人生は、霊的には充実した人生ではありません。

木の花ファミリーの人々がやっていることは何なのかというと、物理的なことは手段にしかすぎません。今の社会に対して何かをアピールすることが目的でもなければ、物理的に豊かになることが目的でもないのです。では、一体何を目的として生きているのかというと、なぜ、私たちはこの時代に生まれてきたのか。そしてなぜ、ここに集い、この木の花ファミリーという生き方をしているのか。そのことを理解し、その上で、その目的を存分に表現して終わるということです。

そうすると、生きるということは、私が存在する目的を知るためにあります。では、どこに向かってそれを考えるのかというと、それは、宇宙の法則との約束のもとに自分が存在している、ということを知るためなのです。それがわかると、人生を完全燃焼できます。
あなたを観ていると、何かを探しているようです。私は何のために生まれてきたのだろう、私が生まれてきた本当の目的は何だろう、と探している状態です。それは、木の花の人たちが目指しているのと同じものです。それをしっかりと実感するためには、もう少し、自分は何のために生きているのかを詳しく知る必要があります。そうすると、あなたの表情の曇りは晴れるでしょう。しかしそれは、急いで取る必要はありません。あなたは今、そういう段階に来ているのですから、いずれはそうなるということです。そこで気を付けなければならないのは、それは放っておいたら来るものではないということです。自らがしっかりとした意志を持ち、それに目覚めるための歩みを進めることが必要です。

今から、あなたの質問以上のことを言います。
あなたも、僕も、誰もが、この巨大な宇宙の中に存在しています。そして、この指先のたった一つの細胞 ────(そう言っていさどんは、人差し指を立てました。)この細胞をカッターか何かで切り取り、捨てたとしましょう。そうすると、離れていきますね。でも今現在はここに付いています。地球にとって、私たちはそんな存在でしょう。宇宙にとっては、さらに微細なものです。しかし事実は、その微細な細胞たちが連動し、私というひとつの体をつくっているということです。そしてその細胞の一つひとつすべてが、独立した存在として個性を持ち、その一つひとつに魂があるのです。

もしもあなたがそういったことを知りたいと思ったら、隣りを見て「誰か教えて」と言わなくても、斜め45度上に意識を向け、そこにある存在を感じてみてください。そして、そこに向かって自分の思いを流せばいいのです。私は何のためにここにいるのか、と。その思いが本当に純粋なものであれば、回答は出てきますし、それをわかるための出会いが自然に訪れます。
もしかすると、あなたは少し前にそれをしていた可能性があります。だから今、僕に出会っているのかもしれません。

アナンヤ:
今語られていた「純粋」とは、どういう意味ですか?

いさどん:
あなたが自我に囚われていない状態ということです。それは難しいかもしれませんが、たとえば恋愛をするでしょう?そうすると、相手の事情には関係なく、相手に自分の思うような人であってほしいと願うものです。しかし、そこに二人の人間の関係があるとしたら、そこでは必ずキャッチボールの上に、二人の調和のネットワークを築く必要があります。それはひとつの例ですが、恋愛関係に限らず、この世界はすべて調和のネットワークで成り立っています。そこで、自分に都合の良い結果を求めるような心では、純粋とは言えないのです。自分の願う通りの結果を得ようとし、思惑を持ってアクションを起こすのではなく、自分が生きた結果、出会うものをいただいていくということです。
「いただく」とはもらうことですから、そこには感謝が生まれます。しかし自分のビジョンを持って思い通りの結果を得ようとすると、それは「いただく」のではなく「勝ち取る」ということです。それは自分の心を刺激してくれるかもしれませんが、長い目で見るととても効率の悪い生き方です。
例えば、あなたは木の花ファミリーに初めて来て、ここのことをまったく知らないとします。そして木の花ファミリーの中に入ると、何か普通の社会とは違うものを感じるでしょう。それは、ある人にとっては懐かしいものです。そしてそれが、もっとも自然な感じ方だと思います。

人は皆、生命です。そしてこの宇宙全体もまた、巨大な生命です。その巨大な生命を構成する小さな生命、さらにその小さな生命を構成するもっと小さな生命、さらにそれを構成するもっともっと小さな生命まで、すべてが相似形になっており、それらがすべて連鎖して、巨大な生命ネットワークを築いています。ところが人間になると、そのことを自我によって忘れるのです。
この巨大なネットワークは、愛でできています。それは、善なる、愛なる、調和のネットワークです。それを忘れた人々は、どこか心がざわざわしています。家族から遠く離れ、一人で暮らしていて寂しくなって、久しぶりに家族に会えば懐かしいと感じるでしょう?それと同じような感覚を、木の花ファミリーに来た人々が感じるのは、そういうことなのです。

20世紀までは、人々がそのことを忘れていくサイクルでした。個人が自我の欲望を叶え、豊かになろうとする時代でした。それは、霊性よりも物理性を追求した時代です。ただそういう時代だったということであり、悪いことではありませが、それが進みすぎると、霊性と物理性のバランスが取れなくなります。ですから、人々が物理的な豊かさを求め続けた結果、それが飽和して、今度は霊性の豊かさが求められ始めたのです。
霊性も、物理性も、どちらもそれを司る天の意志があり、我々はその意志のもとに存在しています。現代は、たくさんの人々が高度な教育を受けるようになり、優秀な人がたくさんいます。しかしこの20世紀型の優秀な人々が増えれば増えるほど、地球が歓迎しません。その20世紀型の優秀な人々が世の中をリードしてきた結果、今の地球の現状があるからです。
では、物理的に優秀ではない人たちが地球にやさしいかというと、そうではありませんね。そういった人々は、優秀な人々に巻き込まれていくのです。ですから今、霊的には、優秀さの見直しがされているのです。

生きるということは、個人の願望を叶えるのではなく、天と対話することにより、こちらの思いと天の意志が協働して、地上が運営されていくということです。人間以外の生命は、みんなそのように生きています。人間も、およそ7000年前までは、そのように生きていました。
原始時代に戻れということを言っているのではありません。今現在、私たち人間は、とても優れたテクノロジーを持っています。そのテクノロジーを、天と対話し、この世界に流れている宇宙法則のもとに使っていけば、人間は地球と共に、この世界に貢献する存在となるでしょう。
あなたもいずれ、死を迎えることになります。すべての生命は固有のサイクルを持っており、それが終わると死ぬのです。そしてそのサイクルの間に出会った物理性は、すべて、生きることに対する手段でしかありません。健康であることも病気であることも、いいことも悪いことも、すべて手段にしか過ぎないのです。

真実は、死んだ先の世界が、私たちの本住の地であるということです。そして、こちらでの学びが不十分であると、それを埋め合わせるために、またこちらの世界に生まれてくるという仕組みになっています。また、こちらの世界で役割がある場合も、生まれてくる原因のひとつになるのです。ですからあなたにはあなたの、生まれてくるための個人的理由があります。さらに、この世界があなたを今の形で受け入れた理由があります。そして今あなたは、それを知るための模索をしているのです。
そういうことを求めようとする人は、生きることの意味を知るための目覚めの段階に入ったということです。それは喜ばしいことですね。そうでない人々は、お金や物の豊かさに囚われ、中にはアルコールやドラッグで惑わされ、中毒になっている人もいます。地上の物理的な快楽に溺れるような生き方をするのです。あなたがそういったものではないものを求め出したことは、とても幸いなことです。

アナンヤ:
私は生きる目的を探しているということですが、それはあらかじめ決められていることではなく、後から少しずつ分かっていくものなのでしょうか?

いさどん:
それは後からわかるというよりも、あなたの人生の歩みの中で目覚めていくものです。あなたは今、何歳ですか?

アナンヤ:
22歳です。

いさどん:
22歳なら、そんなに急ぐことはないですね。何かに追われている段階ではありませんから。あなたの世代(蠍座世代)は、これまでの20世紀型の価値観で社会をつくるのではなく、次の時代を担っていく世代です。20世紀型価値観の社会から、次の時代に変わっていくための準備をする世代なのです。ですからあなたは、今までのような物理的豊かさを探求する生き方を望まないのです。
もうひとつ前の世代(天秤座世代)ですと、新しい時代を求めるものの、それが見つからずに迷う世代です。しかし、地球が自転と公転を続けていくということは、明らかに、太陽の周りを周回しながら、時代を切り替えているのです。我々が、1日、1ヶ月、1年とスケジュールを立てていくのと同じように、時代は確実に変化しています。ですから、あなたの世代の人々は、自分の中から湧き出してくる、自らが求める生き方を、正直に語りながら進んでいくことです。ただ心の中で思っているのでもいいのです。そしてそれを伝える場に出会った時に、自らの中にあるものを正直に表現しながら進むと、自ずとやるべきことに出会うようになります。
その時に、ひとつ条件があるのは、あなたの心が常にピュアであるということです。あなたがピュアな心で歩んでいく時に、例えば親であったり、友人関係であったり、その障害となる存在に出会うことがあるかもしれません。しかし、そういった価値観を共有できない人々と対立するのではなく、そういった人々にも常に誠実に自らの思いを伝え、接することです。では、誠実の一番の根本は何でしょうか。それは、正直であることです。そのように生きていけば、道は開かれます。その根本にある一番大切なことは、斜め45度上に向かって対話することですね。

アナンヤ:
なぜ斜め45度上なのですか?

いさどん:
私たち人間が天からのメッセージを受け取るのは、頭頂部(松果体)の部分です。そして自ら発信するのは、眉間からです。ですから、眉間から先、斜め45度上に向けて、あなたの意志を発信してください。それはどこに向かっているかというと、宇宙に向かって発信しているのです。そして、返ってきたものをキャッチするのは、頭頂部からです。

(ここでいさどんは、地球儀を手に取りました。)
地球があるでしょう。今私たちは、ここ(と言って、日本を指す)にいます。あなたは、ここ(アメリカ)に住んでいますね。そしてあなたのおじいさん、おばあさんは、ここ(インド)にいます。さて、日本にいる時、上はどちらになりますか。(アナンヤは日本の上空を指し示しました。)そうですね。ではアメリカではどちらが上になりますか?(アナンヤはアメリカの上空を指し示しました。)そう、こちらですね。それを、天と言います。
今、日本から見た天はこちら側にありますね。しかし地球の反対側の人たちにとっては、天は反対側になります。つまり、地球の外のすべてが天なのです。では、地はどこかというと、地球の内部です。天と地は対等のもののようですが、実は天はものすごく巨大なのです。日本語では、小さな一点も「テン」と言います。つまり「点」と「天」は同じなのです。無数の点が、天なのです。
地球は自転し、公転しています。自転の速度は秒速468mです。今は夜ですが、このままいくと明日の朝になります。そして公転の速度は秒速30kmです。そうすると、直径約12000kmの地球1個分を、およそ6分40秒で移動します。さて、先ほどこの話し合いの場が始まってから、私たちは地球何個分を移動したでしょうか。私たちがいるこの場所は、宇宙的には常に移動しています。「この場所」と思っているところは、次の瞬間にはもう「この場所」ではないのです。そのような認識になると、すべての固定概念は、壊れていきます。

今は、簡単な私たちの日常について解説しましたが、事実、私たちはものすごく大きなスケールで、宇宙を旅しています。そのスケールの意識で人々が生きていくのが、21世紀です。これは21世紀の扉が開いたというよりも、3000年に向けての千年紀の扉が開いたのです。1000年から2000年までの千年紀は、物理的探究の時代でした。ですから人類は、物理的にはとても進歩しました。しかしこれからの1000年間は、霊的探究の時代です。霊的探究とは何かと言えば、私たち人間が宇宙に存在することを自覚するということです。
そのための扉が開きました。しかし人類は、まだ幼稚です。新しい時代を迎えるにあたり、あなたたちの世代は、その準備をする人たちです。ですから古い価値観に抵抗するのです。それがどんなに正しいと言われても、抵抗する心が生まれるのです。しかし、それに逆らう必要はありませんよ。自分から湧いてくる思いを、正直に、誠実に伝えていれば、時代は必ずあなたの求めているものを表現するようになるのですから。
僕はおじいちゃんですが、なぜこんなにも情熱的にこんなことをやっているかというと、それを伝えるために生まれてきた人だからです。

アナンヤ:
先日ともちゃんと話した時に、いさどんのこれまでの歩みについて聞きました。30歳からこのような生き方を始め、最初の2年間は泣いて暮らしていたと。なぜ、泣いていたのですか?

いさどん:
自分の自我が強く、それを越えられなかったからです。それは辛いことでした。それでも、自分には、自我を越えるしか道がなかった。毎日が自己否定でした。しかし、その試練を越えたからこそ、その先の世界があったのです。
自我に取り込まれている人間は、自分が辛いと思うことを越えて初めて、そこから解放される道が開けます。しかしあなたは、僕の時代と違い、霊的にはもっと高い時代を生きる人です。ですから、僕のような体験はしなくても、道は開かれるのですよ。
あなたの名前をカタカムナでひも解くと、古い時代の価値観を質的転換し、高次元の意識に導く、強い意志を持っています。それで安定しています。今あなたは22歳ですね。30歳ごろから、本領を発揮するようになりますよ。
少し、霧が立ち込めていたのが晴れましたか?

アナンヤ:
私自身は霧だとは感じていませんが、周りからそう見えるということですね。

いさどん:
最初に話し始める前に、僕にはそれが観えましたが、今のあなたはもっと明快な表情をしています。僕に面談をする人は、一般的に自分個人の悩みを相談する人が多いのですが、あなたの場合はそういうわけではないですね。

アナンヤ:
ひとつわからないことがあって、少し混乱しているのですが、質問していいでしょうか。今、エゴを手放すということについて話してくれましたが、自分のエゴの内側に深く入ることなく、自分自身を観るということはできるのでしょうか。

いさどん:
それは今、僕が一般的な話をしたから、あなたには合わないのでしょう。僕が感じているあなたのエゴは、手放す必要がないものです。エゴというのは、そもそも個性です。その人がその人であるために、エゴを持っているのです。アイデンティティと言えばよいでしょうか。大切なのは、そのエゴの表現の仕方です。ネガティブに使えば問題ごとを起こしますし、ポジティブに使えば楽しいことになります。調和的に使えば社会に有益になりますし、自己主張に使えば対立を生みます。
ですから、「エゴを手放す」という表現は、実は間違いです。正確に言うと、自らの人格をよく理解し、それを上手に使いこなすということです。その実力をつける必要があります。例えば病気になることでも、経済的に行き詰ることでも、問題ごとには様々なものがありますね。それはこの世界で、エゴの使い方が間違った方向に向かっているのです。そのような時には、客観的視点に立ち、どこに問題があったかを観ます。それは車を整備するようなものです。不具合を見つけ、修理してやれば、健全に走るようになります。

そしてまた、今は問題が何もないからと言って、その先もずっとそれでいいかと言うと、そうとは限りません。人生は階段のようになっています。この状態で行ってOKの時もあれば、次の段階へ上がる時には、必ずそれを手放さなければ先へ進めない時がやってきます。今がいいからと言ってそのままで進めば、ある所から、それは問題になるのです。ぶつかるということは、次の段階へ上がるということです。そういったことを、常に自分自身に寄り添いながら、客観的に導いてあげられる、もう一人の自分がいるといいのですけれどね。
そして今お話ししたのは、人生を自分の力で生きていこうとする、一般の人へのアドバイスです。人生を自らの自我で生きている人たちですね。例えば僕の場合、生きることに望みはありません。ですから自分の役割がなければ、早く死にたいです。生きることは面倒ですよ。食べなければならないし、眠らなければならないし、トイレにも行かなくてはなりません。こんな窮屈な場所は嫌ですね。
しかしこういった境地に至ると、自分で何かをコントロールしなくても、この世界の奥にある流れを感知し、そこに沿って生きるようになります。その流れは、僕の意志とは関係なく、勝手に流れています。人間は人生を生きる時に「自分の人生だ」と言っていろいろなビジョンを持ちますが、それはこの大いなる流れからしたら、本当に小さなものです。その小さな自分のビジョンに囚われてしまうと、その自分のビジョンも元々は大いなる流れの中にあるということを、忘れてしまいます。ですから、僕にはビジョンがないのです。生きる上で、僕の個人的目的はないのです。あるのは、与えられたものの役割としてのビジョンだけです。
ですから、こういった境地になると、生きることを何も画策しなくていいのですよ。24時間経つと、1日が終わります。1年たつと、1歳年を取ります。そしていつか、この役割の終焉を迎えます。その時がいつかは、決まっているのですよ。待ち遠しいと思っています。

そういった境地に立った者は、役割を存分に果たすことができます。あなたは若いですから、早くからこれをやってください。そうすると、社会にとても貢献する人になりますよ。早くから仏陀として生きることができます。何であっても、ご機嫌であれば良いですね。
ただ、僕にはご機嫌でない時があります。それは、人々が自らの心の持ち方を間違えて、汚れている時です。縁のない人にそういった感情は抱きませんが、縁があり、そしてその汚れたものを美しくするビジョンに入っているにもかかわらず、怠けていてきれいにしない人には、それはよくないということは伝えます。最終的には本人の意志ですから、僕は「困ったな」と思ったり、それを残念だとは思いますが、所有はしません。それは、その人が自らの人生として、結果を受け取っていくということです。ですから、どんな場合も、どんな人に対しても、アドバイスはしますが、所有することはないのです。本来、道はすぐに改善できるのに、人はなかなかそれをやりませんね。それが地球の汚れの原因です。ですから僕は言わば、地球の霊的な汚れの掃除屋さんです。
今、世界中で、国や組織のリーダーになっている人々のほとんどが、霊的に汚れています。それがきれいなリーダーに切り替わるのが、2038年です。もうひとつ。2008年に、ヨーロッパ産業革命から始まった248年の冥王星の周期が終わりました。そして、東洋的精神性が世界をリードする時代に入りました。特に、インド・中国・日本といった国々の精神性が、これらの世界をリードしていくことになるでしょう。ですからあなたも、しっかりと役割を果たしてください。

アナンヤ:
今はまだ私の中心にエゴがあり、いろいろなことに興味があるので、それを無しにして何かを成し遂げるということはイメージできません。

いさどん:
それはしなくていいのですよ。何年か経ち、僕に会う必要ができた時にまたここに来て、「あなたの言った通りでした」と言うだけですから(笑)。未来を先取りする必要はありません。今はあなたが思う通りに生きればいいのです。

僕も、30歳からこんなヘンなおじさんになっちゃったんですよ。そして今年の5月3日で、67歳になります。そこで、実はつい数日前にビジョンが湧いてきたのですが、5月3日から、僕は次の段階に入ります。40歳までは、僕は古田さんでした。そして40歳からは、いさどんでした。今年の5月3日以降の新しいビジョンでは、僕は、いさどんの最終段階よりもずっと若々しいです。いさどんは今までとてもパワーが必要でしたが、これからはパワーに頼らないパワーを使うようになります。
すごく楽しみで、ワクワクしています。今、毎日がとてもエキサイティングです。

 

アナンヤ出発の朝。いってらっしゃい。また帰ってくるのを、待ってるよ。