ロータスランドから始まる「意識革命」

2年前に「1ヶ月間の真学校」を受講した台湾人の文ちゃんは、現在木の花の在り方を台湾で広めており、今後もここのことを発信していきたいということで先週木の花に滞在し、いさどんや数名のメンバーと今後の関わりについて打ち合わせする時間を持ちました。その翌朝、いさどんはようこに次のように語りました。

いさどん:
彼女は今後、台湾から木の花に学びに来るツアーを企画することを考えているのだが、どのような人たちがここに興味を持っているかというと、たとえばここのような共同体で暮らすこと。それから若い人たちで社会になかなか馴染めず働く場所がないとか、新たな生き方を模索している人や、環境のことを考えている人などいろいろな人たちがいる。そういった中で霊的なことや心のことを大切にしている人たちもいる、と彼女は言っていた。

ここでは、「人間の魂を磨かなければ、どんなにお金があっても良い人生は生きられない」と捉えているが、台湾でもそういったことに興味を持っている人たちがいて、ここへ学びに来たい人たちのツアーを彼女はこれから企画していく。

そういったことを台湾で広めている人のひとりに、「無食」、つまり「食べない」人がいる、と彼女は言っていた。その人は空気を食べて生きているのだと言う。そういった人は日本にもいて、たとえば「食べないでも生きられる」とか、空気中の生命力である「プラーナを食べて生きる」達人もいれば、僕の場合だと「太陽を飲む」こともある。

実は ──── 人間が病気になるのも、人間関係がおかしくなるのも、その人の性質がつくっている。だから、運が悪くて病気になったわけでもなければ、運が悪くて人間関係が悪いわけでもなく、その人の持っている性質がすべて創り出しているのだ。

たとえば毎日晩酌のことばかり考える人もいれば、毎日お金のことばかり考えている人もいて、そういったことが複雑に絡み合い人間は生きている。小さな頃からそういった心の癖を身につけてきているから、それが当たり前になっている。だから世の中を観たときに、その人の目線でしか世の中は観えないし、同時にその心を世の中に向けて発しているのだ。そうすると、類は友を呼び、その心にふさわしい者が引き寄せられてくる。極端なことを言えば、その心の者同士が出会って結婚し、子どもが生まれると、子どももそのような環境の中で育っていくので、そのような家庭が連鎖していく。世の中はすべてこのように成り立っていくのだ。

そこで僕は考えた。病気を治すことも、人間関係を改善することもすべて、まずは自らの意識がどのレベルに向いているかを理解することが大切だ。そして現状の意識レベルから抜け出し、意識を高いほうへ向けていく極意をマスターしたら、人はどのような人生を生きることもできる。逆に言えば、「得しよう」と思って生きているのが普通の人間の世の常だが、その考え方が間違っていれば、一生懸命やればやるほどその人の人生は落ちていく。それはある意味、地獄を生きることにもなる。

そこで、自らの意識レベルを理解し、意識を高いところへ向けていけば、病気も治れば、人間関係も改善されていく。人間関係が改善され、病気をしなければ、お金はたいしていらなくなる。

昨日文ちゃんが「これからツアーで台湾の人をたくさんここへ連れてくるので勉強させてください!」と言っていたが、日本人でも分からず屋だけれど、台湾人も中国人も分からず屋の中でどうやって伝えていけばいいのかといえば、その極意を体系化してそれを伝えることだ、と今朝気が付いた。それが、これから僕がやっていくこと。それは、達人を生きるということだ。

その領域に達すると、お医者さんはいらなくなる。病気はすべて自分で治せる。ただし、自らの考え方が間違っていることがわからない人間には無理だ。まずは自らの考え方が間違っていることに気が付かないといけない。たとえば自然療法でいえば、「道理をもって考えなさい」と伝えられても、道理を考えられない人間はいつまでたっても治らない。だから、意識を違うところに向ける方法を考えると、当然体もすべて変わってくる。そういう手法がある。

ただ、そこで僕が考えたのは、それをやると今まではご利益になってしまい、一般の人々からするとそれは特別なものだから崇める対象になっていた。だからこそ、我々はそれを究めることを実践し、それを示す。そしてこれからの時代、それを究めていくことを誰もが目指していく。そうすると、普通の人間の意識状態とは自ずと違ってくる。そうしたら、違う現象が起きてくるのは当然のことだ。

いくら我々の生き方がこれから来るであろう世の中に対して重要だといっても、現代の価値観に溺れている人間には理解できないものでもある。ここではカタカムナ宇宙物理学に即し、この現象世界には「見える世界」と「見えない世界」があると捉えているが、実際に見えない世界は存在する。たとえば魂はどこに見えるのか?空気中にあるプラーナは実際にどこにあるのか?しかしそこを意識しない者にとっては、ものを食って生きるしか生きる方法はない。たとえば食べ物であっても、そこには生命力の違いがあるのだが、それを単なるものとして、もしくは腹を膨らませる目的としてしか見ていなければ、それはあくまでもその一部分だけを取り入れ、あとは排泄するだけになる。我々は自然の循環の流れの中にあるのだが、その排泄物はすべて人工的に処理されていくだけのことで、それでは結局この世界に汚物を発生させているだけになる。

だから、意識を向けるところを変える。そうすると、病気でも人間の性質でも何でも変えられる。そういう世界がある、ということに今朝改めて気が付いた。人間たちに道理で説いているだけでは、いつまでたっても人は自分を変えようとしない。もしくは、これから起きるであろう危機を乗り越えられるような者にはなれない。

ロータスランドの食事
ロータスランドの食事

ようこ:
身近なところでいうと、昨日ロータスランドに来たお客さんで、「わたしは今までマクドナルドに行っていたけれど、これからはここに通うわ」と言った人がいたの。そのときわたしは心から嬉しくなった。なぜなら、木の花のこともまったく知らず、今までお肉やお魚を普通に食べていた人が事故のようにロータスランドに入って、「これからここに通おう!」というのは、その人にとっての意識革命だと思ったから。食が切り口であっても、今までマクドナルドに通っていた人がここに通うことによって健康になるし、それに伴って心も穏やかになっていって、その人の人生が変わっていくイメージが湧いたの。

いさどん:
だから、意識がどこに向いているかを知り、切り替えることが大切なんだよ。つまり、病気の人は病気の意識を切り替えないと、根本的に病気体質は治りはしない。

ようこ:
そうなの。まずは「食」という切り口から物理的に健康になっていき、同時にロータスランドにいるスタッフの心にも触れていくことによって、「こういう世界があるのだ!」とそこを訪れる人々の意識が変化していく。

いさどん:
考えてごらんよ。僕はロータスランドを具体的に打ち合わせ始めたときに、反省したんだよ。「こんな馬鹿なことをやってはいけない。なぜ始めたのだろう?」と。しかし今、丸一ヶ月経ってみて、この一ヶ月の間にそれが持続可能の見通しが立ってきたんだよ!

ようこ:
そうなの!

いさどん:
これは、結果としてもらったことだが、「最初からこのようなことはわけなくできる!」と思えばできたことなんだよ。そういうことなんだよ!

僕はロータスランドの「鯉のオーナー制度」という面白いことを考えただろう(笑)?それで今日はロータスランドの池に放つ鯉の購入ツアーにオーナーをお連れするんだよ。そして今朝、このお出かけは旅だと思った。それは、新たな境地への旅だ。これだよ!!

ようこ:
いさどんのさっきの話も、鯉のオーナー制度もすべて同じことなんだよね。意識をどこに向けるかによって人は変わる。

いさどん:
そして世界は変わる。人はもっと自分が思うように自由に生きられる。「異次元空間・ロータスランド」の意義はそこにある。そして5月5日の「グランドオープン」とは、そのような境地をもって迎えるということだよ!

ようこ:
そういうことだね!次回のニューズレターは食がテーマだと聞いたけれど、今日それに関連する大切な話をしたね。

いさどん:
意識がどこへ向いているかによって、食が変わるんだよ。そして意識が違う場に来ると、人が変わる。でも、まだ皆は、ロータスランドを自分たちでやっていると思っているんだよ。

ようこ:
その段階を抜けることができれば、異次元空間が現れる。今は異次元空間の兆しは観える。

いさどん:
わかったぞ!意識革命で世の中は変わる!しかし、金正恩でも、トランプさんでも、安倍さんでも、世界中のリーダーは皆、損得勘定ばかり考えている。それでは世の中はうまくいかない。これから台湾人から中国人からアメリカ人から、世界中の人々にこの意識を広めていく。それを会得した人々が創る場所、それが「ロータスランド」だ。

そこを訪れた人たちが「なぜこのお店の雰囲気はこんなにいいのだろうか?」と思ったときに、なぜならそれはそこにいる人たちがお金のために働いていないからだ。それで食うことに困らない。そういう世界を創っていく。そして、ロータスランドの池に放たれていく鯉たちも、その場創りに参加していくということだ♪

ロータスランドの池を泳ぐ鯉たち

昨日の文ちゃんとの話で、人間にはこの次の段階があることを改めて認識した。人間はもはや次の段階へ行かなければいけない。お金があって、ものを食って、何不自由なく生きていて、それが幸せだという段階はもはや終わりを迎えたのだ。今、人類は新たなステージへと突入しようとしている。その証として、ロータスランドが現れた。

 


「鯉のオーナー制度」のご案内

多くの方々に親しまれ、お店創りにご参加いただきたいという想いから、ロータスランドでは鯉のオーナー制度を設けています。 これは皆さまのお気持ちによってご参加いただき、鯉たちがすくすくと育っていくことを皆でこい(鯉)願っていく制度です♪ 鯉を通してご縁を結び、鑑賞会などの企画や特典もご用意しています。ご興味のある方は、お気軽にスタッフまでお尋ね下さい。 皆さまに末永く愛されるお店創りを目指してまいりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

カフェ&ショップ「ロータスランド」 TEL:0544-67-0123

 


アメリカのトランプ新大統領の就任にあたって

いさどん:
現代の人類は地球上の至るところへ行けるようになったので、時差のあることは認識している。しかし、それが地球が自転している結果、太陽のほうに向いている時間の誤差がその時差であるということを、そのように正確には認識していない。さらに、地球が宇宙空間を旅していることも認識していない。日常の意識の中では、地球が宇宙空間に浮いているという認識すらない。

しかし正確に言うと、地球が宇宙のある地点に「ある」という認識はあっても、「浮く」という認識はない。それは地球上の感覚的言葉であって、「その地点にいる」というだけのこと。そのことを考えると、人間の意識はまだ宇宙意識には至っていない。

先程までアメリカのトランプ新大統領の就任式のはじめの様子を見ていたが、あの連邦議会議事堂で彼の登場を待っていたアメリカ国民の姿はまさしく「地球人」だった。

日本とワシントンの時差が13時間もあるのを無理して最後まで就任式に付き合うことはないから、彼が就任演説をする前に報道を見るのをやめたのだが、新しいアメリカの大統領が連邦議会議事堂に現れたとき、なぜだかわからないがオバマ前大統領の姿とだぶった。アメリカは宇宙開発の先頭を切ってきた国だ。しかし、それは軍事的な利用が最優先であったり、ある意味国家の威信をかけて宇宙開発が進められてきた。そういったことはすべて、あの連邦議会議事堂に集っていたアメリカのリーダーたちによって進められてきたのだ。あそこに集う世界のリーダーだったものたちも、宇宙視点というものの捉え方からしたら、それほど飛びぬけた発想を持っているわけではない。むしろ、世の中に物議をかもしてきた一番の根源とも言えるのだ。

そこで、トランプ新大統領はこれから何を引き起こしてくれるのだろうか?人々が想像できるような、かつ容認できるような範囲で大統領の任務を果たすようなことでは、21世紀の初頭にあたって希望は望めないことになるだろう。そこで彼が人々が想像できないようなことをやり遂げるとしたならば、それは世界にとって衝撃的なことになるだろう。なぜなら、今は次の時代に向かうと言いながらも、まだあの国の実力はあるからだ。しかし、あの連邦議会議事堂や就任式の飾り付けを見ていると、それは極めてアメリカ的かつ地球的に感じた。あの領域にしか、まだ人間は到達していないのだ。これは意識の話だからこそ、物理的に宇宙船に乗って宇宙探査へ行ったとしても、結局宇宙での人類の行いは地球的意識の延長にしかすぎない。あそこで展開される世界がある意味、この時代の地球の最先端のリーダーたちの意識レベルなのだ。

それで、今の地球を代表するようなアメリカ新大統領の就任式のはじまりを見て、我々の日常を振り返ってみる。そうすると、たとえばロータスランドをオープンするとか、畑を充実させるとか、無駄がないように果樹を整備していくとか、そういったことはどうでもいい話だ。それは地球上の注目度からしたら、本当に微細なもの。しかしながら、あの連邦議会議事堂に集っている人たちの発想がどこにあるのかと言えば、利権と駆け引きといった欺瞞の中で表面的に体裁を繕い、国家自体がひとつの共同体として自分たちの利益のみを守りながら運営していくという損得勘定の中にある。それは今、世界中のどこの国を見てもそのような状況になっている。

本来、宗教はそこを超えた意識の人間をもたらすためのものなのだが、結局アメリカはキリスト教系の国であって、就任式に新大統領は聖書の上に手を置いて宣誓を行う国だ。だから、我々はどんなに微々たる存在であっても、我々が自我を超え、本当の意味での共同の世界を創ったときに宇宙の法が働いて、そこには今までになかった独特の世界が現れてくる。これからそれを我々の生活やアンテナショップの場でどのように表現していくのか?そしてそれを外への刺激として提供できるのか?

今は難しいことだと思うかもしれないが、それを表現し提供していくことが今、我々に求められていることだ。それは一人、二人の責任者に任せることではない。皆で成し遂げることだ。ロータスランドのコンセプトはやはり、「また帰宅(来たく)なるような場所」ということ。それは単に、ものを食べたいから来たくなるのではなく、そこに漂う雰囲気によってまた来たくなるような場ということだ。それは、「お帰りなさい」と迎えられる場所。そのような店づくりをするべきだ。あの最先端のアメリカ大統領の就任式の会場にもない雰囲気を醸し出すのだ。あの場所はある意味、日常生活からかけ離れた場だ。それを、日常生活も含めて、誰もが壁を超えて表現できる場を創っていく。それは、そこを訪れた人がそのことに気付くための場所。

「あれ?・・・ここはどこだろう・・・?」

言葉ではもうこれ以上話すことはできない。我々はそのことを理解して日常生活に臨まないといけない。今は難しいと思うかもしれないが、今まで想像さえできなかったことにこれまでも出会いながら、この道を歩んできた。そのようなことが簡単になっていくのかどうかは、蓋を開けてみたら、我々の想像とはまったく違うことが起きる可能性もあるのだから。何も決め付けずに進んでいく。

これまでアメリカという国は化学物質と軍事力と近代テクノロジーで成り立ってきたという事実がある。それをダメだと否定するのではなく、枠を持っているからこそ、限界が来るということ。これ以上は今はわからない・・・。ただひとつ、今言えることは、我々が「自分の意志で生きている」ということだけを念頭に置いて語っていては、真実は観えてこない。

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(以下、第45代アメリカ大統領に就任したトランプ新大統領の就任演説の日本語訳全文です。)

ロバーツ最高裁判所長官、カーター元大統領、クリントン元大統領、ブッシュ元大統領、オバマ大統領、そしてアメリカ国民の皆さん、世界の皆さん、ありがとう。私たちアメリカ国民はきょう、アメリカを再建し、国民のための約束を守るための、国家的な努力に加わりました。私たちはともに、アメリカと世界が今後数年間進む道を決めます。私たちは課題や困難に直面するでしょう。しかし、私たちはやり遂げます。私たちは4年ごとに、秩序だち、平和的な政権移行のために集結します。私たちは政権移行中の、オバマ大統領、そしてファーストレディーのミシェル夫人からの寛大な支援に感謝します。彼らは本当にすばらしかったです。

しかし、きょうの就任式はとても特別な意味を持ちます。なぜなら、きょう、私たちは単に、1つの政権から次の政権に、あるいは、1つの政党から別の政党に移行するだけでなく、権限を首都ワシントンの政治からアメリカ国民に返すからです。

あまりにも長い間、ワシントンの小さなグループが政府の恩恵にあずかる一方で、アメリカ国民が代償を払ってきました。ワシントンは栄えてきましたが、人々はその富を共有していません。政治家は繁栄してきましたが、仕事はなくなり、工場は閉鎖されてきました。既存の勢力は自分たちを守ってきましたが、国民のことは守ってきませんでした。彼らの勝利は皆さんの勝利ではありませんでした。彼らが首都で祝っている一方で、闘っている国中の家族たちを祝うことはほとんどありませんでした。すべてが変わります。いま、ここから始まります。なぜなら、この瞬間は皆さんの瞬間だからです。皆さんのものだからです。ここに集まっている皆さんの、そして、アメリカ国内で演説を見ている皆さんのものだからです。きょうという日は、皆さんの日です。皆さんへのお祝いです。そして、このアメリカ合衆国は、皆さんの国なのです。本当に大切なことは、どちらの政党が政権を握るかではなく、私たちの政府が国民によって統治されているかどうかということなのです。

2017年1月20日は、国民が再び国の統治者になった日として記憶されるでしょう。忘れられていた国民は、もう忘れられることはありません。皆があなたたちの声を聞いています。世界がこれまで見たことのない歴史的な運動の一部を担う、数百万もの瞬間に出会うでしょう。この運動の中心には、重要な信念があります。それは、国は国民のために奉仕するというものです。アメリカ国民は、子どもたちのためにすばらしい学校を、家族のために安全な地域を、そして自分たちのためによい仕事を望んでいます。これらは、高潔な皆さんが持つ、当然の要求です。しかし、あまりにも多くの国民が、違う現実に直面しています。母親と子どもたちは貧困にあえぎ、国中に、さびついた工場が墓石のように散らばっています。教育は金がかかり、若く輝かしい生徒たちは知識を得られていません。そして犯罪やギャング、薬物があまりに多くの命を奪い、可能性を奪っています。このアメリカの殺りくは、いま、ここで、終わります。私たちは1つの国であり、彼らの苦痛は私たちの苦痛です。彼らの夢は私たちの夢です。そして、彼らの成功は私たちの成功です。私たちは、1つの心、1つの故郷、そしてひとつの輝かしい運命を共有しています。

きょうの私の宣誓は、すべてのアメリカ国民に対する忠誠の宣誓です。何十年もの間、私たちは、アメリカの産業を犠牲にして、外国の産業を豊かにしてきました。ほかの国の軍隊を支援する一方で、非常に悲しいことに、われわれの軍を犠牲にしました。ほかの国の国境を守る一方で、自分たちの国境を守ることを拒んできました。そして、何兆ドルも海外で使う一方で、アメリカの産業は荒廃し衰退してきました。私たちが他の国を豊かにする一方で、われわれの国の富と強さ、そして自信は地平線のかなたに消えていきました。取り残される何百万人ものアメリカの労働者のことを考えもせず、1つまた1つと、工場は閉鎖し、この国をあとにしていきました。中間層の富は、彼らの家庭から奪われ、世界中で再分配されてきました。しかし、それは過去のことです。いま、私たちは未来だけに目を向けています。きょうここに集まった私たちは、新たな命令を発します。すべての都市、すべての外国の首都、そして権力が集まるすべての場所で、知られることになるでしょう。この日以降、新たなビジョンがわれわれの国を統治するでしょう。

この瞬間から、アメリカ第一となります。貿易、税、移民、外交問題に関するすべての決断は、アメリカの労働者とアメリカの家族を利するために下されます。ほかの国々が、われわれの製品を作り、われわれの企業を奪い取り、われわれの雇用を破壊するという略奪から、われわれの国を守らなければなりません。わたしは全力で皆さんのために戦います。何があっても皆さんを失望させません。アメリカは再び勝ち始めるでしょう、かつて無いほど勝つでしょう。私たちは雇用を取り戻します。私たちは国境を取り戻します。私たちは富を取り戻します。そして、私たちの夢を取り戻します。

私たちは、新しい道、高速道路、橋、空港、トンネル、そして鉄道を、このすばらしい国の至る所につくるでしょう。私たちは、人々を生活保護から切り離し、再び仕事につかせるでしょう。アメリカ人の手によって、アメリカの労働者によって、われわれの国を再建します。私たちは2つの簡単なルールを守ります。アメリカのものを買い、アメリカ人を雇用します。私たちは、世界の国々に、友情と親善を求めるでしょう。しかし、そうしながらも、すべての国々に、自分たちの利益を最優先にする権利があることを理解しています。私たちは、自分の生き方を他の人たちに押しつけるのではなく、自分たちの生き方が輝くことによって、他の人たちの手本となるようにします。

私たちは古い同盟関係を強化し、新たな同盟を作ります。そして、文明社会を結束させ、イスラム過激主義を地球から完全に根絶します。私たちの政治の根本にあるのは、アメリカに対する完全な忠誠心です。そして、国への忠誠心を通して、私たちはお互いに対する誠実さを再発見することになります。もし愛国心に心を開けば、偏見が生まれる余地はありません。聖書は「神の民が団結して生きていることができたら、どれほどすばらしいことでしょうか」と私たちに伝えています。私たちは心を開いて語り合い、意見が合わないことについては率直に議論をし、しかし、常に団結することを追い求めなければなりません。アメリカが団結すれば、誰も、アメリカが前に進むことを止めることはできないでしょう。そこにおそれがあってはなりません。私たちは守られ、そして守られ続けます。私たちは、すばらしい軍隊、そして、法の執行機関で働くすばらしい男性、女性に、守られています。そして最も大切なことですが、私たちは神によって守られています。

最後に、私たちは大きく考え、大きな夢を見るべきです。アメリカの人々は、努力をしているからこそ、国が存在し続けていけるということを理解しています。私たちは、話すだけで常に不満を述べ、行動を起こさず、問題に対応しようとしない政治家を受け入れる余地はありません。空虚な話をする時間は終わりました。行動を起こすときが来たのです。できないことを話すのはもうやめましょう。アメリカの心、闘争心、魂を打ち負かすような課題は、存在しません。私たちが失敗することはありません。私たちは再び栄え、繁栄するでしょう。私たちはこの新世紀のはじめに、宇宙の謎を解き明かし、地球を病から解放し、明日のエネルギーや産業、そして技術を、利用しようとしています。新しい国の誇りは私たちの魂を呼び覚まし、新しい視野を与え、分断を癒やすことになるでしょう。私たちの兵士が決して忘れなかった、古くからの知恵を思い起こすときです。それは私たちが黒い肌であろうと、褐色の肌であろうと、白い肌であろうと、私たちは同じ愛国者の赤い血を流し、偉大な自由を享受し、そして、偉大なアメリカ国旗をたたえるということです。そしてデトロイトの郊外で生まれた子どもたちも、風に吹きさらされたネブラスカで生まれた子どもたちも、同じ夜空を見て、同じ夢で心を満たし、同じ全知全能の創造者によって命を与えられています。だからこそアメリカ人の皆さん、近い街にいる人も、遠い街にいる人も、小さな村にいる人も、大きな村にいる人も、山から山へ、海から海へと、この言葉を伝えます。あなたたちは二度と無視されることはありません。あなたの声、希望、夢はアメリカの運命を決定づけます。そしてあなたの勇気、善良さ、愛は私たちの歩む道を導きます。ともに、私たちはアメリカを再び強くします。私たちはアメリカを再び豊かにします。私たちはアメリカを再び誇り高い国にします。私たちはアメリカを再び安全な国にします。そして、ともに、私たちはアメリカを再び偉大にします。ありがとうございます。神の祝福が皆様にありますように。神がアメリカを祝福しますように。

――

※トランプ新大統領の就任演説を読んだ後のいさどんとようこの会話です。

ようこ:
先程テレビのキャスターも「わかりやすい英語で演説していた」とコメントしていたけれど、誰にでもわかる内容だね。

いさどん:
それで外国のことについては一切触れていない。

ようこ:
通常このような演説の場合、国内に対する政策と国外に対する政策の両方について述べるでしょ?でも、彼の場合、国内に対する政策がすべての政策だものね。

いさどん:

そういった意味では非常にわかりやすい。

ようこ:
わかりやすいね。

いさどん:
事実、「今までアメリカがワシントンにいる一部のものたちの政治だった」ことは確かなのだから。しかし、世界の国のリーダーであったアメリカが結局手を広げすぎてしまい、自分の中に矛盾が起きたので、もう一度この時代の豊かさを自国の中に集約していき、外国についてはそれを守るための対象として方針を転換していくと述べている。そして、そのことに対して得られる利益はアメリカの利益であるべきだと言い出した。ということは、アメリカが世界のトップを担っていくことはもうやめた、ということだ。これから世界秩序が再編されるということを言っているのだから、この変革の時代に非常にわかりやすいメッセージだ。

ようこ:
時流に乗っているよね。

いさどん:
そう。近年のアメリカの歴史を振り返ってみると、たとえばブッシュ大統領は権力で世界を支配しようとしてきたが、オバマ大統領は「アメリカは世界の警察官ではない」と宣言し、そしてトランプ新大統領は「自国のことを優先していくアメリカファースト」と述べている。このように段階を踏んでいるから、時代の流れからすると彼の就任演説は今の時代にぴったりの話だ。

ようこ:
ある見方からすると、彼の世界観は狭いとも言えるけど、それが時代に乗っているんだよね。だから、自国のことを優先するからといって、世界観が狭い人とも単純に言えない。

いさどん:
だから、彼は時代の申し子なんだよ。時代は確実にふさわしいものに役割を与え、そして変化のための混乱を表現しようとしている。その混乱におびえる必要はない。目的は、その混乱の先にある希望を観ることだから。

 

Source of image:toyokeizai.net


2016年「発信の年」を振り返って

木の花ファミリーには、毎年その年のテーマがあります。2016年のテーマは「発信」でした。そこでこの1年間の発信を、12月11日に行われた収穫感謝祭でのいさどんの挨拶と共に振り返ってみました!

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2016年「発信の年」を振り返って
-12月11日・収穫感謝祭のいさどんの挨拶-

あと20日で2016年も終わりになります。しかし一年が終わるからといって、それは特別なことではありません。毎日朝が来て夜が来て、わたしたちは地球の動きと共に一日を過ごし、一年を過ごし、いずれは一生を過ごして人生を終わっていくのです。今日と明日では違う日が来ますね。今月と来月では違う一ヶ月が来ますね。そして四季という違う季節を迎え、トキは一年というサイクルを紡いでいきます。そのようにトキは止まることなく永遠と続いていくのです。

2016年を振り返ってみると、今年は特別な年でした。木の花の中にも特別な出来事がありましたが、広く世界に目を向けると、今、世界中が新たなサイクルに切り替わる時を迎えていることがとても顕著に現れてきています。一人ひとりの人生にいろいろな出来事が起きて命を紡いでいくことと、世界の出来事を人々がつなげて観ることができない時代がずっと続いてきました。しかし、このくらい世界の情勢の変化が感じられるということは、個人個人のあり方も時代と共に変わっていくことが明快にわかる時代を迎えたということでもあるのです。

ところが、世の中の多くの人々はまだそのような意識には至っていません。それは経済大国である日本であっても、食べること、生活すること自体が厳しくなっている現状を表しています。日本における子どもの貧困率が先進国の中では最も高い16.3%という、考えられないことが今、日本で起きています。さらに、これほどたくさんの人たちがこの狭い国土の中に暮らしているにもかかわらず、年間4万人もの高齢者が孤独死していると言われています。このような社会の問題は、これからますますその極みを迎えていきます。なぜ、このような状況が起きているのでしょうか?

これは、わたしたち一人ひとりの人生における小さな出来事が世の中全体に大きな影響を与えるわけがない、と人々が考えてきた結果です。そこで広い世界観を持てば、自分一人の生き方が害をもたらすものであるならば、自らの健康や人生に問題をもたらすだけではなく、世の中全体にとって大きなブレーキとなり、社会の問題を引き起こす原因にもなることが観えてくるのです。「一人ひとりの在り様が世の中全体を創っている。さらに、世の中全体の動きが時代を創っている」ことが観えてくるのです。

僕個人の今年の振り返りとしては、今年は「発信の年」でしたから、木の花の生き方を通じてこの精神を世界に発信するという使命があると思い、この一年を過ごしてきました。僕にいろいろな想いが湧き出てきたことを文章化し、それを様々な形で外に発信していくことは、いろいろな人たちに手助けをしてもらわなければできないことです。そしてなによりも、ここの人たちがその発信にふさわしい生き方をしていなければできないことです。今年もあと20日を残す段階に来て振り返ってみると、「これだけのものを発信しなさい」とはじめに言われても、到底発信できるものではないと思うような量や質のものが発信できたと思っています。

今年、みちよちゃんは2回中国へ行きましたね。中国の人たちにこの生き方を大切なこととして伝えることができました。わたしたちは日本でこのような共同体のあり方を一つの事例として示してきましたが、中国ではこれからの中国の国創りという国家的な動きとしてこうした取り組みを取り入れようとしています。当然、将来日本もそのような動きになっていきますが、まだ日本では国家的な事情により、国の動きにまでは至っていません。まだ経済一辺倒の動きです。しかし、中国は明らかに急速な経済成長と急速な高齢化を迎え、行き詰まりが観え始めていますから、国家的に新しい動きを見極めようとしています。そのような中で、ここは小さい組織ながら中国の国創りに貢献する動きが明快になってきました。

10日ほど前には、去年1ヶ月間の真学校を受講した台湾人の文ちゃんからの提案がありました。「来年3~4回、10~15人で滞在期間が1週間の学びのツアーを企画しています。今後台湾に木の花の生き方を広めていきます。わたしは木の花を広める台湾の代表となりたいのです」という、とても熱い投げかけをもらいました。

そうすると最初に伝えたように、わたしたちは個人ではありますが、個人の生き方が世の中全体のあり方につながっていくのです。そして最終的には、「個人のあり方が国家や地球全体、もしくは歴史や時代を紡いでいくものである」という広い世界観を持つことができれば、わたしたちは高い意識の人間性となることもできるのです。わたしたち木の花ファミリーは時代の申し子としての役割をもらい、一人ひとりがそれぞれの特技を活かし個性的な役割を果たしながら、全体が一つの大きな歯車となって、時代の変遷に貢献していきます。そういった時代の動きが明快かつ具体的に語れるトキが来たと思います。

今までは新年を迎えるにあたって、その前後に次の年のテーマが出てきていました。ところが、来年2017年のテーマは今年の元旦にすでに「爆発の年」と出てきていたのです!その時には「一体どのような年になるのだろうか?」と思っていました。何が爆発するのか、プロパンガスボンベでも爆発するのか、と(みんな、笑)。今、この情勢を考えると、またここに人の洪水が来ます。そしてそれを迎える時に、ここの精神をおみやげに持って帰っていただくということです。来年が爆発の年であるということは、その延長にずっと洪水が来る予感がしています。そのためにはここの人々の絆がさらに深まり、それにふさわしい日々の生活の場創りが求められることになります。皆さん、それを日々心がけていきましょう。

去年は今年に向けてたくさんのプロジェクトを皆で考案しました。来年の春には「ロータスランド」というアンテナショップができますが、僕にはこのロータスランドのプロジェクトに対する熱い想いがあります。今、一番に僕が考えていることは、そこに3つの絵を描いてもらうことです。北側のデッキの上に看板がありますが、まずそこに一つ絵を描いてもらおうと思っています。内容は富士山麓の四季です。そしてロータスランドの入り口を入り、正面にカウンターがあります。その後ろに大きな壁ができるのですが、そこには蓮の花と富士山を描いてもらいます。ロータスランドのロータスとは蓮のことですからね。ロータスランドという理想郷の絵を描いてもらうのです。そして3つ目は、入り口手前の右側の壁に空間があるのですが、そこには地球生態系の曼荼羅を描いてもらいたいと思っています。木の花には絵を描く能力の高い人がたくさんいますので、結果がどうなるのかはお楽しみです♪

木の花というところは、ただ食べるだけのものを畑で作っている農的共同体ではないのです。ここはきわめて世界観が広く、そして芸術的です。宇宙は芸術です。わたしたち生命も芸術です。生活も芸術なのです。音楽で言えば交響曲のような美しい世界です。それを爆発と共に来年は表現したいと思っています。ですから、身近なあなたの役割のことを大切に思ってそれを果たすことは当然必要です。その上で一人ひとりが日常生活を芸術的に生きていくことによって、全体に美しいハーモニーをもたらし、それが世界へと発信されるのです。それがロータスランドのコンセプトです。そこを意識して、新しい年を迎えましょう。

今日は収穫感謝祭ですから、美しい穀物や野菜がお供えされています。質が良く、美しい作物を作るにはその人の考え方や意識、心が美しくないと、それにふさわしいものは収穫できません。量がいくら採れても、質の悪いものを収穫すれば害が出ます。今、社会全体にそのようなことを見直す時代が訪れたということです。そのような難しいことをわたしたちは世界に先駆けてやっています。そこに生きると決めた人たちは、それをしっかりと現象化し発信する責任があるのです。

福島の原発で発せられた放射能は地球の気流に乗り、世界を巡りました。来年「爆発の年」を迎えるにあたり、わたしたちもこの偉大なる精神を爆発させることによって、富士山麓から世界へ巡らせていきましょう。

 

ロータスランド ー 2017年3月21日にオープン予定です
ロータスランド完成予想図 ー 2017年3月21日にオープン予定です。お楽しみに!

 

 


お釈迦様の時代の悟りから21世紀の悟りへ

僕が中学3年生のときに思ったことがあります。僕の父親は生まれは本家の長男で、社会的にも地位があり、自分の思ったように生きている人でした。近所の人からは、「本家の兄様で筋の通ったことを言う人」ということで、一目置かれていました。しかし、彼には敵・味方がいました。僕はそういった父親が嫌だったのです。僕は皆に支持される人生を生きたいと思っていました。しかし、父親はそのような敵・味方がありながらも、多くの人に支持されないといけない政治家をしていたのです。その立場は嫌いな人からも支持をもらうために、そのような人たちにもへつらわないといけなかったのです。それで選挙に出ると、父親のことをとても支持してくれる人もいれば、大反対して彼を落選させるための候補者を立てるような人たちもいました。僕はそういったことがとても嫌でした。それで、本当に筋の通った生き方をしようと思ったのです。しかしながら、筋を通すということは、ある意味筋のわからない人たちの反対に出会うこともありますが、少なくとも自分が筋を通したことに対して揺るぎのない心を持ちながら歩んでいくことを心がけ、これまで生きてきました。

それで中学3年生のときに、「このまま僕が自分の心にメスを入れないで生きていけば、親子だから父親のようになるだろう。だからこそ、今から自分の心にメスを入れるのだ!」と決意したのです。そこから僕は高校進学を決め、高校ではそれまでの自分では考えられないような生徒会活動に参加したり、応援団をやってみたりと、自分の苦手だと思うことを積極的にやっていきました。なぜなら、それが自分を変えることだと思ったからです。

自分を変えるとは、内から湧き出た想いと向き合い、日頃から自分が苦手だと思うことにチャンレジしていくことです。つまり、自分にとって嫌なことに向き合っていくその心が自分を新たな世界へいざなっていくのです。

多くの人々は「これは嫌だ!」「あれは嫌だ!」と嫌なことを遠ざけて、心地良いと思うことを正しいとして生きる傾向にあります。それは時として、自身の実態と向き合わなければならない場面では、自分自身の実態から逃げるような姿勢を取ることにもなるのです。そのような人生を積み重ねていくと、「あなたは一体何のために生きているのですか?」ということを問われることになります。

人が生きているということは、「四苦八苦」と言われるように、いろいろな問題に出会うことになります。なぜ、わたしたちはその四苦八苦に出会うのでしょうか。それは自らが自業自得で招いたことなのですから、そこを学びクリアしていくためです。つまり、わたしたちの生きた結果、その答えとして四苦八苦に出会っているのですから、それは自らの生きる姿勢の結果出会ったことになります。わたしたちが人生を学びとして生き、人間性の成長につなげていくならば、そうした自分自身の性質に向き合い、その性質の問題点をクリアしていくことが、わたしたちが生きる目的ということになります。ですから、出会ったことを学びとし成長につなげていけば、人生は四苦八苦から解放されることになります。

今から2500年ほど前、お釈迦様は「人として生を受けることは四苦八苦に出会うことである」と説かれました。当時の人々にとって生きることは食べることでした。つまり、今日一日食べられるかどうかが生きられるかどうかを左右するような、必死な時代だったのです。ですから、生きることは苦に出会うこととして、生きる定めを生老病死につなげて説かれたのです。そのような時代には、お釈迦様は「この世界に生まれ存在することのすべてが苦痛である」と説かれ、生まれ出ることが苦痛の始まりであり、生きることが苦痛の連続なのですから、その苦痛から逃れるためにはどうしたらよいのかと説かれたのです。当時、世の中は特定の権力者に支配され、民衆には希望のない混沌とした時代でした。ですから、「生まれてくることがいけないのだ」と生きること自体を否定的に捉える時代だったのです。

そこで小乗仏教で象徴されるように、現世が苦痛であることから少しでも功徳を積んで生まれ変わり、次の生まれ変わりは良い人生が生きられるようにと人々は願うようになっていきました。それがさらに大乗仏教になると、苦痛の世界から極楽浄土を求めご利益的救済への道に変わっていったのです。そこでは本来、自我を超越する道であった探求の道が、苦痛から解放されたい願望を叶える道に変貌し、そのことにより結果として人々はカルマにまみれていくことになったのです。

大乗仏教の代表的な経典である般若心経は、色即是空といって、すべてを「空(くう)」にして境地に逃れることを説いています。しかし、苦痛からの解放を求める者に手法として「このように思えばいいのだ」と伝えたところで、その想いが湧き出す自分がいる限り、苦痛から逃れることはできません。そこで座禅を組み瞑想をしたところで、その結果は迷走につながることになるのです。それは、実態の伴わないバーチャルな体験に基づく境地を求めるものです。そこで現実に囚われない境地に至ったとしても、肉体という現象を持っている限り、わたしたちが「無」になることはありません。そのようなバーチャルな境地に至ったところで、現実の問題事は何も解決されません。そういった空(無)を掴むような心境に至るのが、般若心経の限界なのです。さらに、実体のない仏や神をつくってそこにすがり、救われようとするのが南無阿弥陀仏です。それは、どのような生き方をした者も、ひとたび天に向かって呪文を唱え救いを求めれば極楽に至るという、インスタントに人々を救済する魔法の教えです。そういった組織宗教になってしまった教えは、「どうか、わたしを救ってください」という精神の人々を亡者に仕立ててしまったのです。

それに対し、仏教の究極の教えとされる法華経の教えでは、色即是空とは言え、実体はあることを説いています。現実に宇宙はあり、トキは動き、宇宙は永遠に紡がれていく――、そうした宇宙の実体を理解し、宇宙そのものである自分自身がどのようにそれを喜びとして表現し、この世界で役割を果たしていくのかが、法華経の本来の教えなのです。しかし、現代の人々はそこまでの解釈をしていません。法華経すら、ひとたび南無妙法蓮華経と唱えれば救われるという、結局南無阿弥陀仏と同じご利益宗教になってしまっているのです。

本来、生老病死の実体を知れば、そこから逃げる必要はまったくありません。その実体を理解し、「ヒト」としてどのように生きたらいいのかを悟れば、この地球上にいながらにして宇宙の法のもとに生きることができるのです。「ヒト」とはこの世界の始まりから終わりまでを悟り、統合した者のことです。それが、「無」の状態で「有」を生きるということです。ですから、何でも「無」としてはいけないのです。それは、「無」もしくは「空」の状態で「有」を生きる術を身につけることです。そこに至れば現象界という「有」の世界で、無欲という「無」と、「空」という何も特定していない「いただく」精神になることができるのです。それがこの世界の大本(潜象界)を理解し、現象が潜象界(ない世界)から現象界(ある世界)に現れることの意味を理解することであり、現象界に生まれ出た人間の本来の意味を理解することなのです。わたしたちは生きることで、地球に肉体を持つことの意味を発見できるのです。

宇宙は「成住壊空(じょうじゅうえくう)」と言って誕生・維持・破壊・空を繰り返しています。「成住壊空」の「空」の状態が涅槃(ニルヴァーナ)の境地です。しかし今、わたしたちの世界は「成住壊空」でいう「住」の段階にあります。ですから、「住」の道をどのように生きるのかを語るとき、「住」にいながらにして涅槃を目指すことは本来おかしいのです。それは今を生き、「成住壊空」の仕組みがわたしたちの日常に遍満していることを知ることから、始まるのです。

時代は21世紀に入り、2000年から3000年の新たな1000年サイクルに入った今、わたしたち人類は生きることの真の意味を悟る時代を迎えています。お釈迦様の時代は、「人として生まれ出でると四苦八苦して生きるのが大変だから生まれてくるな」というのが悟りを目指す目的の原点でした。ところがそういった苦しみの世であるにもかかわらず、後の世は、人は減るどころか急激に増え、人々は四苦八苦から逃れるどころか、欲望におぼれ、かえって苦痛の種を人生にまき散らし、その結果世の中は人々の四苦八苦の渦に巻き込まれ、混乱の極みに達しているのが現状です。

中国の天盤の巡りによると、地球上に宗教がもたらされたのは今から約3000年前のことです。そして3000年の時を経て、今、宗教の時代は終焉を迎え、わたしたち一人ひとりが目覚めていく民衆の時代を迎えています。新たな時代を生きる人々は、願望を叶えることや救済を求めるのではなく、自らが自らを正しく悟ることによって、自我に翻弄されることなく、誰にも救済される必要のない、高い意識の存在となれる時代を迎えているのです。

そこで2000年からの新たな1000年紀は、欲望と共に拡大し得たものを必要なものと不必要なものに仕分け、そぎ落としていく時代です。人間は他の生物と違い、食べていければそれで満足していくものではありません。植物や動物なら、自らの生命を維持できる環境が整っていれば安定して存在しています。ところが、人間は生きていられても、それだけでは安定しないのです。人生に希望や喜びがあることによって、安定するのです。ですから、いくらお金を持っていても、そこに希望や喜びがない限り、さらにお金を求めるようとするのです。そこで、本当の生きる目的が観えていれば、お金やものに執着したり翻弄されなくなります。ものは少なくても不安になりませんし、人と共有することが魅力的になり、その境地に至れば真の希望や喜びが湧いてくるのです。21世紀から始まる人類の歩みは、そのような心の価値と出会った喜びや、心が成長し霊的な豊かさを通して、「ヒト」としての本来の悟りに至る道なのです。

しかし、たとえば今現実にニコチン中毒やアルコール依存になっている人たちに、「そこから解放されると喜びですよ」と伝えても、現状の状態でそれを手放すのは彼らにとっては苦痛を感じること以外の何物でもありません。何かの中毒になっている人にはそれは無理な話です。ここで大切なことは、「なぜ今の自分はその中毒を引き起こすものを必要としているのか」を理解し、自然にそういったものがいらなくなる状態になることです。今の時代、多くの人々は様々な中毒症状を引き起こしていることに気付いていません。一生懸命幸せになりたいと願っても、自我に囚われていたら、自らを不幸にしていきます。そして、わたしたち一人ひとりの中にある矛盾が地球上にこれほどの矛盾をつくっているのです。

近代科学が進み、天文学の解釈も進み、キリストやお釈迦様の時代には解釈できなかったことが今、紐解けるようになりました。人類がその優れた能力を使い、ここまで宇宙を解き明かせるようになったからこそ、今、わたしたちは生きることの真の意味を悟れる時代が訪れたのです。宗教の時代のお釈迦様は苦から逃れることの悟りを説かれましたが、21世紀に入った今、わたしたちは新たな時代の悟りを迎えようとしているのです。

宗教の時代の初期は、個人が個の悟りを求めてブッダとなった時代でした。それが、優れた聖なる人の見本となりました。しかし、これからの時代は「すべての衆生に仏性あり」というお釈迦様の言葉にあるように、わたしたち一人ひとりが宇宙の真理に目覚め、すべての人々がブッダとして目覚めその自覚をもって生きる時代です。さらに、「仏の悟りは仏のためにあらず。仏の悟りは一切衆生のためにあり」とお釈迦様が説かれたように、他者の目覚めが自らの願いであり喜びとなったとき、それこそが新たな時代の人々の姿なのです。

僕の話は個人レベルの話が常に地球レベル、そして宇宙レベルになります。日常生活が地球レベルであり、宇宙レベルなのです。なぜなら、この現実は地球の自転と公転、太陽と惑星との関係、銀河との関係によって紡がれており、大宇宙の中に繰り広げられている物語だからです。そこまで自分自身を広げ、その精神をもって日常生活を生きることが人類には可能なのです。わたしたちはその境地に至れば、自らの自我に翻弄されることなく、この世界を自由自在に生きることができる存在です。それが、21世紀を表現する時代に込められた願いであり、わたしたち人類が果たすべき役割なのです。

 

Source of photo:www.tbs.co.jp/heritage/feature/2012/201201_06.html

 


わたしたちは時代人(じだいびと)です~時代から地球上に生きるすべての人々へのメッセージ

わたしたちは、「時代人」です。つまり、時間という共通した乗り物に乗って旅する旅人です。この時間という乗り物には地球も乗っています。この世界に存在するものはすべて、時間に乗って旅しています。そして物理的にも、地球は宇宙を旅しているのです。

なぜ、時間は進んでいくのでしょうか。それは、一秒、一分、一時間、一日、一年と人間が時間の基準をつくり、時間を認識しているからです。それは人間社会だけの話のようですが、実はこの世界はサイクルのもとに成り立っています。そのサイクルは、一秒、一分、一時間、一日、一年と人間が便宜上区切っただけではありません。一日は地球の一自転であり、一年は地球の一公転です。春・夏・秋・冬の四季のサイクルの中で植物は芽吹き、栄え、種を残し、しばらく冬眠した後、また春に芽吹いてきます。その繰り返しによって時間が刻まれていくのです。ですから、これは人間がつくったものではありません。そして、人間以外のそういった仕組みを認識しないものもすべて、そのサイクルの中にあるのです。

その大いなるサイクルの中で今、わたしたちは歴史的な転換期を迎えています。皆さんもそのような時代の移り変わりに気付き始めているからこそ、今、このメッセージに出会っているのでしょう。地球環境や世界情勢は今、混乱の極みを迎えています。しかし、時代は常に未来へ向かって進み続けていますから、この混乱もいずれ収まり、この延長線上に世界が進み続けていくことはないでしょう。それは、目先のことや自らの欲望におぼれず、ひとつの物語として時代を読み解いていくことができれば、今の延長にある流れがいずれ行き詰まることは明らかなことが観えてきます。その証として、今、世界中では人類史上稀に見る危機を迎え、わたしたちが自らの姿勢を転換する必要があることを時代が教えてくれています。

そこで、わたしたちはこれからの時代をどのように生きていくべきなのでしょうか。

「時代が生命であり、時代が意志を持って、時代を紡いでいる。」
21世紀は「時代主義」の始まりです。「時代主義」を生きる人々は、自らの願望に翻弄されることなく、世界を自由自在に生きることができる宇宙の旅人(時代人)です。

「時代主義」とは、これまでの共産主義や資本主義に代わる新たな時代の生き方です。共産主義は人間が考えた理想世界ですが、彼らの創っている社会のベースには自然の存在が組み込まれてはいませんでした。ですから、環境破壊と共に共産主義は栄えていったのです。そして、資本主義は人々の欲望を刺激し、競争や格差を生み続け、自然に矛盾をもたらしてきました。ですから、資本主義も共産主義と同じ道をたどっているのです。皮肉なことに、そのような社会に自然保護などという極めて傲慢な言葉が生まれています。ですから、資本主義もいずれ終焉を迎えることでしょう。そこで、共産主義や資本主義の次に現れるイデオロギーは、人間が主役なのではなく、時代が生命であり、時代が意志を持っているという考え方です。そこで初めて、わたしたち人類は時代と共にこの世界を創造していくというレベルにまで到達できるのです。

未来は、常に未知なるものです。時間は常に進んでいるのですから、時代を生きることは常に未知なる世界に向かって旅することです。進んでみた結果至ったところが答えであり、それが時代の意志であり、宇宙の意志です。もし、人類の未来の姿が人間自身に観えていたとしたら、それでは人間の思惑の上に時代は動いていくことになります。しかし、時代は人間の思惑を超えて紡がれていくものなのです。

人類の近年の歴史を振り返ってみると、それはこの世界と人間の営みが融和しない破壊の歴史でした。そしてそれを反省し、切り替えたところで、結局人間たちは人間のための社会をつくり続けてきただけでした。その姿は、人間に与えられた役割の延長にもうひとつ大きな枠組みの世界を完成させるという、宇宙の意志からはほど遠いものです。歴史的にも宇宙的にも、人間は自らの意志によってこの世界に生み出され、時を刻んでいるのではありません。わたしたち一人ひとりはそれぞれ生まれ死んでいきますが、わたしたちは人類、そして地球生命というひとつの生き物の構成員にしか過ぎないのです。地球や宇宙ですら、ひとつの生き物であり、そこで営まれる世界はすべて物語なのです。

主役は、時代の流れや宇宙の法則です。そこには意志があり、それが時代を通して何かを表現していくために、わたしたち人間が地上に降ろされたのです。その舞台に表現される物語を読み解く意志を持たなければ、わたしたちは時代の意向を受け取り、生きることはできません。人類の祖先であるホモサピエンスが地上に誕生したのは今から20万年前と言われています。そこからさらにさかのぼり、40億年前に地球に生命が登場してから、何百万種と言われる生命がこれまで地球上に存在してきました。その中で、「地球史上最強の生物」とされるティラノサウルスが地球上に闊歩していたのは、今から約7000万年前のことです。

そのように捉えると、恐竜時代も宇宙のプロジェクトだったのです。生命はどれほど大きく強くなれるのか――。元々全長3m・体重75kgの小さくひ弱な恐竜だったものが環境の変化と共に時代の意志を表現しながら、およそ1億年の進化の時を経て、全長13m・体重6トンのティラノサウルスとして地球史上最強の地位にまで登りつめました。しかしその結末は、この世界を征服したことによって生命バランスを崩し、他を絶滅させることによって、結局共食いするまでに至ったのです。地球史上最強の生命として頂点に立ったその先には、お互いを殺し合う姿がありました。その姿は、現代の人類と同じです。戦争や争いが絶えない世の中で、人間たちは今、まさに共食いしているようなものなのです。

地球上の生命進化の歴史を観ると、過去6億年の間に6回大量絶滅が起きています。前回の絶滅は恐竜が絶滅した約6500万年前に起きており、近い将来生命が絶滅する可能性があると言われています。この歴史的な統計からすると、わたしたちは今絶滅に向かっているとも言えるのです。絶滅はその都度いろいろな理由によって起きています。今から6500万年前、巨大な隕石が地球に落下することにより、恐竜の時代に予期せぬ幕切れが訪れました。その後の劇的な環境変化により恐竜は絶滅に追い込まれたのですが、地球に隕石が落下していなくても、ティラノサウルスは共食いによってやはり絶滅する運命にあったのかもしれません。そして、地球をひとつの生命と捉えるならば、人類は今、地球に対してまさしく癌細胞の様相を呈しています。つまり、地球生態系バランスからすれば、このような生き物は淘汰されるべき時を迎えているとも言えるのです。

絶滅していった恐竜と、今、絶滅の危機を迎えているわたしたち人類を比べると、人間には過去から未来までを見通せる能力が与えられています。さらに、世界の仕組みを理解し、世界を創造する側にも立つ能力が秘められています。ある意味、地球史上最も高い能力と大きな影響力を与えられたのが人間です。つまり、ティラノサウルスが「地球史上最強の生物」であるならば、わたしたち人類は「地球生命の最高傑作」なのです。ところが、その人間の優れた能力は諸刃の剣のようなものであり、この能力をエゴ的に使い続けていくと次の絶滅の原因にもなります。その優れた能力を有効に使えば、絶滅の危機を乗り越え、さらに進化した世界をもたらす可能性もあるのです。それは、ティラノサウルスの教訓を超えて、宇宙が人類に求めていることなのかもしれません。

今から1万年前、人間がまだ原始的な生活をしていた時代、その頃の人間たちにとって生きることはこの世界の仕組みそのものでした。栄えることも滅びることもすべて天気任せ、つまり天の気分次第だったのです。その時代には太陽の黒点活動や地球の地殻変動、時代の変遷といった地球生命進化の歴史の中で、人間は登場人物としてそこに現れていました。そこでは、自らの意志を表現するのではなく、植物や動物と同じように自然のままに生きていた人間の姿がありました。

ところが、ティラノサウルスが1億年という時をかけて地球史上最強の生物にまで進化していったように、そこから人間は地球史上最も優れた能力を持つ生き物にまで進化していったのです。つまり、自我の成立と共に進化したのが人間であり、人類には個々に希望が与えられ、それを自己実現するという奇跡のような能力と使命が与えられました。地球上に生きる生命の中で、自らの願いを持ちそれを叶える能力を与えられたのは、人間だけです。これまで人類は、自らから湧き出る願望を叶えることが生きる目的だと思い、それに翻弄されてきました。

しかし本来、生命は自らの願望を叶える立場にはいません。願望を叶えることは欲望を満たすことであり、その結果欲求の虜になっていくことになります。願望を叶えようとすればするほど、そしてその願望が叶えば叶うほど、人間の欲望は際限なく膨らみ、さらに自我が強くなっていった現代人は今、その矛盾を世界に振りまくと同時に混乱のピークを迎えているのです。

これは、もし人間というものにそのような可能性を能力として与えたら、どのような結末になるのかという大いなる宇宙実験でもあるのです。さらに、その優れた能力を持つことにより、人間たちが自らやこの世界にもたらした矛盾をどのように克服し、その危機をどのように乗り越えていくのかという大いなる挑戦でもあるのです。

今、2000年の扉が開き、2000年から3000年までの1000年紀の幕が開けました。それは、2000年までの人間の可能性を観てきた時代から、その可能性を観た人間が「一体自分たちはこの世界にとって何者なのか」を知り、その目的の真実を生きる時代に入ったということです。

なぜ宇宙は存在するのか。なぜ地球は存在するのか。なぜ生命は存在するのか。なぜ人類は存在するのか。そして、なぜあなたは存在するのか。

これからは地球自体、人類自体が目覚める時代です。人類が皆、この宇宙船地球号に乗っている意味を理解し、宇宙に創られたオアシスであり、奇跡の理想郷・地球に時代の意志を表現していく時代の始まりです。

時代は生きています。時代は意志を持っています。わたしたち人類はその時代の変化を感知し、時代に寄り添っていく立場にあるのであって、時代を創ろうとする必要はないのです。

そのように考えていくならば、この世界は一体です。すべてのものが時代と共に一体となって動いています。それが宇宙の実相です。そのような意識レベルを有した者が地球上に現れたならば、その響きがこの世界に放たれ、それに共鳴した者たちの行動が少しずつこの世界を変えていきます。そしてさらにそれに共鳴した者が行動することによって、その響きがこの世界に放たれていく――、その連鎖が時代を動かしていきます。その響きがこの世界の混乱を鎮め、人類の営みによって傷つけられてきた地球を包み込み、地球を本来の美しい星へといざなっていくのです。

一人ひとりの目覚めがウエーブとなって連鎖し、地球上を巡っていきます。そこには、音もなく、力もいりません。それは、時が刻まれていくときに、時の音がわたしたちの耳には聞こえないのと同じです。地球が自転し公転するときに、その音が聞こえないのと同じことなのです。ですから、時代が動くときに、その音はわたしたちには聞こえないのです。耳をすませてその音を感じてみてください。そのような人類の目覚めの動きが今、地球上に始まっているのです。

今こそ、わたしたちは自らを自我の枠から解き放ち、この無限なる宇宙の中で自由自在に生きる時が来たのです。わたしたちの中から願望や野心が消えた時、宇宙の真理が湧いてくるようになります。そして、人類が誕生した目的にのっとった最もふさわしいポジションにわたしたちは立てるのです。そういった真理に目覚め悟った者は、時代を読み、流れを感じ、今を生きる「時代人」となるのです。

それが、21世紀初頭にあたり、時代がわたしたち人類に伝えているメッセージです。

 

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