ロータスランドから始まる「意識革命」

2年前に「1ヶ月間の真学校」を受講した台湾人の文ちゃんは、現在木の花の在り方を台湾で広めており、今後もここのことを発信していきたいということで先週木の花に滞在し、いさどんや数名のメンバーと今後の関わりについて打ち合わせする時間を持ちました。その翌朝、いさどんはようこに次のように語りました。

いさどん:
彼女は今後、台湾から木の花に学びに来るツアーを企画することを考えているのだが、どのような人たちがここに興味を持っているかというと、たとえばここのような共同体で暮らすこと。それから若い人たちで社会になかなか馴染めず働く場所がないとか、新たな生き方を模索している人や、環境のことを考えている人などいろいろな人たちがいる。そういった中で霊的なことや心のことを大切にしている人たちもいる、と彼女は言っていた。

ここでは、「人間の魂を磨かなければ、どんなにお金があっても良い人生は生きられない」と捉えているが、台湾でもそういったことに興味を持っている人たちがいて、ここへ学びに来たい人たちのツアーを彼女はこれから企画していく。

そういったことを台湾で広めている人のひとりに、「無食」、つまり「食べない」人がいる、と彼女は言っていた。その人は空気を食べて生きているのだと言う。そういった人は日本にもいて、たとえば「食べないでも生きられる」とか、空気中の生命力である「プラーナを食べて生きる」達人もいれば、僕の場合だと「太陽を飲む」こともある。

実は ──── 人間が病気になるのも、人間関係がおかしくなるのも、その人の性質がつくっている。だから、運が悪くて病気になったわけでもなければ、運が悪くて人間関係が悪いわけでもなく、その人の持っている性質がすべて創り出しているのだ。

たとえば毎日晩酌のことばかり考える人もいれば、毎日お金のことばかり考えている人もいて、そういったことが複雑に絡み合い人間は生きている。小さな頃からそういった心の癖を身につけてきているから、それが当たり前になっている。だから世の中を観たときに、その人の目線でしか世の中は観えないし、同時にその心を世の中に向けて発しているのだ。そうすると、類は友を呼び、その心にふさわしい者が引き寄せられてくる。極端なことを言えば、その心の者同士が出会って結婚し、子どもが生まれると、子どももそのような環境の中で育っていくので、そのような家庭が連鎖していく。世の中はすべてこのように成り立っていくのだ。

そこで僕は考えた。病気を治すことも、人間関係を改善することもすべて、まずは自らの意識がどのレベルに向いているかを理解することが大切だ。そして現状の意識レベルから抜け出し、意識を高いほうへ向けていく極意をマスターしたら、人はどのような人生を生きることもできる。逆に言えば、「得しよう」と思って生きているのが普通の人間の世の常だが、その考え方が間違っていれば、一生懸命やればやるほどその人の人生は落ちていく。それはある意味、地獄を生きることにもなる。

そこで、自らの意識レベルを理解し、意識を高いところへ向けていけば、病気も治れば、人間関係も改善されていく。人間関係が改善され、病気をしなければ、お金はたいしていらなくなる。

昨日文ちゃんが「これからツアーで台湾の人をたくさんここへ連れてくるので勉強させてください!」と言っていたが、日本人でも分からず屋だけれど、台湾人も中国人も分からず屋の中でどうやって伝えていけばいいのかといえば、その極意を体系化してそれを伝えることだ、と今朝気が付いた。それが、これから僕がやっていくこと。それは、達人を生きるということだ。

その領域に達すると、お医者さんはいらなくなる。病気はすべて自分で治せる。ただし、自らの考え方が間違っていることがわからない人間には無理だ。まずは自らの考え方が間違っていることに気が付かないといけない。たとえば自然療法でいえば、「道理をもって考えなさい」と伝えられても、道理を考えられない人間はいつまでたっても治らない。だから、意識を違うところに向ける方法を考えると、当然体もすべて変わってくる。そういう手法がある。

ただ、そこで僕が考えたのは、それをやると今まではご利益になってしまい、一般の人々からするとそれは特別なものだから崇める対象になっていた。だからこそ、我々はそれを究めることを実践し、それを示す。そしてこれからの時代、それを究めていくことを誰もが目指していく。そうすると、普通の人間の意識状態とは自ずと違ってくる。そうしたら、違う現象が起きてくるのは当然のことだ。

いくら我々の生き方がこれから来るであろう世の中に対して重要だといっても、現代の価値観に溺れている人間には理解できないものでもある。ここではカタカムナ宇宙物理学に即し、この現象世界には「見える世界」と「見えない世界」があると捉えているが、実際に見えない世界は存在する。たとえば魂はどこに見えるのか?空気中にあるプラーナは実際にどこにあるのか?しかしそこを意識しない者にとっては、ものを食って生きるしか生きる方法はない。たとえば食べ物であっても、そこには生命力の違いがあるのだが、それを単なるものとして、もしくは腹を膨らませる目的としてしか見ていなければ、それはあくまでもその一部分だけを取り入れ、あとは排泄するだけになる。我々は自然の循環の流れの中にあるのだが、その排泄物はすべて人工的に処理されていくだけのことで、それでは結局この世界に汚物を発生させているだけになる。

だから、意識を向けるところを変える。そうすると、病気でも人間の性質でも何でも変えられる。そういう世界がある、ということに今朝改めて気が付いた。人間たちに道理で説いているだけでは、いつまでたっても人は自分を変えようとしない。もしくは、これから起きるであろう危機を乗り越えられるような者にはなれない。

ロータスランドの食事
ロータスランドの食事

ようこ:
身近なところでいうと、昨日ロータスランドに来たお客さんで、「わたしは今までマクドナルドに行っていたけれど、これからはここに通うわ」と言った人がいたの。そのときわたしは心から嬉しくなった。なぜなら、木の花のこともまったく知らず、今までお肉やお魚を普通に食べていた人が事故のようにロータスランドに入って、「これからここに通おう!」というのは、その人にとっての意識革命だと思ったから。食が切り口であっても、今までマクドナルドに通っていた人がここに通うことによって健康になるし、それに伴って心も穏やかになっていって、その人の人生が変わっていくイメージが湧いたの。

いさどん:
だから、意識がどこに向いているかを知り、切り替えることが大切なんだよ。つまり、病気の人は病気の意識を切り替えないと、根本的に病気体質は治りはしない。

ようこ:
そうなの。まずは「食」という切り口から物理的に健康になっていき、同時にロータスランドにいるスタッフの心にも触れていくことによって、「こういう世界があるのだ!」とそこを訪れる人々の意識が変化していく。

いさどん:
考えてごらんよ。僕はロータスランドを具体的に打ち合わせ始めたときに、反省したんだよ。「こんな馬鹿なことをやってはいけない。なぜ始めたのだろう?」と。しかし今、丸一ヶ月経ってみて、この一ヶ月の間にそれが持続可能の見通しが立ってきたんだよ!

ようこ:
そうなの!

いさどん:
これは、結果としてもらったことだが、「最初からこのようなことはわけなくできる!」と思えばできたことなんだよ。そういうことなんだよ!

僕はロータスランドの「鯉のオーナー制度」という面白いことを考えただろう(笑)?それで今日はロータスランドの池に放つ鯉の購入ツアーにオーナーをお連れするんだよ。そして今朝、このお出かけは旅だと思った。それは、新たな境地への旅だ。これだよ!!

ようこ:
いさどんのさっきの話も、鯉のオーナー制度もすべて同じことなんだよね。意識をどこに向けるかによって人は変わる。

いさどん:
そして世界は変わる。人はもっと自分が思うように自由に生きられる。「異次元空間・ロータスランド」の意義はそこにある。そして5月5日の「グランドオープン」とは、そのような境地をもって迎えるということだよ!

ようこ:
そういうことだね!次回のニューズレターは食がテーマだと聞いたけれど、今日それに関連する大切な話をしたね。

いさどん:
意識がどこへ向いているかによって、食が変わるんだよ。そして意識が違う場に来ると、人が変わる。でも、まだ皆は、ロータスランドを自分たちでやっていると思っているんだよ。

ようこ:
その段階を抜けることができれば、異次元空間が現れる。今は異次元空間の兆しは観える。

いさどん:
わかったぞ!意識革命で世の中は変わる!しかし、金正恩でも、トランプさんでも、安倍さんでも、世界中のリーダーは皆、損得勘定ばかり考えている。それでは世の中はうまくいかない。これから台湾人から中国人からアメリカ人から、世界中の人々にこの意識を広めていく。それを会得した人々が創る場所、それが「ロータスランド」だ。

そこを訪れた人たちが「なぜこのお店の雰囲気はこんなにいいのだろうか?」と思ったときに、なぜならそれはそこにいる人たちがお金のために働いていないからだ。それで食うことに困らない。そういう世界を創っていく。そして、ロータスランドの池に放たれていく鯉たちも、その場創りに参加していくということだ♪

ロータスランドの池を泳ぐ鯉たち

昨日の文ちゃんとの話で、人間にはこの次の段階があることを改めて認識した。人間はもはや次の段階へ行かなければいけない。お金があって、ものを食って、何不自由なく生きていて、それが幸せだという段階はもはや終わりを迎えたのだ。今、人類は新たなステージへと突入しようとしている。その証として、ロータスランドが現れた。

 


「鯉のオーナー制度」のご案内

多くの方々に親しまれ、お店創りにご参加いただきたいという想いから、ロータスランドでは鯉のオーナー制度を設けています。 これは皆さまのお気持ちによってご参加いただき、鯉たちがすくすくと育っていくことを皆でこい(鯉)願っていく制度です♪ 鯉を通してご縁を結び、鑑賞会などの企画や特典もご用意しています。ご興味のある方は、お気軽にスタッフまでお尋ね下さい。 皆さまに末永く愛されるお店創りを目指してまいりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

カフェ&ショップ「ロータスランド」 TEL:0544-67-0123

 


21世紀のいのちの捉え方

近代の医療の発展は、目覚しいものがあります。その現場では、常にいのちは長らえることを前提に扱われています。
いのちの捉え方として、たとえば最先端の医療を受け、いのちが長らえるための最善の方法をとっていのちをつなぐことを考える人もいますが、その分だけ人が幸せに生きられるのかというと、そうばかりではありません。長い人生=幸せな人生とは言えないのです。中には長くて幸せな人生を送る人もいるかもしれませんが、短くても充実した人生を終える人もいるものです。その人の魂にふさわしい寿命というものがあるのです。ですから、生まれる前にもらってきた寿命が尽きると、人は健康であっても事故などによって死ぬこともあるのです。

そこで、残された人たちが後から振り返り、「あのときに別の行動をしていればあの人が事故で死ぬこともなかった」と思ったとしても、そういうわけにはいかないのです。生きていると、「~だったら」と人は思うものですが、それならそれをやり直せるのかというと、そうではありません。仮にやり直すことができたとしたら、この世界はとてつもなく複雑になってしまって、全く先に進めなくなってしまいます。

そこで、人は必ず死に、その寿命は決まっているということを前提に考えると、その中身をどのように生きるのかということが大切なのです。それについては生きる中身に自由が与えられているのですから、満足し納得して死ぬのか、それとも悔やんで未練の心で死ぬのか、全てはその人の裁量の中にあるのです。

死を迎えることは、人生の区切りをつけ、次のステージに行くことでもあるのですから、亡くなった人を見送る人たちは、死者に対して、「こうだったらよかった」「ああだったらよかった」と考えるだけでも、その人が次のステージに行くための後ろ髪を引くことになるのです。
生死の流れからすると、亡くなった人たちは必ず次へ行かなければいけないのです。ですから、そこでは未練を持つのではなく、その人との出会いから感情を入れずに学ぶことが大切なのです。学ぶことがその人の死を生かすことになるのです。
生きている者からすると、その人の生き様を見せてもらったのですから、「あの人はこう生きてこのような結果を迎えたのだから、自分はこのように生きていこう」と自らの生き方につなげ、学ぶことが、人の死を生かすことになるのです。どんな人の生き様であっても、それが殺人者であろうが、自殺した人でも、一つ一つの事例として残された人に見せてくれているのです。

よくある話として、余命3ヶ月と宣告されると、「どのようにその期間を過ごしたらいいのでしょうか?」という質問をご家族から受けることがあります。その時に僕が答えるのは、その人が亡くなっても、その人の生き様(人生経験)は残った人たちの中に生かせるということです。ですから、生きている間にその人を観察し、なぜ今のような状態になっているのかを理解した時に、その人の人生を自分も生きたと捉えることができるのです。
わたしたちは自分ひとり分の人生を歩んでいますが、縁の近い人の生き様は身近で赤裸々に見せてもらっているのですから、それを自分も経験したと同じように捉えることができるのです。ですから、そこから学び、自分のこれからの人生に生かすと、死は世代を超えて生き続けることになるのです。

さらに、亡くなった本人自身の学びが不十分だったとしても、残った人たちがその人の生き様から学び、生かしてくれたということになると、本人から悔やみがなくなって次への旅立ちの手助けにもなるのです。それは、死に対するいろいろな教えがあることも同じことです。そうやって、死を生かすと、死者は次にまた肉体をもらってくるときに、それが生かされて、そこでの悟りから次の段階のスタートが切れるのです。そのような捉え方をすると、死も生かされるのです。それが死者を見送る上で最も大切なことです。

今、僕が話していることは、亡くなった人に対して、お経をあげていることと同じことです。寿命を迎えいのちが尽きたことを悟りながら、その寿命が尽きたことの意味とその人の生き様を、死んで旅立っていく者もこれから生きていく者も共に学んで、次につなげ、生かすことができるのです。

世の中には、水子で亡くなった者に対して、実際にこの世界に生まれてきて生きていないにも関わらず、3歳の時には七五三でお祝いし、生きていたら小学生だからとランドセルを買ってお供えし、それから「あの子が生きていたら25歳になるから、お嫁さんをもらってあげましょう」とお人形までつくって飾るような風習もあるのです。これは迷いの世界です。これでは、情が、亡くなった魂を迷わせてしまうのです。
ですから、寿命が尽き旅立ったことに対して学ばせていただき、そして「ありがとう」と感謝の気持ちで見送ると、亡くなった魂もスムーズに次の輪廻に入ることができるのです。上にいる限り、魂のレベルは変わりません。ですから、肉体を持って生きている間に学び、次に生まれてくる時のために、今世の学びを生かし、自らの魂を進化させていくことが大切なのです。

そういった道を開くという意味でも、情ははさまずに見送ることが大切です。人間の感情や思考によって、魂のあり方は全て決まるのですから。昔は人の情が深く、宗教的なものに縛られる時代もありましたが、時代が進んできた今、新たな時代にふさわしいいのちの捉え方が必要なのです。

時代を振り返ってみると、お釈迦様の時代にお葬式はしませんでしたし、今の宗教が行っているような年忌を問うたり、お盆の供養などは全くありませんでした。お釈迦様は輪の中の空間に宇宙を観て、そしてこの世界は無常であると説きました。無常であるということは、感情や愛情を一切抜きにして、冷静に物事を観るということで、そこに空(くう)を観たのです。しかし、それが後に人々が生や死に対する未練を持つことによって、その未練を満たすためにお葬式をしたり、死者の年忌を問うことになったのですが、それは元々のお釈迦様の教えではないのです。

死は、亡くなった人との別れでもあり、ある意味その人とのそこからの新たな出会いでもあるのです。さらに、寿命が尽きてふさわしい旅立ちをするという意味で、死は神聖なことであり、生に対する当然の道なのです。死は次の道への旅立ちなのですから、本来は祝福とともに迎え、見送ることでもあるのです。ですから、最善の見送り方は、旅立つ人の死を生かし、残った人たちが明るく生きていくことです。そこで、いつまでも死を悲しむようでは、その死を生かすどころか、亡くなった魂の足を引っ張ることにもなってしまうのです。そのように死に対して囚われている人々は、真実とは逆さまに生きていることになります。

人は生きている時には「けど」「でも」と言いますが、これが一番心を汚すことになるのです。そして、人生の中ですでに起きてしまったことに対して、「本当は~だったら」と思うことがさらに迷いを深めることになります。たとえば、自分が宝くじを買ったのと同じ場所で他の人に一等が当たっていたとしたら、「あの時に宝くじを全て買い占めていたら一等が当たっていた」というような話も出てくるのです。ですから、「~だったら」という話ぐらい、道理に合わない話はありません。その時その時の事実しかないのですし、それが答えなのです。

この世界を観てみると、宇宙の構造自体が二度と同じところへは行きません。一日も、昨日と今日は宇宙空間的には違う場所にあるのです。春・夏・秋・冬と一年は過ぎていきますが、昨年の春と今年の春は、空間的にも時間的にも違うのです。ですから、宇宙空間では常に先へと進んでいるのです。そうやって、亡くなった人も次のステージへと入っていくのです。

実際に、肉体も火葬にすれば灰になり、それは炭素や窒素になって空気中に漂い、いずれ植物に吸われ、動物に食べられ、そしてまたいのちとして巡ってくるのです。このように、わたしたちのいのちを地球生態系という、もっと大きな生命として捉えていくこともできるのです。そうすると、わたしたちの存在は、大きないのちの中の新陳代謝の一つにしかすぎないのです。

ですから、この世界に死はありません。ただ、形を変え、つながっていくだけなのです。今回の人生が終わったからといって、その魂の旅が終わったわけではないのです。いのちを束ねる魂というものがあるとしたら、肉体の中に魂がある限り、その形態のいのちはあり続けます。そして、その肉体から魂が抜けると、肉体という有機物はそこで束ねる縁がなくなり、時間の経過と共に自然に還っていくのです。つまり、その人を形成していた魂はあり続けるのですが、それはこの世界ではなく異次元世界にいて、そしてまたこの世界に生まれて来て、学びを積み重ねていくのです。

その仕組みを13000年前の上古代カタカムナ的視点で観てみると、この世界は、「見える世界」と「見えない世界」からなる「現象界」と、そのさらに奥にある「潜象界」で成り立っているのですが、普通の人は死ぬと見えない世界に行きます。
見えない世界とは、心や魂が存在する世界です。通常、わたしたちの魂は見える世界と見えない世界を行ったり来たりするのですが、その魂がこの世界の仕組みを悟ると、その奥にある潜象界に還っていくのです。そこは、お釈迦様の言われる悟りの世界であり、現象界の奥には潜象界という「ない世界」があるのです。
それに対し、「ある世界」は見える世界と見えない世界を行ったり来たりする現象界を指します。

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死を迎え、肉体の衣服を脱いだ先は、見えない世界で魂として存在しています。ただ、それでも「ある世界」にいるので、見える世界と見えない世界を行ったり来たりしています。それを繰り返しながら、学びを積み重ね、「ある世界」の仕組みを悟ると、今度は「ある世界」と「ない世界」を行ったり来たりすることができるようになるのです。神は「ない世界」に存在します。そして、「ない世界」へ行くためには、一切の情がなくならないといけません。ですから、人間もいずれ「ない世界」へ行き、この世界の単なる原料に還っていくのです。

そこでの「ない世界」というのは、ないけど、「ある」を包含しているのです。そこには何があるのかというと、現象界を創るための響きがあるのです。聖書でも、「はじめに言葉ありき」と表現され、想いだけがあり、それは響きなのです。
響きという音の思念があるだけですから、潜象界にはたとえば「ア」という音と「イ」という音がそれぞれ存在しているのです。音には全て意味があるのですが、それはこの世界を創る素材であって、それがこの現象界に現れてきて、「ア」と「イ」が縁があってつながると、「アイ」になるのです。それは、一人ひとりの人間の魂についても同じことです。たとえば「アイ」という魂をバラバラにして潜象界に送ると、「ア」と「イ」の響きだけになって、それは「ない世界」の状態です。そして、そこに縁が生じ、現象界に現れると「アイ」という魂になり、「アイ」という人生(現象)が表現されるのです。

このように、この世界に存在するものに死はないのです。それは、宇宙のはじまりから現在に至るまで縁とともに巡り続けているだけのことであり、これからもあり続けるのです。

こうしたいのちの仕組みを人々が理解するようになるのが、21世紀です。そうすると、なぜ生きているのか、生きるとはどういうことなのか、死ぬとはどういうことなのかを人々は紐解くことができるのです。そして、そういった真実に目覚めると、生きている意味を実感しながら生きていくことができるのです。

それが本来の人間の姿であり、わたしたちのいのちが存在する目的なのです。

 

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私たちの生きる宇宙の仕組みをひも解く「カタカムナ研究会」が、毎月木の花ファミリーにて開催されています。この世界のカラクリを知り、誰もが“うれしたのし”と生きていく新しい時代への入口が、ここにあります。どなたさまもどうぞお越しください!

次回開催予定

【日時】
集合:2015年11月9日(月)

11:05 JR身延線「西富士宮」駅 又は 10:51 富士急行「大石寺」バス停(送迎あり)
お車の方は11:30までに木の花ファミリーおひさまハウスひまわりへ直接お越し下さい
解散:2015年11月10日(火) 昼食後(送迎あり)

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【会場】
木の花ファミリー(地図はこちら
静岡県富士宮市猫沢238−1

【定員】
15名

【参加費】
8,640円
(1泊2日、宿泊・お食事・送迎・保険料・税込み)

日帰り参加の場合:1日につき3,240円
(お食事別途)

*同性の方との相部屋をお願いする場合がございます。
*オプションにて、木の花ファミリーの施設見学やプレゼンテーションのご提供も可能です。

【詳細とお申し込み】
下記リンク先よりどうぞ!

カタカムナ研究会のご案内

 


鬱も統合失調症もプレゼント 〜 5月17日 出張木の花塾開催!

 
9年間原因不明の頭痛に悩み、どんな治療でも治らなかった人が、
1ヶ月の滞在で頭痛が消える

統合失調症で日常のコミュニケーションもままならなかった人が、
精神保健福祉士として人のために働くようになる

本気で自殺をしようと考えていた人が、
たった1時間の面談で元気になって帰って行く ━━━━━━━

すべて、本当にあったことです。
 

5月17日(日)、いさどんが千葉県船橋市にやってきます。
全3回シリーズの「出張木の花塾」
テーマは自然療法プログラムです。

 

木の花ファミリーには、うつ病や引きこもり、統合失調症などの心の病を抱え、現代の医療では治すことのできなかった人たちが、短期間の滞在で社会復帰を果たしていった事例が数多く存在します。

ここには、薬はありません。お医者さんもいません。
滞在者はただ、木の花ファミリーのメンバーたちと、日々をともに暮らします。その中で、自分はなぜ病気になったのか、その病気を引き起こす自身の心の構造や周囲との関係を客観的に捉える視点を育みます。

自然療法プログラム卒業生の一人は、その体験を自身のブログにこう綴っています。
 

■    ■    ■    ■    ■    ■    ■    ■    ■

私にとっていさどんのカウンセリングは腕のいい整体師の治療を受けているようだ。しかしそれは今まで受けたことのない斬新な整体だ。

今まで私が受けてきたカウンセリングを例えるなら、硬くなって動かせず痛みを生じている部分をマッサージしてほぐして治療するのに対し、いさどんのそれは、人生の中で使ったことのない関節が、まさに痛みを発している部分にあって、そこは動くようにできてるんだよ、と指摘して自分で治っていくやり方を教えてくれるのだ。
心のそんな部分が動かせるなんて!!!そういう感覚だった。そして他人から「病は気から」などと言われるたびに、「自分で努力してもどうにもならないから困っているんじゃん!」と思っていたその症状は、姿を消した。

ブログ「ワケあり女 in 木の花ファミリー ~ 斬新すぎるカウンセリング」より

■    ■    ■    ■    ■    ■    ■    ■    ■
 

彼女の診断名は「統合失調様障がい」。12年前から一日の大半をベッドの上で過ごし、木の花ファミリーに来た当初は自分の部屋から食堂まで歩くこともままならなかったのが、1ヶ月半の自然療法プログラムを経て、今では塾の講師として勤務し、職場でも重宝される存在になっています。彼女はその1ヶ月半の体験を、
「人生のみならず自我の概念さえがひっくり返るほどの
 こゆ〜い時間だった」
と語ります。

自然療法プログラム卒業生と木の花のメンバーたち
自然療法プログラム卒業生と木の花のメンバーたち

現代医療では治らなかった病が次々と治っていくことを、「奇跡」と言う人がいます。
けれども、これは「奇跡」ではなく「宇宙の法則」であり、その法則を知れば誰にでも可能なことなのです。

出張木の花塾では、これまでの具体的事例をあげながら、人それぞれに違う心の性質を読み解き、それが家族や社会との関わりの中でどのように病気を引き起こしていくのか、その仕組みをいさどんが紐解きます。そして、自然療法プログラム卒業生たちが、実際にその体験を語ります。

心と体を元気にする木の花ごはんも、実際に食べていただきます!
心と体を元気にする木の花ごはんも、実際に食べていただきます!

病気を持つ人だけではなく、現代では多くの人が生き辛さを感じています。健康であるはずの人々が幸せを求めて一生懸命築いてきた社会の中で、うつ病や自殺、貧困に環境破壊、そして戦争が起きています。なぜ自分は生き辛さを感じるのか。その仕組みを紐解いてみませんか。

病気になるということは、
私たちの生きるこの宇宙の仕組みを解き明かす第一歩なのです。
 

*下記サイトより、卒業生の体験記をご覧いただけます。
   ↓
 自然療法プログラム体験記

 

出張木の花塾@船橋
「鬱も統合失調症もプレゼント 〜 奇跡の自然療法1」

【日時】
2015年5月17日(日) 10:00開始/17:00終了
*第2回は6月7日(日)、第3回は7月開催予定です。
 日程が決まり次第ご案内いたします。

【会場】
船橋市勤労市民センター 2階和室
funabashi
〒273-0005 千葉県船橋市本町4丁目19-6
・JR総武線「船橋」駅南口より徒歩5分
・京成本線「京成船橋」駅東口より徒歩4分

【内容】
・人の心と病気のメカニズムを紐解く宇宙視点プレゼンテーション
・卒業生の体験談
・参加者との座談会
・人の心と体を元気にする天然菜食弁当とおやつ

前回出張木の花塾より
前回出張木の花塾より

【定員】
40名
*お食事をご用意する関係上、5月15日(金)までにお申し込みください。
*定員に達し次第締め切りとなりますので、お申し込みはお早めにどうぞ!

【対象】
・医療・福祉・教育関係者
・ヒーラー、セラピスト
・心身の病を持つ人
・その家族
・健常者だが、今の社会に生き辛さを感じている人
・次世代の生き方を探している人
・興味のある人、誰でも♪

【参加費】
2,500円

【参加の心がまえ】
■ まずは頭の中をからっぽにしてご参加ください。固定概念の枠にとらわれないフリーな心で参加したとき、これまでの自分を大きく超える新しい世界に出会えることをお約束いたします。
■ 木の花塾では、そこから生まれる智恵や経験を広く世の中に共有することを大切にしています。受講のようすを、写真を含めインターネットなどで発信していきますのでご了承ください。

【お申し込み・お問合せ】
お名前(フルネーム)とお電話番号を明記の上、メールもしくはお電話にて、主催者のけいごくん、または木の花ファミリーへお申し込みください。
・矢作(やはぎ)敬悟
 kekkuny★hotmail.com
・木の花ファミリー(担当:ともこ)
 0544-66-0250
 event★konohana-family.org
(★は@に置き換えてください)
 
 


いさどんが 名古屋と渋谷にやって来る!

今年、木の花ファミリーを舞台にしたドキュメンタリー映画
『確固たる居場所』が完成しました。
多くの方から「感動した」「衝撃だった」
「自分の生き方を見つめなおすきっかけになった」等々の
コメントが寄せられているこの映画の上映会を、
全国各地にて下記の日程で開催いたします。

そのうち、名古屋と渋谷には
監督の澤則雄さんといさどんも参加!
みなさん、ぜひ宇宙視点で語り合いましょう!

♦6月27日 北海道・札幌「dining&bar Dino」
詳細:http://khfm.us/nw130604-2
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♦6月29日 北海道・札幌「Cafe&Bar 煌めきの箱庭」
詳細:http://khfm.us/nw130611
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♦7月7日 愛知・名古屋「相生山徳林寺」
詳細:http://khfm.us/nw130602
20130324131346-420x301

♦7月15日 東京・渋谷「カフェ・ド・クリエ渋谷桜丘スクエア店」
詳細:http://khfm.us/nw130604
121008-095101c-420x314

会場でお会いできるのを楽しみにしています。

 


メールマガジンについてのお詫び

「おやじの館」メールマガジン管理人のいさおです。

31日深夜、不手際でメールマガジンの登録リストを消去してしまいました。たいへん申し訳ございません。ご購読くださっていた皆様は、誠にお手数ですが、サイト右上の「メールマガジン」欄より、再度登録をお願いいたします。

また、ご登録いただいていない方には、この機会にぜひご登録をおすすめします。「おやじの館」の内容をブログの掲載と(ほぼ)同時にメールでお届けいたします。

ご迷惑をおかけいたしましたことを深くお詫び申し上げます。どうぞよろしくお願い申し上げます。