「家族」って何だろう

先月、結婚をせずに生まれた「婚外子」への差別を定めた民法の規定は憲法違反だとする判決を、最高裁が下しました。一方、生殖補助医療の発展により、精子提供によって子どもを持つ親が増えていますが、現在の法律では親子とは認められていません。9月30日放送のNHK「クローズアップ現代」では、家族の形が多様化する中で法律が追いついていない現状を取り上げ、「家族」とは何か、ということを投げかけています。
この番組を見て、木の花ファミリーでも「家族とは?」をテーマに座談会の場を持ちました!

★「クローズアップ現代」内容詳細は、下記サイトにて公開されています。
 『家族とは?親子とは?揺らぐ法制度』

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いさどん:
この番組では婚外子に焦点を当てているけれど、そもそも、婚姻制度はいつごろ始まったのかな。

ともこ:
今のような婚姻制度が確立したのは、明治に入ってからみたいですね。もともと、今の家父長制的な家族観というのは日本の一般庶民の間にはなかったのだけれど、明治になって新政府が国民を統治していく手段として、一夫一婦制の家族制度を普及させたようです。ここ百数十年程度の新しい価値観ですね。

いさどん:
よく、平安貴族の話には通い婚の様子も出てくるけれど、一般庶民はどうだったのだろうね。

こはる:
コミュニティで暮らしていた、というイメージがありますね。

いさどん:
今、若い世代でシングルマザーが増えているなど、家族に対する意識が変わってきているよね。番組には、(婚外子は財産の相続が嫡出子の半分になるという民法の規定を違憲とした)判決を喜ぶ50代の女性が出てきたけれど、彼女はおそらく昔のお妾さんの子どもとして生まれた人で、今のシングルマザーの子どもたちとは背景が違うだろうと思うんだよ。
彼女が判決に喜んでいる姿を見ていると、お金のことが目的のようで、時代的なメッセージはないと僕は観ています。家父長制が大事だった時代には、彼女のような立場の人たちは当然のように差別されてきた。それは差別というよりも、当時の人々の意識では当たり前のことになっていて、その時代の価値観の中でその立場に相応しい扱いを受ける、という意味では、平等だったとも言えると思う。ところが、時代が変わって家父長制が崩壊し始めた。だからこそ、過去の価値観の中では当然とされてきたことが、今差別として浮き彫りになってきているんだよ。
一方、今のシングルマザーの増加は女性の意識の自立によるもの。同じ婚外子でも、昔のお妾さんの子どもとは背景が違うから、そこは分けて考える必要があると思います。

では、その背景を変えたものは何か。
今、若い世代、特に女性の間で、結婚を望まない人が増えてきているね。フランスでは(同棲していれば結婚と同等の社会保障が得られるPACS婚が1999年に制定されたことにより)婚外子の割合が全体の55%になっている。若い世代が結婚を選ばなくなった理由の一つに、一度結婚をしてしまうと離婚が面倒ということがあるようだね。関係がいいうちは一緒に暮らして、合わなくなったら次の相手を選ぶ。そういった考えが、これまでの家族の概念にとって代わってきたんだよ。
僕は長年人生相談を受けてきた中で、親の不仲を見て育ってきたことで結婚に積極的になれない人たちにたくさん出会ってきた。私も結婚したらあんな風になるのか、と思うと、結婚したいとは思えないのだろうね。逆に、私はあんな風になりたくない、という想いから、理想の家庭像を描いて結婚する人もいるけれど、そのようなケースの場合ほとんどは離婚します。本来、結婚してから新たな関係を築いていくべきものを、先に自分目線のイメージを持っていてそれを実現しようとするので、それが家庭崩壊の種になっていくんだよ。
昔は女性に生活力がなかったから、我慢して結婚生活を送っていた。しかし今は所得も男性とそれほど変わらなくなって、離婚という道も選べるようになった。僕はこれまでいろんな家庭を見てきたけれど、「結婚=幸せ」なんていう絵に描いたような家族にはほとんど出会っていません。というか、ないかもしれないです(笑)。

いさお:
「結婚=シワ寄せ」とか(笑)。

ともこ:
番組では、コメンテーターが「法律婚は子どもが安定して育っていく上で大切な受け皿」と言っていたよね。実際に、日本が発展してくる過程で、1対1で結婚して「家族」という単位を形成することは便利がよかったのかな、と思いますが。

いさどん:
便利がいいって、誰にとって便利がいいの。

ともこ:
社会かな。

いさお:
国家とかね。

ともこ:
明治になって富国強兵を推進していく時に、妻が安定して家庭を守ると夫は安心して戦争に専念できる、という狙いもあったって聞いたことがあります。

いさお:
戦後は、それが高度経済成長にすり替わった。

みほ:
夫はがむしゃらに働いてお金を稼いで、妻は家で子どもを育てて、それが日本の経済成長を支えていたんだよね。

いさどん:
それが崩れたわけか。つまり婚外子の発生は、今の社会的構造から来る人々の意識の変化から、婚姻制度に対する価値観が変わってきたことによって、今の現象が起きているとも言えるね。

ともこ:
そういう制度があって日本社会はここまで発展をしてきたんだけれども、そのままの価値観では進めない段階になってきているのでは。

いさどん:
だから、何かが変わろうとしているんだよ。
ここで宇宙視点で、時代を1000年単位の移り変わりで観ていくと、日本は平安時代までは母系社会だったよね。そこから封建制度が始まって、男性中心の社会になった。それが、2012年12月21日、太陽系の冬至を境にして、新しい時代の幕が明けた。
それがどのようなことを意味しているのかというと、男性性、すなわち陽が主とされていた時代から、女性性、すなわち陰が大切な時代になっていく、ということです。競争して獲得していく時代から、調和して共にやっていこう、という時代に変化していく。女性は男性に帰属することなく、一人の人間として自立して生きていく。ある意味、婚姻制度に対する反乱とも言えるかもしれないね。

この間、こんな話を聞いたよ。動物でも人間でも、若いころは精力的だから、パートナーを見つけて一生懸命子作りをする。ところが子どもがある程度の数になると、本能的なものから、種を多様化させようという力が自然に働くんだって。同じパートナーとだけだと種が均質になり多様性が失われるから、多様性をもたらすための意志が自然に働いて、他の相手と新しい関係を作る。それが自然の理にかなっている、と言うんだよ。今はそれを、婚姻制度で縛っているとも言えるね。

みちよ:
国によっては、今も複数の妻を持つ文化のところもあるよね。

ともこ:
だけど、一夫多妻制と女性の自立ってどのように捉えたらいいのかな?

いさどん:
複数の奥さんがいるというと、男性が女性を多数支配しているように見えるけれど、実は自然界では、メスがオスを選んでいるんだよ。ではオスは何をしているのかというと、動物の世界の価値感にそって、自分が価値あるものとなるように磨いているんだよ。人間も、男性は男磨きをするべきなのよ。するとそのオスは、たくさんのメスに支持される。それは、優秀な種を残すという意味では有益なことだし、それが本来の自然の姿なんだよ。それが人間の世界では、誰でも一律にパートナーを持つようになったことで、自ずと優秀な子孫が生まれる確率も低くなった、とも言えるね。
もう一つ、今の社会に大きく欠落しているものがある。女性が自立していくのはとても良いことだと思うけれど、その反面、家庭から父性がなくなってきているんだよね。リーダーシップを取れる、たくましい父親像が消えてしまって、男が男らしくなくなり、家族の秩序が失われ、調和が取れなくなってきている。そこも問題の種の一つだよね。

ともこ:
でもそれも、人類が次の段階に進むためのプロセスと捉えられますね。

いさどん:
そうだろうね。これから父性というものがどのようになっていくのかは、興味深いところだね。父親の存在が、たくましい子供たちを育てるとか、家庭の秩序を保つという役割を果たしていた時代が終わり、「家庭」というものに縛られない子どもたちが育っていくとか、特定の人間がリーダーシップを取らなくてもみんなが知恵を持ち寄ることによって成り立つ社会になるとか。それは今の木の花のような社会だね。まだ途上だけれど。

ともこ:
今のところ木の花には父性があるよね。いさどんがいるから。

いさどん:
でも僕の他にいないじゃない。だから、この僕がやっているような父性の役割がいつまでもあり続けるべきなのか、それともこの父性がもっと違う形で表現される時代になるのかといったら、後者の方でなくてはいけない、と僕は思うんだよ。

ともこ:
それがどんなものかは、先に行ってみないとわからない。

いさどん:
そうだね。新しい世界だからね。だから、そこへ向かうプロセスとして秩序が変わっていくことに抵抗しない、ということじゃないかな。
どちらにしても、これは難しいテーマだよ。いくらでも可能性がある話でしょ。いろいろなスタイルがあっていいものなのに、それを無理やり一つの形に閉じ込めてきたことに問題があるんだよ。今はある意味、そこに対しての反動が起きてきているのだと思います。だから一見無秩序になっていくように見えたとしても、そこからまた新しい突如が生まれていくのだから、その時に、それを恐れないことだよ。時代は常に移り変わっていくのだから。

ともこ:
質問です。男性が男磨きなら、女性は何をするべきですか?

いさどん:
女性は、価値あるものを観る目を育てることだよ。いかにいいものを選ぶか、ということ。女性に観る目がないと、ろくでもない種を次の世代に残すことになるでしょう。それは女性の責任ですね。

ともこ:
今の発言は、聞く人によっては誤解を生みそうですが。

いさどん:
そんなことないよ。僕は今のことを言っているのではなく、自然界や、未来について語っているんだよ。自然界で成っていることが、人間だけがそうではないルールを創ってきた。その結果、また自然界へ戻っていくのではないか、という話をしているだけなんだよ。その方がみんなも気持ちが活性化されるでしょ?
今は、特定の相手を自分のものとしたらそれで良しとして、心も磨かずにのほほんとしているわけだよ。でもそこに緊張感があれば、人は学んで成長していくようになる。学びながらその相手と一生を添い遂げることもできるし、失ってそこからまた次の可能性を探求していくこともできる。それは夢のあることだと思うよ。

ともこ:
でも観る目を養うだけでは、男性に依存することにならないですか?

いさどん:
どうして?女性がしっかりした意志を持って、未来を決めていくということでしょ。男は女性たちに採用してもらうために自分磨きをするってことだよ。常に女性が主導権を持っている世界なんだよ。自然界はそうなっているし、人間社会でも、平安時代までの日本はそうだったよね。今の人間界は、オスがうまいことを言って、お金のように自然界のものとは違うものを魅力にして、メスがそこにへつらうようなかたちになっているでしょう。そこが自然界と違うところだよね。
これまでは、個人個人が自分の欲望を叶えて、その結果として今のような社会をつくってきた。その社会の中で経験を積んだ人たちが木の花ファミリーに集まり、現代社会の行き詰まりを超えた世界を表現しようとしているんだよ。
木の花では、気持ちの合う人とカップルにはなっても、結婚してお互いを縛り合う必要はないし、生活のために誰かに養ってもらう必要も、養う必要もない。必然的に、男女の関係性から結婚についての必要性が変わってくるんだよ。

ともこ:
昔ほどではないけれど、今も世間では、婚姻制度のもと1人の人を想い続けることが美徳とされている面があるでしょ。その、本来の自然の姿から離れたことを美徳として、それが価値だと思って生きているとしたら、それって一体どこから来てるんだろう?

いさどん:
その背景を考えないといけないね。

ひろっち:
宗教的な影響も大きいんじゃないかな。キリスト教でも儒教でも、一人の人と生涯を共にするのが美徳とされてるよね。そしてその方が統制しやすい。

いさどん:
僕は多くの人の相談にのってきた立場から答えるけれど、一生その人だけを想い続けられるような相手に出会ったことのある人なんて、ほとんどいないですね。僕は問題ごとの相談にのってきた立場だから、そういった人に多く出会ったとも言えるかもしれないけれど、社会全体を見ても、やはりそういった人の方が多いんじゃないかと思う。すると「美徳」という認識は、ある意味強迫観念のように人々の中にあるものだとも言えるよね。
時代は常に移り変わっている。今だって、僕が子どもの頃とはずいぶん価値観が変わってきている。僕はどんなことがあっても「おお、新しくなったなあ」という感じで受け取るけれど、人によっては自らが育ってくる中で植え付けられた「正しさ」をなかなか手放せないんだよ。だけどそれは、進化するためには囚われずに手放していくべきもので、手放せない人ほど苦労をすることになるんだよ。
シングルマザーが話題になっているけれど、ではまともと思われる夫婦の家庭の子どもはまともに育っているのか、ということも問われるね。

みかこ:
ここに相談に来る人のほとんどが、親から受けたトラウマを持っているよね。

いさどん:
両親がそろっている家庭でも、家庭の中は不安定で父性や母性が喪失していることも多く、その中で育った若い世代は、そのトラウマから、結婚願望を持てなかったり、自らが子どもをもうけて社会責任を果たしていくような大人になりきれていないことが多い。そういった人たちは、家庭を持っても、もっと遊びたいとか、自分の欲求を優先させる傾向があるんだよ。そういった様々な要因により、婚姻制度によって保たれてきた家庭に魅力がなくなってきた、とも言えるね。
かつて鳩山さんが、子どもは社会の子だから社会で育てていこう、ということをやり始めたでしょう。これはとても進歩的な話だと思ったのだけど、結局立ち消えになった。それは、社会がまだ他人の子どもを自分の子どもだと思えていないからだよ。そして自らの子どもを、次世代を担う社会にとって大切なものとは考えずに、所有している。そういったことも、そろそろ崩壊していくといいよね。
おそらく将来は、男女の縁のもとに子どもが生まれたら、それを社会が育てていくような仕組みに移行していくのでは、と僕は考えているんだよ。その時に、父性愛や母性愛が欠如した環境で子どもが生まれてくることを考えると、こういったコミュニティのように、子どもを社会全体の子として分け隔てなく育てる仕組みは、新しい社会にとって有効だろうと思うんだよ。

いさお:
子どもを社会のものだと考えた時に、相続制度はどうなっていくんでしょうね。

いさどん:
多くの富を得た人は、それだけ社会を担ってきて、それだけの価値を築いたわけだよね。だけど次の時代は、その人の能力で創られるわけじゃない。だから、自分の代で得たものは自分の人生の中での表現として完結させて、新しい世代はゼロからスタートさせるべきだと思うよ。
だけど今の現実は、そうはなっていない。働かなくても親の遺産でお金が入ることもあるわけだよ。最初からそういうものはないことになっていれば誰もとらわれないのに、遺産をめぐって血縁の人間関係がドロドロしたりするわけだから、本当はない方がいいよね。そして、自分の実力でみんな生きていく。
財産は国のものとして、国家が生かしていけばいいと思います。共産主義の国では私的所有権を認めないよね。日本もこれから時代が進んでいくと、なるべく個人がものを持たないようになっていくのが理想だと思う。ただ、そういうことを言うと、多くの人は「自分のものが取られる」と考えるんだよ。例えば税金にしても、「税金を取られた」と言う人がいるでしょう。しかし、所得があるということは、その分だけ環境に負荷をかけたり社会の恩恵を受けている、とも言えるわけだよ。だから、生きてるうちは個人の財産として持っていてもいいけれど、亡くなった時には子どもじゃなくて社会に還元する心が大切だと思うよ。もともと我々は、生まれてくる時には何も持っていないのだから。
そういった心が自然に出てくるような精神性になればいいよね。法律を作って強制的に徴収するようでは、精神のレベルは低いと思うよ。そんな社会では豊かにならない。それができる精神性であることが大切だと思います。

ともこ:
そういった精神性になった時に、親が子供にしてあげられることは何でしょうか。

いさどん:
それは、子どもに欲をかけるのではなくて、愛をかけて育てるということだよ。そしてその子どもが社会へ出て、社会に貢献することを喜ぶ。子どもは社会の子だから、社会も手厚く面倒を見るべきだし、お年寄りも社会に貢献した人の最後の姿なのだから、やはり社会が面倒を見ていく。その社会を支えていくのが、社会に育てられて大きくなった人々なんだよ。

ともこ:
そもそも、血縁て何なんでしょう?なぜ人はそれに執着するのかな?

みかこ:
うちで人生相談を受けるときはその人の家系図を見るんだけど、あれを見ていると、家系というのはカルマの流れだなって思う。血縁とカルマとお金がセットになって、それがいろんな問題の発生源になっているんだけど、こういうコミュニティで暮らしたり、心の仕組みを学んでいくと、人の価値観が変化していくんだよね。

いさどん:
血縁というのは、「身内」と言って「身の内」と書くでしょう。自分を愛するように自分の身近なものを愛するという、エゴ的な愛の対象になるものだよね。
それが、他者へ愛を向けたり、社会に対して貢献していって、内と外の区別がなくなれば、何も自分に近いものだけを大事にするという必要はなくなっていくよね。すると、今の家族制度は自然と必要がなくなっていくだろうと思うんだよ。
今の社会の問題は、そういった連綿と受け継がれてきたものに魅力がなくなってきたことから生まれてきている。それは、何らかの新しいかたちが生まれてくる前兆であるとも捉えられるわけだよ。たとえば木の花のようなスタイルが世界中で存在していることや、都市の方へ行くとシェアハウスのように年齢や性別を超えて共に住むということが流行ってきているでしょう。若い人たちがこれから創る世界では、そういった新たな価値観のもとに秩序が生まれてくるのだろうね。

ともこ:
それは、人の意識が変わっていくから?

いさどん:
そうだろうね。例えば、夫が働いて妻や家族を養うということもだんだん崩壊してきているし、家長制度も、長男に全てを譲っていたものが、兄弟に平等に遺産を渡すようになったでしょ。代々を継続していく意味がなくなってきたんだよ。

ともこ:
それによって、どこに向かうんでしょうか。

いさどん:
それは行ってみないとわからないよね。ただ、どちらかというと封建的に観える制度だったものが、もっと多様性を認める社会になることは確かだよ。実際に、フランスでは嫡出子よりも婚外子の方が多い。それでもフランス社会は成り立っている。そのまま続くかどうかは別としても、現実にそういう国が現れてきている。その先がどうなるかは行ってみないとわからないけれど、仕組みが変わっていくことは確かだよ。

ともこ:
私は単純に、血縁というものを超えた方が、より社会全体が調和的になっていくだろうと思いました。

いさどん:
それは、一概には言えないよね。普通の婚姻制度によって保たれてきた有益な面もあるわけだから、それがなくなる時に、そのギャップから生まれるデメリットもたくさん現れるだろうと思うんだよ。
どちらにしても、新しい秩序が生まれるという意味では、歓迎すべきことだよね。

ともこ:
その「新しい秩序」は、人がそういうものを築こうと意識してもしなくても、自然と生まれてくるということですか?

いさどん:
そうだろうね。これはすごく大きなことだよ。おそらくこれは、時代の波だろうと思うんだよ。一面から見た人間の倫理観の欠如とか、そういったことだけでは捉えきれない。それは倫理観の欠如から壊れていくのではなくて、今までの制度が古くなって形骸化している。家父長制度も形だけになっている。昔のように、結婚や葬式の時に人も集まらなくなってきた。これは、個人個人の生き方の多様性が尊重される時代になってきたことの表れだと思うんだよ。
古いものが壊れることに間違いはない。大切なのは、壊れた後に何ができるかということです。その中の一つの事例として、木の花のような生き方があることは確かだと思うよ。
だけど、これ一つがあればいい、という話でもないからね。そこは、他にもいろいろな価値観のもとに新たなスタイルが生まれていったらいいと思います。

ともこ:
木の花の暮らしは、未来の人々の生き方のモデルとなることを目指して始まったと思うんだけど、いさどん自身はこれ一つがそうだと限定しているわけではないということですね?

いさどん:
感覚的に、これは新しい時代の指針となる大切な生き方だという確信はあったよ。だけど、我々は意図的に集まって、こういった暮らしを組織的につくろうとしたわけではないんだよ。今もそこは変わらないけれど、ある程度、ここのメンバーはこういう人、というように特定されたタイプの人が集まってきているよね。
しかしそのようなスタイルとは違い、誰でもおいでと言って、一見無秩序に見えるような秩序を作って生きていく人たちも現れるだろう、ということなんだよ。どのようなスタイルであっても、そこに秩序がありさえすれば、それはそれで良いと思うし、そのようなところは続いていくだろうね。

ともこ:
木の花ファミリーは、ある意味すごく厳選された世界だよね。

いさどん:
そう。どう生きたら理想郷ができるだろうかということを、厳選して、研ぎ澄ました状態のモデルとして存在しているんだよ。完成形のモデルだと思うよ。
だけど、その特定の完成形が全てのモデルになるのかというと、そうとは限らない。いろんな生き方がある方が、社会は豊かだよね。
これからはライフスタイルにしても何にしても、ますます個人が尊重される時代だから、いろいろな形態が出てくるという意味では、未来の形はこれだけ、ということはないんだよ。

いずれにしても、これは答えの出ない話。銀河の周りを、太陽が惑星と共に渦を描きながら周っているでしょう。その中に我々はいて、あの渦の中に我々が表現されている。人類が誕生してから今までの期間は、太陽系が銀河を1周する間の1%にしかならないんだよ。そういった中で、これからは特定の価値観にとらわれる必要はないでしょう。
 
 


勇気を持って、愛を持って、大人ムーブメントを世界へ

多様な人々が集い、未来に向かって真剣に語り合いながら、笑いあり、涙ありの3日間を共に過ごした大人サミットの最終日。
「今はまだどう言葉にしていいかわからないけど、ここで感じたものをぜひ多くの人とシェアしていきたい」という19歳の大学生から「年齢に関係なく同じ心を求めている人たちに出会えて本当に嬉しかった」と涙を流す72歳の女性まで、参加者たちがそれぞれの想いを語った後、いさどんから以下のメッセージがありました。

年齢も職業も国籍も、多種多様な人々が集った第6回大人サミット
年齢も職業も国籍も、多種多様な人々が集った第6回大人サミット

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みなさん、3日間ご苦労様でした。
私はいさどんです。役割はいさどんをやることです。それを最近とても感じています。
というのは、いさどんの視点というのは、やっぱり独特です。この世界の物事の捉え方がとても特殊なんです。そういう自分を生かせば、みなさんに新しい視点を伝えることができます。でも、この視点をいくら持っていても、いさどんの独りよがりでは何も価値がないですよね。それを伝える場があるということは、本当にありがたいことです。そう考えた時に、こうやって毎日心のことを伝えあっている木の花ファミリーという場所に、いさどんは生かされてるなと思います。

この価値を知ったら、やはりこれは世の中に広げていかないといけません。大人サミットは今回で6回目ですが、まだまだ世界の70億人の中の数十人です。しかし、喜ばしいことは、一人でも、そういったことを考える人が増えてきたことです。我々が教育しなくても、地球がそういう時代に入っています。
昨年、太陽系の冬至と地球の冬至が、25800年ぶりに同時にやって来ました。マヤ暦も終わった。これは、新しい価値観の時代が始まるということです。

天の川銀河を旅する太陽系の冬至
天の川銀河をゆく太陽系

二十一世紀は、どのような時代か。
私たちは二十世紀において、物理的進化の花を十分に咲かせてきました。ですから、物理的なことはもう、そんなに進化しなくてもいいと思うのです。
私たちは人間として、魂を表現して生きています。肉体と魂、それは見えるものと見えないもの、陽と陰の関係です。物理的なものをどんなに進化させても、その奥にある見えない部分が不健全であったら、物理的なものは不健全に使われてしまいます。
その代表例の一つが原発です。核融合は、人類が行きついた最高の技術です。しかし人類はまだ、太陽を再現するまでには至っていません。それは人間にはコントロールできない大変なものですから。それでも、核融合という新しい領域に人間は入ったのです。ところが、それを使って人間が何を成し遂げたかというと、原爆を作りました。原発でも、事故が起きると今の福島のように大変なことになるのです。

そこまでテクノロジーの道を進めた人間たちは、今、さらに世界を探求して、人間とは何者なのかということをわかろうとしています。
たとえば今、先進国では太陽の探査をしていますね。なぜかというと、太陽がちょっと不思議な活動をし始めたのです。太陽がちょっとだけ異常になると、地球は肺炎になります。太陽系にとっては大変大きな問題です。そこで、人類は宇宙に目を向け始めた。宇宙を探査しているのです。

0iW9a9宇宙を探査するということは、宇宙を見るのではありません。
宇宙があって、その仕組みの中に太陽系があり、そして地球があります。その中にこの地球生態系があり、私たち一人ひとりの存在につながっていきます。
この世界には、二つの視点があります。一つは、自分の目から自分の価値観で見る視点。もう一つは、自分がどの位置にいてどう生きているかということを外から観る視点です。その双方の視点があって、人間は初めて真実を知る道を歩み出すのです。
これまで、人々はその一方の視点しか持っていませんでした。しかし今、宇宙を探査することによって、宇宙から自分を捉えるという、外からの視点を持つことを人類はやり始めたのです。それが21世紀という時代です。
21世紀には、そういう意味でのテクノロジーが必要とされていきます。そのテクノロジーは何のためにあるのかといったら、私たちが、自らが何者であるかをわかるためにあるのです。それが21世紀を生きる私たちの目的であり、そのためにテクノロジーが生かされていくのです。

もう一つは、この大人ムーブメント(※)を広げるということと同じですね。人類が、一つの生命として、自分たちは何者なのかということを共にわかる時代、それが21世紀なのです。そのことを人々が理解した時、本当の意味で、人類はこの地球生態系に貢献できるようになります。依正不二(えしょうふに)の実現です。正しい法を持つものとしての人間、すなわち正法が、他の全ての生命である依法に貢献できる時代が来る。それが21世紀のテーマなのです。

太陽系は冬至を過ぎ、新しい光が差してくる時を迎えています。地球も、銀河も、そういう時代を刻み始めたのです。あとは人間がその意識に目覚めて、この世界に現象化することです。
この銀河群も、天の川銀河も、太陽系も、地球生態系も、我々の体も全て、さまざまなものがそれぞれの役割を担いながら連鎖して、ネットワークを創り、大きな世界、そして我々の体のような小さな世界を創っています。この宇宙は、その絆から生まれた愛そのものです。絆ができるところには愛が生まれます。ということは、絆があるということは、その世界は必ず善意がベースになっているということです。そして調和の世界が広がっていることに、我々はそろそろ気付くべきなのです。

それに対して、今の人間世界は、どうですか。その真実をわからないで、不調和な世界を生きてきましたよね。戦前も戦後もそうですね。命を犠牲にして、不調和な競争の世界を創って来ました。その中で人間たちは、個人的な欲求をより多く叶えてくれる社会が自由な社会だと思って来たのです。しかし、実はそれは、人々をどんどん不自由にしていくのです。なぜならそれは、欲望や、不健全な思考の中に自らを閉じ込めていくことになるからです。閉じ込めていくということは、自らを不自由にしていくということです。このように優れたテクノロジーと、多くのモノやお金があふれているのに、なぜか人々は不自由感を持っているのです。
そのように自らを閉じ込めているものがいったい何かということに気付いて、自らの縛りから自らを開放する。その魂の解放のネットワークが人類の目覚めとなって、地球生命としての役割を人類が果たす。それは、愛と調和の時代です。そういう時代が、これから開かれていきます。そして私たちは、目覚めた者として、その役割をしっかりと果たしていきたいと思うのです。

今このようなことをみなさんに伝えるのは、僕がいさどんだからです。この世界に生まれて、お前その役割を果たして来いと言われたからやっています。そしてみなさんにも、一人ひとりふさわしい役割があるはずなのです。
今までは、問題ごと(それも神様の仕掛けなのですが)を作っては、そこで苦しみ悩んで解決し、それを喜びとしてきました。それも、大事をわかる過程として必要なことでした。しかし、そろそろ次のステージへ行く時が来ています。この目的が何であるかをみんなで共有し、それを仕上げていきましょう、という時代に来ていると思うのです。
そうしたらもう、一つひとつの出来事を個人の問題として悩んでいる時ではないじゃないですか。もしもそれを個人のこととして悩んでいるとしたら、その悩みは、人とつながっていくと自動的に解決していくのです。僕は1年間に500件以上、人生相談の面談をしていますが、心の病気でも体の病気でも、その原因は何かといったら、絆の不足、愛の不足だと捉えています。そして、それはつながることによって自動的に満たされていくのです。そうすると、そこでは問題ごとを解決する必要がなくなります。たとえば、アル中の人を愛の中に入れてあげると、自然とお酒が要らなくなるのです。

この世界には、そのようなおもしろい仕掛けがあるのです。つまりこの世界には、善なる法則が流れている。それがあることに気付いて、そこに目覚めていけば、問題ごとはなくなります。それが21世紀です。それを理解して、求めていく。そしてそれをマスターして、さらに広めていく。それが、この大人ムーブメントの最も大事な目的です。
それに気付いたものは、誇らしく、堂々と伝えていくことです。万物は調和でできています。不調和な人はそれを理解できないからと言って、諦めてはいけません。全てのものはすでに調和の中に創られているのですから、不調和をやっていると必ず心が苦しくなっていきます。だから、気付いた我々は、勇気を持って伝えていく。それが「大人」と言われる心を持った人の姿なのです。

どうかみなさん、勇気を持って、すべてに対する愛を持って、行動してください。
大人ムーブメントの広がりは、みなさんに託されています。そのことを自覚して、みんなでやっていきましょう。

 

3日間を終え、新たな旅立ちを迎えた大人サミットメンバーたち
3日間を終え、新たな旅立ちを迎えた大人サミットメンバーたち

 
 
※大人ムーブメント
大人サミットの「大人」とは、年齢に関係なく、大きな精神を持つ人を意味します。
自らの意識が世界を創造しているという自覚と責任を持ち、個人の枠を超えて地球全体のために生きる人 ー それが真の「大人」です。

大人サミットでは、この「大人」たちがネットワークすることで巻き起こる「大人ムーブメント」を広げていくことを目標の一つに掲げています。
 
 


21世紀の扉を開ける「大人サミット」

木の花ファミリーでは、個人の枠を超えて社会全体のために生きる真の「大人」を目指す人たちが集い、地球の未来を真剣に語らう「大人サミット」を開催しています。今回が6回目となる9月14日〜16日の開催に向けて、改めて大人サミットの意義を確認する場が持たれました。話し合いにはファミリーメンバーの他、これまで木の花育ちの高校生として大人サミットに参加し、4月からは大阪の美容専門学校に通っている19歳のれいかや、宗教家として若者の育成に当たる荒さんなど、数名の大人サミットメンバーも参加しました。

★「大人サミット」について詳しく知りたい方は、こちらのページをご覧ください。

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いさどん:
大人サミット当日に、何をするか。サミットのテーマはすでに参加者の中からも出ているので、それがどうなっていくのかは当日に譲りたい。その場で湧き出てきたものをみんなで練り上げて、一つの作品のように仕上げられたらいいね。
今、大人サミットのメーリングリスト上で若者を中心に活発に意見が出されていて、これだけ活発ならもう大人サミットはやらなくてもいいくらいだよ(笑)。ただし、言葉で語っていることを現実に実行しなさい、ということだけどね。

第4回大人サミットでのワークショップ
第4回大人サミットでのワークショップ

彼らの書いている内容を見ると、大人サミットは年齢は関係ないなと思う。経験や社会的地位も関係ない。これまでの参加者は経験や社会的地位のある人が多く、優れたことを語っていたけれど、生活にそれを反映していくのはなかなか難しい現状がある。木の花ファミリーがやっているのは、言行一致を実践していくということ。そして実際に行動する人のムーブメントを創っていくことが大切だと思う。
大人サミットで僕たちが投げかけていることは、視点を上げれば当たり前のことです。だけどそれが、大人サミットの場を離れて参加者が「個」に返った時の現実と距離がある。その距離をいかに埋めるかというのは、個人のテーマというよりも、僕は人類のテーマだと思っています。今の社会は、政治家なら票集めとか、経営者なら経済だとかいうことに視点が傾きすぎているよね。地球規模でものが観える人が少ない。これが今の人類の実態です。

大切なことは大切で、それを譲ってはいけない。人生を紡いでいくには、人の尊厳や価値に関わることを最優先にしたいものです。お金の話などは3番4番でやっていくと、自然と物事はうまくまわるようになっていくものです。

れいか:
私は逆にここから外に出て、ここで学んだことをみんなに伝えようという考えでいるよ。今100人のクラスの学級長をやっているけど、他のクラスよりもまとまりがいいの。だけどそれを先輩に言っても、後輩が先輩に言うものじゃないって言われる。一般社会ではそれが普通なんだよ。だから、自分とも戦わなくちゃいけないけど、社会との関係も考えるようになったよ。

いさどん:
それはれいかが一般社会に出たからで、そこにはそこのルールがあるんだよ。そこは柔軟にやっていくといいね。大切な信念は変えないで、通じないところには柔らかく接する。それは自分を下げることではないんだよ。大人サミットで語られるような意識は、最終的にそれがほんとうに大事だよね、ということになればいいわけで、そこに至るまでのプロセスとしてはそれでいいんだと思うよ。

まり姉:
改めて大人サミットの意義を問う投げかけをメーリングリストに流したけれど、従来の参加者からはほとんど反応がないね。

いさどん:
それは今の人々の実態なのだから、我々が継続していくことが大切だよ。僕は必ず世の中に火が点く時が来ると思っているけれど、本当に火が点くまでは種火だけでも保ち続けておくことが必要で、今の我々は種火の状態だということ。気づいた人たちにとっては重要でも、気づかない人たちにとっては見えていないことで、それが今の世の中の人々の位置だと思えばいいんじゃない。

ひとみ:
今回は、より参加者の主体性を大切にするために外部主導の大人サミットでいこうということになったよね。

いさどん:
本来、大人サミットというのは始めから外部主導で進めようとしたんだよ。だからこそ、火が点くまでは我々が種火を維持していくということだよね。周りが動かない限り木の花が主導でやるけれど、本来は外部主導であるべきものだということは常に投げかけ続けてきたんだよ。これは地球規模の話なのだということを、伝え続ける必要があるんだよ。それをせずに木の花が一方的にやっていては、本末転倒になる。いくら素晴らしいと言っても独りよがりでやっていては意味がないし、逆に火が点かないものに対して怒っていても仕方がないので、それは時代の歩みとして尊重しなければいけない。
現実的には国民はアベノミクスの安倍さんを支持しているわけで、自民党は国民が求めていたことをすっかり反故にしているのに、経済政策だけに踊らされている。政治の世界は国民を愚弄していて騙しているのに、そこが観えない国民だからこそ、ふさわしい政治があるわけです。木の花党を立ち上げるぞ!(笑)だけどそこにヒットしない国民がいる限りは、仕方がないね。
だから我々は、ここで種火を維持しながら、国民の意志がどこかで沸点にくるのを待っているんだよ。そのために、こんなマニアックな生活をしているんだよね。このマニアックな生活は、決して我々の独りよがりの生活ではないはずだよ。これは天との契約においてやっていることだから、個人的な願望でやっていることではないのです。
今大事なのは、これを継続していくこと。毎回、大人サミットはいい場所になっている。これは間違いない。参加者も「すごいところに出会ったなあ」と思って帰っていく。だから、参加しなかった人は損をしたと思うくらい、サミットで話し合われた内容をしっかり発信していったらいいと思う。

ひとみ:
木の花では、生活そのものが大事を優先するようになっていて、基盤が整っているから持続していけるけれど、世の中ではなかなかできないよね。

いさどん:
できないけれど、それぞれの人が関わっている場所を、例えばれいかが今通っている学校を、そういったことの伝わる場所にしていくというのは、長いスタンスで考えれば大事なことだよ。そういった身近なことも含めて、未来の地球についてどう考えるかということがサミットなのだから。

れいか:
その時に、見返りを求めない方針でいくべきだなと思う。

いさどん:
もちろん、答えをどこに落としたいかということは求めない。

れいか:
ここでその話を聞けただけで良かったと思う。何かの拍子に、あの時にこんな話をしていたなと思い出して、それを友達に伝えていったら、今度は友達がそれを支持してくれるかもしれない。

いさどん:
それが種まきだね。いいこと言うね。

れいか:
学級長に選ばれて良かったと思うのは、朝の会が始まる前に、学級長が思っていることを話す場があるの。その後に先生が話すんだけど、先生も理不尽なことを言ったりしないし、私も学級長として思った通りのことを言える。

まり姉:
そう考えると、社会のどこから発信していっても同じことだと思う。木の花からとか、ある会社からとかいう小さな単位から始まって、機が熟してきたら広がってつながり合って、同じ方向を向いていく。木の花の中にいても、個人個人の心磨きにはでこぼこがあって、サボる人もいれば熱心に語る人もいて、いさどんが「なかなかみんなに伝わらんなあ。俺の独りよがりかな」と言いながら見守っている感じと一緒だね。

いさどん:
意欲的な若者も現れ始めているのだから、我々年寄りとしてはこういう場を持ち続けて、若者たちに火が点く時につなげられればいいと思っています。
いつか必ず、「宇宙人」の意識に人々が目覚める時が来るよ。だけど、今の選挙で誰を選んだら国や地球の未来を託せますかと国民に問うたら、いないよね。それで今回僕は投票しないということを選びました。投票したい人がいない、その原因は何かと言ったら、国民の目が開いていないからでしょ。それを開眼させるのが、大人サミットですよ。自分の中の神仏の目を開き、真実に目覚める人が「大人」ということですよ。

まり姉:
荒さんは、若者との関わりについてメールに書いておられましたよね。

荒さん:
ある新聞に、憲法問題に関連して「若者は感覚的に物事を理解しているが、大人の世代は理論や理屈で理解している」というようなことが書かれていました。それを読んで、若者とその上の世代とは話がうまくかみ合わない理由が少しわかったような気がしたんです。感覚で感じている若者にいくら理論や理屈で説明してもわからない。本当に若者に理解してもらいたいなら、「本当にいい社会とはこういうものだ」と感じられるものを創るしかない。例えば木の花のような生活を味わってもらって、今度は自分たちがどのようにしたら自分たちの「木の花」的なものを実現していけるのか、と考えていくようにしないと、いくら理屈で言っても伝わらないと思うんです。

いさどん:
良い社会論は、吐いて捨てるほどあります。ではそれは実際にどこにあるのか、ということですよね。

まり姉:
どう?わたわたは最後に一言何かある?

わたわた:
ほとんど同意です。

いさどん:
そういう意識を持っている人はまだ貴重な存在の部類だからね。本来は視点が広がればそれは当たり前になって闊歩しているはずです。そして大多数がそうなるはずなんだけど、残念ながらまだそこまで人間は熟していないからね。でも、21世紀はその扉が開く世紀だよ。それも早い段階で扉が開くことを、僕は感覚的に感じてる。そのために、我々のような生活も自然発生的に生まれたのだし、そういう意味でも天との契約でやっていることだから、私利私欲はないのです。そのことを知った者の役割と責任上、継続して火が点くのを待つということです。

わたわた:
まともに考えれば当たり前じゃない、というところにみんなが気付いた時に、当たり前の考えを真面目に地道に実践しているこんなところがあったんだ、ということだね。

いさどん:
人生を正攻法で生きることだよね。

わたわた:
社会を見渡すと、「今まで自分たちのしていたことは、何でつながりがなくぶちぶちと切れていたんだろう」というところに気付き始めている人たちはいる。ことさらそこにフォーカスすると、誰かを持てはやすような一過性のムーブメントになったりするんだけど、それも達観して観れば、大きくみんなが気付いていくための小さな種火が燃え始めているんだろうな、と思っています。それがうまくネットワークするとどんなことになるのかということを、少し前倒ししてやってみよう、というのが「大人サミット」だと思う。

いさどん:
エコビレッジという限定されたものではなく、みんなで何かをやろうというムーブメントは、若者たちの中で生まれ始めている。それが本当に言行一致で生活に定着したものになるという意味では、エコビレッジ的生活は注目されてくると思う。我々もエコビレッジの代表と言われるけど、何もエコビレッジを広げるためにこの生活をしているわけではないよね。エコビレッジという言葉だけで表現できる木の花ではないのだから。もしエコビレッジと言うなら地球がエコビレッジで、みんなの家ということなんだからね。
いずれにせよ、火が点かなければ種火を保っていく作業が必要だけれど、その種火も、だんだん1箇所で保たなくてもネットワークでできるようになってきた。それをやりながら、後は社会の動きと連動していくことだよね。ある特定の場所だけが盛り上がって、自己満足で終わるような世界ではいけない。
去年の冬至以降、宇宙は既にそういう時代へとスイッチを入れ替えたのだから、後は人間たちがいつそれに目覚めるか、というだけのこと。これは宇宙的スケールでやっていることだから、間違いないことです。

 

 


保育問題を見てみよう

今、都市部を中心に保育園へ子どもを預ける人の割合が増えています。待機児童が社会問題となり、政府が保育士の増員や株式会社の保育参入などで解消する方針を打ち出す中、いさどんが「保育」について語りました!

*この座談会には、将来保育士になりたいと思っている木の花育ちの2人の高校生、しょうたとすさ、現役保育士で木の花の自然療法プログラム卒業生でもあるしゅうくん、元小中学校教員のまり姉も参加しました。

座談会のようす
座談会のようす

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ともこ:
今、世間では保育士の不足が叫ばれています。それでうちには保育士志望の高校生が2名いるので保育座談会をしよう!ということになり、ちょうど現役保育士のしゅうくんも来てくれて、今日この場を持ちました。
今の保育問題としてまず挙げられるのが、保育園に入れない待機児童が多い。そして保育士の数が足りない。それで政府は、保育士の数を増やすことと、株式会社を保育の世界に参入させる方向で動いてます。そうなると保育の質というのはどうなっていくんだろう、ということも懸念されています。

なかのん:
横浜市ではすでに全保育所の25%が株式会社で、政府は横浜市をモデルにしようとしてるね。

しゅうくん:
横浜市は待機児童は0になったけど、発達障害の子どもが増えたとも言われているよ?

いさどん:
僕が理事を務める社会福祉法人でも、これまでは高齢者向けの施設だけをやっていたのが、今度は保育園をやろうとしてるんだよ。なぜかというと、助成金が出るからなんだよね。それで、「じょせい金」というのはあるけど、「だんせい金」というのは聞いたことがないね。

みんな:
ないね~(笑)。

ともこ:
しょうたたち、ちゃんとついて来てね。

しょうた:
大丈夫。いつも聞かされてるから。

いさどん:
こういうハイレベルなダジャレも言わないと。かたい保育士じゃダメよ。

ともこ:
1001ph03それはさておき。特に都市部では、保育園への入所を申し込む子どもの割合が増えてます。それだけ母親が働きに出る家庭が多くなったわけだけど、ではそんなに子どもを預けないと生活ができない家庭が多いのか、ということもあります。これは保育という面だけじゃなくて、家族のあり方とか、日本の社会全体のこととして見ていく必要がありそうです。

いさどん:
そう。何でお母さんが家庭の中で余裕を持って子どもを育てていけなくなったのか、ということなんだよね。なんで子育て中のお母さんたちが働きに出なきゃいけないのか。日本はそんなに物理的に豊かじゃない国なんだろうか。これはライフスタイルに対する姿勢を考えなくちゃいけないことだよ。

なかのん:
今の保育現場の動きとしては、平成18年に、厚生省の管轄である保育園と、文部省の管轄である幼稚園を統合した「認定こども園」が、福祉と教育を総合的に提供する場として始まりました。都市部では保育園の待機児童が増えている一方で、幼稚園は定員割れのところもあります。幼稚園は預かる時間が短いのと、乳児は預かれないなどの縛りがあって、最近では預かり時間を延長するなど、幼稚園が保育園的な機能を果たすようになってきています。それで、幼稚園と保育園を統合することで総合的に子供を見ていこうという流れがあるみたいですね。
同時に保育士の不足の問題もあります。一般的に保育士は、勤務時間が長くて賃金が安いなど労働条件が悪く、改善が必要だということも言われています。

いさどん:
今それだけ課題があるということは、何年か後には解決されるということでもあるんだよ。問題があるということは、その傷を手当てして治していく、ということを社会はするからね。

なかのん:
もう一つ、無認可の保育所の問題がありますね。

いさどん:
その話題は以前はクローズアップされていたけど、これから株式会社が参入すると、自然に淘汰されていくんじゃないの。

なかのん:
そこで保育所の認定基準を緩和するという話も出ていて、それによって待機児童は減るだろうけれど、一方で保育の質が下がるのではとも懸念されています。

いさどん:
そこを、どう考えていくか。この保育問題を、単純に社会の問題として捉えるとよくわからないから、そういった捉え方じゃないところから考えていこうかな。
92_0186もともと、保育とは子育てのことだよね。自然界はどう子育てを行っているんだろうか。たとえばスズメの子育てとか、同じ動物でも人間に近いペットの子育てとかいろいろある中で、自然に近づけば近づくほど、子育てはルールが決まってるんだよね。たとえばアホウドリならいつ交尾期間があって、いつ卵を産んで、こういう環境の中で子育てして、これだけの期間が経ったら巣立ちして、という風に一つのパターンで繰り返されていく。とても単純でわかりやすいよね。それに対して人間の子育てはどのように行われてきたか。

木の花の子どもたちが保育園に行くようになったのは2年前。何で保育園に行くようになったかというと、全体が大きくなって保育所的機能が必要になった。でもここにはその機能がないので、公的機関を利用した。子どもたちにとってはいいよね。木の花というとてもユニークで多様な環境に加えて、さらに一般社会の子どもや大人と触れる機会を持つことで、豊かになった。一方で大人たちにも社会の情報が入る機会が増えたし、子どもを預けた分手が空いて、豊かになった。

よく、木の花の子育てについて「どのような教育論をお持ちですか」と聞かれることがあるんだよ。多くの人々は、良い教育を子供たちに施したいんだよね。今は乳児教育からあって、それをビジネスの対象にしてる人たちもいる。
教育とは、教え育むということ。子どもたちと付き合いながらこのコミュニティの中で暮らしていて思うのは、知識的な教育が必要な期間というのはあるんですよ。だけどそれと同時に、生まれてすぐの、お母さんがおっぱいをあげている時から教育は始まっているんだよ。
お母さんがどういう気持ちでおっぱいをあげているか。イライラしてたり、この子をこんな子に育てようと思ってたり、逆に子どもに翻弄されていたり。夜中に起きなきゃいけない時に、それをストレスとして接してるお母さんもいれば、子どもと接することが喜びであるお母さんもいるわけだよ。そうやって知らない間に、周囲の環境が子どもに影響していく。これは妊娠中も同じで、どのように妊娠期間を過ごしていたかということが、確実にその子に影響を及ぼしていくんだよ。
そうすると、これは保育という現場だけを考えてちゃいけないということでもあるんだよね。今、行政などで一般的に言われている保育現場以前の環境も、そこに影響してきているんだよ。

e6aa9e338205f1f950caa6a3c9cec822今、保育所に子どもを預ける人の割合が増えているのは、家庭自体に余裕がなくなってきてるってこと。そこも考えていかないと。ただ保育所を増やせばいいという話じゃないと思うんだよね。
安倍さんは、お母さんたちは日本の経済を支えるのに大きな戦力だと考えてる。少子高齢化で働く人が少なくなったら、家庭にいるお母さんたちにはどんどん外に出て働いてもらいたい。そのためには、子どもを持った時に、子どもがいるから働けないなんてことではいけない、ということだけど、それは、豊かさというものをお金をベースにして捉えているから、そういう発想になるわけだよ。

もう一つ考えるべきことがある。それは少子化の問題。これもなぜ若い人たちが子どもを産みたがらないのか、その背景から探って、では社会がどのようなサポートをしていったらその人たちが子どもを産みたいと思えるようになるのか、そこを考えなきゃいけないんだよ。今起きている現象はそれまでの時代が紡いできたことの結果なんだけど、そこを見ないで保育所を増やすという対処療法をやっている。待機児童を解消してくださいというお母さんたちの切実な声があって、それが結構な票になるから、それを獲得したい政治家たちが表面的な対処をする。結局政治家は票が欲しいだけなんだよ。

それで、今日はここに高校生が2人います。高校3年生のしょうたは、つい最近進路についての相談をして、保育士になるための大学進学を決めた。2年生のすさは、ずっと以前から保育士志望だったね。

130811-162215すさ:
もともと子どもが好きだから。中学の時の職場体験が保育園だったんだけど、一人ひとり全然違って、そこで自分はどう対応したらいいかを考えた。親とかいろんな人とコミュニケーションを取るのも楽しいけど、子どもが好きっていうのが一番かな。

いさどん:
国の方針としても、保育の仕事はこれから確実に重要になってくるよ。人員として求められるのと同時に、新しい提案ができる保育士が必要になってくる。木の花ファミリーという環境で育った人がそういう現場に行くと、きっといい人材になるだろうね。同時に、そういう人材はここだけじゃなく、社会にもどんどん育ってきてる。そう考えると、今の問題は次の時代には解決されるだろうと思うんだよ。
考えなきゃいけないのは、今の保育の現状だよね。今現在保育士として働いているしゅうくんは、今の保育の現場に問題点を感じることはあるの?

しゅうくん:
育てる側が育ってないなというのは、自分も含めてなんですけど、すごくあると思います。親が「この子とは遊ばせたくない」とか「この行事はやらせないでほしい」とか何かと連絡ノートに書いてきたり、逆に全然見ていない人がいたり、子どもよりも親の教育の方が大変だということが、本当に現状としてあります。

いさどん:
おやおや(笑)。しゅうくんは、その現状をどう捉える?

しゅうくん:
問題解決をしたいと思ってます。きっといい方向に進んで行くんだろうとは思いつつ、どうしたらいいのか解決策が見つからない感じです。

いさどん:
それはその現状を問題と見てるってことだよね。僕なんかそれを聞くと、うわー面白そうと思うんだけど、やっぱり変だろうか(笑)。だって、そこには多様性があるじゃない。それはその親が子どものころに自由に育った証拠だよ。戦争中とか戦後の厳しい時にそんなこと言ってたら生きてけないよ。今は余裕があるから、そこまでの好き勝手が表現できるわけで、日本て豊かな国だなと思うんだけど、どうですか?

しょうた:
すごいな。俺はそんな視点からは見れなかったよ。

いさどん:
その人たちはわがままな親とも言えるけど、もしその親の自由な発想のもとに子供が育っていくとしたら、いろんな可能性があるよ。こちらが好意的に観ていくと、親たちもそのエネルギーを協力的に向けてくれるんじゃないの。
何でこういう発想をするかというと、うつ病とか引きこもりとかで、ここでケアを受けるために親に連れられて来る人がいるでしょ。そこには問題があるということだけど、問題ごとを引き起こすのはエネルギーなんだよ。過保護や過干渉みたいなことをして、それだけのエネルギーを使って子どもを育てた結果そうなった。ある意味愛情とも言えるわけだ。それだけのエネルギーがあるんだから、今度はそのエネルギーをちょっと角度を変えて使うと、有効なものに変えることができる。そのための視点を、ここでは提供しているわけです。
安倍さんは6年前に総理になって、鬱病になった。あれは考え過ぎちゃったんだよね。あの時にここでケアを受ければこういう新しい視点が持てたのに(笑)、自分でいろいろ考えて、鬱じゃダメだ、躁じゃなきゃいけない、そうだー!ということで、お金をばらまき始めた。

なかのん:
国の借金が1000兆円を超えましたね。

いさどん:
本当は借金なんかしないで、収入と支出のバランスを取ればいいのよ。ところが国は自分でお金を印刷してるからバカなことができる。政治家も、自分のお金だったらそんなことしないのに、人のお金でやってるから、収入に見合わない支出をやってきた。それは国民のせいでもあるんだよ。自分の損得ばかり考えて、利益代表を政治家にしてきたんだから。
1000兆円の借金なんて、返せるわけがない。そこで安倍さんは、どこかでデノミネーションか何かでリセットすることを考えてるんじゃないかと思うんだよ。安倍さんは待機児童を減らそうとしてるとか、アメリカと仲良くして軍事バランスをとって日本を守っていこうとしてるように見えるかもしれないけど、実はもう、国を今までの状態では維持しきれない、だからリセットの前段階を踏むことを、どこかで考えてるんじゃないかな。

で、今日は保育の話だったね(笑)。
今の保育問題は、保育の現場だけを見るのではなく、社会構造として捉えないといけない。政治、教育、家庭。一人一人の生き方がどういった世界を創っていくのかということを、真剣に考えないといけない。すさやしょうたには、そういうことを考えた上で、子どもたちが本当に生きる力を育む現場を提供する、そのための知恵が湧き出てくる人になることに期待するね。

まり姉:
ここで子育てをやってて他と違うなと思うのは、現場で瞬間瞬間、子どもとキャッチボールしながら対話していくということ。それで自分が鍛えられるの。でも学校は、対外的に無難なところをやろうとする。こういう時はこういうふうにしたら大きな問題にならない、という考えがベースになってるのよね。でもここではその時その時の子どもとの会話を通して、間違っていたらそれはそれで大人としての責任として振り返って、常にその子とキャッチボールをしながらやっていく。そこでは、自分自身も問われていくよね。

いさどん:
すさもしょうたも、そういうところで育ったんだよ。大人が日々の生活の中でこんなに真剣に子どもと語り合う場は、ほとんどないよ。

なかのん:
何を大切にしているかってことだよね。人が育つことを大切にしているのか、それとも表面的に問題が起きないことを大切にしているのか。

いさどん:
子どもは本来社会のもの。それを、まだ保護が必要な間だけ、親が預かっているのが本当の姿なんだよ。子は親の鏡として、親の姿を映しだしてくれる。親は子から学び、子が自立するまでの間に十分に学ぶことができたら、ありがとうございましたと言って子を社会に返す。これが本来の親子関係だよ。自然界もそうなってる。社会に出たら、もう親子ではなくて対等なものなんです。
保育の現場も、教育的目的が先にあってそこへ持っていくための教育をするのではなく、その人にふさわしい生き方を提供できる場であるといいね。それができない現状があるとしたら、今までそういう価値観がなかったからこそこの現象が起きているということになる。すさはどうしたらいいと思う?

すさ:
やっぱり日本の政治家に問題があると思う。保育園も、そこだけではなく家庭の問題ともつながっているし、もっとその場をどういうところにしたいかという自覚を一人ひとりが持つってことだと思う。

いさどん:
政治家に問題があるというのはね、少なくとも日本は民主主義の国なんだから、誰がその人を政治家にしてるかってことなんだよ。国民一人一人の選択が今の現状を創ってる。それなのに、国民は深いところがわかってない。自分の損得ばかり考えてるから、利益代表を選ぶんだよ。さあ、どうしたらいい?

すさ:
一人ひとりが変わる。

130811-170137しょうた:
保育の現場でも、いろいろ問題があるじゃんね。子の問題、親の問題とかあるんだけど、その問題を全部なくしちゃったと考えたら、それは逆につまんない。それじゃ逆に仕事してる感じがしない。

いさどん:
しょうたもずい分変態になったね(笑)。

しょうた:
いいの変態で!みんないい子だったら気持ち悪いじゃん。ロボットみたいになっちゃう。問題が起きたらそこからやり取りすることで、自分も育っていくわけじゃんね。そういう関係を楽しむ。そういうのがいいんじゃないかな。

いさどん:
そうだね。問題ごとだって、いろいろあるのは個性の表現なんだから、そこを上手に視点を変えて、つないで多様性のある現場を創るという発想があれば、問題もけっこう楽しいチャンスになるんだよね。それをチャンスと捉えられるような視点を持つということが、心磨きなんだよ。
結局この世界は一人ひとりの人間にかかってるんだよ。他の生き物はそんなに他者に害を与えるほどの影響力を持っていない。人間に、全体を統合的にとらえられる視点がありさえすれば、世界は調和的になる。結局は魂磨きだよ。

ともこ:
じゃあ、今の保育問題もチャンスだということですね。

いさどん:
そうだね。結局いつも同じところに行くんだよ(笑)。すべてはこの宇宙の真理のもとに生かされてる。調和を乱すのではなく、調和を創っていくために我々はいる。
しゅうくんも、今保育の現場で色々と問題を感じているけど、それは嫌な場所にいて大変な思いをしているのではなくて、自分を磨く場所を頂いているわけだよね。そこを恐れずに向き合うことで、自分磨きになるんだよ。

しゅうくん:
いやだなと思うことも自分を育てるためにあるんだ、と思うと、他のところに行きたいなと思うこともあるんだけど、やっぱり今いる場所が一番いいのかなって思います。子どもたちの親がいろいろ言ってくるのも、自分たちに与えられてるのかな。
僕は今、ここで学んでるからそういう視点を持つことができるけれど、他の先生はわからないじゃないですか。そしたらとにかく自分は自分でやっていって、周りが変わっていくのを待っていくってことですか?

いさどん:
それはちょっと消極的だよね。さっきしょうたが自分はそういう視点を持てないと言っていたけど、こうやって話していくと、こういう変態な捉え方って結構有効だなと思うようになるでしょ。だから、押し付けるんじゃなくて、対話の中で時々そういった視点を出してあげるんだよ。そうするとちょっと楽になるね、とか、そんなに窮屈に考えなくていいじゃない、とか、そういうふうに別の視点を織り交ぜていって、知らない間にマインドコントロールしていく(笑)。
それができるには人間が大きくないといけない。やらねば、とかじゃなくて、気楽に出していく。そうすると、しゅうくんが来ると何となく和むね、というようになっていくんだよ。

この世界は、物理的にものは高いところから低いところへ落ちていく。ところが、気は低いところから高いところへ流れるようになっている。だから元気がいいと人が集まってくる。大変だ大変だと言ってたら、同情はされたとしても、あんな人と一緒にいたらこっちが疲れちゃうと言って敬遠されて、孤独になっていくんだよ。
だからもし悲観的になっていたら、これじゃあいけないと切り替えて、善意に捉えるにはどうしたらいいか、という訓練をここではするんだよ。しゅうくんのようにケアを卒業した人とも、こういったやり取りをしていけることは豊かなことだよね。そのやり取りを見て、また次のケアの人が育っていくんだよ。

で、保育問題についてだけど、結論は出せないね。
もし結論を出すとしたら、やっぱり、一人一人が自分というものに気付いて、魂磨きしかない、ということだね。

ともこ:
本当にそう思う。でも、そうはいっても現実問題として、子どもを預けないと生活ができないお母さんたちがいるよね。今の政策に納得はできないけれども、それでもやっぱり保育園は増えてもらわないと困る、だからそれが票集めのためであっても、やっぱり保育園増設をうたう政治家に票を入れてしまう。そういう人たちがこのブログを読んだ時に、何か視点を切り替えられるヒントになることを盛り込めたらいいなと思うんだけど・・・

いさどん:
そんな人、このブログは読まんでしょ。

みんな:
そっか~~!(笑)

いさどん:
そういう人は、まず木の花のホームページは開かんでしょ(笑)。それは3年くらい先の話じゃないかと思うよ。
これはあくまでも、宇宙視点を求めている人が読むもの。現状の世界に問題を感じて行き詰ってるけど何か突破口を開きたいと思っている、そういう人たちがまずは活かしていく。自分の子どもを保育園に行かせたいばっかりの母親では、何を言ってるんだかわからないのじゃないの。
やっぱり、わかる人からわかっていく、ということだよ。それがやがて広がっていって、いつかはみんながわかるようになる。そのためにも、気付いた人から、日々心を磨いていくということだね。

 


富士山世界遺産登録から、人類の未来が観えてくる

6月26日、ユネスコは正式に、富士山を世界文化遺産として登録しました。
日本中がお祝いムードとなったこの出来事を、宇宙視点から見てみました!

世界遺産登録の朝の富士山 ー おひさまハウスひまわりより
世界遺産登録の朝の富士山 ー おひさまハウスひまわりより

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ともこ:
今回富士山が世界遺産に登録されて、巷ではずいぶん話題になってます。今までも日本の世界遺産登録はいくつかあったけど、今回は今までにない盛り上がりみたいですね。

いさお:
やっぱり富士山は日本人にとって特別なんだよ。「我らが富士山」という感覚が日本人にはあるよね。

いさどん:
世界遺産に登録されるということは、それにふさわしい価値があるということだよね。
富士山は過去に一度、自然遺産で登録しようとしたけれど却下された。確かに富士山は見た者に感動を与えるし、特にスピリチュアルなことを感じる人には大きな存在としてあるんだけれど、では、自然遺産としてふさわしいように日本人があの山を守ってきただろうかというと、心の奥に秘められている富士山への愛着の割には、大事にしてこなかったんじゃないかなと思うんだよね。その結果が、自然遺産登録脚下になったんだろうと僕は考えるんだよ。
それで、世界遺産登録を諦めきれない人たちは、他の切り口を考えた。そして文化遺産でいこう、ということになり、相当な年数をかけて登録運動を展開した。僕らがここへ移住して来た時にはすでに世界遺産登録運動はあったから、少なくとも20年にはなるだろうね。そこまで続けて来られたのは、政界や財界も絡んでいたからだと思うよ。

今回、文化遺産として登録されたことについて、僕は矛盾を感じるところがあってね。それは、マスコミや地域、関係者のはしゃぎようが、どうも経済的効果への期待に集中してるところなんだよ。世界文化遺産として登録されたことで、本来は自然遺産と同じように保護されるべき対象の富士山に、現状はどんどん人が集まって、その経済効果を歓迎している部分ばかりが見えてくる。

明治時代の富士講の人々
明治時代の富士講の人々

そもそも、今回富士山が文化遺産として登録されたのは、富士講に代表される信仰の精神がもとになっているわけでしょう。だけど登録を推進してきた人たちの生活や人間性にそれが根付いているかというと、これはほとんど0の状態だね。富士山を紹介する映像を見ても、富士講だとかそういったものはネタとして使われている感じだし、お山開きなどの行事も行事として残っているだけで、精神性が伴っているかと言ったらほとんどない状態。イコモス(世界遺産登録の審査を行うユネスコの諮問機関)はそこら辺を把握して登録したのかというと、どうもロビー活動が功を奏したんじゃないかと捉えられるところもあるんだよね。
僕は、今回の世界遺産登録を歓迎はしていないです。しかし、こういった時代の中で、富士山が日本人の心の中に根付いているということをもう一度呼び覚ます機会にもなるということでは否定もしない。今のところ、様子を見ていかないとわからないというところです。

19年前、木の花ファミリーがここ富士宮の地で始まったのは、富士山があったからなんだよ。温泉と富士山、どっちを選ぶかという時に、両方あるといいね!と言ってたけど(笑)、そんな贅沢はダメ、どっちか片方にしなさい、ということで、やっぱり富士山を選んだ。

いさお:
そうだったんだ。

いさどん:
木の花ファミリーの名前は、富士山の主神である木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)から頂いているでしょう。そのくらい我々は富士山を大事に思い、ずっと心の拠り所として歩んできたんだよ。
昔から「霊峰富士」と言ってね、それがために周囲に怪しげな宗教が存在することにもなったわけだけど、多くのまっとうな宗教もこの精神性の要となる山を求めて集まってきた。世界文化遺産登録のもととなった富士講が山へ登る時には、六根清浄を唱えるでしょう。「六根」とは人間の五感と意識、「清淨」とはそれが清らかで美しいということ。それは、人間がこの世界に生まれてきて最も求めることであり、また、求めなければいけないことなんだよ。そしてその六根清浄の象徴が富士山なんだよ。

富士山に見守られながらの田植え
富士山に見守られながらの田植え

我々は富士山からご利益を得ようということではなく、この富士山を命の象徴として、その恵みである水と共に生き、健全な食をいただいて、自然生態系のネットワークを健全に表現するということをここでやっている。もともと、すべての生命の元は太陽であり、その太陽の恵みである火と水が合わさって、火水(かみ)、すなわち神となり、命(みこと)として健全に生きていくことが全ての人の目的にあるんだよ。つまり、我々は日々の暮らしの中で健全な生態系を表現することで、社会の健康の見本を示していくということをここでやっているわけだよ。
ということはまさしくね、我々はルーツは違うけれど、富士講の精神そのものを受け継いでここで生活をしているということになる。昔、富士講の人たちは、一般の生活をしながら時々富士山に登ってそれをやっていた。ところが木の花の人たちは、この地に根付いて、六根清浄の精神を日々の生活の中で表現している。そして人々が調和して生きていくという、未来の社会モデルを提示することを意識してここに暮らしている、という意味では、今回富士山が世界遺産になったことで、浅間神社や忍野八海、三保の松原などが構成資産として登録されたけど、その中にやっぱり「木の花ファミリーの生活」を入れるべきなんじゃないかと思うんだよ。

みんな:
おお~(笑)。

いさどん:
ところが、登録運動をしていた人たちも、イコモスも、文化遺産として肝心な、人々の精神性の部分が今日現在どこに存在しているのかということについては、残念ながら調査の対象から外しているんだよ。だからこの貴重な存在の木の花を見過ごしている。
ということは、(声をひそめて)これはね、僕がそれを不満として言っているように聞こえるかもしれないけど、実はこれは神の計らいでね、今これがわかっちゃいけないのです。今はまだ、形を優先して、形にとらわれてる時代だから、段階としてまず富士山が注目される。

ともこ:
なるほど(笑)。

いさどん:
しかし今回注目されたことで、どうやらこの夏の富士山の頂上付近は渋谷の交差点並みの混雑になりそうだね。これはイコモスも懸念してる。ところが登山者を制限するとなったら、関係者は自分たちのお金の話ばかりで喧々諤々の状態。見苦しいったらありゃしないよね。

いさお:
土産物屋のおじさん怒ってたもんね。「入山料なんて安易に決めてもらっちゃ困る!」って。

いさどん:
そう。怒る人と喜ぶ人といろいろで、これは利害そのものなんだよ。そんなところに話題が終始すること自体、富士山が文化遺産となった意味をみんなが理解してないということなんだよ。

ということで、ここまでは、地上の人間たちの生活と、生態系の象徴としての富士山を見て我々が精神性を保ちながら社会にどのように役割を果たしていくのか、という話。

これを宇宙視点でみるとどうなるか。
端折って話しますよ、ここからは。おっきな話になっちゃうからね。

自然とは、つまり自然生態系とは、絶対調和だよね。様々なものがそれぞれ独立した存在として、高いプライドを持っているということかな。ミミズもバクテリアも、カビだって、自らの存在を見事に主張しながらすべての生命が連鎖して、地球生態系を創ってるわけだよね。
さらに、宇宙の星と星の関係や銀河と銀河の関係に思いをはせると、その姿が地球生態系に表現されているのがわかる。その地球生態系は無限なる連鎖として、ひとつの地球という命を紡いでいる。そしてそれを担っている我々一人一人の中にも、小宇宙としての無限なる生命の連鎖があるんだよ。
というふうに考えると、我々はこの自然の象徴である富士山を通して何を観るかと言ったら、宇宙を観ることができるんだよ。宇宙というと地球から離れた遠い世界のような気がするけど、実は我々が観ているこの世界が宇宙であり、自分の魂の器になっているこの肉体も宇宙なんだよ。我々の体も、自然生態系も、宇宙も、すべてが相似形として創られていると考えると・・・・富士山が世界文化遺産として登録されるということは、その本当の意味は、宇宙の法を人間たちがもう一度取り戻し、我々人間の存在する意味を知るチャンスだということ。本当はそうあるべきなんだよ。

国際会議でファミリーの暮らしを紹介するみちよちゃん
国際会議でファミリーの暮らしを紹介するみちよちゃん

その意味を知っている人が世界に何人いるか知らないけれども、少なくともここでは語り、そしてそれを日々の生活の中で実践してるわけだ。これは手前味噌の話じゃなくて、まさしく木の花ファミリーがあってこそ、世界に向けて富士山が文化遺産として登録されるのはふさわしいと思うんだよ。今みちよちゃん(ファミリーメンバー/グローバル・エコビレッジ・ネットワーク理事)がヨーロッパに出張して、世界各国の人に向けたプレゼンを富士山麓のエコビレッジからのメッセージとして発信しているのは、とても意味のあることだよ。だけど世界遺産登録に尽力した多くの人たちは、その肝心なところにまだ気付いていない。

ともこ:
尽力した人たちもそうだろうし、社会全体も、信仰が認められて文化遺産になったはずが実はその信仰の実態がないまま登録だけがなされたということを認識していないね。

いさどん:
信仰の部分は言葉としては語られているから、それが意味深いものであるということは意識してるよね。だけどそれが人々の生活に本当に定着しているのかといったら、ほとんど0でしょう。

いさお:
他の国の文化遺産はどうなんだろうね。今ふと思ったけど、「遺産」という言葉を使ってるでしょ。

いさどん:
結局イコモスの姿勢もそこがあいまいなんだろうと思うんだよ。僕はこの地域の取り組みを見ていて、富士山を自然遺産で登録するのは無理だろうと思ってたんだよね。じゃあ文化遺産ならどうかいったら、確かに過去にはその文化はあったけど、まさしく遺跡でね、そういったものは本来は根付いていくべきものなのに、現状は化石のようになっている。
だけどその化石に対して、木の花ファミリーの存在が、クローン技術で恐竜を蘇らせるように、六根清浄からなる富士山信仰を現代に蘇らせることができると考えるわけだ。

いさお:
遺伝子を拾ってきて、みたいな(笑)。

いさどん:
そうそう。それは霊的なものとして、もともと人間の魂にDNAとしてインプットされてるものなんだよ。

ともこ:
ここでそれを保っていったら、みんなの中にも実はそれは眠っているから、いつかそれを呼び覚ますきっかけになり得るってこと?

いさどん:
だからね、「世界文化遺産登録」という切り口だけで語ると、それが見えてこないわけだよ。そこで富士山を、霊峰、信仰、六根清浄というふうに分解してね、さらに、それをつなげ直していくと、人間と富士山の付き合いということだけに限定された話じゃなくなるわけだよ。それは人間と自然とか、人間と命、人間と神であり、神というのは八百万だから最終的には宇宙全体と人間との関わりということになって、人間とこの世界全体の話になるわけだ。
人類は今後も進化し続けて、いつか人間は、自分たちが何者かということを、自分たちを離れた位置から観るようになる。今は物理的に地球から離れて地球を見ることができるようになったでしょ。観測上の概念だけだったものが、実際に宇宙空間に飛んでいって見れるようになったわけだよね。そこまで人類が行くとね、思考の中に眠っている宇宙観がよみがえってくるんだよ。

いつか必ず、人類の進化の延長に、この富士山文化遺産登録の意味がよみがえってくるよ。今、世界遺産登録という切り口だけで語ると、富士山の話に限定して未来を語ることになってしまう。そうするとなんとなく、そういった信仰の対象は富士山だけ?というように、宗教的なせまい意味になる。宗教が自分のところが最高と言って他に対して排他的なのは、自らの切り口からだけで見るからそのようなことになるわけでしょ。それと同じことが起きてしまうんだよね。ところが本当は、どの切り口からであっても同じところに行き着き、すべてを網羅しているものなんだよ。
富士山を登る時に、登山口はいっぱいあるでしょ。どの登山口から登っても、登っていくときには絶対迷わないよ。だって頂上は一つしかないから。でも降りる時には迷うんだよ。下り口がいっぱいあって、それこそ道から外れてあの樹海の中に入ったら出て来られないかもしれないわけだよ。
人生という登山も同じだよね。高みを目指すときには絶対に迷わない。最終的には道はものすごく狭くなって、宇宙の根源の唯一お一人である神様に行き着くだけなんだよ。そこだけ観ていたら絶対行き着くんだよ。ところが下へ下りようものなら、もう迷う道はいっぱいある。いろいろ我が出てきて、問題ごとに出会って、迷うことになるんだよ。

そういう視点でとらえたら、今回の世界文化遺産登録は、いつか必ず人類が到達する道を示していると言えるわけだ。人類は必ずそこへ歩みを進める。ただ、今はほとんどの人がその意味を分かってない。我々はそれを理解したものとして、だからこそ大事な歩みをしていることを自覚するべきなんだよ。それによって、この生き方が大切だということに確信を持って、より力強く歩むことができるでしょ。一人一人はバカやったり迷ったりしたこともあったかもしれないけど、ああ歩んできてよかったな、と思えるでしょう。

ちいこ:
質問です。さっき、頂上を目指すのは簡単で、下りる時には迷うって言ったでしょ。ということは、精神的に高みを目指す方が簡単で、落ちる方が実は難しいってことなのかな?

いさどん:
たとえばね、正直をやることと嘘をついていくのと、どっちが難しいと思う?

ちいこ:
んー・・・・今は正直の方が難しいと思う。

いさどん:
そーお?正直であるということはね、真実を言っていけばいいだけなんだよ。かっこ悪かろうが都合が悪かろうが、真実は1つしかないんだからすごく簡単なんだよ。
だけど嘘をつくと、ついた嘘がバレそうになったらまた嘘つかなきゃいけない、すると今度はあっちでもこっちでも嘘つかなきゃいけない、というように広がっていって、だんだん嘘のかたまりになって、どれが嘘か正直かがわからなくなってしまうんだよ。それに対して正直は、一つしかない、一本道。だから高みを目指すことのほうが簡単なんだよ。なのに人間は、ついつい嘘をついてしまうんだよね。

ともこ:
なんでだろうね。私も正直の方が難しいって思ってるよ。

ちいこ:
思っちゃうよねえ、みんな。

いさどん:
正直の方が簡単に決まってるんだよ。いつも言ってるじゃない。

ともこ:
その簡単な正直を阻むものはいったい何??

いさどん:
それが心の汚れってものだよ。執着とかね。つまり、堕ちていく世界だよ。
本当は美しくなっていくことなのに、それを苦しく感じる人間の精神とはなんだろうね。

みんな:
わかんないね~。

いさどん:
人間てそういうところがあるよね。バカやってストレス解消したりして。ビーガンやりながらたまにはカップ麺食べたりとか(笑)。
最近思うんだけど、人にはいろんな心の道があるでしょ。どの切り口から進むかを選べるわけだけど、そんなものは実は手段にしか過ぎないんだよ。じゃあ目的はどこにあるべきかといったら、まずは我々の体の構造を見ること。我々の命の構造が大きくなって地球生態系の構造となり、更に大きく太陽系の構造となり、それが銀河の構造となり、大宇宙の構造となって、それらすべてが我々の器なわけだ。その中の一部として、我々にはどのような役割が与えられているのか。それ以外の最終到達点があるだろうか、ってことになるんだよ。
人間たちはまだまだ、幸せだの悟りだの、特定の手段や信仰の形で求めようとしてるけど、そういう手段の先にある、共通の真実を知ること。それは、自分の中に真実を開いていくということなんだよ。そして真理の光がさしていく。それにはご利益的な信仰を超えなきゃいけないんだよ。

なかのん:
おもしろいと思ったのは、信仰の対象は自然なのに、今回富士山は自然遺産ではなく文化遺産で登録されてるんだよね。

いさどん:
そうだね。自然は本来文化を生み出すもとなのだから、自然=文化なんだよ。

なかのん:
他の事例だと、文化というと建物とかそういうものが取り上げられるけど、自然物が文化遺産として登録されたことによって、自然遺産で登録されるよりもより本来の姿が表されるようになったのかな、と思う。

いさどん:
表されると言っても、今の人たちは世界遺産登録の本当の意味がわからなくなってるよね。だって文化遺産登録されたのに、誰も六根清浄について考える人がいないわけだよ。ただ富士山に登って、きれいだとか感動したとか言って土産物を買っていくくらいのことでね。
誰か、「信仰」の意味を辞書で調べてくれない?

ようこ:
ウィキペディアには「神や仏などを信じること。また、ある宗教を信じて、その教えをよりどころとすること」と書いてあるよ。

いさどん:
でしょ?それは人間に特定されたものであって、本当はそれを超えなきゃいけないんだよ。人間の目から見た信仰では世界が狭い。宇宙はすべてを包括して、人間も含めて、「あってあるもの、なきてなきもの」という境地へ行くべきなんだ。それが悟りというものだから。
悟りとは、つまり「信仰」を離れることだね。神や仏などの対象と合一することなんだよ。

ちいこ:
さっきいさどんは、人間たちはいつか自分たちを離れた位置から自分たちを観れるようになる、って言ってたよね。そのためにも、この富士山世界文化遺産登録には意味があるのかな?

いさどん:
それはあるね。だってこれも、歴史を刻んでいく中での1ページだからね。ただ、人間て後から理解することが多いよね。その出来事が起きた時にはそれがどういった意味を持っているのかはわからないんだけど、わからないまま進んでいくと、次々と新しい展開につながって、いつか理解できるようになる。だから、今はわからなくてもいいんだよ。

いつか必ず、この富士山世界文化遺産登録の意味を、人々が知る日が来るだろうから。