ないからこそ豊かさに気づく

「自分の思いを自分だけの中にしまっておくと、それはただ単に自分だけの思いだが、それをいったん自分から外に出すと、みんなに共有されてみんなの思いとなる。ただ、自分の思いを実現したいという思いがあると、それが叶えられない時、自分が否定されたと思ってしまう。自分から見たら素晴らしい考えで、全体の調和を生み出すように見えることでも、それが現実には他の幸せをこわし、自分をこわしていることに気づいていない。

物事を片面からではなく、多面的に見るということ。では、どうしたら、そういった見方ができるようになるのか?とよく聞かれるけれど、それには、『人の思い、言葉、行動に心を向けて、自分の思い、言葉、行動に心を向けて、それが何をもたらすのか、じっくり観察すること。』そういった意味で、大人会議は検証のいい場であると言える。

『いただく心』、『信ずる、神様に心を向けること』、『神様じゃなくても、多様性、いろんな考えを認める心』が、物事を観ていく上で大切。

いそがしいから、ゆったり過ごしたいと思っても、それが与えられないから不満を抱くのでなく、『ないからこそその豊かさに気づく』ということ。そういった心の在り方で生きていけることが幸せへの鍵」

常にみんなのこと、全体のことを考えていて、頭を休めることがないいさどんですが、今朝のいさどんから感じられる空気は、とても優しくやわらかいものです。それは、「ないからこそ豊かさに気づいている」いさどんの心の現われだからでしょう。

「ないから不満」と「ないから感謝する」。同じ出来事でも、その心がまわりにもたらす影響は、あなたが想像する以上に大きいものです。さあ、今あなたは、自分自身に、まわりに何をもたらしていますか?


自らが尊きものとなり

昨日のブログでは、私たちが常に互いの心を確認し合い、日々、御心のままに生きようと努めていくことについて触れました。木の花ファミリーで、互いの心を確認する格好の場が、大人全員が集う夜の大人会議です。

その大人会議でよく引用される、いさどんを通じて湧き出た神様の言葉があります。ファミリーそれぞれが、日々心を磨いていく中で、神様に語りかけていく中で、大切にしている言葉の数々。今日は、それらのうちの三つを紹介したいと思います。

神様の知恵の泉が、みなさんの心を少しでも潤わしてくれますように。

「この道は貴き道ゆえ、心して来るがよい。そして、いつか修行を終えたあかつきには、我らがもとへ来るがよい」

「尊きもののところへ行き、救われることよりも、自らが尊きものとなり、他を救えるものとなれ。これからは、ひとりびとりがイエスやブッタであるぞ」

「これからは、組織をつくるのではないぞ。人々が集え。集って語り合え。語り合う中から真理がうまれてくる時代であるぞ」

追記

「尊きものの~」は、悟りを人生の第一とする、たっちゃんの大好きな言葉です。畑をやろうが食当に入ろうが何をしようが構わないけれど、この生き方だけは譲れないと熱く語ります。

大人会議で、いさどんが大事を語る時、いつだって真っ先にいさどんに質問をするのはたっちゃんです。それだけ、彼の中に求める心があるのでしょう。

心の大事を道理で伝えることができるたっちゃん。今後ますます、木の花で重要な役割を担っていくことでしょう。

お誕生会の席で心の抱負を語るたっちゃん
お誕生会の席で心の抱負を語るたっちゃん

コミュニティとしてのブッタ

「なかなか、自分の姿を客観的に観ることは、難しいよな。だから、たくさんの人とおって、互いを見合わなあかん。」

今朝のいさどんから出たひとことです。「自分のことは自分が一番よくわかっている」と思いたいひとは、とかく人から何か指摘されると、自分を守ろうと対立を生むことがあります。「自分のことを知れば知るほど、自分のことを知らなかったことに気づく」人は、常に謙虚に、素直にまわりの人の言葉を受け取ることができます。さあ、どちらが自分にとっても他人にとっても、幸せな人生を歩むことができるでしょうか?

木の花を訪れる人で、今の生き方に行き詰まりを感じている人の中には、「大勢で住むと仲良く楽しそう!」とすぐに移住したいと思う方もいらっしゃいますが、その仲良く楽しく暮らす生活の奥には、それぞれが「自分の心を磨いていく」志があります。心のどこかで、「今の自分を変えたくない」と思う人には厳しい道かもしれませんが、「どこまでも成長し続けたい」と願う人には、楽しく希望にあふれた道です。

ベトナムの僧侶、ティク・ナット・ハンの以下の言葉は、まさに私たちの心をそのまま表しています。

「次のブッタは人間の姿で現れることはないだろう。次のブッタはコミュニティの姿で現れるかもしれない。それは他者を理解しようと努め、互いに慈しむ優しさを持ち、大事なことを常に意識しながら、人々が暮らすコミュニティである。これこそ地球の命をつなぐために私たちにできる、最も大事なことではないだろうか」

ひとりひとりがリーダーとしての意識を持ち、神様の御心のままに、みんなの心をひとつに合わせていくこと。昨夜の大人会議でも、みんなの心を確認する大切な時間がありました。私たちはそうやって、日々、互いの心を常に確認しながら、神様の心をみんなで表しています。


宇宙の意志を地球上にふりまくセンター、木の花ファミリー

「人は、とかく自分に近いものだけの幸せを得ようとするけれど、それが菩薩の意識になると、地球全体のことを考えるようになる。また、それが神の意識になると、地球をはなれて宇宙空間の中で、どう天体を動かしていくのか、ということさえも創造していくことができる。宇宙人意識で、太陽系の外をも、宇宙をも、創造していけるということ。人には、それだけの可能性がある」

いさどんの朝のお話を聞いて、ファミリーのようこちゃんは、「そうか!そういう意志で地球上に生きていくこともできるのか!」と目から鱗です。新しい生き方に希望を見出し、わくわく楽しそう。ただ、一方のひとみちゃんは、「難しそう。自分にはできない」と言います。それを聞いてようこちゃんは、「なんでひとみちゃんは、色のないものに、わざわざ『難しい』という色をつけてしまうのかな?」と不思議そう。

そこで、いさどんは優しくふたりに語ります。「人それぞれの魂の歩みがあるからいいんだよ。ただ、『自分にはできる』とか『これからそうなれるんだ』とか、もっといえば、『もう、自分はそうなっているんだ』と思うこともできる。どんな手法を使ってもいいんだよ。いつかはみんな必ず同じところに到達するんだから」

最近、ファミリーメンバーから、「いさどん、なんか変わったね。人間の意識じゃなくて、宇宙人の意識みたい」という声も出るほど、いさどんのこころは自由自在にこの世界を観ています。どんどん進化する木の花ファミリー。自由に楽しく成長していく私達をいつも見守ってくださる方に、今日も一日感謝します。

追記:

この日、午前中の作業を終えたひとみちゃんが、彼女の気づきをシェアしてくれました。
「収穫チームで作業をしながら、『何でも私は難しいと感じてしまう』という話しをしているときに、ちょうど翔太が通りかかったの。雨にぬれてずぶぬれで傘をさしている翔太に、あきちゃんが、『どうせずぶぬれなんだから、傘さすのやめたら?』と言ったら、翔太はぱっと傘をさすのをやめたの。さらにあきちゃんが、『ぬれてるんだから、そのまま泳いでいったら?』と言うと、彼は泳ぐふりをしながら楽しそうに去っていった、ということがあったの。今まで私は、まず人の話を聞いて、それから、自分の中で理解しないと次に進めない、というのがあったんだけど、それじゃ歩みが遅いなって。翔太のように、ぱっとその場で受け取っていくと、軽やかに生きていけるんだって、気づきがあったの」と嬉しそうに話すひとみちゃん。そう、ここにもひとつ、宇宙の意志がふりまかれましたね。


手放すということ

「ダメだなあ」今朝、開口一番のいさどんのことばです。

「何がダメなの?」と聞くと、「夢の中で怒ってた」と言います。

「昔はよく怒ってたんだよなあ」といさどん。

「今は日常生活の中で、大抵のことが起こっても、それを容認できていると思っているけれども、心の奥には、例えばこちらが理解できないことに対して、怒りの感情があるんだよな。夢の中では、それがリアルに起こるから、自分の中にそういった感情があるというのがよくわかる。ただ、そういった感情が湧いてきたときに、悲しくなったり自分はダメだと思うんじゃなくて、『ただ、あるんだなあ。』と」

とかく、人は心を磨く道の過程で、自分の中のいろいろな感情に出会ったとき、「こんな自分はダメだなあ」と思いがちですが、そうなる必要はないということをいさどんから感じます。また、ダメだからそれをどうにかしよう、と力が入る必要もないんだと。ただただ、「そういう自分があるんだなあ」と今の自分を受け入れ認めること。それが、手放すということなんだと。

昨日のブログを読んで、「そうか、手放すということが大切なんだ。ようし、どんどん自分の枠を手放していくぞ!」と思ったあなた。昨日のブログの話ではないですが、「手放そうとしないことが、手放すこと」につながるのです。そう思うと案外、「自分の枠を手放すこと」は、日頃つい頑張ってしまうあなたが思っている以上に、簡単で楽なことなのかもしれません。

それもそのはず。いつだって神様は、苦しんでいるあなたを見るのではなく、共に喜びを分かち合いたいと願っていらっしゃるのですから。