瞬間瞬間がオリジナル ~ 群れが個人を目覚めさせる

いさどん:
個々の存在は、それぞれが独立した生命だ。その独立しているものをひとつにする時に、物理的に結ばれる行為がある。結ばれることによって、共通の目的が生まれ、心がひとつになる。

ただ、物理的に結ばれる行為の奥に思惑があると、それは結ばれる行為の本来の目的から外れる原因となる。そして思惑と思惑がぶつかり合い、複雑な現象がそこに生まれる。
無垢の状態でひとつになれれば、溶け合って、そこに新たなひとつが生まれる。それは美しい世界だ。そこでは、言葉はいらない。

──── 合体することは、大切なことだよ。

ともこ:
どうして男女でしか合体できないんだろう。誰とでもひとつになれるわけじゃなく、男と女でしか合体できない。

いさどん:
そんなことはない。男と女の対向発生が元となり、それが全体に広がっていくのだから。昔なら群れの中のヲサが神事として交わりを行い、女性にそれを伝えることで群れが安定した。
ただ、昔の一人は個人というよりも、単なる群れの中の細胞にしか過ぎなかった。しかしこれからは、個人がクローズアップされていく。個々が目覚めていくために、群れの中にいることが重要になっていく。一人ひとりが群れを形成するための全体性を持った個人として、目覚めるということだ。

昔は、生きていくために群れの形態をとることは必須だった。そうしなければ存続することができないから、やむを得ずそうしていた。しかし今の社会は、生きることはそれほど難しくなくなった。だからこれからの時代は、個人が群れの中に暮らすのは生きるためではなく、目覚めるためだ。
群れの生活形態が個人を目覚めさせる。全体性を学び、エゴを洗い流し、世界の構造を理解するために、群れの暮らしが必要になる。群れて生きた結果、個人はそれぞれの歩みや個性にふさわしく目覚めていく。そしてそれぞれの事情を生かしながら、全体を創っていく。

これまでの時代は、人々は自由で個性的に生きているかのようで、実際は一律な欲求に翻弄され、惑わされて、極めて個性のない人生を生きてきた。しかしこれからの時代は、群れの中で生きる者は個人としての意識がより確立されるようになる。それは、本来別々の個性を持つ人々が一律な価値観のもとに既製品化されてきたこれまでの世の中の流れとは、逆の方向に進むということだ。

僕は群れの中の一人ひとりに、個性的であることを求めている。しかし与えられることに慣れてしまった人々は、自らそれを目指し、獲得して、輝いていくということを怠る。もっとギラギラしたらいい。そのギラギラとは、宇宙の実相である活性であり、我々が生きる上での生活の表現でもある。そしてそれは、エネルギッシュで魅力的だ。その延長線上に、それぞれの役割や個性的な表現が充実していく。
そこでは、個人プレーは大いに歓迎される。それは全体性のための個人プレーだから。

ともこ:
2012年12月21日の闇のピークに向かって、時代は既製品化の方向へと進んできた。私たちはその極みに生まれた、まさに既製品化を体現している存在だと言えるね。そして時代が闇のピークを越えて新たな方向へと進み出した中で、今なお既製品になろうとしている。

いさどん:
そうだね。しかしそこに違和感を感じ、抵抗する人々も現れ始めた。

ともこ:
これまでは、既製品化しながらどんどん分離していく時代だった。

いさどん:
同じようなものでありながら、プライドが「自分だけは違う」と自分と他者と区別しているんだよ。

ともこ:
今、自分の心が分離の極みの状態になっているのがわかるよ。自我が強くて自分にばかり意識が向いて、周りとのつながりを忘れている。そういう自分たちが今、再び群れの中で暮らし、共に生きることを始めたというのは、すごくおもしろいね。

いさどん:
それを人間がやりきれない分、地球や宇宙が、群れで生きることの後押しをしてくれている。
世界は常に我々に、つながっていることや、生かされていることを教えてくれている。例えば呼吸を止めても、眠らなくても、トイレを我慢しても、食べることをやめても、食べ過ぎても、生きることの原則から外れるとすぐに苦しくなるでしょう。そうやって世界はいっぱい教えてくれている。しかし人々はそういったことを忘れているから、それが今の世の中に生き辛さとなって現れている。これまでのようにわがまま放題で好き勝手に生きることは、これからはやれなくなるということだよ。それが地球の意志であり、宇宙の意志だ。

そもそも我々は、地球というコミュニティに暮らしている。それは、災難が起きたからといって一夜漬けのように群れでつながることとは違う。日ごろから二つのものが完全に一つになるというくらい、つながって生きる。それは阿吽の関係で生きるということだ。

ともこ:
今はまだ、ひとつになることを勘違いしていると思う。既製品化することで「みんなと同じなんだ」と自分を安心させて、それでひとつになろうとしている。

いさどん:
ひとつになることは、個が自立し、目覚めるためにある。ひとつになることによって、自らのキャパを広げ、自由自在に行動し変化していくことが可能になる。そういった余裕を身に付けるということだ。
これはやはり体感を伴わないと難しいだろうか。言葉だけで語っても、結局は聞くだけになり、現実が伴わないものになってしまう。

ひとつになることは、極めて重要だ。それぞれの事情があるから組み合わせによって意味が変わってくるが、それにしても交わることはとても大切なことだ。低俗な交わりをしていては、その有用性に全く気付けないどころか、本来の意味とはかけ離れたものになってしまう。それはただやればいいというものではなく、高次の交わりをできるだけの精神状態を有していなければ、害をもたらすことにもなる。
高次の精神状態があり、それにふさわしい交わりをすることによって、その場に出会うそれぞれの者たちの事情に相応しい有効な働きが生まれる。それは、交わることにはこういう効能があるのだと言って、マニュアルのように行うものではない。この世界は瞬間瞬間がオリジナル。常に今と向き合い、新鮮に生きるということだ。

ようこ:
だからいさどんはいつも、自らの価値を高めなさいという話をする。価値を高めると、自動的に既製品の世界から脱却してオリジナルな存在になるから。

いさどん:
そうだよ。しかし人は既製品でいたがる。自分らしくオリジナルに生きることに慣れていないし、自分が自分らしく生きると、風当たりも強くなり責任も生じるから、既製品の中に逃げ込んで楽をしていたいんだよ。
中には既製品として安穏としていながら、自分の自我は表現したいというたちの悪い者もいる。

 

────── 僕はこれから、地上の肉体を考えずに生きていく。

明日は早いから早く寝なければとか、今日は作業が忙しいからその前に休んでおこうなどと想定して自らに配慮するのは、現象を先取りしているということだ。それではいけない。僕の中には、そういったことを無視している自分がいる。

そんなことを考えながら、僕はこう思った。「突然死するのはいいな」と。

僕は今、自分の体がとても不自由だ。しかしどことなく、この状態だな、これでいくんだな、という感覚がある。突然死、いいと思わない?「来た来た来たー!!」という感じで、リセット。そして僕が死んだら膨大な情報が残してあるから、それを研究する者がきっと現れる。僕が生きている限り次がどんどん出てくるから研究はしないが、もう出てこないとなったら「あれはいったい何だったのだろう」と研究する者が現れる。その時に、びっくりすることになるだろう。「こんなものが出ていたのか!」と。
僕は早く突然死するために、これからも大量の情報を残さなければいけない。それを残せば残すほど突然死が待っているのだから、よし、残してやろう。そして、目指せ突然死!!

ともこ:
毎日を真剣に生きていれば、いつ死んでもいい覚悟が自然と生まれる。それは自分に対してもそうだし、人に対してもそうだね。真剣だったら誰かが突然死しても、そこに後悔はない。

いさどん:
依存していると、後悔するよ。

 


 

地球はそもそもコミュニティ

その中で生きるとは、どういうこと?

「1ヶ月間の真学校2017」

「医」「農」「食」「経済」「環境」「教育」「社会」「芸術」─── 多彩な切り口の講座を通して、私たちはなぜこの世界に生きているのか、あなた自身の中にある真実の目を開く、ダイナミックなプログラム
1ヶ月間木の花ファミリーに滞在し、宇宙視点で日常を生きるとはどういうことかを実体験として学びます。

【日程】2017年2月19日(日)~3月18日(土)
【会場】木の花ファミリー
【定員】15名 定員に達し次第受け付けを締め切ります。
【参加費】18~22万円 収入に応じたスライド制です。受講料や食費など1ヶ月間の滞在費全てを含みます。

講座詳細やこれまでの受講生の体験記はこちら!

→ 1ヶ月間の真学校ブログ

 


お釈迦様の時代の悟りから、新たな時代の悟りへ

ある日の大人会議で、「いさどんの七夜物語」シリーズ第六話がシェアされました。

 
こうちゃん:
この七夜物語の第六話には僕のことがたくさん出てくるんだけど、自分を振り返ってみると、あのころから比べて意識的にとても変化したと思う。これはとてもいいなというか、誇れるというか、今日読み合わせた七夜物語の第六話の中でいさどんが話した境地までは、まだ至っていないと思うけれど、この先が楽しみだと思います。
これを読んで、みんなは「自分が主役であること」や「一人一人が全体性を持つことが大切」と言っていたが、それと同時に僕が思うのは、こういった意識を七夜物語のところからずっと育ててもらったのだと思っています。
この意識を日常でいつも持っていたら、常に自分が主役であるという意識を持つことや全体性を意識して心がけることに加えて、世界観を広げる意欲があれば、その延長に着実に歩んでいることを感じられるし、今度アンテナショップもできることになったので、そこにこの心をもっていけば、外の人たちに異次元空間は提供出来ると思っている。

いさどん:
人間に生まれてきた「性(さが)」、これを人間性といいますが、その人間性は生きているとどのレベルかということが問われます。人として生まれてくるものの特徴は、思考回路が複雑で、願望を持つようになり、さらに願望を膨らませることもします。そこに、長年生きてきた結果しみついた心の癖(カルマ)に翻弄されて生きれば、さらに複雑な生を生きることになります。
そういった生を通しての経験は、垢を取り去り、意識が高まって高次元の美しい人生を生きるようになるのが本来の在り方ですが、人間の性(さが)というのは低い次元の状態でいると、しみついたカルマが垢として、高次元の美しい人生に到達することの障害物にもなるものです。そして、そこで得た経験やものが執着となり、さらに人生の足かせになっていくものなのです。

現代社会において、高い地位や優れた能力を発揮し、評価されているような立場の人々が、その立場に相応しい立派なことを語っていても、その人の奥にある精神性が、自我そのものであるということが今の世の中にはたくさんあるのです。優れた能力を発揮したからといって、その奥にある性質により、その人自身の霊的な価値は図れないのです。結果それでお金儲けに走ったり、その立場に執着するようであれば、世の中に混乱をもたらす原因にもなるのです。

それは、今の時代の成功者として評価されているリーダーたちや、政治家、経済人、宗教家、教育者などなど、そういった人たちが多いのです。そのような人々は、自らの内側に向き合い、自分の魂を潔く禊ぐくらいの精神を持っていかなければ、自らは善い行いをしていると思っていても、世の中には混乱をもたらす原因となり、霊的には罪人にもなるのです。

そういった現代のからくりが、今ひも解かれる時を迎え、社会ではその裏側が各方面で暴露されてきています。パナマ文書はその一つの事例です。そのような現象は、今地球のマグマが活動期に入り、世界中の火山が活発に活動し始めたように、それはある意味、精神世界の火山が噴火し始めたようなものです。このような世の中の闇の部分は、これから益々暴かれていくことになるでしょう。

そういった時代を表現する人間の性(さが)に対して、その昔お釈迦さまは仏法を通してどのように道を示したのでしょうか。すべては、自分という認識が成立することによって世界を解釈し始めることから始まります。人のすべての解釈は、自我の成立から始まり、その自我の位置を基準としてそれを尺度とし、この世界を図り始めます。ですから、始まりの始まりは自分というものの成立から始まっているのです。

一体全体、人間とは何者なのでしょうか。そして自分とは何者なのでしょうか。ほっておけば悩むし、ちょっと迂闊にしていれば腹も立つし、妄想も膨らませれば、願望も膨らみ、それに囚われればことが成らないといって萎縮もするし、ことが成れば自信過剰にもなる、感情の荒波に翻弄される複雑な存在です。それが、それぞれの個体で個性的な特徴を有し、無数に存在しているとしたならば、このような不可思議な生き物がほかにいるでしょうか。

そんな人間の中の自分というのは何なのか。自分が存在するばかりに、この世界を解釈するのです。その解釈は、人間の数ほど尺度があり、人間の数ほど物事の捉え方が違うのです。それを客観的に観察すると観えてくるものがあります。その目線は、自分というものの自我の窓を通してしか外が見えない。どんなことをしても、自分以外の窓から見ることはできないのです。そして、この自分というものをどのように捉えるのかというと、お釈迦さまの示された道はネガティブモードの道だったのです。

その道の始まりは、生老病死に始まり、人生の全ては四苦八苦なのですから。だから、この世界に生まれ存在することの全てが苦痛であると、説かれたのです。そして、生まれ出ることが苦痛の始まりであり、生きることが苦痛の連続なのですから、その苦痛から離れるためには、どうしたらよいのかと考えたのです。そこにはたくさんの理屈があるのですが、結局は自我という尺度を持っているから苦しみに出会うのだと結論づけています。そして、諸行無常、色即是空と説いたのです。

しかし、そのような苦痛からの解放を求める境地のものに、手法としてこのように思えばいいんだと伝えたところで、その思いが湧き出す自分がいる限り、思いは湧いてくるのだからどうしょうもないのです。そこでどのように瞑想をしたところで、その結果は迷走に繋がることになるのです。それは、実態の伴わないバーチャルな体験に基づく境地を求めるものだからです。このような体験をいくら積んでも、その思考形態で生きていること自体、四苦八苦を産み出す仕組みの中にいるのですから。
そこで、どうしたらいいと思いますか?

A子:
死ぬ。

いさどん:
死ぬ?違うよ。死ぬんじゃないよ。反対だよ。

B男:
生まれなければいい。

いさどん:
そう。お釈迦さまは、生まれなければいいと示したのです。生まれなければこの苦しみを体験することもなく、結果この苦しみから解放される。お釈迦さまはネガテイブですね。(みんな笑い)

生まれてきたが、人生で出会うのは四苦八苦で苦痛の道だから、ここから逃れるためには、生まれなければいいということになります。生まれてくるということは、肉体という特定を得、自我というカルマが発生し、それにふさわしい自我の人生を生きることにより、それが次のきっかけとなり、また生まれてくる。何回も何回も生まれ変わって輪廻を繰り返すのだから、そのけじめのない輪廻に嫌気がさし、生まれないためにはどうしたらいいのか、又はなぜ生まれてくるのかを考えたのです。そうして行きついたのが、「自らに囚われ、執着する心に自我が成立することにより生まれてくる」ということ。それが人間の性(さが)なのです。

ところが面白いことに、13000年前の叡智であるカタカムナでひも解いていくと、ヒトという境地に至った存在は、完成された悟りの境地のものを指します。そこでは、「ヒトであるということ=この世界の始まりから終わりまでを悟り、統合している者=悟っている状態」と示しています。それは本来、仏教で言う、生まれてくることのないもの、もしくは生まれてきたとしても、人の性(さが)に苦しむようなものではなく、自我を超越した存在(菩薩)と示しているのです。

ところがカタカムナの後の時代、今から2500年ほど前、お釈迦様が道を示すために役割をもらって降りてきたころには、「人間は生きることにより四苦八苦するものである」というように人間性は固定されてしまい、世界は特定の王に支配され民衆には希望のない混沌とした時代だったのです。「生まれてくることがいけないんだ」と、生きること自体を否定的に捉える時代だったのです。

そこで小乗仏教で象徴されるように、現世が苦痛であることから、少しでも功徳を積んで生まれ変わり良い人生が生きられるように願うようになっていったのです。
さらに大乗仏教になると、苦痛の世界から極楽浄土を求めご利益的救済への道に変わっていったのです。そこでは本来、自我を超越する道であった探求の道が、苦痛から解放されたい願望をかなえる道に変貌し、そのことにより結果として人々はカルマにまみれていくことになったのです。

中国の天盤の巡りで示されているのは、地球上に宗教観がもたらされたのは、今から約3000年前のことなのです。そういった歴史の流れから捉えれば、そんなに古い話ではないのです。そして3000年の時を経て、天盤の巡りで示されているのは、時代は今宗教の時代を終え、新たな時代を迎えようとしているのです。その新たな時代を生きる人々は、生きることに、願望をかなえたり救済を求めるのではなく、自らが自らを正しく悟ることによって、願望(自我)に翻弄されることなく、救済される必要のない高い意識の存在(菩薩)となるのです。
そうするとこれからの時代は、宗教の時代に示されたような、「人として生まれ、人の性(さが)に翻弄され生きなければならない」というネガティブな感情からの解放ではなく、自我を理解し自我に翻弄されることなくコントロールし、その個性を有効に生かし、高い意識のもとに自らにも他者にも有益な人生を生きる人であることが望まれるのです。

3000年の宗教の時代を経て、人々が新たな時代を生きる人間性になったとき、「性」という字を「サガ」と読むか「セイ」と読むかの違いが示されてきます。そこではセイという読み方は「聖なるもの」のセイに通じることになります。そしてセイという示しは交わりの性に通じ、全ての生命の始まりのセイであり、宇宙の根源の働きに繋がるものです。そういった秘められていた仕組みが今、解き明かされ、その時代が今訪れたということになるのです。ですから、宗教の時代のお釈迦様は人々に悟りを説いたのですが、今新たな次の段階の悟りを人類は迎えようとしているのです。そのことに気づき、私たちは社会の先端を生きているのですから、そういった自覚の元に、自らと向き合って生きていきたいものです。

今日「七夜物語」の第六夜を聞いて、晃ちゃんの話がたくさん出てきましたね。晃ちゃんの精神性の成長のプロセスの一段階を見ました。晃ちゃんは、第六夜に出てくる自らの段階をみて、「自分はあそこにいたんだ」と振り返りました。そして、あそこからここへ来たんだと気づいたときに、いさどんがその後にその次の段階の話をしてくれました。そこでまだ、次の段階には至っていないけれど、以前のもっと下にいた時から今の段階にいることの意味がよく分かり、そこを目指すんだという希望が生まれた、と言っていました。

人間というものは、一人一人個性的な人間性という性を持っているのです。お釈迦様の時代は、生まれてくると四苦八苦を繰り返し生きることの結果、わかればわかるほど生きることはつらいと解釈しました。そこで、「じゃあ早く死のう」という発想になるのではなく、四苦八苦の原因を消滅させずに死んだところで、またそれが原因となって生まれてくることになり、また四苦八苦を生きることになる。ということなのだから、生きることを吟味して生まれることのないようにしましょう、という道を示したのです。この道理はそういった生に対する認識の時代にはその通りですが、それがその時代にふさわしい道理と捉えるならば、今の時代には今の時代にふさわしい道理が求められるのは当然のことです。

2012年の12月21日25800年ぶりの「銀河の冬至」を迎え、時代は闇のピークを越え、今私たちは、人間性の愚かしさのピークも観たわけです。この時代には、戦争で示されるような物理的地獄もあれば、人々の心が創り出す闇の世界もあるのです。

最近の注目すべき話題として、日本で行われる伊勢志摩サミットを機会にアメリカのオバマ大統領が70年前に原爆を投下された広島へ初めて訪れることになっているのですが、オバマ大統領は、大統領就任後に核廃絶を訴えてノーベル平和賞を受賞しました。しかし、自国の核にすら何らの対策もうたないままに、世界は核の緊張の上のパワーバランスにより、北朝鮮の核開発が進むことを誘発するような現状のままにあります。その結果、辻褄を合わせるように今回の広島訪問が実現したようにもとれます。そういった出来事も含め、人類の心の闇も極みのところへ達し、世界のリーダーや、聖職者と称される人々が現代社会の行きついた矛盾の根源であることが観えてきました。それを時代が示していると受け取れます。

そういった表面的に取り繕った見せかけの平和を唱えるのではなく、このような現状を踏まえて、ターニングポイントを超えた次の時代の聖なるものとは、どういった精神に基づく探求であるべきなのかが、これから人類が目指すべき方向性です。人間に生まれてくると、人間性という人間であることの「定め」がついてきます。人間に生まれてきたら、ほかの動物とは違って、自らを認識する、考える、願望を持つ、膨らませる、叶える、喜ぶ、ということをします。そういった願望がかなわない時には、悲観することもします。その時に我々の喜びというものは何なのかというと、今までは全部損得勘定です。この損得勘定というものは、次元によって質が全く違うのです。物理的な損得に基づく損得勘定もあれば、自らの霊的な価値が積めるか積めないかという損得勘定もあるのです。

そこが観ているところの違いで、こうちゃんはさっきの第六夜の話を聞いて、去年の9月ごろの自分に立ち返って、こういった喜びや豊かさがあるんだ、という心境になりました。そういった心境に至ったときに、人はモノやお金に縛られることから解放されます。そのような心の価値と出会った喜びや、心が成長して豊かになっていくことを通して、お釈迦様が道を示された頃の時代のようなネガティブな悟りではなく、「ヒトとしての本来の悟り」に至るのです。

それは地上を生きるものにも、天に存在するものにも共通して有効なものです。お釈迦様の時代は、「人として降りてくると四苦八苦して生きるのが大変だから生まれてくるな」というのが悟りを目指す目的の原点でした。ところがそういった苦しみの世であるにもかかわらず、後の世は、人は減るどころか大変増えて、人々は四苦八苦から逃れるどころか、欲望の感情におぼれ、かえって苦痛の種を人生にまき散らし、その結果世の中は混乱の極みに達しているのが現状です。

本来ならば、そのようなろくでもない人間は、地上の理想を目指す目的からすると不必要なものとして淘汰されるべきものです。ですから、人々が天意に沿って生きていたならば、人が生きることにより自らを磨き高め、本当に必要な魂だけで地上は安定した世界になっていくはずなのです。そして、そういった世界では本当のヒトが世界を創っていくことになります。地上で生きるにしても、「ヒトでなし」ではなくて、ヒトにふさわしい人が生きる時代がこれからの時代と考えた時、これからの人たちの損得勘定は自らを高次に導き、自らが納得し誇れる生き方をするべきです。そして天とともにクニツクリをし、地上を豊かにし、みんなが楽しみ喜べる、嬉し楽しの世を開くために生きるものであるべきです。その喜びが、自らの願いであり意志として生きるものになったときに、これこそが、新たな時代の人々(菩薩)の姿なのです。

宗教の時代の初期は、個人が個の悟りを求めて仏陀となった時代だったのです。それが優れた聖なる人の見本になりました。しかし、これからの時代は「すべての衆生に仏性あり」とお釈迦様の言葉にあるように、一人一人の精神が天意に目覚め、全ての人々が仏陀としての自覚をもって生きていく時代です。

そういった時代の幕開けを感じとったとき、そのような景色を観、そのような喜びにこうちゃんは出会ったのでしょう。こうちゃんおめでとう、ということなのです。おめで統合だね。(チ~ン♪、笑い)

丁度今、木の花の精神性を表現した発信基地としてアンテナショップの計画がありますが、このアンテナショップでは「あれ~ここはどこだろう。これは何だろう?」という不思議な雰囲気を体感できる場所を目指しましょう。そして訪れた人々が「ありがとう」と言って帰っていくときに、何か懐かしい想いを感じ、また帰宅なるところにしたいものです。そこは、本当の自分に出会え、自分の家よりも居心地がよい場所にしたいものです。そしてその場所が、物理的な場所だけではなく、心の居場所であったならば、たくさんの人がみんな帰宅なるでしょう。それは、私たちは元々そこ(心の故郷)から生まれてきて、今まで忘れていただけなのですから。そういった場所をこれから創って世の中に提供していきましょう。

こうちゃん:
3000年前からの流れ、お釈迦様の教えも金神様が言うように、今の時代になっては、人々の意識の内では逆さまになっていたということだね。

いさどん:
そうだね。「まさしくこの世は逆さまじゃ」ということ。今の人間たちは、たくさんのものや価値を所有しているでしょ。そして、本当が観えない世の中になっている。これから、それが全部ひっくり返って新しい価値観の新たな世が始まるぞということで、本当に「嬉し嬉し、楽し楽し」とみんなで共に生きていきましょう。

 

 


21世紀は一人ひとりの目覚めの世紀です ~ エリちゃんのメッセージ編

「1ヶ月間の真学校」を受講中のエリちゃんは、カタカムナ講座を受けた日の日記にこう書いていました。

――

今日は本当に書くことがたくさんあります。今日講座の中で伝えられたことすべてに共鳴し、深く同感します。私の魂が今日の講座はとても重要なものだとわたしに伝えるのです。

ここ数年における私のビジョンだけではなく、夜に見るいくつもの夢が、いさどんによって今日ここにつながりました。わたしは今ここでわたしの運命を生きていますし、カタカムナはそのことに大いに関係しています。

今までたくさんのメッセージがわたしのもとに来て、わたしはそれをどうしたらいいのかわからなかったので、書き留めてきたのですが、それをシェアする場所がありません。わたしは特にいさどんやようこにシェアできることを知っています。あなたたちの波動はとても銀河系的なので、特にふたりの近くにいるとありがたいのです。

――

そこで、ようこ通訳のもと、エリちゃんがいさどんと話す場が持たれました。まず、いさどんは次のように語り始めました。

(いさどんとエリちゃんの前回の会話についてはこちらをご覧ください。)

 
いさどん:
わたしはなぜ今日この時間を持とうと思ったのか、よくわかりませんでした。ある意味、これは天の意向ですからね。わたしは意味がわからずに、何かの行動を取ることがあるのです。それは、人生を自分のものだと捉えていないからです。

あなたに聞きたいことがあります。本来、人間は霊的な存在です。ですから、自らの本質に目覚めると、今の人間たちのように物質的なことに追われて生きるようなことはおかしいと思うようになるのです。ただ、人間たちがこのような進化を経験するために、今のような時代を迎え、それが今、収束を迎えています。あなたはアメリカという極めてその象徴的な国に生まれ、象徴的な国の出来事として迫害された人種の血も引いているので、今の時代を余計に不自然に感じられるのです。そしてそれは、新しい時代を切り開いていくために重要な霊性だと思うのです。

天の命によって始まった木の花ファミリーには、時代を動かす宇宙的な意志がたくさん直結しています。最初、わたしはそのことがよくわからなかったのですが、だんだんその重要性を理解するようになり、今はそのことだけを一番の目的としてここで活動しています。霊的な差はありますが、ここにいるメンバーはどの人も新しい時代を切り開くモデルになることを自覚してここにいるのです。そこに差があるのは、皆で力を合わせ調和していくという意味では、差がある場所でこそそれが実現されるべきだからだと思うのです。

特にこの2016年は、ここにとっては新しいメッセージを世界に向けて発信する年でもあるのです。これは、地球規模のことですから、宇宙的な話なのです。わたしたちにとっては、地上的な生き方をするよりも、時代を意識して生きることのほうが重要なのです。そういったことも踏まえて、あなたがわたしにシェアしたいと日記に書いていたメッセージについてやいろいろな想いを聞かせてもらえればと思います。

エリちゃん:
わたしが日本に来てからたくさんのメッセージがわたしの元にやってきました。あなたがそれをどのように感じるのかを聞いてみたいと思います。なぜなら、今あなたが話したこととそれらのメッセージは似ていると感じるからです。ここ1年半の間、わたしの体は「腹(ハラ)でわたしの声を聞きなさい。腹にあなたの意識を収めなさい」と伝えてきました。

数ヶ月前、地球の中心がわたしに話しかけてきて、「あなたの意識を地球の中心につなげなさい」と伝えてきました。その地球の中心というのは、わたしの腹とつながっている感覚があるのです。それはへその緒でお母さんと胎児がつながっているような感覚です。

いさどん:
それは正しい捉え方ですね。

エリちゃん:
そうですね。そして、わたしの意識を地球の中心につなげたとたんに、わたしはとても安心したのです!それから、地球の中心はわたしの意識が宇宙につながるように伝えてきました。その宇宙とは父なる宇宙です。地球の中心は、ただ楽しむためにつながりなさいと伝えてきました。それは恋人同士の関係のように、宇宙の愛を表現するたくさんの方法のひとつなのです。それは、人間の目的であり、運命でもあるのです。人間の心が開かれていくと、宇宙との交わりが可能になるのです。

日本に来るのは今回2度目なのですが、日本に来てから地球の中心がわたしに向かって「一緒に時間を過ごしましょう」と誘ってきました。それはとても簡単でシンプルなことです。お母さんが子どもに「一緒にいましょう」と言うように、ただ一緒にいましょうというメッセージでした。

わたしは1ヶ月間の真学校を受ける前に東京にいたのですが、そのとき地球はわたしに「もし、もっと多くの人間が地球と一緒に時間を過ごすとしたら、地震などの地球の変化を人間たちに知らせることでしょう」と伝えてきました。このメッセージはわたしにとって大切なものでした。ですから、いさどんに伝えたいと思いました。しかし、こういったメッセージを、たとえば地震を防ぐために使おうとは思っていません。

次に、わたしが愛知県の伊良湖にいたときにやってきたメッセージについてお話しします。

いさどん:
わたしは伊良湖のことはよく知っていますよ。伊良湖の近くに名古屋がありますね。わたしは富士山麓に移住してくる前に名古屋に長い間住んでいました。

エリちゃん:
まあ、知らなかったわ!そもそも、今回わたしが日本にいるのも、地球からここに来なさいと呼ばれて来たようなものなのです。それで日本に来てからたくさんのメッセージがわたしのもとに降りてきて、その意味が今わかり始めてきたのです。伊良湖では、ある山がわたしに向かって、「あなたの目的は地球の声をいろいろな場所で聞き続けることです」と伝えてきました。そしてそれは祝福を意味しており、常に地球と共にあり、意識を向けていなさいというメッセージだったのです。

その後、山がわたしに伝えてきたこととして、これはシェアすることが少し恥ずかしいのですが(笑)、なぜなら性に関することだからです。ただ、いさどんはこのようなメッセージを知りたいと思っている人を知っているかもしれないので、お伝えしますね!

いさどん:
ハッハッハ。性に関することについては、1ヶ月間の真学校の中で講座がありますからね。

エリちゃん:
ハッハッハ。そのとおりですね!

いさどん:
たとえば、先程あなたは宇宙と交わるという話をしましたね。

エリちゃん:
はい、しました!

いさどん:
宇宙の成り立ちは人の交わりと同じです。ただ、人々は人の交わりが宇宙の成り立ちと同じであることを知らないだけなのです。本来、人の交わりはとても神聖なものなのです。そして、人間の意識を高めてくれるものでもあるのです。そこまでのことを外の人々に伝えるのは、今回の講座が初めてです。

エリちゃん:
その講座を受けることはとても楽しみだわ!実は、伊良湖の山からは、とても特定したメッセージももらっているのです。そのメッセージはこの性に関する講座を受けると、より深く解釈することができると思っています。そのメッセージとは、わたしが4つの異なる大陸の4つの異なるコミュニティで4人の異なる男性とそれぞれ4人の子どもをもうけ、季節毎に1人の子どもと過ごすというものです。それは地球の自転とともに生きるという意味でもあります。

いさどん:
子どもをもうけるときに重要なのは、当事者である男女の意識がこの宇宙の法のどのレベルにアクセスしているのか、ということです。たとえば低い意識のものが子どもをもうけるとしたら、宇宙の法の低い意識にアクセスしていることになります。その低い意識でもうけた子どもと高い意識でもうけた子どもとでは意識の質が違うのです。今までの時代は、賢くても意識の低い子どもたちがたくさん生まれていました。そのような人たちが世の中を支配してきたので、企みの中で優秀さが優先される社会をつくってきたのです。しかし、意識が高く、かつ優れたものが子どもをもうければ、意識の高い子どもが生まれてきて、調和的で豊かな世界が自ずと現れてくるのです。

あなたが受けたメッセージは、今までの人間の価値観からすると常識から外れたことのように捉えられるため、あなたは少し恥ずかしそうに話していましたね。しかし、これは新しい時代にとってとても重要なことだと受け取りました。あなたは簡単に4つの大陸といいましたが、それは国境を越えるということで民族や人種の垣根を超えることを意味するのです。これからの時代はそのような魂が生まれてくる必要がありますし、実際にそこでいのちを育む物理的な現象としては人間の男女の交わりかもしれませんが、その精神はもっと意識の高い存在である、たとえば宇宙と地球、大陸同士という意識が交わっているようなものなのでしょう。

本来、わたしたちは宇宙や地球の自然ネットワークの中で生かされているはずなのに、人間たちの日常の意識はそういったことを忘れてしまっています。それどころか、いのちの仕組みすら忘れ、近代の人間たちの活動はいのちの仕組みをどんどん破壊していくようなことさえしているのです。ですから今、この矛盾した世界があるのです。そのことに対する答えとして、矛盾や痛みが今この世界に現れているのです。それを正しく捉えれば、その反対のところに解決策があることは明快です。

ですから、あなたのような人は、今までの社会的価値観で言えば、変な人だったのです。その極めつけがいさどんです(笑)♪

エリちゃん:
ハッハッハ!そのとおりですね!だから、わたしはあなたに何でも話せるのです!

いさどん:
今ここへ来て、わたしはこの生き方に確信を持っています。それは、新たな時代を迎えるにあたって、非常に重要な役割をしているということです。ところが社会を見渡せば、社会の中には様々な矛盾が発生し、問題が起きているにも関わらず、ほとんどの人々が今時代のターニングポイントを迎えていることに気付いていません。だからこそ、人々の中にその気付きの兆しがなくとも、この生き方を続けていくことが重要であり、極めて狭い道を奇跡のように探しあてた、あなたとのような出会いが来るのです。

エリちゃん:
ありがとうございます!

いさどん:
この生き方の大切さを思えば思うほど、そして世の中に矛盾を感じれば感じるほど、確信はますます強くなっていくのです。

そういった中で、性に関する話はこれまで世の中に出せませんでした。それは人々の物事の捉え方が逆転していたからなのですが、特に性に関することについてはその本質から全くかけ離れた解釈がされていたからです。ですから、それがいかに神聖なものであるのかを理解した上で、行うことが大切です。神聖なものとしての性の行為は、全人類のみならず地球や宇宙、それから時代の進化を請け負う行為でもあるのです。性を通してこの世界はいのちを紡ぎ、時代を紡いでいるのですから。新たな時代を迎える今、性を汚れたものや秘め事として解釈するマインドコントロールから、人々は解放されなければいけないのです。

ですから、あなたが山から受けたメッセージについても、あなたがメッセージの意味を理解するためにここに来たとも感じています。なぜなら、カタカムナは男女の交わりの真の意味を解き明かしているのです。そして、ちょうどわたしたちも今、その中で最も重要なところを解き明かしている段階にいるのです。

今回、性の講座の中でそういった智慧をみなさんに伝えることができます。ただ、これは極めて秘伝なのですから、人の意識が高くなければ、その優れた智慧を興味本位に受け取り正しく活かすことができません。今まで人類はそのような間違いをたくさん犯してきました。ですから、そういった高い意識の状態になったものでなければ、正しく宇宙の法を降ろすための交わりにはならず、宇宙や地球、大陸の代理としての行為にはならないのです。つまり、性に伴う行為はシャーマニズムと同じことなのです。宇宙意識を降ろすための受け皿としての人をつくることが先にあり、それが最も大切なことなのです。

そういったことは講座の中で情報として伝えますが、本来はその経験を持って、高い意識レベルに到達するための積み重ねが必要です。これはとてもハイレベルで重要なことなのですが、同時に危険なものでもあるのです。ある意味、性は今の人類を没落させた原因でもあります。人類は20世紀までの1000年間の霊的な没落の時代を経て、これから2000年から3000年に向かって、霊的な花が咲く時代に移行しているのです。

今、時代は大いなるターニングポイントを迎え、新たなサイクルに入ったのですから、わたしたちもそういったことを伝える準備を始めていますし、だからこそ、そういった智慧を求めてくるあなたのような人がその証として、ここに訪れるのです。

地上的解釈に囚われ、宇宙を生きていることを認識できないような人々にとっては、ここで提供される情報は一体何のことを言っているのか、想像もつかないような話なのです。しかし、わたしたちが生きているということは、明らかに宇宙的・霊的な無限なる連鎖の中に存在しているのです。ですから、人類は目覚めれば、極めて非合理的なこれまでの生き方をたちどころに変容させることができます。そのためには、わたしたち一人ひとりの意識改革がこれから必要とされています。21世紀は一人ひとりの目覚めの世紀なのです。

あなたが少し恥ずかしそうに冗談っぽく言っている話を、もっと堂々と語り、そして明快にその意味を知るべきだと思うのです。

エリちゃん:
そのとおりですね。わたしが完全にオープンであるときには、わたしは自分自身の運命について知っています。

いさどん:
そうですね。だから相手次第であなたは完全にオープンになれるということですね。わたしは30年以上前にこの道を歩み始めたときには、どこを歩いていて、なぜこの道を歩んでいるのか、全くわかりませんでした。しかし、わからない自分に対して、わかることが大事なのではなく、このわからない道を歩んでいくことが大事だと言い聞かせてきました。今は、道がはっきりと観え、明快に歩んでいます。

エリちゃん:
わたしにもそれが必要ですね!

いさどん:
少しずつそうなっていけるといいですね。いずれにしても、意識がどこにあるかによって、出来事は全く別のものに解釈できるのです。ですから、心の位置が変われば、景色は変わって観えてくるものです。時代は完全に価値観を逆転するときを迎えています。時代が切り替え時を迎えているときには、今までの価値観が過去のものとなり、新たな常識が生まれてくるのです。ですから、今までの時代であれば語れなかったことも、これからは堂々と確信を持って示し、それが社会に通用する時が来ているのです。わたしたちの出会いは、今日のこの時間も、宇宙の流れや天の意志であるように明快です。これからもきっとわたしたちは時代の先端の立場を担っていくものとして、連携していくことでしょう。

エリちゃん:
わたしもそう思います!

いさどん:
わたしたちは今地球上にいるので違う言語を話しますが、宇宙意識になれば言語はひとつしかないのです。わたしたちが違う言語を話しても、通訳を通して心が通じ合えるように、わたしたちの奥にある意志を共通にすれば、その目的はひとつなのです。これから人々の意識が上がれば、言語に多くを頼らなくても心が通じるようになるでしょう。

宇宙意識に連動して地球上の役割を果たすものは、意識が高く、これからの時代には重要な存在です。時代が変わろうとしているときには、天は地上にいるものたちに連携を図ることを求めるのです。そして、地上のものもそれを受けて天に意識を向けるのです。それは、地上的な快楽に浸っているものの意識とは全く価値観が異なるものです。その大いなるものにつながる意識のレベルでは、時代を運営するために自らの存在があるのです。そういった広く高い意識を持つためには、地上的エゴや欲望に翻弄されていてはいけません。やはりそこでは自らをしっかりと観て、その役割にふさわしく精神性を磨く必要があるのです。

ですから、宇宙や地球、山と通じると感じるものは、普通の人たちと同じレベルで心が一喜一憂しているようなことではいけないのです。さて、あなたにその自覚を持てるかどうかが問われているのです。

エリちゃん:
はい、その自覚を持てます!これから精神性を高めていくよう努めていきます。今日はどうもありがとうございました!

いさどん:
また時間を持ちましょう。

――

 
面談後のエリちゃんの日記には、「いさどん、ようこ、そして飛躍的に精神性を進歩させるこのような場を創り維持するみなさんのネットワークすべてに感謝します。わたしは進歩し続けることに全力を注ぎます。何という旅でしょう!共に楽しむためのこの宇宙船を見つけたことを嬉しく思います。永遠なる感謝を」と書いてありました。

確実に一人ひとりの心に変化が現れ始めている1ヶ月間の真学校。エリちゃんのみならず、受講生全体から新たな息吹が感じられる今日この頃です。

同じく受講生のたえちゃんとエリちゃん。1ヶ月間の真学校もいよいよ折り返し地点です!
同じく受講生のたえちゃんとエリちゃん。1ヶ月間の真学校もいよいよ折り返し地点です!

 

 


男が生き生き生きるには

一風変わった視点の持ち主で、時に“ひねくれもの”と言われることもあるファミリーメンバーのりょうちん。そんなりょうちんといさどんの、ある日の会話です。

 
りょうちん:
僕は元々理屈っぽい方ですけど、最近はもっと理屈を通していこうと思っています。理屈というのは道理だから、屁理屈でさえなければ、道理を通すというのは物事を論理的に見ることであり、自分の中に柱を持って生きるということにもなりますよね。それは、男性が生き生きと生きることができるようになるために大事なことなんじゃないかと思うんです。

いさどん:
理屈っぽいと言うなら、僕なんて極めて理屈っぽいよ。ただ、理屈を語る時の奥にある心がどういうものかということが大事なんだよ。
理屈を突き詰めていくことは道理を通していくことだから、大切なことだよね。だけどそれが周りから見て、あの人の言うことは理屈っぽいね、くどいね、と言われるようになったら、それは自分の言いたいことを主張して押し通そうとしている状態だということ。そこに無理が入れば屁理屈にもなる。だから、理屈にもランキングがあるんだよ。道理を通していく時に、それが独りよがりなのか、万人に通用するものなのかというところで、道理なのか理屈なのかということがわかるんだよ。

りょうちんの言葉を聞いて思ったのは、今、ここの男性たちに元気がないとして、では世の中の男性たちは元気があるのか、元気があるとしたらどういったことに対して元気があるのか、ということを考える必要があるね。木の花の男性は、世の中というものに対して何か疑問を持っているからこの生活をしているわけだよ。そうしたら、仮に今の世の中の男性たちに元気があるとしても、それをここへ取り入れたらいいのか、それともそれを否定するからこそ別の元気を見つけるべきなのか。そこを仕分けしていくことが重要だね。
りょうちんが、理屈を通していくことで男性が活性化するのではないかと考えるとしたら、そういった思考も紐解いていく必要があるよ。冷静な心で紐解き、詳しく原因を探って、その結果対策を考えるとしたら、あなたは思慮深いねという話になる。それは全然理屈っぽくないよね。それを聞く周りの人たちも、それなら一緒に考えてみようかと巻き込まれていくわけだよ。そういった思考を働かせるといいね。

りょうちん:
一般社会での男が生き生きするというのは、例えば人よりも上に立ちたいとか、そういう自分の欲を叶えることで生き生きしてるんじゃないかと思うんですよね。

いさどん:
今、世の中の男の人たちは生き生きしてるの?

りょうちん:
そんなにしてないですね。

いさどん:
本来の男性の立ち位置というのは、周りから頼りにされて柱となって、女性から「頼もしいわ」と寄りかかられるような存在でしょう。女性に限らず、あなたにはここを任せるからよろしくねと言われて「任せときな!」と言えるのが男だよ。
そうすると、今の社会で男たちがやっていることはどうだろうね。社長でもエリート社員でも平社員でもいいけれど、例えば社長になったら経済システムに使われ、金を持てば金に使われて、はたして自らの中に何か柱となるものがあるのだろうか。

りょうちん:
結局、自分で考えていないと思うんですよ。今の社会を観て何が大事なんだろうと考えて、それで自分に柱を立てて道を歩んでいるかというと、そうじゃないと思うんです。

いさどん:
子どもの頃からでも大きくなってからでもいいけれど、何か経験したとするでしょう。その経験が未来の希望あることにつながればいいけれど、今の人たちはどちらかと言うとそれがトラウマになっていて、それを埋め合わせるために条件反射のような行動を取っているんだよ。例えば人と比べて貧乏だったらお金がほしいとか、親が何かに縛られているのを見て育ったら自分は自由人でいたいというように、何かにつけて条件反射的に反応しているから、とても思考が浅い。だからマスコミの報道する内容も、すごく浅いでしょう。その方が今の人たちにはうけるんだよ。

りょうちん:
その奥を観ていないということですよね。

いさどん:
そう。今の人間は思考が浅いんだよ。じゃあ昔は深かったのかと言ったら、深さの質が違うかもしれないけれど、例えば戦時中なんて、国民は一応国を背負って命をかけていたわけでしょう。そのもっと昔は、武士だったら戦場に出向いたり、農民も年貢を収めたりして、まつりごとに参加しながら、生きることが命がけだった。だけど今は生きることに命がけということがなくなったんだよ。そしてとても思考回路が浅くなった。その浅い思考のまま、お金や物、立場など、いろいろなことに縛られているんだよ。

りょうちん:
そう。今の教育だったり、社会の一般常識ってすごく浅いなって思うんです。浅い思考って、育った環境に影響されていると思うんですけど。

いさどん:
最近の大学生の卒業論文でも、とても浅くて子どもっぽいね。

りょうちん:
ものごとの奥を観て分析していくことが欠けてるんですよね。例えば僕たちは今こういう生活をしてますけど、この生活の何が大事なのかを語れるところまでの人となるというのは、やっぱり時間のかかる作業でもあると思うんです。

いさどん:
木の花に来ている男性の性質として、こういった柱のない社会に嫌気が差しているところもあるね。

りょうちん:
それはそうですね。

いさどん:
ただ、では自らが柱を保てているかというと、やっぱりまだ十分に道理を探求しきれていない。自分自身が独立して道理を通しきれていない段階で、道理が通っている木の花という場へ来てしまったものだから、自分がやらなくてもいいんだとサボっているところがあるんだよ。
自分で柱を立てるということは、それだけ緊張もするし、真剣に生きる姿勢が必要になってくる。今の時代は、そういった自分の価値を積み上げていくということの大切さがないがしろにされているんだよ。その結果、表面的な浅いことに気持ちが向くようになって、サボる(自分磨きをしない)ということが楽なことになってしまった。だけど本当は自らの価値を上げて安定することの方が、はるかにやりがいがあり、充実した毎日を送ることにつながるんだよ。そういった生き方は矛盾がない。だから今のように、人々の生き方が矛盾だらけの社会を創ることにはならないね。

りょうちん:
そうですね。ここにいると答えが何となく提供されているから、わかった気になっているけど。

いさどん:
何となく提供されてわかった気になっているというよりも、待っていれば道理が通っていくものだから、ヘタに話して自分のメンツを潰すよりも、待っていた方がいいやという姿勢なんだよ。

りょうちん:
でもそうやって人から与えられるんじゃなくて、自ら湧き出してくるものに柱が立っていくことは、自分自身の活力源になりますよね。

いさどん:
そう。それが男のプライドというもので、それがあることは男としてとても重要なことなんだよ。やはり柱を立てるべき時には、プライドがないと立たないんだよ。

りょうちん:
それが男の生き生きにつながると思うんですよ。

いさどん:
それは自立心とも言えるね。それがあって初めて女性から支持されるんだよ。ところが今は、何よ男のくせに立たないのね、という感じで、力仕事とか物理的なところではあてにされるかもしれないけれど、本当の意味での柱としては頼りにされていないんだよ。それを自分のこととして、一人ひとりが取り組むべきだね。
だからプライドは必要なんだよ。ただし、変なプライドはいらないよ。何もしてもいないのにメンツだけは大事にして、自分の中にあるものを出さずに守っているようなことでは、ただメンツが潰れるのを怖がっている状態だよ。

りょうちん:
それで元気が出なくていじけていっちゃう。だから、勇気ある地道な積み重ねが本当に必要だと思うんです。

いさどん:
地道にどう積み重ねるかというと、やっぱり自分と向き合うことだよ。

りょうちん:
そうですね。

いさどん:
誰もが自分の人生を歩んでいるんだよ。人生とずーっと向き合っていくと、自分に何が積み重なっているかということと向き合うわけでしょう。そこに自らを肯定できるような蓄積がなければ、やはり自ら柱を立てる者としては充実感がないし、希望も生まれない。
女性でも、腹が広くて手のひらの上で男を回してるようなゴツい女もいるけどね。それだって、男を立てるために回してるんだよ。

りょうちん:
は〜。

いさどん:
例えば石臼の前にどしんとあぐらをかいて、石臼をゴロゴロと回してるようなものだね。石臼を回すには中心を立てる必要があるでしょう。
もっともそこまで腹が広くない普通の女性は、柱を立てている男に寄り添い、ひとつのペアを作るわけだよ。そして一人ひとり個性的だから、それぞれに個性的なペアがそこにあっていいわけだよ。ところが自立して立っている者がいないと、寄り添う者も寄り添えないでしょう。逆に女性から「かわいそうに」と思われるようなことにもなっちゃうよ。

りょうちん:
そうね(笑)。

いさどん:
そういった「かわいそうに」と思われるような形が、今の世間にはあるんだよ。なぜかと言うと、女も本当の依代となる柱を知らないから。相手の表面だけを見ていて、自分が寂しかったらどんな対象でもいいんだよ。そこでお互いに傷口をなめ合う関係が生まれる。

りょうちん:
自分を満たしてくれる対象を探しているわけですよね。

いさどん:
そう。今の世の中には柱もなければ依り代もないから、本当の意味で男と女がそれぞれの役割を果たして共に新しいものを創るというよりも、ただ自分たちのニーズを満たしてくれるものを探しているという状態だね。

りょうちん:
結局本当のところで満たされていないから、不満があるんですよ。

いさどん:
そう。そこで男が柱を立てると、それは個性となってちゃんと依り代になるから、そこでペアができたり、ペアじゃなくても支持されるということが起きるんだよ。だけど今の男たちは、そういうことを放棄しているところがあるね。僕から言わせると、そこでプライドを持ってほしいわけだよ。

りょうちん:
うん。高いプライドってことですよね。

いさどん:
そう。高いプライド。そういった意味で、りょうちんが理屈をこねていこうと思うということは大事だよ。その過程ではいろいろなことが起きて、全体から「それってどうなの」と問われることもあるでしょう。それは応援でもあるわけだよね。自分の言っていることが道理が通っていなかったり問題だったりしたら、本人のためにも、全体のためにも、それは訂正しなければいけないんだから。
訂正するということは、そこを越えてその先へ進めということなんだけど、男には変なところがあって、訂正されると「ダメだったんだ」と落ち込んで、訂正すればいいものをしないで、ただしょげているんだよ。

りょうちん:
それまでに積み上げたものが壊れるような気がしちゃうんですよ。

いさどん:
だけど積み上げたものが歪んでいたら、壊してもう一度やり直さないといけないでしょう。

りょうちん:
そう。やり直す勇気を持たないとあかんですよね。

いさどん:
そうだよ。今の男性たちが社会でも柱を立てられないのは、ハングリーじゃないからだよ。

りょうちん:
だけど今地球上で人類が直面している現状からすると、ハングリーなはずですよね。

いさどん:
意識がそちらへ向いたら、そうだね。地球の現状への危機感でハングリーになることはとても重要なことなんだけど、今の人たちにはそういった広い世界観がないんだよ。自分が食えるか食えないかという程度の位置に意識がある。生きることがお金を稼ぐことであり、生活することになっているんだよ。
木の花にいると、全体性の中で、例えば農業の進化とか精神性を高めるとか、もっと言えば世界にそういった新しい目覚めを発信するということの担い手であるわけでしょう。

りょうちん:
そうすると、大雑把なつなげ方ですけど、より大きな視野で生きるということで、変なプライドを折ることもできるようになるのかな。

いさどん:
より大きな視野で生きるということが、今の社会に欠乏しているね。そこで、じゃあ自分は社会を担っていこうという意識になれば、人間意識としては高いものになるね。

りょうちん:
変なプライドを高いプライドに転化してやっていけるってことですよね。

いさどん:
そうだよ。高いプライドがあれば人間がセコくならない。高いプライドで道理を通していけば崩れることもない。だけど低いプライドは、屁理屈をこねて無理やり支持されようとしたり、自分が正しいと思う方向へ話を持っていこうとするんだよ。そんなものは、ものごとが観えない人からしたら素敵と思われるかもしれないけれど、観えるものからしたらバカじゃないのという話になって相手にされないわけだよ。

りょうちん:
だから、低い視点で積み上げたものはいったん壊れると「また積みあげなきゃ」という発想になるんだけど、高い視点で観ていると、とりあえず崩しても大丈夫って感覚でいられるんですよね。

いさどん:
そうそう。例えば北極星のように、不動の目標地点が観えているんだからまたそこへ向かえばいいということになる。視点が低いと目標が観えていないから、壊れるとゼロになるような感じがするんだけど、それがチャンスなんだよ。中途半端に残っているとまたそれを目指しちゃうけど、もともと目標が観えていない者はゼロから始めればいいんだよ。じゃあどこを目指したらいいんだとなった時に「あそこだよ」と言われて、なんだそうか、と進んでいけばいい。それがチャンスということだよ。
だけど、そこを前向きに捉えないで、壊れたことをトラウマにしてしまう人がいる。そして、変な希望を持つよりも希望がない方がいいと言って、自分と向き合わないようにしているんだよ。

りょうちん:
最初から何もしない方がいいってね。ということは、まずはやっぱり日常の中で少しずつ柱を積み上げていくということと、もう一方で、広い世界観のもとに「あそこを目指すんだ」という目標地点を持つということですよね。

いさどん:
その前に、絶対に必要なことがあるんだよ。それは、どこに興味を持って日常を生きるかということ。例えば、朝起きて新聞を開いてどこの欄を見るか。ニュースならどこを観るか。例えば自分自身のことだったら、今日一日の作業のことだけを考えているのか、同時に、それを積み重ねていくと人生がどのようになっていくかというところまで考えているのか。日常の自分の意識がどこを向いているのかということが大事なんだよ。

りょうちん:
それって世界観が広がれば自然と方向付けられていくんじゃないのかな。

いさどん:
世界観は後からついて来るんだよ。日常の自分がどこに興味を持っているかによって、その先にそれ相応の世界観に意識が向くのであって、いくら世界観を広げようとしても自分の興味が足元にあったら、広い世界観との整合性が取れないでしょう。

りょうちん:
そうか。ひとつ思うのは、興味って開発していけるものでもあると思うんですよね。

いさどん:
そこで、自分はどういった人でありたいか、どういった人生を歩みたいかという意欲を持つことだよ。それはプライドと言ってもいい。そこから出発して、興味が湧いて、その延長線上に世界観が広がるわけだから。順序としてはそういうことだよ。
例えば彼女を見つけて結婚して住宅ローンで家を買ってこのくらいがほどほどでいいという生き方があるでしょう。そういうことを親たちがやっているのを見てきて、それでは嫌だという人たちがここにやって来たんだよ。

りょうちん:
もう飽き飽きしてるんですよね。

いさどん:
そう。でも、今の社会や親はまだそれをやれと言うんだよ。だから世の中の男たちがどこかしょぼくれている。ストレス解消のために何か趣味を持ったり、隠れたところで悪いことをやったりといろいろ発散方法はあるけれど、結局人生を通しての柱がないんだよ。ものごとを通してその奥を観るということが柱になるんだけど、その目線がない。
少なくとも死ぬ時に達成感を持って死にたいんだという目標があったら、じゃあ今日一日をどう生きようか、今年一年をどう生きようかと、今から過去を振り返って、そして未来を見通して、自らの行動を観るようになるよ。そこでどれだけの広さでものごとを捉えるかによって、世界観が変わってくる。もしくは、周りの環境によって広い世界観の情報が入ってくれば、そういったことを考えるようになるんだよ。

今、そういうふうに分析をしたでしょう。方向を具体的に出したわけではなく、道理を通して分析しただけだけれど、その分析することすら、興味を持つかどうかということから始まるんだよ。分析していくこと自体が道理を通していくことになるんだけど、それすら興味がなければやらないでしょう。
今の話ももともと正解があったわけじゃなくて、りょうちんの質問があって、社会に当てはめて分析していったらこういう話になったんだよ。それは、興味を持たないと絶対に出てこない。興味を持てば出てくるものさ。

りょうちん:
うん。そうそう。

いさどん:
りょうちんはとことん理屈をこねてみようと思うと言ったけど、あなたの言う理屈をこねるというのは、自分と向き合うということでしょう。自分はちょっとへそが曲がっているかもしれないけど、まだ十分そこをこね回していないから納得するまでこね回してみよう、ということだとしたら、それは自分の中に何かもやもやするものがあるんだよ。それならこね回せばいいんだけど、一人でやっているとりょうちん流のねじれも入ってくるわけだ。だからこそ、こういう客観的な視点が得られる環境にいるわけだから −−−−−

りょうちん:
自分の中にあるものを出していくってことですよね。

いさどん:
そうだよ。時には「僕はこれだけこねました」と出して、みんなはどう思いますか、と投げかける。そうすると、ねじれていればみんながそれを直してくれたり、逆にもっとこねてもいいんだぞ、ということになったりしてね。

りょうちん:
それはやっていこうと思ってます。

いさどん:
そうすると、それがみんなの学びにもなる。ところが、独りよがりで理屈をこねて「これが僕の結論です」と発表するだけだと、みんなのためにはならないでしょう。だからこそみんなの前に出して、それに対するフィードバックを受け取っていくことが大事なんだよ。

りょうちん:
それをもらうためにも出すという意識でいきます。

いさどん:
そうだよ。出すと言っても、世界観が狭いと、自分の思っていることを聞いてもらいたいとか、認めてもらいたいということになる。だけどどのような組織であっても、全体と自分の整合性が取れていることが大前提なんだよ。それはこの世界も同じだよ。そこでは、全体に合わないことは成り立たないわけだ。ところが自分が認められたいということばかり考えている人は、あなたの主張は全体に合わないよと言われると、自分が否定されたと思うんだよ。だけどそれは違うでしょう。あなたの主張は合わないよと伝えるのは、本当の意味であなたを生かすために伝えているんだよ。自分に囚われていると、その視点を受け取る意識が持てない。その姿勢を持つには、腹が広くないといけないね。
自分流に柱を立てても、人の役には立たない。それは自分一人の段階ではOKでも、もう一つ世界が広がると通用しないということだよ。そこで肝っ玉が据わっていれば、目の前に展開される出来事に通用する柱に立て直すことができるんだよ。

りょうちん:
そういうことですよね。僕は、理屈をこねていこうと思ってますけど、やっぱり自分にくせがあるから、それを出していくことだなと思ってます。

いさどん:
そうだね。自分にくせがあると思ったら、それを出していく。すると自分一人のそのくせが、独りよがりのところから、例えば3人でチームを組んだら3人に必要なくせになって、それが10人に必要なくせになって、100人に必要なくせになれば、常にそれは全体の柱になるわけでしょ。腹を据えてキャパを広げて、それで全体のためになろうとしたら、そのうちに自分のくせが人類のくせになるよ。そうでしょう。

りょうちん:
それでいいんですね!

いさどん:
それでいいんだよ。人類というのはみんなくせがあって、欲もあって、プライドもある。ただそれがどれだけのスケールかということと、その質が問われるんだよ。

りょうちん:
自分のくせが、全体にとって役立てるものなのか。全体と整合性が取れているかどうかですね。

いさどん:
最終的には宇宙と整合性が取れたら、それが最終到着地点だね。

りょうちん:
そういうことですね。

いさどん:
我々が人生で出会うこの世界の物理的かつ霊的実態は、ものすごく広いんだよ。その中のどこに位置するのかは、日常自分がどこを見ているかによって変わってくる。無限を観ていたら限りなく広がって、宇宙と整合性を取るという話になるわけだ。お釈迦様のところまでいくわけだよ。ところが狭いと、自分の家庭の中だけというマイホームパパになるんだよ。

りょうちん:
だけどそのままで行けるかといったら、結局、社会とやり取りする中で壁に当たるわけですよね。

いさどん:
壁に当たるということは、自分のキャパを広げていくチャンスなんだよ。ところがそこで自分に囚われていると、これ以上行くと自分が否定されると思って自分の中にこもるわけだ。もっと広いところへ行くべきなのに、外に出たら叩かれると怖がって、現状の自分を保とうとするんだよ。

りょうちん:
僕の話になりますけど、僕は自分で自分のねじれを自覚してる部分もあるんです。

いさどん:
りょうちんはねじれがあると言うけれど、それはくせとして悪いところだと捉えることもできれば、そのねじれが変わった視点となって多様性をもたらすという、ポジティブな捉え方もできるわけだよ。そうすると、あなたが自分を観て「ねじれがある」表現した時に、そこにどれくらいのポジティブ度合いとネガティブ度合いが加味されているのか。そこを吟味して観ると、今までのあなたの人生が観えてくるんだよ。例えばネガティブのウェイトが6割とか、ポジティブのウェイトが6割とかいうように、今までの人生の結果で度合いが変わってくるんだよ。
同じように、他者から見て「りょうちんはねじれてるからな〜」とネガティブに捉える度合いと、「りょうちんらしくて個性的だね」とポジティブに捉える度合いがどうなのかは、それまでのあなたと他者との関わりの結果なんだよ。
そういったことも踏まえた上で「僕はねじれているからね」と自分を分析すると、より次につながる話ができるよ。

りょうちん:
今ちょっとわからなかったです。人の評価を考慮するということですか?

いさどん:
他の人から見て、自分のネガティブ度合いとポジティブ度合いはどうなっているのかということと、自分で自分の中を観て、ネガティブ度合いとポジティブ度合いがどうなっているのかということを、まず客観的に捉えるということだよ。
例えば僕がねじれているとするでしょう。そこでこれからどう進もうかという対策を考えるわけだよ。その時に、そのベースになる心がどこから出発しているか。自分の内から観る視点と外から観られている視点の両方を捉えていくと、現状の自分の位置がわかってスタートしやすいよね。だってどこへ向かうにしても、スタート地点がわからなかったら始められないでしょう。

りょうちん:
僕は自分がねじれているからといって、けっこうブレーキをかけたりするんですけど、人から見れば「それやってみたらいいじゃん」て言われたりするんですよね。それがすごく多くて、そういうことにブレーキかけて無駄なエネルギー使ってるなって思うんですよ。

いさどん:
そう。余計なことをしてるんだよ。それってエネルギーがもったいないよ。

りょうちん:
そう。そういうことを聞きたかったんです。

いさどん:
もう答えが出ちゃったじゃん。そういうことなのよ。
そこで、自分がいかに無駄なことをやっているかということに気が付かないといけないんだけど、長年やっていると、それが自分のくせであってもこの世界の道理だと思い込んでいるわけだよ。それを自分のくせだと気付かなきゃいけないね。
僕は理屈人間だから、何かをする時にこれってもとは何だったのかということをいつも考えてるよ。だから回答が出てくる。だけどそれが、自分に囚われた分析じゃダメだよ。そこには必ず他者と自分とがあって、その中で整合性を取りながらやることだから、例えば自分に欲の心があれば偏っていって道理から外れていく。だから、常に客観的な視点を持って分析を進めながら、最終的には自分にとって受け入れられるところへ落としていく。そういう心の器用さが必要だね。

りょうちん:
そうですね。そこで全体というか、男性全般はどう取り組んでいったらいいでしょう?

いさどん:
男性を元気にするということか。それは、例えばものごとが成り立つには「ヒフミヨイムナヤコト」とあるように、順序があるんだよ。そうしたら、いきなり男性全般をどうするかという話にいくのではなくて、自分からとりあえず始めることだよ。すると、それによって周りが「あれ、りょうちん変わったね」となっていくでしょう。

りょうちん:
そうですね。僕の傾向ですね。推進力が弱いからみんなでやろうとしてる。

いさどん:
まずは周りが「りょうちんどうしたの」って思うくらい、あなた自身が輝いてみせることだよ。あなたの特徴は変化球を投げられることだから、ストレートしか投げちゃいけないと思っていた人は、りょうちんの変化球を見た時に「それもありなんだ」と思うでしょ。今男性たちに元気がないのは、自分を出すと一緒にくせも出て叩かれるから、臆病になっているんだよ。そこで「そういうやり方もありなんだ、それでいいんだ」と思えたら、みんなとても楽になるよね。その代表としてやるのに、あなたはいい人材だね。

りょうちん:
そうするとやっぱり怖がってちゃダメですね。自由にやっていかないと。

いさどん:
怖がるということは、その怖さの実態がどこにあるかということを考えないとね。

りょうちん:
そうですね。自分を崩すことを怖がってるだけですよね(笑)。

いさどん:
そう。それはつまり、相手から何かが来て怖いんじゃなくて、自分の囚われが壊れるのが怖いんだから、実は壊さなきゃいけないんだよ。その壊さなきゃダメなものを大事に握りしめているんだよ。

りょうちん:
そういうことですね。

いさどん:
何かを必死に手の中に握って、自分を守り続けている。必死だからすごく力が入って手に汗握っているんだけど、ふっと我に返って「あれ、何で手に力が入ってるんだろう」と開いて見たら、その手に持っていたはずのものがみんな砂になってこぼれて、そこには何も残らなかった、というようなことだよ。何もないのに力だけ使って、もったいないでしょう。だから冷静にならなきゃいけないんだよ。

りょうちん:
なるほど。そこにも冷静な分析が必要なんですね。

いさどん:
冷静な分析は常に必要だよ。何かが起きた時に、その時は新鮮だからびっくりしてもいいけれど、冷静に分析すればこれは起きるべくして起きたということが観えてくる。そうすると、それに対して対策をする必要があるのか、それともしばらく放っておけばいいのかという見通しも立てることができる。どんな時でも落ち着いて、冷静に対処できる心が男の器だよ。そういった大きなスタンスに立って分析をしないと、無駄をやることにもなる。

りょうちん:
冷静に落ち着いて対処できるのは男の特徴ですか?

いさどん:
冷静に落ち着いて対処できる状態に到達した人はそうなるということであって、それが男だけの特徴だということではないね。その人の心の段階がどの位置にいるかということだよ。
男と女の性質の違いで言うと、女性は具体的に創り上げていく役割だから、そんなに大きな視点は持てないんだよ。

りょうちん:
ああ、そうですね。現実的ですよね。

いさどん:
男は現実だろうが夢だろうが、ずっと向こうの方まで見通す柱を立てる。男のロマンというのはそういうものなんだよ。な?

りょうちん:
うん。

いさどん:
女性からしたら「何言ってるのよ」と言われたりしてね(笑)。

りょうちん:
「そんなことより生活成り立たせなさいよ」って(笑)。

いさどん:
それでも、希望があればいいんだよ。女性が食わせてくれるから。

りょうちん:
ああ、なるほど。女性が支えてくれるってことですね。

いさどん:
そう。その夢にちゃんと道理が通っていれば、女性がスポンサーになってくれるんだよ。それが支持されるということだよ。もっと現実的な柱を立てる男がいてもいいけどね。それはそれで、「この人堅実でいいわ」と女性に支持されるよ。そういったことを器用に使い分けられる男性はモテるよ。
だから、いろいろあるのだから、それぞれ個性的でいいんだよ。バカばっかり言っていても、あの人の人生ってあっけらかんとして心が楽になるわ、ということもあるんだよ。そこで多方面に整合性がとれていたら、それは仏の世間解(ほとけのせけんげ:仏とは、仏の境地に立った者。男でも女でもない意識の状態の者が、様々な経験をしたかのように世間を理解していることを、仏の世間解と言う。)だね。もしかするとアシアトウアンなのかもしれない。

りょうちん:
わかりました!

いさどん:
そういうふうに、自分と向き合って、現状の自分を突破しようとする意欲があることによって初めて、今のような話が湧いてくる。これはあなたに話したことだけど、他の人にとってもとても重要な話だよ。世の中にも伝えたい話だ。そういった意識になると、自分の存在が人の役に立っていくんだよ。

りょうちん:
はい。ありがとうございます。

いさどん:
何を聞かれても、とりあえずここ(と言って自分の頭を指す)からは、今のところ無尽蔵に智恵が湧き出てくることになっているからね。

りょうちん:
やっぱり僕には自分で考えたいっていう欲求もあるものだから、何でも聞くわけではないんですけど。

いさどん:
それでも、ポイントのところは必要だよ。自分の得意分野とそうでない分野があって、それはその人それぞれの個性でしょ。その個性を生かせばいいんだけど、個性に囚われてはいけないね。足りないところは他からもらって足してあげればいいんだよ。それには柔軟さと腹の大きさがないと、できないね。

りょうちん:
自分で取り組み始めたところなので、それに対してこの方向で大丈夫かなと確認したい思いもあります。

いさどん:
そういった状態にあなたがなったということはとても喜ばしいことだから、こちらも意欲的に話せるね。そういうふうに自分が開いていく状態の意識の時と、閉じていく状態の意識の時があるんだよ。閉じていくというのは、守りに入ること。だから閉じていく時に開いていくための話をしても、入っていかないね。いつでも開いていく意識で人生を生きていけたらいいけれど、人生にはいじけていく流れの時があるからね。

りょうちん:
僕、だいたいそうでした(笑)。

いさどん:
おもしろいことに、そういう時にはいじけることを自分の特徴として、それに執着するんだよ。だから、開くための話をもらえばもらうほどいじけていく。そういう人は放っておかないといけないね。

りょうちん:
行くところまで行かないと。

いさどん:
そう。行くところまで行くと逆転するから。それを変につつくと抵抗が生まれるから、いじけることを長引かせることになる。放っておけば、その人のいじけキャパというのがあるから、そこまで到達した時に自分ではっと気付いて、逆転の発想が生まれてくるんだよ。

りょうちん:
そういう場合は全然声をかけなくていいんですか?

いさどん:
いや、こちらの存在は伝えておかないといけないね。だから種だけ蒔いておくんだよ。今言ってもわからないから、必要になった時に来いよ、くらいの感じでね。

りょうちん:
プライドは刺激しないんですね。

いさどん:
そうだね。それでも多少はプライドも崩してあげないといけないよ。なぜかと言うと、プライドを崩しておかないと、そのプライドがいつまでもこだわりになってしまうから。本当に自分のためを考えたらそれでいいのかよく考えてごらん、ということは伝えておくといいね。
今のままでいいんだよ、なんて言ったら、修正しなければいけないこともしなくていいことになってしまうでしょ。そうすると、その人のくせはそのままの状態でいくから、一見元気になったように見えたとしても、いずれ必ず問題ごとにぶち当たる。だからやっぱり、ものごとをバランスよく観て、人には修正しなければいけない時もあるよ、ということは常に伝えながら、相手の意志も尊重していくことだね。

今の世の中は、自分を振り返らない人間が生き生きするための手法はすごく人気があるんだよ。低いプライドを保ったまま生き生きするニーズがあふれていて、みんなお金も暇もあるから、表面的に心地よくさせてくれるところに人がたくさん集まってくる。人が集まってくるからいいことをしてるんだと勘違いしている人が多いけれど、そういった勘違いから人の心をくすぐって、お金儲けをしようとする罠が世の中にあふれているんだよ。そしてその結果、今の混乱した世の中がさらに広がっていくことになる。
自分の精神状態を冷静に分析して、きれいにしていくことの価値を知らない者たちは、囚われの部分を残したまま心地よいことだけを求めていくから、そういった罠に引っかかるね。そして一時的に心地よい気分になったとしても、自分の精神が根本的に改善されたわけではないから、何回も罠にかかることになるんだよ。それはある意味マインドコントロールだから、その罠に引っかからないようにいつも伝えているんだけどね。

りょうちん:
だから木の花は、現実の生活に反映された情報を、社会に対して提供しているんですよね。

いさどん:
そうだよ。情報は提供するけど、押し付けはしない。なぜかというと、お金儲けが目的じゃないからね。その気になったらおいで、というスタンスだよ。

世の中は今、本当に大切なものは何なのかを見失って、そのピーク迎えている。そこでいよいよ、人々の本物探しの心がうずうずとうずき出す時が来たんだよ。それは、今までのような表面的な心地よさを求める浮かれた時代とは違って、人々の心が安定し、不動の柱のもとに日々を生き、一人ひとりに世の中を組み立て直していくくらいの心構えが必要とされる、切り替えの時が来たということだよ。
その時代の意志に一人ひとりが気付いて、男も女も、みんなが充実した日々を送れるよう、心がけていくことが大切だね。