「血液」からこの世界を探求していく~献血・輸血編~

タイから木の花ファミリーの暮らしのあり方を学びに来ている高校生のマインちゃんとナッちゃんに対して、身近な「食」を切り口として世界観を広げるプレゼンテーションが行われてきました。その最終回のプレゼンテーションが終わったところで、マインちゃんから献血について、いさどんに質問がありました。

 

マインちゃん:
日本では献血をしますか?

いさどん:
本来、一人ひとりの魂は独立したものです。ですから、一人ひとりの生命の性質を示す血液も、霊的には独立した存在です。つまり、親子兄弟といった血縁は関係なく、血液は独立したものと言えるのです。

たとえば体の臓器を移植することは可能ですが、マインちゃんの心とナッちゃんの心を混ぜることはできないでしょう?ですから、心臓という心の臓器は血液を通して栄養を運んでいるだけではなく、心も運び、わたしたちの体をひとつのネットワークとして束ねているのです。血液は、心の通り道ですからね。それは、太陽系の太陽磁場が星々を連携させ、束ねているのと同じ構造です。ですから本来、血液は交ぜてはいけないものなのです。

今は日本でも医療が進み、輸血をするようになりましたが、そういった行為は霊的には混乱をもたらすものです。ただ、近代的な技術を使って輸血をしても、血液もいずれ循環して変わっていくでしょう?たとえば血液がすべて入れ替わるのに4ヶ月かかると言われていますが、その間は霊的には混乱が生じるということです。ですから、血液はなるべく交ぜないほうがいいのです。

マインちゃん:
では、輸血をしないほうがいいということですか?

いさどん:
輸血をするということは、すでに輸血をしなければいけない状態に自分が人生の中で出会ったということです。そのような状態に出会わない人生を生きていくことが、大切なのです。そのために、美しい心で生きることのほうが大切ですね。

人は「死にたくない」という心があると、生きるために何でもしたくなるものです。しかし、覚悟があると、「いのちはいただいたものですから、わたしは充実した人生を生き、いつでもお返しできます」という心になり、輸血などに頼らなくても、寿命があればいのちは復活します。しかし、そういった心がなければ、ただ生きたいばかりですから、輸血でも何でも手段を選びません。その心は汚れたものです。

輸血の技術がないときには、人々は覚悟を持っていのちを返してきました。そういった意味では、今の人間の心が死に対して潔くなくなったのは、輸血に限らず、他の医療技術に対しても依存するようになったからです。それで、日々を真剣に生きなくなったのです。日々を真剣に生き、自らの心を磨いていれば、毎日が充実しているので、いつ死んでもいいという心になるものです。

科学やテクノロジーの進化が進み、人々の生活が豊かになっていくにしたがって、人々の心はそういった物理的な豊かさを求めることを優先してきました。そして、物事の本質を捉え、生きていることの意味を見失い、一方的に延命することだけを求めるようになりました。

本来、わたしたちが肉体をいただき生きていることの意味は、物理的なものに惑わされることなく、自らの霊的な意識の高まりを目指し、霊的な世界から生まれ霊的な世界へ還っていくことを悟り、そしてこの世界へ生み出された目的を達成することです。

ですから、現代人のようにそういったことを忘れ、物理的なことを優先する意識が強くなれば、社会にも混乱が生じるのです。

わたしたち生命は皆、いずれに死に至る約束のもとに生きています。ですから、死に到達するという絶対なる約束事のもとに、日々を生きていくことが大切なのです。

輸血をしないということは、いのちに対して覚悟がひとつ余分にあるということです。本来、人は肉体という物理的な存在ではなく、霊的な存在です。死んだ先の世界にいのちをつなげて捉えていれば、死は恐ろしいものではないのです。魂は一人ひとりオリジナルであると考えられます。以前、血液は汚れているものを回収してろ過する経路だという話をしましたね。血液は心の運び道ですから、他の血を取ると霊的にも血液は汚れていくのです。

近代医療のテクノロジーが優れていて、生きることに対して恩恵をもらえるとしたら、いのちが永らえるということです。しかしそれは、輸血によって他の霊的・物理的汚れを自分に取り入れることでもあるのです。僕は、そういった行為を否定しているのではありません。

大切なことは、そういった仕組みを知り、自らの心を綺麗にしていくことです。そして、生活も綺麗にして、血液を浄化していけば、常に美しい人で生きられるということです。

ワンちゃん:
今、タイでは献血のキャンペーンを行っています。それは、「献血によっていのちを助けましょう」という活動です。

いさどん:
それは、いのちの質や人生の質を問わず、ただ永らえることだけが大切だという現代医療の考え方です。ですから、そうした考え方が進めば進むほど、混乱した社会が広がっていくのです。

ワンちゃん:
今まで、献血は良いことだと思っていました。

いさどん:
それは、表面的ないのちの捉え方なのですよ。

それよりも、いのちに対して覚悟を持ち、潔く爽やかな人生を生きることは、その人の人生が健やかで、それこそ神人(天人)が地上を生きるというようなことにつながります。これは新たな時代を生きる人々の考え方です。

ワンちゃん:
タイで献血のキャンペーンを行うとき、「これは他の人たちのいのちを永らえるために、あなたが出来る最善の行為です」ということで広まっています。

いさどん:
それは、現代的な浅い医療の考え方です。それでは、問題事は根本的に解決せず、医療行為がどんどん広がっていくことになります。

ワンちゃん:
ただ、わたしは低血圧で献血ができません。だから、それを喜びとすべきですね。

いさどん:
あなたが低血圧だとしたら、それを喜びとする部分とそうでない部分があります。その低血圧はあなたの心の現れなのです。その状態を改善するためにまずは心の持ち方を改めると、食生活が変わり、生活が変わり、あなたは低血圧ではない健全な状態になるのです。ですから、低血圧であることは喜びにはつながりません。

ワンちゃん:
タイにも血圧を上げるような食養生プログラムがあります。

いさどん:
それは体の健康のためにやるのではなく、心のバランスを取るためにやるべきですね。健康は心のバランスの現れなのです。「健康になろう!」と思って取り組んだ結果、心が不健全なのに体だけ健康になったら、別の意味で人生に問題をもたらします。ですから、常に自分と向き合って生きることが大切です。いろいろな滞りは自らの心の実態を見せてくれているのですから、そこから逃げないことです。それはある意味、出家者の心構えのようですが、今、お坊さんたちでもそこまではやっていませんね(笑)。

ナッちゃん:
今、わたしたちの精神は健康ではありません。ですから、多くの人たちが異なる病気を抱え、不健康な状態でいます。そこで、どのようにしてその病気の原因を知り、どのようにその状態を改善していったらいいのでしょうか?

いさどん:
まず、人間の不健康は地球の病気です。それは社会が病んでいるとも言えます。病気になった人のことをかわいそうだと思いませんか?ところが実際は、病気になった人は世の中に問題をもたらしている人なのです。

世の中に問題があると、喜ぶ人がいるのです。生きることに不安な人がいると、喜ぶ人がいます。それは保険屋さんです。人が争うと、喜ぶ人がいます。それは弁護士です。裁判官も、人が争うことによって自らの仕事が充実します。人が欲深くなって不要なものまで欲しがるようになると、喜ぶ人がいます。それは物を作る人です。病人が増えると、喜ぶ人がいます。それは、その人たちによって支えられている製薬会社や医者です。ですから、この世界は、混乱や問題事で成り立っているのです。

ナッちゃん:
いさどんは、皆それぞれオリジナルな魂を持っていると言いましたが、科学は血液型をいくつかに分類しています。それはどういうことなのでしょうか?

いさどん:
血液型はとても大まかな人の性質の傾向を示していますが、それは環境、時代など一人ひとり様々な要因が違うので、同じ血液型の人でも厳密に言えば違う人なのです。心の臓器から送られる血液はいのちの通り道であり、血液自体はまさに霊的なものなのです。ですから、血液型でもその霊的なものが分類できるのです。輸血が始まった頃は、血液型の分類がない時代でしたから、そうしたことに構わず他人の血を入れていました。そこから科学によって血液が分析され、その違いがわかるようになり、一人ひとりがオリジナルな存在であることが観えてきたのです。ですから、最終的には血液は交ぜてはいけないというところに到達するのです。血液型で人格を観る場合も、大まかな傾向は観えますが、それを厳密に観ていくと、最終的には一人ひとりがオリジナルであることに行き着くのです。

今の医療は人のいのちを生かすことばかりを優先していますが、死ぬことの大切さがあるのです。長く生きてとても見苦しい人生よりも、短くても美しく素晴らしい人生がありますよね。人々が医療に頼って長生きしようと思うようになったのは、人々が自らと向き合わなくても、医療がいのちを救ってしまうようになってしまったからです。

大切なことは、病気に限らず、どのような問題事に出会ったときも、それに出会った自分を振り返り、その原因を突き止めることです。ある意味医療は、病気という自分が出会った問題事から振り返るチャンスを、人々から奪ってしまったのです。それは、医療自体が本来の目的から外れ、お金儲けのためにまわるようになってしまったからです。ですからその行為は、人間が生まれてきた目的を奪ってしまうようなことでもあるのです。

人間は生まれてからいろいろな出来事に出会い、その出来事から自らの実態を知って、そして高まっていくために生きています。そして高まった結果、執着を一切持たず、自らの霊的な価値を持って旅立っていくのです。それが生きることの本当の目的です。

そういったことがわかると、一人ひとりが生活の中で出会う出来事だけで学び、成長することができるのです。そうすると、宗教も指導者もいらなくなるのです。そういった時代の扉が今、開いたのです。

ナッちゃん:
今の学校に入る前、将来わたしは大学に進学して心理学を学ぼうと思っていました。それは、心理学者になって精神的な病を持つ人々を助けたいと思っていたからです。ですから、自分と向き合って自らを改善していくために、心理学ではふたつの方法で患者を助けることができます。ひとつは患者の問題をしっかり聴き、導く方法です。もうひとつは薬を処方して、たとえば夜眠れるように睡眠薬を、一般社会で普通に機能できるような薬を処方するという方法です。人気のある学部について調べてみると、以前は医学部、工学部、文学部、商業芸術学部などが人気がありましたが、現在は心理学部が人気があります。わたしが思うに、それは人々を助けるために心理学者になりたいのではなく、心理学者になると良い収入を得られるからです。

また、タイの国王は満ち足りた経済を提唱しようとしています。満ち足りた経済を理解するためには、まずどのような状態が満ち足りているのかを知ることだと言われています。それは、衣食住において足るを知るということです。しかし、わたしたちの教育センターに満ち足りた経済について学びに来る人々は、何が足りている状態なのかを理解する心の状態にはありません。彼らはただ欲が深く、お金儲けのために何かを学び、自給自足しようとしているのです。わたしはそういった状況に対して、嬉しくありません。

いさどん:
それは、あなたの中に時代を先取りした想いが湧いているということです。今、時代は欲ばかりかけて生きていると、必ず行き詰まるようになっています。今、拡大・発展の時代から、不要なものをそぎ落とし、必要なものだけを選ぶ時代に入りました。それは物理的なものだけではなく、心も同じ流れです。ですから、あなたが考えていることは次の時代のことなのです。そのままその考えを進めていけば、あなたは世の中が必要なことをやっていることがわかってきます。それは、木の花ファミリーが実践していることであり、心理学の先を行くことなのです。

あなたはこれから一生懸命英語を勉強して、来年の2月に開催される「1ヶ月間の真学校」を受けるといいですよ♪そうしたら、医療や心理学を超えた世界をマスターできます。また会いましょう♪

 

瑞々しい感性でたくさんのことを吸収したナッちゃんとマインちゃん。「1ヶ月間の真学校」で再会なるか!?
瑞々しい感性でたくさんのことを吸収したナッちゃんとマインちゃん。「1ヶ月間の真学校」で再会なるか!?

 


「血液」からこの世界を探求していく~宇宙の仕組み編~

タイの代替教育学校の高校生である、ナッちゃんとマインちゃん、そして先生のワンちゃんは5月27日より3ヶ月間、木の花ファミリーに滞在しています。世界観を広げるプログラムの一環として、身近にある「食」について深めていく時間が4回にわたって持たれました。その最終回では、「霊的な進化」というテーマから、この世界の「血液」について深く探求していく時間が持たれました。
(写真右より、ナッちゃん、マインちゃん、ワンちゃんです。)
presen

いさどん:
英語でも心臓のことを「心の臓器」とは言いますか?

ようこ:
心臓は英語でハート(heart)と言います。

いさどん:
ハートというのは心もハートですね?

ようこ:
英語では心も心臓も同じハートという単語が使われます。

いさどん:
同じなのですね。タイ語では心臓は何と言いますか?

ワンちゃん:
心は「チッウィンヤン」と言って、心臓は「ワチャイ」と言います。心臓の「ワチャイ」という言葉は心と関係しています。

いさどん:
ということは、日本語でもタイ語でも、心と心臓のどちらも、「心」が関係しているということですね。英語でもこの二つは共通しています。

心臓は臓器の中心という意味でもあり、それが体の隅々まで血液を送り体が運営されています。これは地球も太陽系も宇宙も同じ構造なのです。太陽系でいうと、太陽は心臓の役割をしています。ですから、太陽が何を発するかによって、その指令を受けて他の星たちがどう動くのが決まるのです。そのようにして太陽系は成り立っています。

わたしたちの体でも、例えば感情が高ぶれば心臓がドクドクしますね。ですから、わたしたちの感情が高ぶったり冷静であることによって、心臓に指令が行き、血液をどのように送るのかによって、わたしたちの行動が変わってくるのです。偏った食生活や偏った心によって血液を悪いものにし、心臓に負担をかけることは、その人の生命を汚染することであり、人生を間違った方向に持っていくことになるのです。

マインちゃん:
ワン先生が補足的に、「健康な暮らしをするためには、善意で平和な心である必要があります。怒ったり、イライラしたり、感情の起伏が激しくなると、健康もジェットコースターのように上がり下がりが激しくなり、それでは健康にはなれません」と説明してくれました。それを聞いてわたしは、頬をはたかれたような気分です・・・

いさどん:
体に負担をかけないために冷静に正しい食べ物を選び、そして感情的にならず冷静な心で常に正しく物事を判断できることが大切です。どちらにしても血液を汚すことは、血液を汚すような生活習慣をしている「心」に原因があるのです。血液を汚すことによって、他の臓器や体のいろいろな部分に問題が生じて不健康になっていき、最終的に人間は心臓が停止することによって死を判定されます。ですから、血液を汚さない美しい体、血液を汚さない美しい心、そして血液を汚さない美しい生活を心がけることが大切です。

人間の血液は生命そのものです。そしてそれが生命を循環させ、すべてのところへ平等に行き渡るようになっています。血液が汚れていたら、すべてのところへ汚れが行き渡ります。そして、血液の通り道である血管がどこかでつぶれていたら、そこから先は腐っていきます。

ナッちゃん:
とてもわかりやすい結論ですね!

いさどん:
実は、人間社会にも血液のように循環し、すべてを平等につないでいるものがあります。「人間社会の血液」は何だと思いますか?

ナッちゃん:
いさどんはとても良い質問をしますね!

いさどん:
ハッハッハ。

ナッちゃん:
社会ではわたしたちの行動やコミュニケーションによって、お互いに影響を与えています。社会のあるグループの人たちが幸せでなければ、その不幸せな波動を言葉や行動によって放ち、それが他のグループに伝わり、そうやって今の不幸せな社会を創っていると思います。それは、わたしたちの考え方や行動が原因です。ですから、わたしたちは悪い波動を社会に発しないように、意識的に思考し行動する必要があります。

いさどん:
それをわたしたちの体で例えるならば、血液が癖という自らの心を運び、それを表現しているのです。そうすると、人間社会はひとつの生き物ですよね。そこに平等に行き渡っている血液のような役割をしているものは何だと思いますか?

今、ナッちゃんが表現したのは、血液の汚れということです。そうした汚れや美しさを運んでいくものが、人間社会にはあるのです。それは、人間の心によって汚れたり美しいものになります。わたしたちの血液も、自らの心によって汚れたり美しくなったりするでしょう?

タイの3人:
(しばらく3人は考えました。)降参です!!

いさどん:
では、答えを言いましょうか(笑)。それは、「お金」です。

ワンちゃん:
わたしは、その答えは「自我」とも思っていました。

いさどん:
自我は、お金に乗っていくものです。本来、お金は皆に平等に行き渡る社会システムとして存在していますが、一箇所に貯まってしまって皆に行き渡らないお金もあります。わたしたちの体で血液が汚れると、腎臓や肝臓で洗浄しますね。同じように、犯罪や戦争に使われ、汚れたお金がこの世界にはあるのです。そうしたお金を綺麗にするのは、人の心です。

ナッちゃん:
なぜ人々がマネーロンダリング(資金洗浄)をするのかがわかります。

いさどん:
そうですね。では、次の話をします。「地球の血液」は何だと思いますか?地球の生命の循環のために最も重要なものは何だと思いますか?

ワンちゃん:
空気か水ですか?

マインちゃん:
わたしは水だと思います。

ナッちゃん:
わたしは自然の仕組みだと思います。

いさどん:
それは、「水」です。水が自然の仕組みを健全に運びます。それはわたしたちの体の血液と同じですね。

マインちゃん:
わたしたち人間一人ひとりが地球の細胞のような存在ですから、水がなければ地球も死滅しますし、まず、細胞であるわたしたちも死んでしまうのです。

いさどん:
それでは、自然生態系ネットワークも維持されませんね。水が汚染されたら、すべてのいのちに汚染が広がるのです。

ワンちゃん:
わたしたちの国王も、「水はいのちである」と同じことを言っています。

いさどん:
では、ネクストクエスチョン♪その地球の血液である水を循環させる、心臓の役割は何ですか?

ナッちゃん:
いさどんの質問がどんどん難しくなってきているので、集中して考えないと答えられません!大学受験のための国の一斉試験よりも難しいです!!

いさどん:
大切な質問ですから、真剣に考えてくださいね。これは、とても重要なことです。

ナッちゃん:
いさどん、ヒントをください!

いさどん:
それは、すべての生命に平等に与えられるものです。

ナッちゃん:
時間ですか?

マインちゃん:
土ですか??

いさどん:
土の前のものです。

マインちゃん:
微生物でしょう!

いさどん:
それは、そのものによって生命が循環し、育てられていくものです。
ヒントです!それは空から降ってきます。

ナッちゃん:
雨ですか?

いさどん:
雨もそれによってつくられています。それは、いのちにとって最も大切なものです。

マインちゃん:
魂ですか?

いさどん:
地球の血液が水であるならば、血液である水は循環するでしょう?わたしたちの体で血液を循環させるシステムは心臓ですね。では、地球の血液である水を循環させ、その心臓の役割をしているものは何ですか?それは、空から皆に平等に降ってくるものです。それは、いのちにとって最も大切なものであり、水より重要なものです。

ワンちゃん:
エネルギーですか?

いさどん:
エネルギーです。エネルギーですが、そのエネルギーの元のものです。

タイの3人:
わからない~(笑)!

いさどん:
ギブアップですか(笑)?それは聞いたら、「なるほど!」と思う答えですよ♪それは、すべての生命の元です。それは、太陽です。

ナッちゃん&マインちゃん:
あ~!(笑)

ワンちゃん:
でも、太陽は地面に落ちませんよね??

いさどん:
太陽の光が大地にあたり、太陽が水を循環させているのです。太陽の光自体が汚染されることはありません。その太陽の光を受けて循環する血液である水や空気、土が汚れるのです。わかりますか?

さて、次の質問があります!地球の血液が水であり、その心臓が太陽であるならば、「太陽系の血液」は何だと思いますか?

マインちゃん:
一生懸命考えてみます・・・

いさどん:
考えると難しいですよ。太陽系がどのような構造になっているか、想像してみてください。

マインちゃん:
星ですか?

いさどん:
それは、星を連携させ、循環させるものです。

ワンちゃん:
一つ一つの惑星の動きですか?

いさどん:
それを連携させ、創る元となるものです。皆さん、ギブアップですか(笑)?

マインちゃん:
わたしはギブアップします!

ナッちゃん:
磁場の力でしょうか?

いさどん:
そうです!それは、「磁場」です。太陽磁場が、太陽系を連携させ循環させているのです。それでは最後の質問です。「宇宙の血液」は何だと思いますか?

宇宙全体を束ねているのは、「スピリット」です。スピリットはある意味、精霊の巨大なものであり、魂の存在、つまり神のことです。

今日は、人間の体の血液から、人間社会の血液、地球の血液、太陽系の血液、そして宇宙の血液の話をしました。人間社会の血液はお金であり、地球の血液は水であり、太陽系の血液は磁場であり、そして宇宙の血液はスピリットです。

この世界と人体の関係
この世界と人体の関係

そのスケールが大きくなればなるほど、物理的なものは消えて、霊的なものだけになります。それがわたしたちの体のスケールまで小さくなると、密度が濃く、物理的なものになります。そしてそのスケールがさらに小さくなればなるほど、物理的なものは消えて、霊的なものだけになるのです。宇宙の最極小微粒子であるカに戻ると、現象としての存在はなくなります。

ということは、わたしたちの体の状態が一番心の状態を見やすく表してくれているということです。わたしたちの血液がどのような状態であるのかということは、まさにわたしたちの心の現われです。血液の汚れには、物理的な汚れと霊的な汚れがあるのです。社会の血液であるお金にも、物理的な汚れと霊的な汚れの両方があり、すべて同じ仕組みになっています。

ですから、心が綺麗な人は血液も綺麗であり、体も健康で、良い人生を生きることになるのです。

 

 


災害はメッセージ

4月14日以降熊本県を中心に連続して地震が発生したように、今、日本のみならず世界のあちこちで地震や火山噴火などの自然災害が頻発しています。2月14日から3月12日にかけて開催された「1ヶ月間の真学校」では、「災害に向かって生きる」というプログラムが提供されました。そのプログラムの冒頭でいさどんは次のように語りました。

いさどん

「災害」というのは、人間から見た解釈です。地震も津波も地球の生命活動であり、それは新陳代謝でもあるのです。わたしたちの体も同様に、毎日多くの細胞が死に、そして新たな細胞が生まれてきています。地球の中でも新陳代謝の激しいところと比較的安定しているところがあります。また、長い地球の歴史からすると、大きな変化が起きた時と長く安定していた時があります。それは、地球が生命であるということです。そしてその生命は宇宙そのものであり、宇宙は常に変化、変容、変態を繰り返しているのです。ですから、わたしたち人間が築き上げたものが壊れたといって区切って見る解釈は、きわめて人智的な捉え方なのです。それは、長い目で見たらものは必ず壊れるからです。生命自体は誕生、維持し、それが壊れ、空(くう)となって、また始まるという循環の中にあり続けるのです。

今日は3月6日です。あと5日で東日本大震災が発生してから5年が経ちます。東日本大震災で約2万人の人々が亡くなり、たくさんの物が壊れましたが、あの震災を振り返ってみると、あの地にはこれまでに何度も地震がありましたし、津波もあの地域を襲っていました。しかし、長い間に人々は古くからの言い伝えを忘れてしまい、人工的な防波堤を信頼し、危険な場所に住んでいたのです。昔、そうしたことを伝えていた道祖神など(波分け観音など)がありましたが、人間の欲が勝ってしまったがために人々はそうした伝統的な言い伝えを無視し、便利さのために危険な場所に住んでいたことが、5年前の震災があったときに明らかになりました。

しかし、そういったことを天然循環法で捉えると、直観で感じ取り、そのようなトコロに住まない、もしくはたとえ津波が間近に迫っている時でも、直観でそのような兆しを感受することができれば逃れられたはずなのです。危機的な状況の中で直観が働き、命が守られることは、生命感が優れている証です。しかし機械的な情報ばかりに頼ってしまい、人間の生命感が失われていると、災害に遭うことになるのです。例えば、ゴキブリやネズミは家が火事になる前に引っ越していくそうですが、人間はお酒を飲んで寝ていたりして亡くなることがあるのです。本来、わたしたち人間もそのような生命感を持っているはずなのですが、今の人々はそれを失っています。

災害を語る前に、何よりも認識しておかなければいけないことは、わたしたちは生命であり、生まれたら必ず死ぬということです。そうであるならば、むやみやたらに死ぬことを恐れる精神状態を考える必要があるのです。つまり、死は生きることの集大成なのですから、その生きる中身がどうであるかによって、死はいつ訪れても恐れるものではなくなるのです。なぜならば、死は必ず訪れるものであり、生きることの結果必ずついてまわるものだからです。ですから、もし死にたくなければ、生まれてこなければいいのです。ところが、不思議なことに人は生まれてくると、生きていることに対して一喜一憂するのです。大切なことは、わたしたちが生まれてきた意味や生きる意味、そして死んでいく意味をホリスティックに理解した上で、生命世界を生きていくことなのではないでしょうか。そのように捉えると、災害が少し違って見えてくると思います。

災難というと、何か嫌なことが訪れ、出来れば避けたいと思うものですが、地球の歴史を遡ってみれば、生命は何度も大量絶滅を繰り返してきました。少し不謹慎な話かもしれませんが、僕は津波のことを思い浮かべたときに、たらいの中に浮かべた板の上の蟻を想像したのです。たらいに浮かべた板の上に蟻を何匹か乗せて、水面に何かを落とすと、波が起きて板の上に水がかかります。蟻からしたら、その波は5メートルくらいの波でしょうか。この写真の津波も、5、6メートルくらいでしょうか。

出典: geocities.yahoo.co.jp
出典: geocities.yahoo.co.jp

そうすると、たらいの中に何か物を落として、波が起こり、蟻の何倍かの高さの波が蟻の上を通っていったとき、それを地球の大きさに例えればほんの僅かな現象なのです。例えば、地球上には最も高いエベレストという山があります。それは9千メートル弱です。それから海の一番深いところが1万メートルくらいありますが、地球の直径は約1万2千キロメートル、また大気は約100キロメートルあります。地球にとって100キロメートルは卵に例えると、卵の殻の部分に匹敵します。そうすると、この地球は山の皺や海のへこみを含めても、とてもきれいな球だということです。そこに5メートル、10メートル、30メートルの津波が来ることは、ほとんど何も起きていないに等しいのです。ですから、わたしたちにとっては大変なことが起きたように思えたとしても、地球規模で言えば、それは何も起きていないに等しいのです。それに比べ、わたしたちがご飯を食べる前に手を洗うとき、それは手についている菌からすると、災害が起きているような大変なことになります。もしも、しっかり手を洗う人がいれば、手についている菌にとっては大災害に出遭い、大量絶滅したことにもなるのです。

今回の真学校では世界観を広げることがテーマでした。そして世界観のスケールが大きくなればなるほど、被害を受けたと感じる被害者意識がほとんどなくなっていきます。地震は地球の生命活動であり新陳代謝なのですから、宇宙から見たら地球はとても安定した星なのです。ですから、自然災害が起きて報道されるたびに、僕にはそのようなイメージが浮かんできて、「それほど大したことは起きていないのになぁ。これは定期的に起きている地球の新陳代謝であり、生きていることによって生まれたひずみが、地球をほんの少し変えているだけなのになぁ」と思うのです。そして、ほんのちょっとの水の波がこのような現象を引き起こすのですから、手を水で洗ったくらいではなかなか菌が取れないのと同じように、人間の営みも5年もすればまた元の状態に復活していくのです。

出典:http://workers-magazine.com/
出典:http://workers-magazine.com/

このように捉えると、ものの見方が変わっていきます。ものの本質を捉える時に、世界観が狭く囚われの心で見れば、それはとても悲惨なことであり、大切な人を無くしてしまった悲しく追悼すべきことになります。この震災で2万人くらいの人が亡くなりました。しかし、災害などがない時にも人はどんどん亡くなっていきます。僕は、人々が亡くなったことがどうでも良いと言っているのではなく、こうしていろいろな形で新陳代謝が繰り返されていることを理解する必要があると伝えているのです。ましてや災害対策を考えれば、生きているわたしたちにとって死は常に隣り合わせにあり、どのような形にしろ、わたしたちにはいずれ死が訪れます。宇宙において死ぬことは、正の方向であり流れです。ですから死を恐れるのではなく、どう生きるのかが大切であり、その死を満足のもとに受け入れていくことが重要なのです。さらに、死ぬことは宇宙の流れからすると、また生まれてくるということでもあるのですから、爽やかに生きて、気持ちよく旅立っていけば、また爽やかに生まれてくることになります。これはお金でも同じことです。気持ちよく使う人には、また気持ち良いお金が入ってきます。このように全てのものには、人の心の響きが乗ります。人生にも心の響きが乗りますから、生きることの心構えとして、いかに宇宙法則に乗せて気持ち良く流していくかが大切なのです。そのように解釈すると少し気分が変わりませんか?

「今日は防災訓練だ!」となると、火事になったときにどうしようといった話になって、とかく人は構えてしまいます。リラックスしていれば、全身の細胞がパラボラアンテナのようにセンサーになり、それが色々な変化を感受するので、上手に天の気を読むことができるようになるのです。しかし、「助かりたい!」という想いが強くなると、色々なものにぶつかってしまい、かえって動きが悪くなります。ですから、防災に対する捉え方も、人の心に起因するものだと僕は思います。こういった話をすると防災の話は不要になってしまいますが、資料が用意してありますので、今から一緒に見ていきましょう。

 
スライド4

この後、「災害はメッセージ」のプログラムのプレゼンに沿って、いさどんとみちよが話をしました。その後、ワークショップ形式で、参加者一人一人が自分たちが暮らす環境を振り返る時間が持たれました。

防災WS (3)

 
そして、最後のまとめとして、いさどんは以下のように語りました。

 
今日は、防災について学ぶと同時に、防災とは何かということをみんなで話し合いました。そこで至った結論は、わたしたちが生きると、色々な問題事に出会うということです。これは、真学校を通して一貫して皆さんにお話ししてきたことです。問題事に出会うことは、わたしたちが自我で生きていることに対して、この世界の法によって生かされていることをわたしたちに認識させるためのものです。わたしたち自身は、肉体と心により形成されています。それは自身の内から外に向かって観た視点です。同時にわたしたちは、外から内に向かってこの命が形成されるネットワークの中にいるのです。その双方の成り立ちを意識したバランスの取れた視点を持てば、宇宙が完璧に素晴らしい世界をわたしたちに提供してくれていることに気付くのです。

地上を生きるものとして世界観が狭ければ、物事を広い視点で捉え、そこにある流れや生きることの意味を理解することは難しいでしょう。しかし、わたしたちが地上を生きる役割は、もっと大きな宇宙の仕組みである調和や愛を地上に表現することです。そのことがわかれば、それらを地上に表現できるのです。それが天と地の和合であり、地上に天の法則を表現する役割を果たすことになります。それが本来、わたしたちが地球に生きることの意味です。それが宇宙の実相ですから、それを地球という特別に創られた奇跡の星で表現することが、わたしたち人間に与えられている大きな使命なのです。わたしたちは過去から未来に向かって時代を紡ぎ、その役割として地上に現れ、この宇宙物語を表現しているのです。

web of lights
出典: https://judithkusel.wordpress.com

災害やそれに対する防災を考えるとき、わたしたちの世界観が狭ければ、そこに起きることに対する対策をすぐにしたがるものです。そうした対策は大いにする必要があるのですが、それが目先だけに囚われた解釈になると、それは辛いことに対する対策で終わってしまいます。しかし、災害に出遭うことや災害に備えてその意味を考え、語り合うことは人々の霊性を高め、世界観を広め、最終的にはこの地上に理想の世界をもたらすきっかけとなるのです。ですから人々の意識が宇宙法則から外れるほど、天はわたしたちにそういった出来事を通して考えるチャンスを与えてくれるのです。そのような災害の捉え方をすれば、ただ辛いことに出会っただけではなく、災害もありがたいこととして受け止められるのです。生命として生きることはそのような高い意識を創る世界に存在することであり、そして自然の中に生きることは、ある意味自我を超える修行をしているようなものですから、厳しく感じられるようにできているのです。

そもそも、この世界は矛盾から生まれたのですから、その矛盾の現れである自然の中に生きることは、常に矛盾を埋め合わせて行くことになります。そのカラクリを知り、その中で翻弄されるのではなく、見事にそれをすり抜けて生きる術を見つけたならば、わたしたちはもっと大きな存在になれるのです。それは、宇宙を理解し、命を超越して宇宙を旅するコノハナ人になるということです。

真学校も終盤を迎え、この学びに出会うことの意味が皆さんに定着してきたと思います。当初は、皆さん一人一人の人生の課題に向き合うということでしたね。そろそろ、自らの存在がこの世界を担っているという高い意識に目覚めることが、真学校に出会った意味だと気づいていただければと思います。そして、人は必ず死にます。その時に悔いのない旅立ちをするために、皆さん一人ひとりが高い意識の元にこの世界の成り立ちを担っていることを意識しながら生きていくことを願っています。

 

 


あなたのリセットはあなたに託されています

「1ヶ月間の真学校」終了の日の朝、いさどんは12名の受講生たちの新たな旅立ちに向けて、以下のように語りました。

160312-100936
1ヶ月間の真学校 受講生たち

 
いさどん:
みなさんにとって、この真学校は今日でリセットです。
僕はこの1ヶ月間、みなさんにいろいろな情報を提供してきました。情報を提供することでみなさんの人生がこれから切り替わっていくためのお手伝いをしてきたつもりです。

昨日の修了パーティが終わってから、実は僕もこの1ヶ月間の真学校をリセットしたのです。今朝起きて、そのことに気が付きました。

今朝起きたら僕は「死にたい」と思ったのですが、みなさんは人が死にたいと思うことに対してどんな印象を持ちますか。今までに死にたいと思ったことがある人はいますか?
(過半数が手を挙げる)

それじゃ、自分は死なないと思っている人はいますか?
(2、3人が「魂は死なない」と言って手を挙げる)

僕が「死ぬ」と言っているのはリセットするということです。
みなさん一人ひとり、それぞれの人生があってここまで歩んできたのです。世界観の違いによって、人生とは、生まれてから死ぬまでと言う人もいますし、輪廻を信じている人は、魂の旅という捉え方をするでしょう。世界観が物理的なところに限定していれば、生命輪廻として捉え、世界観が宇宙的に広がっていれば、宇宙が始まってから現在までの、さらに世界観が無限になっていれば、この世界はぐるぐる回っており宇宙には始まりも終わりもないのでここは過程にしか過ぎない、という捉え方となります。そこでは死というものは存在しません。この世界で生きることに対する認識は、自分というものの意識がどのくらいの器でどのくらいの高さにあるかによって全く違うのです。しかし、どの位置の意識を持つかはみなさんの自由なのです。そして今まで生きてきた成り立ちの結果です。例えば食べられるか食べられないかについて興味を持っている人はそれだけが世界なので、今目の前にある困難によって生きることの希望も失うことになるのです。

このようにものの捉え方は世界観によっていろいろ違いますが、みなさんは、想像できる自らの起源から認識している現在地の範囲内で、自らの経験に基づいて思考しているのです。そこで自らの考えに囚われていれば、その思考で特定し理解できることが受け入れられること、または正しいこととするという尺度をそれぞれが持っているのです。ですから、みなさん一人ひとりが物差しであると言えるのです。

「2001年宇宙の旅」という映画に出てきた「モノリス」は、人としての叡智の基準であり、わたしたちの人生における旅の歩みを歴史として紡いでできあがった思考は、人間の個人の叡智です。あの映画では、猿に宇宙の叡智を与えることを起源として、人間の歩みの過程が描かれています。

「神」という漢字は二つの文字に分けられます。「示」すと「申」すという字で組み立てられています。これから解釈すると、何かに申して示したということになります。この申すという字は「さる」という字でもあることから、さるにしめしたと解釈できます。お前にわたしの志を与える、そしてわたしの代理として地上を生きなさい、というように示したのです。それが「神」という文字の成り立ちです。

この捉え方からすると、宇宙にいた魂、言い換えると宇宙の物理性の元にある宇宙創造の起源の意志が、宇宙創造の仕組みの法に従って地球を創り、そこに生命の種を降ろし、その生命の進化の流れの物語の話になります。そこで、わたしたち地球に生きる三次元生命は、宇宙の構造そのものをコンパクトにして表現したものです。これは人間が小宇宙だということです。そして小宇宙としてこの世界に人間が創造されたということは、人間が自らを模して人工頭脳を作ったようなものです。わたしたちはお母さんのお腹の中での精子と卵子(陰と陽)の出会いから「みこと」として独立した命の歩みを始めたのです。その歩みは2進法ですから陰と陽で2分割していくのです。最初の原子細胞から始まり、そこから2分割を繰り返すことで複雑になり、いろいろな機能ができていくのですが、この時に最初にできる臓器が心臓なのです。それは太陽系で言ったら太陽の役割であり、わたしたち人間に例えるとその中心は心ですからそれが太陽になり、だから体の中でも心臓が最初にできるのです。しかし、その段階ではまだわたしたちは原始的な生命にしか過ぎません。

それがお母さんのお腹の中で育つ過程の中で、最初はえらのある魚の形態から両生類になり、うろこのある爬虫類になり、そこから鳥類と哺乳類に分かれていきます。ですから妊娠7ヶ月の未熟児で生まれると猿のように毛深いそうです。それが10ヶ月で生まれるならもっと毛深くてもよさそうなものなのに、ちゃんと毛が取れて人になって生まれてきます。

この間、みかちゃんとカタカムナの5首6首のウタヒの意味をひも解いていたのですが、その時に、宇宙創造の仕組みは妊娠の過程と同じだと気づきました。「ヒ」の精子と卵子の出会いは秘かに始まり、「ト」のトつきトうか(10月10日)で整いヒトになって生まれてくるのです。わたしたちはお母さんの体内で、お父さんという種を起源にして創造されます。お父さんの種というのは縦軸が降りるということで、天から柱が降りる(御霊が天から降りる)、もしくは、地から天に向け柱を立てる(天の御霊を迎える)ということです。ですから、お父さんはお母さんの子宮に柱を立てて、種を送り、魂を迎えるのです。そしてお母さんは地球を表す子宮で、地球のように生命を創っていくのです。それは地球46億年の歴史の中の33億年の間の生命の成り立ちの話です。それをわたしたち人間はお母さんの体内で280日を経てコンパクトにたどり、生まれてここまで来ているのです。

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さらに地球生命の歴史をひも解いていくと、わたしたちは最初タンパク質からアミノ酸になりました。それは宇宙的に言えば、とてつもない奇跡のような変化によってもたらされたものです。しかし、その時点ではまだ生命ではありません。そのアミノ酸が何かの拍子に最初の細胞になったのです。それが原始生命になり複雑な生命に進化し、微生物やプランクトンに変化していきました。海(あま)は女の人を表し、海は生命の起源であり、女の人の子宮と同じ役割です。そこに最初の生命が生まれて、それが魚になり、両生類として陸に上がり、爬虫類になり、そこから鳥類にまたは哺乳類になるというように進化し分かれていきました。その哺乳類から猿が生まれたのです。

このようにわたしたち人類は、その進化の過程で猿から人に分かれてきたのです。その猿から人に分かれるということについて、考古学上、生命の進化をたどっていくと、猿までは進化論で説明ができるのです。生物学上では猿と人間はほぼ同じものです。しかし進化論では、猿から人になるまでの間がなかなか埋まらないのです。信仰上の観点から、アメリカ人の6割くらいは進化論を否定するのです。ところが日本人のほとんどは猿の進化したものが人間だと思っています。物理的には猿の進化の先に人間がいるのですから、猿と人間の間を埋め合わせる存在がいてもいいと思うのです。

DNAとしては、99%は猿と人間は同じという説もあります。アメーバと人間もほとんど生命的仕組みは同じなのです。つまり生命であるものと生命でないものには極端な差があって、三次元生命が地球上に発生したということは、宇宙の三次元生命でないものの連鎖の中ではものすごい奇跡なのです。このようにわたしたち地球生命はある意味みんな仲間です。

「2001年宇宙の旅」で出てきた「モノリス」は物理的な柱で表現されていました。僕はそれを、わたしたちの中には見えない柱があると捉えました。それが「アメノミナカヌシ」です。その大元は宇宙の叡智である「アマノミナカヌシ」です。地球生命は進化論で捉えると猿まで進化してきたのですが、それも宇宙の意志が導いたのです。天にいた魂たちは地上(地球)を上から見ていました。地上ができてくると生命の種を降ろし育てていきました。ヒフミヨイムナヤ(一二三四五六七八)まで生命を育てて、コ(九)でこの世に生命を出し、そしてその生命の進化を上から見守っていたのです。その生命が猿まで進化してきました。天にいた魂は自分たちの受け皿を育てていたのです。そこで猿を見て、それを自らの地上での受け皿とし、地上を歩くことを始めたのです。それまでの進化論でたどりついた猿に人としての宇宙の叡智が入ることとなり、彼らはモノリスに触れると、感電したようにそこにあった動物の骨を持って、意志表示をするようになったのです。そこから、道具を使って自分たちの勢力を広めていく道を歩み出したのです。ここがすべての自我の始まりです。僕はあの映画をそのように解釈しました。

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そのようにして生命の歴史が始まって以来、わたしたちにはこのような見えない柱が立っているのです。だから自らが記憶する自らの歴史というのは、この脳が現在使っている解析量で意識しているだけではないのです。生命のDNAの記憶には、はるかに古いものが内在しているのです。しかし、現在の人類は、自らが使っている脳細胞の範囲内での自己認識しかしていません。現代人が今使っているのは脳の機能のほんの一部分の10パーセントくらいのものであると言われています。あとの90パーセントは眠っているのです。眠っているのですから、目覚めさせることができるのです。それには目覚めさせるための思考回路を使うことが必要となります。

そろそろ現代人が使っていない脳を使っていかないと、人類は時代の進化に乗り遅れてしまいます。自らを守ろうとし自らの考えに固執している人は、もう時代遅れなのです。そういった状態である人も、ある意味自らの幸せを求めているのですが、その姿勢で幸せを求めることは、自らを囚われの中に閉じ込めていくことになるのです。そうすると自我は膨らむばかりで、囚われの鎧を着続けていることになります。ご機嫌な環境を求めて主張する人は、囚われの鎧を着て、自らを守っているつもりなのですが、その鎧はどんどん重くなるばかりです。そして人生の可能性をつぶしていくのです。可能性は、自らの囚われを取り去ることによって開かれていくのです。

そこでトオマスのように、途中の段階を抜きにして到達地点を語ると、他者はそれを理解することができません。そういった人は孤独となるのです。しかし本来、生命には孤独という状態はありません。なぜならば、常に互いの連携の中で循環し巡り続けていくのが生命の実態だからです。この世界はどんなものをも必要として存在させているのです。宇宙の始まりから宇宙の完成、生命の始まりから生命の完成までで、これらは循環し巡り続けているのです。その中で孤独に陥ることは、この世界の生命の実相から外れ、矛盾を発生させているという気付きを与えてくれることになります。そのような複雑な織物のようにこの世界はできているのです。

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そういった枠組みで自らを捉えると、特定するものなどありません。だから、わたしたちは自らの囚われから自我を解放してやると、それまで固執してきた自我は幻となるのです。リセットすれば全て幻です。囚われているのはリセットしていない現実なのです。トオマスの言っていることは正解なのですが、そこだけを語っていると、囚われの中にいる者には理解できないのです。ですから、囚われている者の心境を理解し寄り添いながら統合にいざなっていくことが、道を示すことなのです。そうでないと、その完成された境地は自らに孤独をもたらすことになります。

みなさんはそれぞれ囚われの位置にいます。囚われを取るのは簡単です。例えば誰かを見て「あの人いいなぁ」と思えば、自分をリセットしてその人になればいいのです。

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先程も話したように、僕は今朝、目が覚めた時に死にたいと思ったのです。僕には中空を観て、「ああ、そうだな」と思う確信があるのです。そこには何も意味のない「そうだな」という境地が観えるのです。僕がこういった心の探求の道に出会ったばかりの頃、僕の頭上に黄金のブッダが現れた時、僕は半日泣きました。なぜ泣いたかと言えば、その尊さに打たれたのです。しかし、その尊さを語ることはできません。その尊さに意味付けをすることはできません。それはただ尊いのです。尊いのはただ尊いだけ。そこに理屈はないのです。この世界の実相(宇宙)は生命です。生命は光です。光は生命の始まり(ヒ)であり、尊いのです。そのように僕には「そうだな」という心があって、言葉には表せない確信に至っているのです。僕はこの確信に出会う喜びをみなさんに伝えたいのです。それで僕のもとに仲間が集って、この暮らしを始めたのですが、実は僕の意志というより天の意志がそれを導いたのです。今、僕の役割は「そうだな」という確信を伝えることです。その確信に人々をいざなうのが僕の役割なのです。確信というのは揺るぎのないものです。そして同時に、その確信はみなさん一人ひとりの中にある意志でもあるのです。

そうすると、人間が肉体に降り、地上を生きる迷えるものであるとしたならば、その先に人間が到達する目的地は、その確信に出会うことです。だから、人はどこで生きても、目覚めればその目的地に到達することができるのです。

どうも僕にはそれを伝える役割があるようで、(受講生の一人ひとりを指しながら)ウダウダしている人がいるし、良いところにいても確信に至るには深い読みが足らない人もいるし、歪んでわざわざ遠回りをする人や、棚の上のことだけを考えて下から梯子をかけていない人、何か大事なものを見ているのにそこに行くために自らの持っている執着をそぎ落とす必要がある人、道を行くよりも自分の今の評価の方が大切になっている人などもいるのです。理想があるのに遠回りばかりしている人、どこかに理想を感じているのに自分の思考を整理整頓していない人、鋭い感性があるのに本質に行くことをしていないから世の中に流されている人、迷いが人生を表現することになっている人、本質を観る力があるのにわからないと言ってさぼっている人、鋭い分析力があるのに頑固で不器用なためにその分析力を自分に落とせないでいる人など個性的でいろいろです。それを伝えるのは本当に面倒くさいです。ある意味1か月間付き合うのは苦痛です。しかし、そういった人間が地球上には70億人もいるのですから大変です。

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そう語りながら、今、気が付きました。これは僕が全て責任を負わなくてもいいことなのです。それは時代の切り替わりが人々の意識に現れるときが来ているのですから。だから僕はそのように表現しながら、今、楽になっています。これから時代が切り替わっていく上で、一人ひとりの中に想いが湧いてきます。そしてそれは時代の意志であり、天の意志です。そこで、僕は自分ひとりでそれを背負うと感じると、面倒くさく苦痛で死にたいと思うのです。このような尊い役割と道を伝える側にいても、人間個人に囚われると面倒くさくて辛いことにもなります。しかし、それを天との共同作業と捉えるならば、喜びを持って進んでいけます。天は僕にこう言うのです。「難しいことを与えておるゆえ、心していけ。」と。

人間はある意味生命の最高到達地点にいます。しかし、今の人類のいる地点は、皮肉なことに自我の垢にまみれた最高地点にいるのです。地球上の生命の歴史で今は、最も垢にまみれたところにいると言えるでしょう。それは人間の価値観で正義の側のものも悪の側のものも同じところにいるのです。そういった状態をすべてリセットしひっくり返して新たな価値観にいざなっていく。それを僕が伝えるとなったら、無限に続く険しい道に観えます。

そこで今日思ったのは、一人ひとりにこの道を返すということです。あなたのリセットはあなたに託されています。そして一人ひとりが目覚める。これから目覚めるということは、今は眠っているということです。ですから、今のあなたの苦痛は、あなたがあなたを囚われの中に閉じ込めているから発生しているのです。それをあなたがリセットすれば、今までの苦痛は全て幻となり、あなたは新たな人生へスイッチを入れることになります。幸せはみんな一人ひとり、自らの手の中に持っています。そのスイッチを入れないで不満を言っていてはいけません。

それで今朝、僕もリセットしたのです。それを苦痛に思わない。その結果、早速みなさんに伝えているのです。時代はもうそういった時代に入っているのです。これから世の中の価値観はガラッと変わります。ですからその現れとして今、行き詰まりがたくさん浮き上がってきているのです。これは天の采配です。一人ひとりが個の花を咲かせる時代が来ます。今までの自分をリセットすれば、それまでの人生は全て幻となります。そんな簡単なスイッチが隠されていることが、この世界のカラクリです。この世界、人生はカラクリです。逆に言えばカラクリですから、それをひも解けばどのようにもあなたは変身できるのです。

今、僕には確信があるのです。中空を観て、「ああ、そうだな」という確信があるのです。それは頭の中で思考を巡らせてわかることではありません。尊さを言葉で表せないのと同じです。そういったことを人々が理解し、地上を生きていく時代の扉は今、開いているのです。

こうしたことが地上で語られるのは、もしかしたらここが初めてかもしれません。「えっ!自分が?」と信じられないかもしれませんが、始まりは秘かにあるものです。それがあなたであるという確率は常にあるのです。それを信じた者は、その一番の始まりに自らが立てるのです。信じなければ、そこに立てることはありません。

この話は、今朝僕がリセットして「死にたい」と思い、今までの解釈を手放したら天から降りてきました。囚われている分だけその扉を開けると、天は与えてくれます。そして僕は口を開いて語ります。僕の中から出ると、門が開き、開いているから入ってきます。これが天とともに生きるということであり、その意識に到達した者は宇宙を生きるということです。

みなさんはこれから、今までのあなたの自我が反映され表現されてきた現場に戻ります。そこへ帰って、今までの自分に戻るのか、「ああ、そうだ」と新たな方向へ向かって行くのかは、みなさん一人ひとりの自由です。

わたしたちは常に天とともに、すべての生命と一つとしてともにあり、孤独なものはいないのです。ですから、そのことに気付いて豊かに調和した世界を生きていくのか、それとも自我に囚われ生きていくのかは、あなたの自由なのです。しかし、ここで学んできたように、宇宙は、あなたの歩みが反の方向へ進むと、常に苦痛を与えるようになっているのです。宇宙に生きることも時代を表現することも、そこに示されているのは一つの方向である宇宙の法(正の方向)です。そこでは人間に自由を与えながら、法の中に存在することを求めているのです。自由意志の証として自我を与えながら、人間が自我に囚われ法から外れると、法の中に引き戻す作用が働くのです。それが天の意志であり、導きです。そして人間に対する愛なのです。それを受け取ることは、わたしたちが人として存在する価値を理解することにつながります。ですから、もしあなたがまだ自我を大切にしたいのなら、自我の方へ行って下さい。それはみなさんの自由です。

僕はこの1ヶ月間を通して昨日の修了パーティを終え、今朝リセットしました。いさどんですが、ニューいさどんです。みなさんは、どうしますか?
では、また会いましょう。

 

 


あなたはこの世界のために生まれてきています

 ~21世紀の癌の処方箋・「囚」から「閃」へ~

 
僕はこの世界の観察者です。世の中のあり方や人のあり方、自然のあり方を常に観察しています。そうすると、そこにはいろいろな法則があることが観えてきます。ところが、ほとんどの人々は自らの中に湧いてくる欲望や興味を優先させているため、そこに法則があることを気付けていません。ですから、人間が創り出した世界はその法則を無視しているために、地球上に矛盾を発生させることになっています。今、人間社会はその矛盾のピークを迎えています。それはある意味、人間の能力の高さの証明でもあります。しかし、能力が高いからといって、その能力は常に良い方向に表現されるとは限りません。その能力の高さを、戦争のような極限に負をもたらすために使うこともあるからです。

そういった現状の中で、わたしたち人類はとても不健康な日々を送っています。その不健康な現象の一つが病気の蔓延です。今、日本人の死亡原因の一位は癌です。そこで、癌細胞の気持ちを僕は考えてみました。彼らはある意味能力が高く優秀な細胞です。自分たちの適切な範囲を知っており、その環境が整うと爆発的に勢力を拡大します。どこに勢力を拡大するのかというと、他の生命の中に寄生しながら広がっていくのです。ですから、この世界で癌細胞だけが独立して生きることはありません。常に何かに寄生しながら存在しているのです。このような話をすると、地球という器の中にいる今の人間の現状を想像できませんか?

癌細胞は自分たちが活動するエリアをつくり、その枠の中に入っています。人が自らの考え方の中に囚われている状態を、漢字で「囚」と書きます。これは、枠の中に人が入っている状態です。この枠の下の部分を取り去ると、玄関ができて外からの情報が入ってきます。そして、上の部分も取り去ると、上からは天の法則が入ってきます。そうすると、「囚(とらわれ)」が「閃(ひらめき)」になるのです。

囚われの状態とは、頭の中で思考がぐるぐるとまわり、自らの価値観から生まれる考えだけで生きている状態です。それに対して、閃くという状態は上から降りてくる直観と、内から湧き上がる想いの両方によって生まれます。この閃きの状態を「縦」の思考と呼びます。それに対して、囚われの状態を「横」の思考と呼びます。横の思考は、縦の思考に沿うと、健全に働くようになるのです。そして、この縦(Ⅰ)と横(一)の両方を合わせると十(重合)となり、これは地球の構造と同じです。わたしたちの体も同じ構造でできており、太陽系、銀河、さらに宇宙も同じ構造になっているのです。キリスト教の十字架も同じです。カタカムナでは、これを一(ヒ)から十(ト)までの道ということで、それを十(ヒト)と読み、完成された人間の姿を表します。それは、悟りに至ったヒトの姿です。

名称未設定

癌細胞は、自分たちが活動するエリアを見つけると、そこで自分だけの世界をつくります。しかし、人間の胃の中に癌細胞が増殖する環境が整ったとしても、通常、癌細胞は広がりません。なぜなら、人間の体の中には癌細胞を抑える免疫力があるからです。そこで癌細胞は、自分たちの存在するエリアの法則に従い、門を開き、「閃」という状態で役割をするようになったら、正常細胞として働くようになるのです。

しかし、「癌」という漢字を紐解くと、「品」物を「山」のように抱えると「病」気になる、という欲深な性質を示しています。癌細胞は能力が高く、自分たちのエリアをどんどん広げていく細胞ですから、自らが胃の中の役割に徹することよりも、いろいろな役割を持つ細胞を癌細胞に変えてしまうのです。そうして、癌細胞一辺倒の世界をつくり上げていきます。そして、癌が増殖していったエリアの機能は壊れてしまうのです。結局、わたしたちの体の中の重要な機能が停止すると、いずれ全体の生命機能は停止することになります。その結果、癌細胞も共に死滅するのです。癌細胞は本来、その癌細胞が寄生している全体が健全であると、癌細胞も共に存在していけるのですが、それを無視して自分たちだけの世界を広げるために能力を使うと、自分たちも消滅するはめになるのです。

しかし、癌細胞だけが問題なのではありません。本来わたしたちの体は、癌細胞と正常細胞がバランスをとるようになっています。ですから、癌細胞が増殖するということは、必ずわたしたちが自らの体の生態系を乱すような原因を持っており、それが癌細胞の増殖を手助けしているのです。たとえば癌細胞がより増殖するような食べ物を取り、環境をつくっていたり、癌細胞と共鳴するような心の状態を保っていることが挙げられます。癌細胞は品物を山のように抱える欲深な状態に共鳴する細胞です。その考え方は自らに囚われ、まわりに対して門を開かない状態です。そうした状態は、まわりのものたちと調和し、連携しない性質を示しています。

元々、癌細胞は癌細胞として存在していたのではありません。条件が整うと、正常細胞が癌細胞化するのです。このように癌細胞を捉えていくと、地球上の今の人類の姿に観えてきませんか?人間も、元々自然から発生したものであり、生命の循環の中にあったものが自我を得て、ある条件のもとにエゴを優先させていった結果、地球にとって癌細胞化するのです。まさしく、今の人間は地球上の癌細胞として存在しています。そういった意味では、地球に対して負荷をかけ続けている現代社会のリーダーたちは、癌細胞のボス的存在とも言えます。本来、人類は地球生命と共存・共栄する立場にいると捉えると、新しき人類のリーダーたちはその考え方を今までの価値観とは全く逆転させる必要があるのではないでしょうか。

そのような姿勢を人類が取り続けるようであれば、今後も宇宙や地球生態系はそういった行いに対し様々な現象を通して問題という形で、気付きを与えていくことでしょう。それは、「他者とつながりなさい。そして調和しなさい」というメッセージです。さらに、「あなたはこの世界のために生まれてきています。この世界があなたを生み出したのです」と伝えてくれているのです。

昔の人々は、それほど癌にはなりませんでした。しかし、今の人々に癌はとても多いのです。最近の統計によると、日本人の三人に一人は癌で亡くなっており、一生のうちに二人に一人は何らかの癌にかかると言われています。そこからは、今の人々の自らのことを優先して他者のことを思わず、お金や物に執着し抱え込んでいる姿が観えてきます。それはなぜかというと、人と人がつながらず、生きることに不安を感じながら生きているからです。今の人々はお金や物が沢山あることが幸せであり、そのことが社会で成功したことだと錯覚しています。しかしそれは、本来人間があるべき尊い存在としての姿からは逆の姿なのです。

そういったことを癌細胞はわたしたちに教えてくれています。癌細胞は、「あなたの生きる姿勢がまさに癌細胞のような存在なのですよ」と教えてくれているのです。そして、あなたの心が開かれ、調和的になると、癌細胞はその役割を終え、自ずと消えていくのです。

21世紀に入り、人類は多くの面で行き詰まりを迎えています。しかしそれは、この世の中が問題なのではありません。あなたのほんの小さな日常の囚われが大きくなって、連鎖し、地球規模の現状となって、この世界全体を形成しているのです。それと同時に、わたしたち一人ひとりの身近な問題や悩みも、同じ延長としてこの世界は示してくれているのです。ですから、そうしたすべての問題を解決するためには、一人ひとりがそのことに気付き、まずは自らのほんの小さな囚われから解放されていくことが、問題解決の鍵となるのです。皆さん一人ひとりの手の中にその鍵は託されています。

誰一人として、自らが癌細胞のような存在ではありたくないはすです。わたしたちは本来、この世界のために生まれてきたのですから、この世界のために貢献し、誇りを持って人生の終わりを迎えることが真のヒト(十)の生きる目的であり、人としてのあるべき姿なのです。もう一度、あなたも自らと向き合い、人はどのように生きるべきなのかを考えてみてください。

 
まずは、あなたの「囚」を「閃」へ。