毎日が「明けましておめでとうございます」

2月2日、木の花ファミリーでは、新たな時代の幕開けを祝いうれしたのしと舞い踊る「富士浅間木の花祭り」が開催されました。世界中から届けられたご清水が祭場の中央の釜の中でひとつに融合し、人々は祭りの最後にその湯を浴びて、生まれ清まった新たな心で、農の始まりである立春正月を迎えるのです。以下、2月4日の立春正月祭でのジイジの挨拶をご紹介します。

立春正月祭にて

毎日が「明けましておめでとうございます」

皆さん、明けましておめでとうございます。
先月も明けましておめでとうございますと言いましたが、正月の月が終わり、富士浅間木の花祭りが明けまして、おめでとうございます。そして立春正月が明けまして、おめでとうございます。3月21日になれば、それは木の花ファミリーの誕生日でもありますが、春分で本当の意味での一年の始まりとなり、農の正月を迎えることになりますから、これもやはり明けましておめでとうございます。
今朝も、夜が明けました。毎日夜が明けます。今朝私は倉庫に行って、「おひさまハウスひまわり」の新しい看板を作っていました。今日は朝からとても暖かく、天気も良く気持ちの良い日で、暦の上の立春という日を感じながら作業をさせていただいていました。
ここで何が言いたいのかというと、毎日毎日、瞬間瞬間、私たちは時と共に生きているということです。

もしもこの世界に時がなかったら、どうなるでしょう。すべてが存在しないことになります。私たちは時の旅人であり、時と共に、こうして存在しています。時と共に生まれ、時と共に死んでいく。そしてまた、その時の中に生まれてくるのです。
それを平面で表せば、円になります。しかし実際に、人生では、いろいろなことを体験し、変化しながら進んでいきますから、それは円ではなく、渦になっています。そのような仕組みの世界のことを、「宇宙」と言います。
「ウチュウ」をカタカムナでひも解くと、渦(ウ)が持続(チ)して、極めて不思議なユラユラとした揺らぎ(ユ)が渦(ウ)になっている。それが宇宙です。私たちは毎日を、その中で生きています。

今日は立春正月祭という祭事が行われました。私たち木の花ファミリーは、「マワリテメクル」、つまり、毎日地球が自転し(マワリテ)、そして一年を通して公転する(メクル)という宇宙の法則を感じながら生きています。毎日朝起きて「おはようございます」と言い、お昼にはご飯を食べ、夜はみんなで集まってミーティングをして、「おやすみなさい」と言って眠ります。それは「マワリテ」という時の流れの中にあるけじめです。そうして四季を迎えながら、「メクル」時の中で季節に応じた祭事を行います。私たちは自然から命をいただき、自然の中で命を巡らせています。自然から食べ物をいただきながら、そのことを意識し、「マワリテメクル」時の中で一つひとつにけじめをつけながら生きているのです。

今日、今年の立春正月祭という祭事を迎え、とても厳粛な気持ちでいます。なぜ厳粛なのかというと、宇宙の仕組みと共に生きていることを感じるからです。その宇宙の仕組みの元である、時空をつくっている時が、私たちの存在を保っているのです。
今、その厳粛なる宇宙の仕組みの中にいることを感じながら、祝詞を聞いていました。すると、祝詞の中にその仕組みが表現されているのです。それを聞きながら、昔こういったことをまったく意識していなかった頃に、神社へ行って神主さんが祝詞をあげるのを聞きながら「何を言っているのだろう」と思っていたことを思い出していました。お寺でお坊さんがお経をあげるのを聞いても、「意味不明なことを言っているな」と思っていました。
これまで宗教は、神の御前において、宇宙の法を語ってきました。私たちは宇宙と共に生きているからこそ、それに倣い、少しでも神様の方を向いて、自我から湧き出す欲の心をきれいにして生きていく。毎日毎日、私たちは時と共に現象に出会います。現象は、神の意思の顕れです。その現象をいただいて滞りとなれば、そこから自らの自我の存在に気付き、欲に溺れていることを知り、きれいになって、生きて、この世界に貢献しなさい。そういった優れた生き方をして、帰ってきなさい。どこへ帰るのでしょう。私のところへ帰ってきなさい ──── それが、現象の奥にある神様の心です。
ところが現代の人々は、自然を見て、自然を自分にとって都合の良いものであってほしいと思い、その心の存在を忘れてしまいました。ですから日本には仏教という教えが伝承され、宇宙の仕組みや人間の心の仕組みを説いて聞かせ、生きるとは修行であること、そして人間は宇宙の理に則って生き、宇宙へと還っていくことを説いたのです。
キリスト教では、私たちがこの世界に生きるということは宇宙の根本に存在する愛によって生かされている、つまり私たちは、神様の愛の中に存在していることを説いています。人間は、自らにとって都合の良いことを愛だと思うものですが、自分にとって「問題ごと」と思えることも、その根底には、愛があるのです。そして実は、問題ごとの方が愛が深いのです。それは、間違っている者にふさわしい現象を与え、「あなたは間違っているよ」ということを教えてくれているのです。

心が歪んでいると、問題ごとを与えられた時に「神様は私に意地悪をしている」と思うでしょう。そして他人に都合の良いことが起きるのを見て、その内容をよく知りもしないのに「羨ましい」と思い、自分だけが意地悪をされていると思うでしょう。それは、意識が低いからです。意識が高くなれば、どんな出来事からも、愛の存在を感じられます。
イスラム教は、人々が自然世界と同じように、宇宙と同じように、調和して、助け合って生きることを説いてくれました。それは宇宙の真理です。人間がこの世界を生きるということは、地上にその真理を顕わすという役割を持っているのです。
マワリテメクル大きなサイクルの中で、銀河の夏至から冬至に向けて、霊的な闇の時代が1万2900年間続きました。しかし、2012年12月21日の銀河の冬至を境に、闇が深まっていく時代は終わりを告げ、光の方へと向かうサイクルが始まりました。去年から今年にかけての世相を観ると、世界はますます混乱を極めています。しかし、ひとつおもしろいことがあります。以前は、混乱の元が現象化すればするほど、人々はそれが豊かになることだと勘違いして、勢いを持ってさらに混乱の方向へと進んでいました。けれども今は、混乱が起きれば起きるほど「何か世の中が変だぞ」と人々が感じ始めたのです。それは、霊的な光が差してきたからです。ですから人々は真実に気付き始めたのです。

立春正月を迎え、木の花ファミリーではいよいよ、2月24日からスタートする「1ヶ月間の真学校」の準備が始まります。そこで、たくさんの情報の中から何を伝えるか。
皆さんは、地球に生き、そして宇宙を生きています。天体と共に、時の旅人として生きています。それは「生かされている」ということです。私たちは自我にまみれ、一番大切な、生命としての自分自身の根本を忘れてしまったがために、豊かであるはずなのに混乱した世の中をつくることになりました。真学校に参加することを通して、どうかそのことに目覚め、世界が正しく調和するよう導ける人になっていただきたい ──── それが、今年の受講生に伝える私たちのテーマです。
知らない人々から見れば、こんなふうに祭壇に作物をお供えし、狭いところにたくさんの人が集まって何をしているのだろう、と思うかもしれません。しかしこの生き方の大切さを知ってしまったなら、それが人として生きることの本当の喜びです。大切なのは、今日の祭事ではありません。毎日毎日、瞬間瞬間が「明けましておめでとうございます」です。そして本当にめでたい日々を送り、それをやり尽くして、一生を終える。それを繰り返しながら、世の中を良くする人になるのです。

今日はこの場で何を話そうか、と思っていました。そして立春正月祭という神事に出会い、改めて、この神事の奥に宇宙の法があるということを感じました。今、宗教を学んでいる人たちは、そのことをほとんど知りません。みんな自分の都合を優先して、自分が幸せになるように、自分が困ったことから解放されるようにと、自分のことばかり考えているのです。しかし真実は、どの宗教も、宇宙の法を説いているだけなのです。
縁あってここに出会った皆さんは、そういったことを理解して生きる人たちです。新しい時代は、人々がそれを理解して生きなければ、この世界的混乱を正すことはできません。そのことを先にわかった者として、一緒に世の中の指針となっていきましょう。

今この瞬間も、留まることなく時が経っていきます。本当は、私たちは常にそのことを実感していなければいけないのです。時が経つ仕組みは、天体の動きによって成り立っています。地球は24時間で自転し、365日で公転しながら、機械のようにきっちりと周っているのではなく、そこには遊びがあります。だから問題ごとが起きるのです。遊びがあるからこそ、思わぬことに出会う。そこで私たちは考える力、生き抜く力を身に付け、たくましくなるのです。
この世界では、問題ごとが起きれば必ずそれに対する答えが出るようになっています。ところが人間は、宇宙の法からではなく、自分の考えで答えを出そうとするようになり、その結果、今のような世の中となったのです。もう一度、私たちは宇宙の法と共にあることに気付かなければなりません。

それでは今、この瞬間に、乾杯しましょう。
改めまして、皆さん、明けましておめでとうございます!

 

 


新たな時代に生きる人々の目覚め

深夜2時過ぎ、ジイジが見えたビジョンを語り始めました。


 

ジイジ:
今、たくさんの花飾りをつけた神様がおいでになった。観音様かと思ったが、観音のような繊細な顔立ちではなく、おおらかな丸い顔立ちのその方は大日如来だった。
大日如来は銀河神であり、僕の守護神。つまりそれは、神道でいう天之御中主のこと。

七色の光の柱がこちらに向かって降り注いでくる。広大な世界に余すことなく降り注いでいる。その虹色の光の柱のいたる所に、ラメのように光り輝く金粉が、宇宙空間を漂いながら虹の柱と共に降ってくる。全体が巨大な光のシャワーのように流れている。そのシャワーが眉間に降り注いでくる。
そのシャワーを浴びていると、何があっても生涯この役割を果たし続ける、という決意が湧いてくる。

(ジイジしばし深呼吸の時間が続く)

ジイジ:
なるほど、面白いね。今まで、光とは一直線に飛ぶものだと思っていたが、綿のように塊になっている。そしてその綿のような塊が発光している。それが光の実態なんだよ。我々は光の源から発せられたものしか見ていないから、光というものは一直線に進むものだと思っているけれど、光の発生の元は綿のようで、入道雲のように、もこもこもこもこと増殖し、それが光源となってそこから発射されるんだよ。つまり発光源は核融合のようなプロセスを経て光を発する存在となる。それが、光が発生する原理だ。無から有を生み出す原理は、核融合なんだよ。
光のイメージが完全に変わってしまった。これは、光の種を持てというメッセージなのか。そうすると光を受けるものではなく、光を発するものになれるということだ。その素質はみんな持っている。一人一人の中に光源があるから、そのスイッチが入れば、光を受けるものではなく発するものになれる。

みかこ:
それが目覚めるということかな。

ジイジ:
その目覚めは、過去に人類が目覚めてきたものとは異質のもので、生命の本質に目覚めること。宇宙の根源に目覚めるということ。

みかこ:
過去の目覚めはどういうものだったの?

ジイジ:
それは、ものの仕組みとか道理に目覚めることであって、それを悟りという。悟りというのは低いレベルから高いレベルまで、たくさんあるものだけれど、僕が今言っている目覚めは、根源にスイッチが入れば、心の核融合が始まるということだよ。だから今までとは異質のものなんだよ。

みかこ:
照らされる側から照らす側になるんだ。

ジイジ:
つまり自分に内在する宇宙にスイッチが入ったということ。

みかこ:
いわば、太陽に照らされていた惑星のような存在から、自ら輝く太陽となって、銀河の一員になるということだね。

ジイジ:
それでこそ、初めてセントラルサンの命(めい)が果たせる。

みかこ:
そうだね。直接セントラルサンの命(めい)が受けられるものになる。

ジイジ:
だから、光を受け取る側から、光源となることが大事なんだよ。光に照らされて真理の明かりを見るのではなく、真理の光を発する位置に立つことが、今までの人の悟りの道の奥にあったということなんだよ。
この肉体の器に入っていると、そのことを理解するのは難しいけれど、肉体から魂が解き放たれれば、その魂に相応しい次元に存在することになる。だから魂が何者であるかが大切なのであって、肉体の中にいる限りは、肉体の世界の限界の枠がある。だから、中にある魂の意識レベルが問われるんだよ。

(ここで、四拍手する)

これは宇宙創造の原理だから、気楽にやっているけれど、この宇宙の創造原理を理解して生きるということは相当な精神レベルにあるということだ。そこまでわかると、いろいろなことがどうでもよくなる。そして、わからなくても行ける人にならなければいけない。

 

 


時代が縮小のサイクルに入った今 〜 2018年11月28日(天赦日)

※天赦日(てんしゃにち):百神が天に昇る日で、天が地上の万物を生養し、天がすべての罪を許す最上の吉日。年に5~6回ある。


ジイジ:
今気付いたことだが、我々が想像しているより、世の中は急激に変わりつつある。急激に変わりつつある今、それが戻ることはない。もしかしたら、これは加速度を増していく可能性もある。今、世界中で毎年破壊が起きている。それは自然災害による破壊であったり、人間が作り出す病による破壊、社会のコミュニティの破壊、それから孤独や争いによってもたらされる事件による破壊などだ。政府は、そういったネガティブな出来事に対して対処することに追われている。だから、少子高齢化に伴う対策や、人間の質の低下に対する対策、さらに働かないで生きていく人間が膨大に増えていくことに対して、今までの状態を維持するという形で相変わらずの対策をしている。世の中がすべてにおいて、縮小していく傾向にあるにもかかわらず、拡大もしくは維持していこうとする対策ばかりをしている。ところが実際には、そのような対策は現実的にはまったく対策にはならない。

この渦の原因のひとつは、時代のサイクルである。もうひとつは、サイクルに伴う人間の生命力の減退だ。こうなってくると、これをどうするべきなのか。我々は時代のサイクルには逆らえない。そこで、我々は常に時代のサイクルと共に生きる者であるとしたならば、その縮小のサイクルを感じ取り、それに沿っていくことが大切だ。地球規模で縮小のサイクルに入っているのだから、そのような時代が来たことに目覚めていくことが肝要で、それを気付いた者として発信していくことが我々の使命である。その場合、無駄なエネルギーは使わないことが肝要である。

今までは、この歩みの先にどのような目的があるのかがおぼろげであったが、明らかに世の中の歯車が狂ってきているのを観ると、この生き方には意味があることを確信する。そうすると、この生き方の方針の上で社会を意識して生きると同時に、新たな取り組みとしてどのように自己完結していけばいいのか。つまり、社会の仕組みの中に巻き込まれて生きてきた部分を、これからは巻き込まれるのではなく自立を意識して生きていくこと、それから自立しながら社会にメッセージを発信していくことの両方を同時に表現しながら歩んでいく必要がある。

もはや時代のメッセージがここまで顕著に現れてきたら、個人的な野望や願望は一切捨てて、この貴重な縁のもとに群れとしてのパフォーマンスを仕上げることが、今の切り替わり時に、我々に対する答えだろう。そして、これからますます来るであろう社会の混乱に対する答えでもある。これは、群れで生きることのパフォーマンスだ。もはや個人の欲望を叶えてそれを希望とし生きていくことは、この世界に矛盾をもたらすばかりであることは明白である。

この歩みに対して、少し時代を先取りしすぎて歩んでいたと認識していた時もあったが、すでに時代が我々の歩みに追いつき、いよいよこの生き方が必要な時が来ている。

だから、2019年のテーマは、「軌道修正」と出た。それは、人類の歩みの方向転換である。そこで何を軌道修正するのか。それは、人間たちの歩んできた一時見た夢が幻であることに気付き、その夢から覚めて、この実相世界の真実に目覚めること。それは、視点を拡大し、世界観が広がらなければ観えないものである。何びとも、この世界に生きるということは、実相世界の時代の波に翻弄されるが、人間以外のものは翻弄されずにその波のままに存在しているだけである。人間たちも、いよいよそのサイクルに戻る時が来ている。今、時代と共に軌道修正の波が来ているにもかかわらず、今までの幻影を追いかけて歩んでいては、時代の波に乗り遅れる。だから、来年のテーマは「軌道修正」と出た。

そして、これからいよいよ群れの時代が始まる。今まで社会は個のパフォーマンスを表現する時代だったが、いよいよ群れの時代の幕開けだ。群れで生きていかなければ、これから生きられない時代が来る。今までの社会は、個人がテーマだったから無駄が多かった。それが群れになって繋がると、無駄はなくなる。これからは無駄をなくさないとこの時代の変わり目に、今までの無駄のツケは乗り越えられない。そういった時代のうねりを敏感に感じる人であることが求められる。つまり、時代のパフォーマンスを感じ取れるセンサーを人間一人ひとりが持たなければ、この変わり目において見当違いな方向にまた進んでしまうことになる。それを正しく見極めなければ、生きることの矛盾や自らの人間性の狭さ・小ささ・低さの実態が明らかになるだろう。だから、広い世界観がいよいよ必要な時代になってくる。

今、本来の自然の成り立ちが狂ってきているから、自然に頼るものにとっては困難な時代が来ている。それに対し、ますます生命カンや人間力(生命力)を磨く必要に迫られている。かたや人間はテクノロジーの象徴であるAIに頼るようになった。AIに頼ることは技術革新としては画期的なことであり、250年前において蒸気機関が発明されたくらい社会にとって画期的なことである。ただ、AIに頼る社会が進めば進むほど、人間の能力は確実に鈍る。そういったものに頼っていくと、人間の脳は早く老いて認知症の人間が増えていく。それは、不要な人間をさらに増やすことにつながる。そして、一部の人間だけが異常に鋭くなるだけの世の中が来る。だから、人間はもう一度自然に還らなければならない。それは、人間が地上に降りた目的の原点に戻ることでもある。だから、思考回路の原点を自然や宇宙に戻す時が来ている。それが、21世紀の人類の目覚めである。そうでなければ、不必要なまでに進歩したテクノロジーがさらに暴走するだろう。そうなると、人間のために生み出されたテクノロジーに使われる側になり、何のために人間が地上に生きるのかを見失ってしまうだろう。20世紀までは人間が金に使われる時代だった。このまま今の延長に進んでいくと、人間はテクノロジーに使われる存在になってしまうだろう。これからは年老いてロボットに世話になる時代がイメージできるところまで来ているのだから。人としてさらに高度な目覚めに至らなければ、このまま人間の能力を使い切らないうちに、人間は自滅することになるだろう。携帯電話やコンピューターのような身近にあるテクノロジーが当たり前になった今、それがないと不便で生活が成り立たないくらい、知らない間に人間たちは自らが発展させたテクノロジーに支配されている。人間の本質はその分だけ衰える。今年は、そのことに気付く年だった。

今、加速度をつけて、今までの矛盾が現象化し出している。その結果、毎年いろいろな面で破壊が起きている。今まで人間たちは、エネルギーを無駄遣いすることが発展だと思ってきたのだが、それは究極的に破壊に向かう行為だった。だから当然のように今、それを方向転換し、収束させる時が来ている。そのためのメッセージとしての破壊が今、起き出した。

いつか、我々の生活も縮小することを優先する時が来るだろう。ただ、世の中の流れと少し違うのは、これから世の中は一方的に縮小に向かっていく。しかし、その縮小の必要性を理解している者たちのネットワークは広がっていく必要がある。そして、時代の必然である縮小を理解できない者たちには、さらなる破壊がもたらされるだろう。だから、その縮小のサイクルの到来を理解して生きる者たちの存在が、これからさらに求められるだろう。その拡大のサイクルは、時代の要請に応える縮小のためのものである。

そこで、これからの時代、人々は群れる必要がある。群れるということは個人が個の願望を捨てシンプルになること。20世紀の後半において、核家族化や個人主義がもてはやされてきたが、それが行き着くところ、集団となり、自己主張をし、その矛盾が統合をもたらし、そして群れ化していく。その時に群れることの意味を勘違いすると、単なる群集になってしまう。群集ではなく、群れでなければいけない。こういった時代だからこそ、冷静になり、ポジティブな群れで生きることが求められる。

今、台風や水害、地震等で地方が破壊されている。今年は九州、大阪や広島、北海道など各地で災害が起きたが、そのうち大都市に災害がやってくるだろう。そうなると、日本は再生できないような状態に陥る可能性がある。そうすると、人々の生きる方向は群れることでしか選択肢はなくなる。これは今の社会の延長に新しい生き方を見つけようとするような生ぬるいものではなく、その選択肢はなくなり、群れで生きるしかない時代が来るだろう。そのときに精神性が伴っていなければ、それは限りなく混乱の方向へ向かい、そこで人々は群集化し、さらに混乱へと向かっていく。人々の精神性が伴えば、群れ化して、人々のライフスタイルが再編される。ライフスタイルの転換が今、人類に必要になってきたのである。確かに我々はそのさきがけなのだ。

来年のテーマである「軌道修正」というものは、まずは人々が目覚めなければ軌道修正はできない。目覚めた者たちにはこの星で生きることの意味が理解され、軌道修正ができる。地球の時間軸にたとえれば、ほんの少しの間の工業化の波が人間たちをテクノロジーの依存症にさせてしまった。もう人間の小手先のテクニックで生きていく時代は終焉を迎える。そして、人々が天と共に生きる時代が始まる。それが、新たに始まる時代の求める軌道修正だ。だから、来年2019年のテーマは「軌道修正」ということなのだろう。

 

 


「私たちはこの世界すべてです」〜 アフリカ代表・ウスマンとジイジとの対談

西アフリカのガンビアという国から来たウスマン。彼はガンビアの沿岸沿いにある11の村をエコビレッジ化していく取り組みに関わる中で木の花ファミリーのことを知り、持続可能なコミュニティの運営や農を学びたいということで、初のアフリカからのインターン生として来訪しました。

ある晩、木の花のメンバーに向けて、彼の国の暮らしの様子や関わっているプロジェクトについて、話をする場が持たれました。日本の多くのメディアで紹介されるアフリカのイメージとは異なり、彼の暮らすガンビアには、様々なものをみんなで分かち合い、夜、女性が一人で歩いていても安全な、平和で穏やかな暮らしがありました。そんなガンビアにも、西洋化の波が押し寄せてきていることを感じているウスマンと、ジイジが話をする時間が持たれました。


ウスマン:
木の花ファミリーでの滞在がもう少しで終了しますので、ジイジからアドバイスをいただきたいです。

ジイジ:
それはどのようなことについてですか?

ウスマン:
僕はコミュニティに暮らしているのですが、最近西洋的な考えが人々に浸透してきています。そこで、僕たちの伝統的な文化を取り戻し、人々をつなげていきたいのです。

ジイジ:
先日、あなたのプレゼンテーションを聞いていて、一番懸念したところはそこでした。ただ、西洋的価値観をすべて否定するものではありません。優れているところは大いに取り入れるべきだと思います。西洋的価値観は人々の欲望をくすぐるため、競争や自らの利益が優先され、人が調和する心をなくしてしまう危険性があるのです。もし、ガンビアで伝統的な価値観が今でも残っているのだとしたら、そういったものは人と人をつなげる前に、人と自然をつなげているもののはずなのです。

ウスマン:
はい。僕たちには伝統的な価値観があります。しかし現在、若い世代の多くはそれを知りません。なぜなら、西洋的ライフスタイルが彼らにとって優先されているからです。昔は、年配者たちが人々にこう伝えてきました。「森へ行きなさい。この種類の木の葉は薬効成分があります。この種の果物を食べると、健康に良いのです。」昔の人々はとても健康的でした。しかし、僕たちの世代は健康的ではありません。

ジイジ:
私たちが日頃多くの皆さんに伝えているデータからすると、地球上の文明には発展と衰退のサイクルがあり、西洋的な文明が主導を握る時代はもはや終焉を迎えました。ですから、今までのように人々が西洋的価値観を盲目的に追いかけるようなことはないと思います。ただ、世界中で今、一番経済的発展が遅れているところがアフリカなのですから、ある程度アフリカにも西洋的発展は今後も必要だと思います。ただ、それは短い期間です。その後に訪れる考え方は、統合的な考え方です。

私たちがここで人々に伝えているメッセージは ──── 「時代は人間たちが創っているのではなく、天体の動きによって地球上の時代が変わっていく」ということです。その視点から観ると、過去の時代についても、今の時代がなぜこのような状態になっているのかも、よく理解できます。

ここではアメリカやヨーロッパの人たちにそういったことを伝えてきました。なぜなら、以前はアメリカやヨーロッパから木の花ファミリーを訪れる人たちが多かったからです。彼らの中にはコミュニティの調査を目的に訪れる人たちが多く、それも重要なことでしたが、最近は東アジアの国からたくさんの人たちが訪れるようになりました。この人たちは新しい時代をどのように生き抜くかを模索し、暮らしのモデルを探しにここを訪れています。

そして、私の中にいつからか「アフリカ」という意識があり、いずれアフリカの人たちが訪れるようになるだろうと思っていました。そうしたら、ウスマンが訪れてくれました。あなたがプレゼンテーションをしてくれたように、アフリカの人々がコミュニティやエコビレッジのような暮らしを必要としていることを聞きました。そして、たまたまガンビアという国は平和で穏やかな国だということでしたが、私たちの持つアフリカのイメージはそういった暮らしをしようにも、治安が不安定で難しい現状にあります。そのような中で、アフリカにこそ、木の花ファミリーのような人々が助け合う暮らしは必要だと思うのです。

アフリカに特徴的なこととして、今、アフリカに4000万人以上の難民がいるということも、それ自体アフリカの問題ではなく、世界の問題だということです。私たちは日本で暮らしていますが、アフリカの問題を地球上の共通した問題として考えていかなければいけないと思ったときに、今までのようにただ物資の支援をするという方法では根本的解決にはなりません。やはり、精神性の支援があって初めて、成立することだと感じました。その精神性を伝える対象の国として、アフリカでもっとも敷居が低いのがガンビアという国なのだろうと今回感じました。

ですから、まさしくあなたはアフリカ代表ですね!あなたは「時の人」です。私たちは時を生きています。今の旬を生きているという意味では、この出会いは本当に大切な出会いです。

これから地球に訪れる新しい価値観は、まったく斬新なものです。それは太古の昔にも存在していたような、天体と対話し、自然と共に生きるというライフスタイルでもあり、さらに近代テクノロジーが自然を破壊しないような形で有効に活かされるということでもあります。ですから、ここまで築いてきた近代的な文明をすべて否定する必要はありません。そこで、何を選び、何を否定するべきかを判断する必要はあります。そこで選ぶのは、人々が選ぶのです。ですから、選ぶ人々の価値観がどこにあるのかがとても重要です。それが他者と競争し、自分だけが得しようと欲望に翻弄された選び方では、自分自身にも社会にも自然にも良くない選び方だということです。

ウスマン:
すべての存在について考える必要があるということですね。

ジイジ:
そうです。すべてのバランスを考える必要があるのです。今までの近代の人々の生き方は、自らの欲望を叶えることを豊かさだと思って追求してきました。それは悪いことではありません。優れた文明を築きましたし、テクノロジーも発達しましたが、他者を思わず、自らを優先することで、様々な生命と共に生きることを忘れてしまいました。そして、優れた伝統の価値や叡智を失ってしまったところに問題があるのです。

日本でも中国でもアメリカでもそうですが、金銭的・物質的には人々は豊かに観えるのですが、人々の心はとても孤独です。ですから、先進国と言われる国々はその段階に行き着いた結果、今の現象の背景に、人々の本当の幸せが何であるのかを教えてくれています。

木の花ファミリーでは、そういった先進国の問題点をどのように次の時代につなげ解消し、新しい時代のイデオロギーを構築していくのかを考えてきました。それについては、いくつかの読み物がありますので、参考にしてください。とりあえず、あなたの質問に対してお答えしました。

これからの時代、人々が集い群れで生きることが必然なのです。私たちが自然生態系において生命のネットワークの中で生かされていることから観ても、人間は本来そのように生きるべきです。それは、何か優れた生き方を教科書のようなものから学ぶことではありません。次の時代の生き方は古くて新しいものです。それを、集った人たちは皆で語り合い、その都度自分たちのオリジナルを創っていくことが大切です。ですから、自分たちで良いと思うことを取り入れたり、エコビレッジ運動の優れたところを取り入れたり、木の花ファミリーのような精神性を重んじる団体の良いところを取り入れたり、いろいろなところから学び、取り入れることは良いことだと思います。

しかし、一番大切なことは、皆さんがその土地に伝統的に根付いていくためには、その土地に一番必要な知恵というものがあるのです。アフリカの人たちは伝統的に星と対話し、自然と共に生きてきた生活を世界の中でも近代まで続けてきました。現在、伝統的な考えをまだ持っている長老は少なくなったかもしれませんが、その少なくなった彼らの考えも取り入れながら、たとえばあなたのような積極的な若い人たちが自分と対話し、自然と対話し、星と対話することを実践すればいいのです。そうすると、あなたの中に眠っている、大地にずっと根付いてきたDNAの芽が目覚めるのです。西洋的な考えはそういったものを眠らせてしまいます。ですから、あなたはそれを意識し、反応がなくても信じて続けていくことを心がけるべきです。そういった同じ志を持つ仲間たちがいれば、「伝統を取り戻そう」ということで皆に呼びかけ、皆でやるべきです。

実際、木の花ファミリーの知恵はどこからか借りたものではありません。私たちは今まで、天や自然と対話しながら歩んできました。そこで一番大切な気付きは、私たちが20世紀まで地球上で築いてきた西洋型の文明は終焉を迎えたということです。その文明のもたらした多くの発見は私たちに物理的進化をもたらしましたが、それは同時に人々の間に楔を打つものでもあったのです。

幸いなことに、アフリカという地にありながら、あなたの国は平和な国でした。しかし、アフリカの多くの国の現状は、そういった西洋的な価値観によって破壊されてしまいました。しかし、そのような伝統的な知恵は、その土地に根付く精霊のような魂の存在によってもたらされます。幸いなことに、あなたの国にはそういった魂の存在がまだ残っているように感じられます。そこに意識を向けていけば、そういった魂はいつでも知恵を与えてくれるでしょう。

私はあなたに、何かを肯定して何かを否定するという話をしているのではなく、善意の心で、「地球と共に」「自然と共に」「天体の意思のもとに」という心で仲間たちと生きていたら、これからの時代にふさわしい生き方ができると伝えているのです。信念を持って行動したら、必ず知恵は湧いてきます。

私は今、67歳です。30歳のときにそういった意識に目覚めました。ですから、30歳の頃まで考えていた私の人生の野望は、それによってすべて壊れました(笑)。私は若くして会社を立ち上げ、事業にも成功していました。ですから、私の家族や仕事の関係者は、私が地球のことを考えて生きること、未来の地球のことについて人々に語ることに失望しました。

ウスマン:
今までとまったく違うことを語り始めたのですね。

ジイジ:
そうなのです。ですが今、私の心はとても穏やかで、お金など物質的なことに追われていません。そして、思うことはすべて叶います。私は今、本当の意味での豊かさを掴んでいると思います。あとはこういった豊かさを世界中の人々が知り、地球が私たち人間の存在を喜んでくれるような世界になることを目指しています。明らかに、宇宙的には新しい時代のターニングポイントはすでに迎えたわけですから、私はそのような宇宙的メッセージの証として、このような考えのもとに生きています。あなたもそういう人でしょう?(ウスマン、笑)。それを自覚して生きていけば、必ず物事は成就します。

私は42歳のときに富士山麓で暮らし始めました。あれから25年が経ちました。ここへ来たときには、未来について何も想像できませんでした。しかし今は、とても充実した生き方をしていると自負しています。ですから、あなたも信じて行動するだけです。アフリカにも、そういった精神で生きる人々が増えるために、私たちは出会ったのです。あなたもそう思いませんか?

ウスマン:
はい!これは天の導きです。時が来たので、私はここに来たのです。

ジイジ:
時は確実に時代を創っていきますからね。私たちは時間をどうすることもできません。ということは、時代が変わっていくことも、私たちは受け取るだけなのです。それに抵抗せず、どんどん変わっていけばいいのです。

ウスマン:
メッセージはただ真っ直ぐに降りてくるだけですね。そして、ジイジのメッセージがアフリカに広がり、これからもっとアフリカから訪問者が来ますよ!

ジイジ:
アフリカだけではなく、世界中の大地からそういった知恵が湧き出し、天からメッセージを受ける人たちがこれからどんどん増えることも感じています。今までの文明の元も、いろいろなところで知恵が湧き出してきました。それはそれぞれの文明にふさわしくオリジナルでしたが、同時に独占するものであったり競争するものでもありました。それは優れたことではありましたが、違う意味での貧しさを産み出しました。なによりも、平等であるべき人々に格差を生みました。

私たちの体の血液が血管を通ってすべての細胞に平等に必要な分量だけ行き渡るように、地球上には水という血液の役割をするものがあり、それがすべてに平等にふさわしく行き渡り、それによって生命は生かされています。人間社会の血液はお金です。これは、特別なところに偏ってたまっていてはいけないのです。すべてのところに必要な分量に応じて行き渡るべきものなのです。それは、私たちの体の血液や地球の水と同じ性質のものなのです。そういった考えが備わっている人たちが生まれてきて初めて、そうしたお金の使われ方が可能になります。木の花ファミリーの経済システムは、世界に比べれば規模としては小さいものですが、そのモデルです。

今、世界中にそういったことを大切だと思う人々が湧き出しています。いろいろなところで新しい時代に使われるべき知恵が湧き出しています。それは、先程の競争に基づいた知恵とは異なり、ネットワークを創り調和を生みます。新しい時代の土台になる知恵は、この世界に本当の意味の豊かさ、すなわち自然の豊かさや天体の豊かさをもたらします。天体の豊かさというと、人類はまだよくわかっていません。しかし、太陽も地球も他の惑星も他の天体も、何百億年という年数をエネルギー源なしに関係性を保ちながら、調和し、宇宙を創っているのです。その仕組みになぞらえてできたのが、地球生態系です。本来、地球の自然生態系は太陽のエネルギーを与えられ、無限なる循環の仕組みによって成り立っています。その中で生きるすべての生命は、豊かに生きられるような仕組みになっているのです。

そのバランスを壊したのが近代文明です。その近代文明の限界や矛盾が今、世界中に起きています。それを維持していこうと思うと、そこには困難や不安が起きます。しかし、「次の時代が到来したのだ」ということで勇気を持って次のステージへと進めば、新しい時代の豊かさが待っています。それはある意味、地球に私たちがいながらにして、宇宙意識で生きるということです。

太古の人々は天体と対話しながら生きていました。今の時代の流れは、ある意味そこに戻るのですが、これは新しいことなのです。それは、近代的文明の発展を超え、その叡智をもって宇宙を生きるということです。今、私の中にはそのイメージが鮮明に浮かんでいます。

今、私たちは2018年を迎えています。2018年というのは、22世紀の2100年に向けての18年ではないのです。それは、1000年から2000年までの1000年紀が終わり、2000年から3000年までの1000年紀が始まったと観ているのです。そしてこの1000年紀は、人類が自我に基づく叡智を開拓する時代から、自らに内在する宇宙的可能性から来る次の時代に必要なフロンティアを探求する1000年だと観ています。ですから、私たちの内に眠る無限の能力がこれから現れてくるでしょう。そういった知恵は自然を破壊しません。自然と調和します。あなたたちは私たちの後を受け継ぐ人なのですから、それをつないでいってもらいたいと思います。

ところで、あなたは何歳ですか?

ウスマン:
32歳です。

ジイジ:
僕の半分の年齢です。僕の息子よりも若いですね。そういう意味では、私はあなたにとても期待しています。でも、責任を取り過ぎないように気楽にやってください。

ウスマン:
とても良いお話をありがとうございます。ジイジからのアドバイスを受け取って生きていきますね。

ジイジ:
その心をもってアフリカへのおみやげにしてください。それは、私からのアフリカへの贈り物です。

ウスマン:
わかりました。ジイジは人にインスピレーションを与える人なので、ジイジのアドバイスはとても良いです。僕もジイジによって刺激を受けましたので、それにより僕も前に進み続けることができます。ジイジの知恵や生き方、人生物語は、僕にとっても他の人々にとっても良い刺激となります。

ジイジ:
人間にだけではなく、自然や天体に語りかければ、必ず自分に知恵が湧いてくるようになります。なぜならば、私たちは光そのものだからです。雨そのものだからです。空気そのものだからです。大地そのものだからです。風そのものだからです。

私たちはこの世界すべてです。

本来、私たちがいのちだとしたならば、この宇宙全体と自分が同じ存在であるはずなのです。その意識に立ったとき、人間の可能性は無限に広がります。そして、宇宙から人間に託されていることが偉大なものであることがわかります。その目覚めが、今回の人類の3000年までの目覚めのポイントです。そういった意味で、20世紀までの人類は自然から心が離れていました。離れたからこそ、また元に戻ろう、生きることの本当の意味を生きようとする流れが今、生まれてきています。

ウスマン:
素晴らしいお話でした。アフリカの人々は物質的には貧しいかもしれませんが、心は豊かです。なぜなら、彼らはとても幸せだからです。

ジイジ:
あなたのプレゼンを聞いたときもそうでしたが、あなたの話を聞いて、あなたの存在を知って、私も幸せな気分です。アフリカの人々にとって、ちょうどよいお金の量と幸せのバランスが取れるともっと良いですね。近代文明の良いところがそこに還元されるといいのです。

木の花ファミリーではタイの前国王のプロジェクトに参加し、タイで村づくりを行っています。

ウスマン:
それは良いことですね。

ジイジ:
僕はタイで鯉を飼うことが夢なのです(笑)。

ウスマン:
とても美しいです!

ジイジ:
アフリカでも鯉を飼いましょう♪

ウスマン:
はい(笑)。アフリカにはあのような美しい魚はいませんが、鯉はとてもカラフルで美しいです。

ジイジ:
今、日本の錦鯉は世界中の人が注目していてブームになっています。少し問題なのは、世界中のバイヤーが日本に買い付けに来て、そういう意味でバブルになりかかっているということです。でも、あの鯉は美しいし、人の心をとても和ませてくれます。

ウスマン:
はい。先日ロータスランドに行ったとき、黄金の鯉に触りました(笑)。

ジイジ:
アフリカに黄金の鯉を持っていきましょう♪鯉はとても調和的な生き物で、新しい鯉を池に入れると、池にいた鯉たちが案内し、一緒に周遊するのです。平和とコミュニティの象徴のような生き物です。

それでは、また会いましょう。

ウスマン:
(日本語で)またね!

 

ロータスランドの鯉に餌をあげるウスマン ー「国に帰ったら、焦らずに、みんなにこのことを伝えていくね」

 

 


延命治療から観る死生観

現代医療が進んだ今、私たちには終末を迎えた時、延命治療をするかしないかという選択肢があります。先日、知り合いの方から、「今、私の家族がお医者さんから『延命治療を受けなければ命が助かりません』と伝えられています。以前より本人の意志としては、延命治療を受けて植物人間のような状態にはなりたくない、という希望だったのですが、今は意識がない状態です。そこで、天上界の視点からすると、延命治療をどのように捉えたらよいのでしょうか?延命治療を受けないことは自殺と同じことになるのでしょうか?」という質問を受けました。

以下は、相談を受けたジイジからその方へのメッセージです。


 
まず、「植物人間になりそうな状態」と、「植物人間になってしまった状態」は違います。「植物人間になりそうな状態」というのは、まだ植物状態ではありませんので、当たり前のこととして、いのちが継続していると考えられます。しかし、「植物状態になってしまった」ということは、昔の治療ではいのちがない、という状態です。

ここで大切なことは、そのときのその人の状態を観て判断することです。私の場合は、その人に直接接してみたり、遠隔で感じてみて、「この人の魂はもう向こうに行っていますね」と判断したり、「今現在、魂はまだこの人の中にいますね」と判断することもあります。それはそれぞれのケースによって様々です。ですから、それを一概に言うことはできません。

今の世の中には、「延命治療はしない」という考え方はあることはあります。ただ、一番良いことは、生きている間に本人の意志を確認できるものを用意しておくことです。医者が家族に「延命治療は希望しません」と言われることはよくあるはずです。ただ、どのような病院かによって、病院の方針として点数を上げるために延命治療を頑なに行う病院もあります。そのあたりが難しいところです。

霊的なことを言えば、物理的にいのちはつながっているとしても、「この人の魂はすでに肉体を離れています」というケースはあるのです。

あなたの場合、ご家族が延命治療を希望しないということであるならば、お医者さんに「私たちの希望は、できるだけスムーズに旅立たせてあげたいのです。本人にも、以前よりそういった意志がありました。ですから、延命治療はしないようにお願いします」という意思表示はするべきだと思います。

このケースは、天上界から観なくても、地上の都合だけを考えても、本来人が植物人間でいる状態というのは不自然な状態と言えます。たとえば、本人の意志で自殺した場合、多くの魂は天上界には行けませんが、その人が延命治療を受けるかどうかについては、地上の都合で行われるものです。ですから、延命治療については、天上界の視点という話ではなく、地上の都合での話です。延命治療を受けないからといって、それが自殺になるわけでもなければ、殺人でもないということです。延命治療というものは、本来いのちがないものを人工の技術が進んだがために、永いこといのちが保てられるようになった、というだけのことです。

もし、延命治療を希望しないという本人の正式な遺言があるならば、病院ではそのような手続きで進めてくれるでしょう。そうすると、それは自殺ではなく、いのちがないから永らえない、という自然に則ったことなのです。それを永らえることのほうが不自然なことです。

それよりも、今のように旅立つ人をあなたのように送る家族が気にすることが一番の問題です。送る家族が執着を持つのであって、亡くなる人というのは自らの魂が旅立てば、執着はなくなり、死後のプロセスに入るのです。それを、送る家族が「どちらにしたらいいのだろう?」「良い選択肢を選びたい」などなど、亡くなる方の後ろ髪を引くようなことが、旅立つ人の迷いのもとになるのです。

一番大切なことは、亡くなる人がどのくらいの意識レベルにいるかということです。本人に自覚があれば、まわりの人に執着があっても、自分でスムーズに旅立っていきます。しかし、そこまでの意識が本人になければ、送る側が気持ちよく送ってあげることです。そこで「どうしよう?」「良い選択肢は何だろう?」と迷っていること自体が、送る魂を迷わせることになります。そこがポイントです。

 


このメッセージを受けて、相談者の方は「ありがとうございます。木の花ファミリー通信の死生観を、まずは家族にシェアしたいと思います」とおっしゃっていました。

それを受けて、ジイジには次回の木の花ファミリー通信の冒頭の文章が湧いてきました。


 
ジイジ:
次回の木の花ファミリー通信は死生観の第4部で、死生観シリーズの最終号になる。そのテーマは、生命の源である「性」ということになっている。

「死生観」というと、死というものが先にあって、人の生死について捉えている。生きていることを前提にすると、死が先に訪れるようだが、当たり前に私たちは生まれたということをスタートにして、死を迎えている。そうすると、死生観は、「生死観」という概念になる。そこで、「今、自分自身が生きている」という概念から離れ、人生を客観的に捉えたとき、「生死観」と言うことが自然になる。

人生をスタートする生というのは、自分の受け皿となった両親すなわち男女の性の交わりによって、宇宙の根本原理である対向発生による行為により、この世界に迎えられている。そういうことからすると、死生観の締めくくりとして、性の話が出てくる。だから、死生観の始まりに性があると捉えることが自然だ。そういった生(性)に対する認識の違いは、死生観の逆転現象となり、今の世の中の逆転を生んでいる。

さらに人生に対する視点を引いて客観的にその流れを観ると、生があって死があるのか。それとも死があるから生があるのか。卵が先か、鶏が先かという我々の物質世界の定めと同じように、始まりと終わりは連綿と続くサイクルであって区切りがない。そのように捉えれば、死生観でも生死観でも同じこととなる。だから、死生観と固定するものでもなくなる。

みちよちゃん:
面白いのは、英語だと「Life and Death」といって、生が先に来る。

ジイジ:
それは近代生命学の捉え方で言えば、生まれることの延長に死があることになるから、その順番になる。ところが、日本人は「死生観」といって死を先に置いているのは、何か日本人の伝統的な考え方の中に「死というものは終わりではない」という捉え方があるからだろう。私たちの生にまつわる物理的現象の一から十までのプロセスをたどるとしたら、九のあとは十ではなく・・・0ということになる。一二三四五六七八九で、次は次元が変わって0に行く。そうすると、生が一になる。一二三四五六七八九でひとつのサイクルが終わり、0の段階に入って、一二三四五六七八九・・・と捉えられるのではないか。つまり、九に行って死を迎えると、0になる。そうすると、それはリセットで、また始まるという考え方がそこに秘められているのではないだろうか。

ようこ:
日本人の中には輪廻転生の捉え方が自然と組み込まれていて、西洋だと、たとえば近代キリスト教にはその捉え方はない。一回の人生で終わりと考えられている。

みちよちゃん:
それに対して日本人の死生観は、死んだらそこがスタートで、そこから準備をして次の生につながっていく。

ジイジ:
だから、0というのが準備期間と捉えれば、0一二三四五六七八九となる。

ようこ:
0は何もないみたいだけど、そこには大切な何かがある。

ジイジ:
0があるからこそ、一がある。いきなり、一にはならない。一になるまでの準備期間が本来ある。

ようこ:
0と一二三四五六七八九は、潜象界と現象界のような存在?

ジイジ:
それは潜象界と現象界の話ではなく、現象世界にその仕組みがあるということ。それでも、カタカムナで捉えると、カタカムナはヒから始まる。ヒフミヨイ・・・

そうすると、それがひとつずつずれている可能性がある。ヒは秘かで、まだ動きが何もない状態だから、0とも言える。そうすると、ヒが0とも捉えられる。それで、フの段階で初めて動き出すから、フが一となる。だから、九で統合ということになる。そして、また0に戻る。

みちよちゃん:
それは、日本の数え年と同じような概念だね。

ジイジ:
そうだね。ヒは秘かで、ものの始まりだが、何もない状態。フで初めて動き出す。そうすると、フを二つと捉えるかどうかは微妙なところだ。そういう微妙な位置ということなのだろう。

みちよちゃん:
西洋的と言っていいのかはわからないけれど、細胞分裂的に考えると、ヒは秘かで、あるかどうかわからない状態だけれど、フで細胞分裂が二つになっていくと考えると・・・

ジイジ:
それは、おそらく楢崎皐月が西洋的な物理学者だったから、そのようにしたのだろう。明らかに、ヒはまだ何もない、秘かな状態だ。しかし、楢崎はヒフミヨイ・・・を一二三四五六七八九に当てはめたから、そうなったんだよ。

こういった深い探究は、今までの探究の結果を真理とせず、これからも探究し続けていく姿勢でありたいものだ。

 


 

宇宙の真理の探究はどこまでも続きます。次回の木の花ファミリー通信は2018年冬至に発行されます。性の真実が紐解かれていく次回号をお楽しみに♪