毎日が「明けましておめでとうございます」

2月2日、木の花ファミリーでは、新たな時代の幕開けを祝いうれしたのしと舞い踊る「富士浅間木の花祭り」が開催されました。世界中から届けられたご清水が祭場の中央の釜の中でひとつに融合し、人々は祭りの最後にその湯を浴びて、生まれ清まった新たな心で、農の始まりである立春正月を迎えるのです。以下、2月4日の立春正月祭でのジイジの挨拶をご紹介します。

立春正月祭にて

毎日が「明けましておめでとうございます」

皆さん、明けましておめでとうございます。
先月も明けましておめでとうございますと言いましたが、正月の月が終わり、富士浅間木の花祭りが明けまして、おめでとうございます。そして立春正月が明けまして、おめでとうございます。3月21日になれば、それは木の花ファミリーの誕生日でもありますが、春分で本当の意味での一年の始まりとなり、農の正月を迎えることになりますから、これもやはり明けましておめでとうございます。
今朝も、夜が明けました。毎日夜が明けます。今朝私は倉庫に行って、「おひさまハウスひまわり」の新しい看板を作っていました。今日は朝からとても暖かく、天気も良く気持ちの良い日で、暦の上の立春という日を感じながら作業をさせていただいていました。
ここで何が言いたいのかというと、毎日毎日、瞬間瞬間、私たちは時と共に生きているということです。

もしもこの世界に時がなかったら、どうなるでしょう。すべてが存在しないことになります。私たちは時の旅人であり、時と共に、こうして存在しています。時と共に生まれ、時と共に死んでいく。そしてまた、その時の中に生まれてくるのです。
それを平面で表せば、円になります。しかし実際に、人生では、いろいろなことを体験し、変化しながら進んでいきますから、それは円ではなく、渦になっています。そのような仕組みの世界のことを、「宇宙」と言います。
「ウチュウ」をカタカムナでひも解くと、渦(ウ)が持続(チ)して、極めて不思議なユラユラとした揺らぎ(ユ)が渦(ウ)になっている。それが宇宙です。私たちは毎日を、その中で生きています。

今日は立春正月祭という祭事が行われました。私たち木の花ファミリーは、「マワリテメクル」、つまり、毎日地球が自転し(マワリテ)、そして一年を通して公転する(メクル)という宇宙の法則を感じながら生きています。毎日朝起きて「おはようございます」と言い、お昼にはご飯を食べ、夜はみんなで集まってミーティングをして、「おやすみなさい」と言って眠ります。それは「マワリテ」という時の流れの中にあるけじめです。そうして四季を迎えながら、「メクル」時の中で季節に応じた祭事を行います。私たちは自然から命をいただき、自然の中で命を巡らせています。自然から食べ物をいただきながら、そのことを意識し、「マワリテメクル」時の中で一つひとつにけじめをつけながら生きているのです。

今日、今年の立春正月祭という祭事を迎え、とても厳粛な気持ちでいます。なぜ厳粛なのかというと、宇宙の仕組みと共に生きていることを感じるからです。その宇宙の仕組みの元である、時空をつくっている時が、私たちの存在を保っているのです。
今、その厳粛なる宇宙の仕組みの中にいることを感じながら、祝詞を聞いていました。すると、祝詞の中にその仕組みが表現されているのです。それを聞きながら、昔こういったことをまったく意識していなかった頃に、神社へ行って神主さんが祝詞をあげるのを聞きながら「何を言っているのだろう」と思っていたことを思い出していました。お寺でお坊さんがお経をあげるのを聞いても、「意味不明なことを言っているな」と思っていました。
これまで宗教は、神の御前において、宇宙の法を語ってきました。私たちは宇宙と共に生きているからこそ、それに倣い、少しでも神様の方を向いて、自我から湧き出す欲の心をきれいにして生きていく。毎日毎日、私たちは時と共に現象に出会います。現象は、神の意思の顕れです。その現象をいただいて滞りとなれば、そこから自らの自我の存在に気付き、欲に溺れていることを知り、きれいになって、生きて、この世界に貢献しなさい。そういった優れた生き方をして、帰ってきなさい。どこへ帰るのでしょう。私のところへ帰ってきなさい ──── それが、現象の奥にある神様の心です。
ところが現代の人々は、自然を見て、自然を自分にとって都合の良いものであってほしいと思い、その心の存在を忘れてしまいました。ですから日本には仏教という教えが伝承され、宇宙の仕組みや人間の心の仕組みを説いて聞かせ、生きるとは修行であること、そして人間は宇宙の理に則って生き、宇宙へと還っていくことを説いたのです。
キリスト教では、私たちがこの世界に生きるということは宇宙の根本に存在する愛によって生かされている、つまり私たちは、神様の愛の中に存在していることを説いています。人間は、自らにとって都合の良いことを愛だと思うものですが、自分にとって「問題ごと」と思えることも、その根底には、愛があるのです。そして実は、問題ごとの方が愛が深いのです。それは、間違っている者にふさわしい現象を与え、「あなたは間違っているよ」ということを教えてくれているのです。

心が歪んでいると、問題ごとを与えられた時に「神様は私に意地悪をしている」と思うでしょう。そして他人に都合の良いことが起きるのを見て、その内容をよく知りもしないのに「羨ましい」と思い、自分だけが意地悪をされていると思うでしょう。それは、意識が低いからです。意識が高くなれば、どんな出来事からも、愛の存在を感じられます。
イスラム教は、人々が自然世界と同じように、宇宙と同じように、調和して、助け合って生きることを説いてくれました。それは宇宙の真理です。人間がこの世界を生きるということは、地上にその真理を顕わすという役割を持っているのです。
マワリテメクル大きなサイクルの中で、銀河の夏至から冬至に向けて、霊的な闇の時代が1万2900年間続きました。しかし、2012年12月21日の銀河の冬至を境に、闇が深まっていく時代は終わりを告げ、光の方へと向かうサイクルが始まりました。去年から今年にかけての世相を観ると、世界はますます混乱を極めています。しかし、ひとつおもしろいことがあります。以前は、混乱の元が現象化すればするほど、人々はそれが豊かになることだと勘違いして、勢いを持ってさらに混乱の方向へと進んでいました。けれども今は、混乱が起きれば起きるほど「何か世の中が変だぞ」と人々が感じ始めたのです。それは、霊的な光が差してきたからです。ですから人々は真実に気付き始めたのです。

立春正月を迎え、木の花ファミリーではいよいよ、2月24日からスタートする「1ヶ月間の真学校」の準備が始まります。そこで、たくさんの情報の中から何を伝えるか。
皆さんは、地球に生き、そして宇宙を生きています。天体と共に、時の旅人として生きています。それは「生かされている」ということです。私たちは自我にまみれ、一番大切な、生命としての自分自身の根本を忘れてしまったがために、豊かであるはずなのに混乱した世の中をつくることになりました。真学校に参加することを通して、どうかそのことに目覚め、世界が正しく調和するよう導ける人になっていただきたい ──── それが、今年の受講生に伝える私たちのテーマです。
知らない人々から見れば、こんなふうに祭壇に作物をお供えし、狭いところにたくさんの人が集まって何をしているのだろう、と思うかもしれません。しかしこの生き方の大切さを知ってしまったなら、それが人として生きることの本当の喜びです。大切なのは、今日の祭事ではありません。毎日毎日、瞬間瞬間が「明けましておめでとうございます」です。そして本当にめでたい日々を送り、それをやり尽くして、一生を終える。それを繰り返しながら、世の中を良くする人になるのです。

今日はこの場で何を話そうか、と思っていました。そして立春正月祭という神事に出会い、改めて、この神事の奥に宇宙の法があるということを感じました。今、宗教を学んでいる人たちは、そのことをほとんど知りません。みんな自分の都合を優先して、自分が幸せになるように、自分が困ったことから解放されるようにと、自分のことばかり考えているのです。しかし真実は、どの宗教も、宇宙の法を説いているだけなのです。
縁あってここに出会った皆さんは、そういったことを理解して生きる人たちです。新しい時代は、人々がそれを理解して生きなければ、この世界的混乱を正すことはできません。そのことを先にわかった者として、一緒に世の中の指針となっていきましょう。

今この瞬間も、留まることなく時が経っていきます。本当は、私たちは常にそのことを実感していなければいけないのです。時が経つ仕組みは、天体の動きによって成り立っています。地球は24時間で自転し、365日で公転しながら、機械のようにきっちりと周っているのではなく、そこには遊びがあります。だから問題ごとが起きるのです。遊びがあるからこそ、思わぬことに出会う。そこで私たちは考える力、生き抜く力を身に付け、たくましくなるのです。
この世界では、問題ごとが起きれば必ずそれに対する答えが出るようになっています。ところが人間は、宇宙の法からではなく、自分の考えで答えを出そうとするようになり、その結果、今のような世の中となったのです。もう一度、私たちは宇宙の法と共にあることに気付かなければなりません。

それでは今、この瞬間に、乾杯しましょう。
改めまして、皆さん、明けましておめでとうございます!

 

 


3000年に向けて新たな時代を生きる人々へ

2014年7月26日のマヤ新年の祭典

7月26日はマヤの新年です。3年前の2014年7月26日に、メキシコの太陽マヤ族最高司祭である尊母ナーキン氏が木の花ファミリーを訪れ、富士山を望む聖地・宮ノ下広場でマヤ新年を祝う祭典を行って以来、木の花ファミリーでは毎年この日に地球を祈りのウェーブで包む祭典を行ってきました。
2017年7月26日早朝、霧雨の降る中、宮ノ下広場にファミリーメンバーが集い、カタカムナのウタヒや舞を奏上した後、いさどんは次のように語りました。

 

3000年に向けて新たな時代を生きる人々へ

ー 人生の中で出会うことはすべて、私たちの生きた証 ー

 
今、この祭典に立ち会い、曇り空の下、ミストのような雨が降る中で、頭の中にある映像が浮かびました。それは、宇宙空間に浮かぶ地球の姿です。

地上に雨は降りますが、地球そのものに雨は降りません。それは、地球が宇宙空間にあるからです。今この場所には、天の配慮のような霧雨が降りそそいでいます。これは、私たちが地球に生きる証である、生命の水です。それを不愉快なものと捉えれば、不愉快な世界が地球上に展開されてゆくでしょう。しかし、命の潤いを与えられているのだと思えば、そしてそれを「いただきます」という心で浴びるならば、それはとても尊いものをいただいていることになります。その恵みがあるから、私たちは命を紡いで生きることができるのです。

今日は7月26日、マヤの新年です。なぜ私たちはこのような祭典をしてマヤの新年を祝うのかというと、そのようなことに出会う生き方をしてきたからです。それは、私たちが生きた証でもあるのです。

私たち人間は、生きている限り、この地球上で様々な出来事に出会います。人生の中で出会うことは、すべて私たちの生きた証であり、それまでの生き様にふさわしい結果として出会っているのです。今、世の中には、世界的な規模で解決策を見出せないようなたくさんの滞りがあり、それを何とか解決しようと世界のリーダーたちは模索していますが、その動きでは解決できないでしょう。なぜなら、どのような現象も、そこに生きる者たちのそれまでの生き様の結果として与えられたものですから、その現象を変えるには、それをもたらした人々の生き様を変える必要があるのです。その現象に出会った結果、それまでの自らの生き様がどのような結果をもたらすものであったのかを悟り、その生き様を変えていくことによって、自ずと、自動的に、その現象は存在する意味をなくし、消えていくのです。そこで、原因である生き様を変えずに、学びのない姿勢のまま、現象を追い求めていることを「欲」と言います。

この自然界、そして宇宙の法則は、すべて因果応報の仕組みで成り立っています。原因があって結果がある。そこでは、その原因にふさわしい現象が起きることが約束されているのです。こんなにありがたいことはありません。なぜなら、その者にふさわしい現象が顕れるからです。そして今、この場に立ち会う人々も、なぜここに集うのかというと、それにふさわしい生き方をしてきたからです。今皆さんは、どのくらいの意識を持って今日この場に集っているのか。その今の意識が、皆さん一人ひとりのこれから先の人生に形として顕れていくと同時に、社会を創っていくのです。それは当然のことなのです。

人類はそろそろ、そのことを知らなければなりません。出来事の表面だけを見て、それが不愉快だと言って解決しようとする時代は終わりました。これからどのような時代を生きていくのかは、その者が自らの人生をどのようにしようとしているのか、そこで何を望んでいるのかによって変わっていきます。つまり、生きることが自らの手の中にあるのです。これまで、なぜそれが人々の手の中になかったのかというと、自らの独りよがりで、この世界から与えられている命の仕組みを無視し、欲のままに生きてきたからです。

私たちが今日ここに集うのは、そういったことを理解した者として、自らの人生にそれを現象として顕わす自覚があるからです。そこには損得勘定や、より良い人生を生きたいというような願望はありません。ただひたすら、時代が要請するままに、宇宙が成り立っていくように生きる。そのことによって、この大きな節目の時にあたり、その先の時代を人々はどのように生きるかを明快に示すことができます。それを自覚した者として、皆さんはここに立っているはずです。

今、雨が降りそそいでいます。祭典の日はカラッと晴れるのが天の恵みなのかというと、それは人間の勝手な都合の思いであり、欲です。もしもずっとカラッと晴れ続けたら、私たちは生きていけないでしょう。今のこの恵みの雨は、そういったことを示しています。宇宙空間から見れば、これは地球の生命循環の作用です。こういった仕組みを私たちは生きていることの証として理解し、愉快なことも不愉快なこともすべてが命の仕組みの中にあることを理解する必要があります。そのことを理解した者たちは、自らにとって都合の良い心で生きることはありません。それが、宇宙の法のもとに、欲望を断ち切った美しい生き方をするということです。

毎年が特別な年であり、毎日が特別な日です。私たちは毎日毎瞬、未知の場所へと進み続けています。その中でも、今年2017年の7月26日は特別な日です。個人的に僕には「来る時が来た」という心境です。というのは、今この祭場の四隅に、樫の幼木が植えられています。つい先日植えたものですが、僕は何も意識していませんでした。ポットに種を播いて、春が来て、梅雨が来て、ある程度育った幼木がポットの中のままで夏を過ごすのは苦痛だろうなと思い、ではこれをどこに植えよう、と考えた時にふっと閃いたのが、この宮ノ下広場の祭場の四方に植えることでした。そしてここに植えることにより、この祭場の意味が完成したのです。

ヒマラヤ樫の幼木

この樫は、ヒマラヤ樫です。この名前は僕が付けました。というのは、3年前にヒマラヤのハルトラビレッジから招待を受けてそこを訪れた時に、何か記念になるものをと思いながら村を歩いていたら、樫の木がありました。そこにまだ熟していない青い実がなっていて、僕に「持って行きなさい」と言うのです。そして木の根元を見ると、その青い実が落ちていました。未熟ですが持って行けというものですから、いくつかを拾って持ってきました。そしてその実を播いたら、その中の4つだけが育ちました。そしてその4本の幼木を、この祭場の四隅に植えたのです。

物理的には何の根拠もありませんが、ヒマラヤは僕の魂のふるさとです。僕が今から1000年ほど前に地球に降り立った時に、最初に暮らした地です。そして3年前にインドの友人から招待を受けてヒマラヤを訪れ、ヒマラヤの山と対話してきました。「戻ってきたよ」と。それは自分のルーツを確認する旅でした。その証として、今は日本の富士山麓にいます。富士山は、地球上で最も霊的に高い山です。プレートとプレートがせめぎ合い、高い地球の波動を発する中心点にあるのが富士山です。それはもっともエネルギーが高いところであり、地震や噴火など天災が起きる場所ですが、それは命の再生が激しいというこというです。それは宇宙の実体を表しています。破壊と再生をくり返し、生きるということです。

命とは、常に変化・変容・変態をくり返し、循環し、巡り巡って、未知なる未来へ進んでいきます。私たちが、10年、20年、30年、40年と生きていく中で、同じところに立ち止まったことは一度もありません。赤ん坊としてこの世に誕生し、そこからずーっと人生を刻んできましたね。そのことを、どこかで忘れています。私たちは二度と同じところに存在することはできません。それは、命だからです。私たち人間だけではなく、地球もその旅をしていますし、宇宙全体もその旅をしています。私たちは、その命の物語を地球と共に、太陽と共に、銀河と共に刻んでいるのです。

さて、今の地球上の人々に、そういった意識が日々の中であるでしょうか。ないでしょう。ないから、意識が人間意識であり、自我に囚われ、感情や欲望のままに生きているのです。

すべての出来事は、そこに関わる人の意識がどのレベルにあるのかによってふさわしく出会うようになっています。これは宇宙の仕組みです。今の人間社会がなぜこのような状態なのかというと、日ごろの意識がそこにあるからです。そして、その意識にふさわしい現象が起きているのです。そう言うと罰を与えられているかのように聞こえるかもしれませんが、この仕組みの真実を知ると、「なんてありがたいのだろう」という想いが湧き上がってきます。それは、人生は自らの意識のままに、思いのままになるということです。すべての出来事は、そのことを教えてくれているのです。

3年前、僕の魂のふるさとであるヒマラヤから樫が来ました。富士山が、天から宇宙の法が降りてくる天教山なら、その教えが天教山を通って地球へと入り、マグマを経て再び地上へと吹き出す地教山がヒマラヤです。そのヒマラヤへの旅の前に、日本の地教山、即ち世界の高天原へ挨拶をするために、富士浅間木の花祭りの舞の奉納に行きました。その地が熊野です。前日は、930hPaの台風が直撃するという予報の中熊野へ向かい、一度も暴風雨に出会うことはありませんでした。そして早朝に熊野三山奥の院である玉置山の玉置神社へ辿り着いた時には、辺りはとても清浄な空気になっていました。無事に舞を奉納し、帰りに辺りを散策していた時に、神代杉に出会いました。そして「この種を持って帰れ」と言うのです。それを持って帰って播いて育ったのが、祭場の中央に植えられているこの木です。

これを植えた時に、木の花の神主であるひろっちに「200年後にあなたがここで祭典をする時には立派な熊野杉になっていますから、それを楽しみにしてください」と言いました(笑)。今は幼木ですが、その命は確実に、地球の高天原である熊野の神代杉から受け継がれ、ここに定着したのです。

熊野と言えば、国之常立神の地球の住まいです。その艮(東北)の方角には富士山があります。地球のへそと言われるインドから艮の方角を見ると、日本があります。日本という地には富士山という山があります。天の教えが富士山を通って地球の中へと入り、マグマを経てヒマラヤから地上へと吹き出し、それがガンガー(ガンジス河)を通って南へ流れ、インドの南端であるポンディシェリに辿り着いて、インド洋から世界へとその教えが広がりました。それは6500年の歴史です。そして今、その文明がこういった形で地球上に広がっています。2012年12月21日に銀河の冬至を迎え、その文明のリセットの時が来たのです。

私たちはその文明の次を生きる時に来ています。「私たち」とは、すべての人間のことです。幸いなことに、チバニアンの発見によって地球の磁場が逆転するということが立証されました。これまで何の根拠もなく磁場の逆転を語ってきましたが、それが立証される時代が来たのです。磁場が逆転するということは、ものの価値観が逆転するということです。

これまでは、命をないがしろにする時代でした。命を壊していくことによって、物理的な豊かさを求める時代でした。これからは、命の尊さに沿い、命をつなぎ、調和を表現していく時代です。私たちの命のもとは太陽です。それを現象化し、顕わすのは地球です。次のサイクルは、自らの自我によって命を壊し、欲望を満たして豊かになろうとするのではなく、命の法、即ち宇宙の法に則り、連携し、調和して、愛豊かに生きる時代が始まりました。これまでは、こんな簡単なことが、自らを自我で愛することによって、表現できない時代だったのです。 

まだまだ世界の人々は、欲望と競争と怒りと争いの中で豊かさを求めています。エネルギーとエネルギーをぶつけ合ってそれを消耗させて、豊かになるわけがないのです。地球生態系は、つながることによって豊かになっていきます。それは無限なのです。命は形を変えながら次へ次へとバトンをつなぎ、そこに破壊はありません。そして命のネットワークを築いて、より世界を豊かにしていくのです。それはまさしく、太陽と地球、惑星たちの関係そのものです。それによって私たち人間も生きているのです。

皆さんは、縁があって木の花ファミリーへやって来ました。特別な決意を持ってここに集っているのですが、毎日の生業に没頭してはいませんか。それでは、本当の豊かさは現象化しません。縁があって集い、生涯を通じて決意したことを毎日自らのベースとして意識しながら、日々与えられる出来事をいただいて生活していく。そうすると、天体が織りなす無限で持続可能なエネルギー、即ちフリーエネルギーが、生活の中に顕れてきます。人類はまだ、その豊かさを知りません。人々がすべてを分かち合い、自然と一体で、命はひとつであることを表現した時に、地球上に、今は想像もできないような豊かさが顕れてきます。それを私たちはこの地に顕わし、もうすぐそこまで来ている新たな時代の先駆けとして、その見本とならねばなりません。

2014年に、ここ宮ノ下広場で、太陽マヤ族の最高司祭である尊母ナーキン氏と共にマヤ新年10OCを祝いました。今日はメキシコのトニナ遺跡でマヤの祭典が行われています。今は午前6時40分です。2017年7月26日の早朝にあたり、地球を祈りのウェーブで包む儀式の始まりがここです。こんなふうに地球を常に意識して、私たちは地球人としての意識を持って宇宙を生きていく。そういった意識を持った人々の地球規模の祭典の始まりです。

もう一度、始めの話に戻ります。

日ごろどのような意識を持って生きるかによって、私たちは未来に出会う出来事の縁を紡いでいます。ですから、出会ったことに不満を持ってはいけません。それは忠実に、あなた自身が持っている意識を現象化してくれているのですから。それに不満を言うようでは、自らの姿を見ずして他者に文句を言っていることになります。出会ったことを潔く受け取り、自らの姿勢を正したならば、一人ひとりの人生はより豊かで、優れたものになるでしょう。我々はそれを自覚して生き、見本となるべき者として生きてきたのです。

僕は、多くの人にとって意味のわからないことをたくさん語ってきました。富士山という山を艮の方角にいただいて、地教山の樫の木と、地球の高天原の神代杉がこの地に根をおろしました。僕の語ることに、根拠はありません。地球上で磁場が逆転するということを語ってきたのも、そこに暮らす人間や生命の価値観が変わっていくよ、ということを語っていたのです。そこに根拠はありませんが、湧いてきたこと、降りてきたことは、真実です。

損得勘定を持って邪な思考で考えたことは、その人だけの思い上がりです。しかし本来私たちは、宇宙の法のもとに顕わされた生命なのです。自らの心が美しければ、宇宙の智恵が自然と降りてきます。自らの心が美しければ、生命の始まりから未来まで、無限なる智恵が自らの中から湧き出します。ですから、自らを磨かなければなりません。どうやって磨くのかというと、今自分が何を思って生きているのかということを、常に観ていくこと。そしてそれは誇れる意識かどうかということを、常に意識して生きること。そして毎日の役割を果たしていくのです。

そうすると、宇宙があなたの生き様に顕れます。地球生態系という、無限なる命の連鎖があなたの生き様に顕れます。それは愛ある、優れた、豊かな生活を私たちにもたらしてくれるでしょう。

長く話していたら、ミストのような雨がやみましたね。このミストは本当に、私たちの命をつくってくれている元の波動です。今日を機会に、思いが本当に現象化するのだということを、しっかりと認識してください。それは恐ろしい事でもあるのです。ろくでもない思いを持って生きれば、それが現象化するのですから。だからこそ、自らをしっかり監視すること。監視するべきは自らの心です。

2017年7月26日早朝。マヤの新年ではありません。地球意識の夜明けのセレモニーとして、ここにいる人々と共に、3000年に向けて新たな時代を生きる人々へのメッセージを確認しました。

宇宙は無限なる世界を、私たちに命として示してくれています。それを汚すことなく、忠実に表現していきたいものです。

 

2017年7月26日 ー 熊野の神代杉とともに

 

 


こんなふうに、年を取ればいいんだよ

 ー 2017年立春正月祭でのいさどんの挨拶 ー

立春正月、明けましておめでとうございます。

私たちは毎年この時期に節分を迎え、その翌日に立春を迎えます。立冬から始まり、冬至を経て寒さを増してきた冬の季節が終わり、ここから春が始まります。冬の間にじっとエネルギーを蓄えていた植物たちも、いよいよ芽吹きの準備を始めます。
1月28日に、富士浅間木の花祭りが開催されました。冬の間に蓄えてきたエネルギーを爆発させるのが、この祭りの意味です。内に秘めたるものは、外に見えているものよりも大きなことがあるでしょう。そのような準備の期間を終え、立春を迎えて、いよいよ内なるものを現象として現す時がやってきました。

立春は農の始まりです。農に生きる者とは、農業をやっている人だけではありません。すべての生命は、自然から命を頂いています。人間は田畑を耕しながら、清浄な空気と水、心地よい風、そして太陽の光を恵みとして頂いて生きています。それは自然の成り立ちであり、命の仕組みです。立春正月祭が進行していく中でそのようなことを感じていたら、ふと、昔の人はどうだったのだろうという思いが浮かびました。

もうじき、梅の花が咲きますね。春が来れば、動物たちは冬眠から目覚め、子どもを産み、育てながら、夏へと向かっていきます。生きることが季節と共にあるのです。
今年の立春は去年の立春と同じようにやってきましたが、実は一つサイクルが先へ進んでいます。つまり、去年とは違う新たな春を迎えたのです。それは命が成長している、進化していくということです。子ども達は、学年が一つ上がりますね。大人も一つ歳をとります。そして成長していく。ですから、去年と今年は違うのです。昨日と今日も違います。新たな成長を迎え、命は常に、地球と共に進化しているのです。
そういったことを意識しながら、昔の人は生きていたのでしょう。地球に四季の巡りがあるのは、地球が他の星々と対話をしながら、宇宙の中を動いているからです。つまり星と星との関係が、季節となって現れているのです。昔は天文学のような難しい解釈はなかったかもしれませんが、人々は自然と対話しながら日々を生きていました。

農に生きる者は、まず土と対話します。土は私たちに健全な作物を命としてもたらしてくれるものです。そして、天の気と対話します。天の気とは天候のことです。恵みの雨が降るだろうか。日照りになるだろうか。そのように人々は天の気を読み、作物を植え、育ててきたのです。そして、風と対話します。作物を逞しくして健全な恵みがもたらされるよう、良い風が吹いてくれるように願いました。そして空気。人間が汚すことなく、良い場を提供できるように。
そうやって、人々は常に自然と対話しながら、お天道様の意向を伺い、そこから命を頂いて、新たな年を迎えてきたのです。天文学のように複雑なことがわからなくとも、本当に自然と共に、地球と共に、宇宙の仕組みのままに、昔の人は生きていました。

さて、今はどうでしょうか。スーパーに行けば、あらゆる食べ物が一年中手に入ります。農業は季節に関係なく、工場の中で化石燃料を使ってまで作物を育てるようになり、自然から命を頂いているという意識が人々の中から消えていきました。そして人々の関心は、お金にばかり向いているのです。星と星が対話していること、地球の季節が巡ること、土と対話すること、天の気を読むこと、良い風が吹いてくれますようにと自然に語りかけること、太陽の恵みを頂いて感謝して生きること ──── そういったことを、人々は忘れてしまったのです。

それを忘れるとどうなるかというと、人間が傲慢になります。自分の力で何でもやれると思うようになるのです。そういった人間の心が今、地球上でピークに達しています。そこにトランプ大統領が登場し、世界をかき廻し始めました。好き放題に振る舞うトランプ大統領に世の中は右往左往し、人々は不安になっています。しかしこれは、時代が変わるということを示しているのです。
地球は一瞬たりとも留まることなく宇宙を進み続け、同じ場所に戻ることは二度とありません。常に変化変容し続けるのがこの世界の実相です。今の一瞬が過ぎれば、次の瞬間にはもう新たな自分がいます。今日の自分は、明日には違う人になるのです。去年の春から四季が巡って一年が過ぎ、新たな春を迎えるように、去年の自分と今年の自分が違うように、この宇宙の中に生きるということは常に変化し続けているのですから、何かを固定して「これが絶対だ」と思わないことです。そのように囚われのない心で、今年一年を頂いていくのです。
自然と対話することなく自らの思考ばかりを回していると、わがままな人になります。人は、わがままな人に出会うと「困ったものだ」と思うのですが、自分自身のわがままは許すのです。そして自らの思い通りになることを願うのです。しかしこの世界の真実は、そうではありません。
昔の人がそうであったように、自然の仕組みに沿い、そこから命を頂いて、時代の変化に付き合いながら歳を重ね、人生を終わっていく。生きるとは、大いなるものに寄り添い、それに従うことなのです。それが本来の人間の生きる姿です。そのことを人々が忘れていた時代が続きましたが、ようやく人々が気付く時代がやってきました。

ここに、たくさんの人がひしめき合っています。今の時代に、人々の関係がこれほど近く、心が通いあっている生活を見ることは、なかなかできません。この、世にも稀な生き方をしていることを私たちは誇りに思い、喜びとできる時代がやってきました。人々が自分のことだけを考えて生きるのではなく、みんなで助け合い、力を合わせて事を成していくのがこの生き方の神髄です。
そういった暮らしは、地球にとってやさしいです。自然に沿っています。すべての生き物に、命にやさしい暮らしです。命にやさしいということは、人間にもやさしいということです。そして健全な未来につながっていくのです。
これまでは、人間中心で自然を壊してきた時代がしばらく続きました。そのピークを迎え、新たな時代へと切り替わろうとしている今、これまでの生き方をまだ続けようとしている人々は混乱の中にいますが、いよいよこの暮らしが本当に必要とされる時が来たことを感じます。私たちは、そういった意義ある春を迎えたのです。

今年一年の変化は大きなものになるかもしれませんが、それだけ波が大きく、躍動するということですから、楽しんで迎えたらいいと思います。大きな波が来ると、大変だと不安になる人もいるものですが、そうではなく、それと向き合い、それを楽しみ、そして時代と共に思いっきり変化するのです。

今年は、ファミリーにはやることがたくさんあります。きっと忙しくなることでしょう。「忙しい」という字は、「心を亡くす」と書きます。ですから、忙しい時にこそ、心を忘れないことです。損得勘定は置いておいて、天の気と共に、時代と共に、いよいよこの生き方が大切となる時を迎えたのだということを胸に今年一年を過ごすと、来年のこの時間には「本当にそうだった」と思うことになるだろうと、確信しています。
この先がどうなるのかは、行ってみなければわかりません。そこでどうしようかと自分の中だけで思考を回すのではなく、この世界はたくさんの精妙なる仕組みによって動かされているのですから、そういったことを意識しながら日々を頂いていくことです。農に生きる者なら、土と対話する。作物と対話する。それは自然の気を読むことです。風を感じることです。お天道様に感謝して、どう生きたらいいのかを頂くのです。
そうすると、この世界によって自らが生かされていることを感じるようになるでしょう。私たちは常に大いなるものと共にある ──── そのことがわかると、一年が充実します。現代の多くの人は、そのことを忘れてしまいました。その生き方を実践するのが、ここの暮らしです。

これからいよいよ、誇りを持ってこの生き方を世の中に伝えていく時がきたのだと思うと、心がウキウキします。その証が、ロータスランドです。開店まで、あと1ヶ月半となりました。世の中はこれからますます大変なことが起きるでしょう。その中で、なぜそういったことが起きるのかを感じながら、みんなで忙しく働き(=傍楽)ながら楽しく生きて、こういうふうに一年を過ごすといいよ、こういうふうに年を取ればいいんだよ、という見本となっていきましょう。

とても楽しみな年を迎えたと思っています。
みなさん、今年もよろしくお願いします!

 


 

春、ファミリ

新しいお店がオープンします

 

異次元空間カフェ ロータスランド
2017年3月21日(火) OPEN

地球と共に季節巡りを感じがら
時がもたらす旬に出会うお店です。

日届いたとれたてお野菜、
会話中でふっと湧くインスピレーション、
そこから生まれるそ場だけスペシャルお料理。

天然ちみつ、一点限り手作り服、
陶芸や機織り、とびっきりスイーツ。

誰かが歌を歌っていたり、宇宙話が飛び出したり、
いったいここどこだろう?と
不思議だけどどこか懐かしい
そこにいるだけでわくわくする異次元空間カフェ
「ロータスランド」始まります。

 

cafe&shop
lotus-land-rogo

ロータスランドと色とりどりが咲き乱れる桃源郷ことです

〒419-0302 静岡県富士宮市猫沢239-9
ファミリ「おひさまハウスひまわり」より徒歩1分!

午前8時から午後7時まで営業
(カフェラストオーダー午後6時)
毎週曜日定休

お問い合わせファミリーへどうぞ!
電話:0544-66-0250

3月21日(火)から5月2日(火)までプレオープン期間とります。ぜひお越しいただき、5月3日グランドオープンに向けて皆さまご意見やご感想をどうぞお聞かせください。スタッフ一同、心よりお待ちしております!

 


凛とした心で

木の花ファミリーでは、毎年節分前の一年でもっとも寒い時期に、「富士浅間木の花祭り」を開催します。奥三河の山村で700年間受け継がれてきた国の重要無形民俗文化財「花祭(はなまつり)」を富士の地で継承し、独自に発展させたこの祭りは、人々が丸一日舞い踊ることで心の穢れを祓い清め、調和の響きを世界に発信して新たな時代の幕開けを祝う地球のお祭りとして、毎年立冬を過ぎた頃から本格的に準備が始まります。
祭りは、祭事前日の「神寄せの神事」に始まり、様々な鬼や舞手と観客が混然一体となって踊り続ける祭事を経て、祭りに使った道具を燃やして天へ還す「火の御用」、水を川へ注いで地に還す「水の御用」を節分に行って一年の節目とし、新たな気持ちで翌日の立春正月を迎えます。

*詳しくはこちらのページをご覧ください。
 また、祭りの様子を以下の動画でもご紹介しています。

以下は、2016年2月4日の「立春正月祭」でのいさどんの挨拶です。
立冬を過ぎ、世界中を様々なニュースが駆け巡った2016年も最終章へと入った今、年初めのこの挨拶が、改めて私たちに大切なことを伝えてくれます。

 

凛とした心で

立春正月、明けましておめでとうございます。

1月30日に富士浅間木の花祭りが終わり、節分を迎えました。節分とは季節を分けると書きます。冬の時代が終わって、春を迎える。今はまだ、春はもう少し先です。しかし土の中では春を迎えるための準備が着々と整い、植物の根が動き出し、芽吹きの準備をしています。虫たちも、そろそろ冬眠から目を覚まし、春に向けて動き出そうとしています。
そんな季節の折り、私たち地上を生きる生命の代表である人間も、そろそろ大地を耕す準備を始めます。

冬眠から芽吹きの季節に切り替わる時を、節分といいます。木の花祭りという祭りは、そのための地ならしをし、新たな生命の息吹をよみがえらせる神事として行われました。これから一年、自然から命をいただきながら、その循環の中で生かされていくことのスタートを切るわけです。それは一度も止まることなく、くり返しくり返し、毎年訪れるものです。ですが、今年が終わって来年が始まるという単純なことではありません。それは積み重ねていくものですから、連綿とつながる長い時の中で、世界が変化を続けながら進化していく、宇宙の実相そのものです。

昨日は節分で、今日は立春正月です。12月31日に大晦日を迎えて1月1日に新年を迎えるように、それは一つのサイクルの節目ではありますが、宇宙的には、地球という星は他の星々と連携しながら、常に未知なるところへ進んでいます。未知なるところとは、まだ私たちが一度も行ったことのないところです。昨日から今日に向かって時が動き、今朝を迎えたということは、まったく新しい日を迎えたということです。だからこそ、毎日新しい心で今日を迎えるのです。一日が終わる時には、一日を終えてまた新たな日を迎えるのだという心構えで眠り、次の日の朝は新たな日を迎える。ですから、自分も新しい人のはずなのです。

そういう意識を、地球は無意識の中で繰り返し、時代を刻んでいます。人間も、もっと自然と近いところで生かされていた時には、そういったサイクルを意識していました。人間は地球とともに、自然のサイクルの中で生かされてきたのです。そういった時代には、人間は自然に害を与えることはありませんでした。自然を敬い、命をいただき、感謝し、また命をいただく中で、生死を繰り返してきました。時代が進み、現代になると、人々はたくさんの願望を持ち、それを叶えたいという欲望を持つようになりました。それは人間にそれだけの特殊な能力があるということですが、その高い能力を与えられたがために、自らの願いを叶えようとして自然を変え、自分たちの心地よい環境を創り出したのです。

しかし、それが人間だけの都合に偏って表現されると、世界に無秩序をもたらします。それもさらなる新たな時代へと進化するためのきっかけであると思いますが、特に2016年が明けてからの世相を観ると、いよいよ人間の社会は混乱の極みに至っています。今までのように、国と国、組織と組織が争い、競争してきた時代から、それを構成する細胞である一人ひとりの心にまでそれが染み渡り、人々が我先の心で自らのことだけを願い、競争する時代が極まってきたことが感じられます。本来ならば、自然の中で循環し、その調和の中で進化していくのが生命の実体です。しかし、その高い能力の結果、人間が増殖し、それぞれが豊かさを求めてきたことで、循環する自然の中に滞りが生じました。同時に人間社会の中にも、その豊かさが争いの種となり、混乱が生じてきたのです。

昨日節分という日があり、日本の国では、この日に邪気を祓うと言って豆まきをします。豆は五穀のひとつであり、人間が豆に生きていくためにとても大切なもので、人間に健康を与えてくれるものです。節分では、それをもって邪気を祓うと言うのです。

邪気とは本来、人間の汚れた心、曲がった心です。人々は健全に生きていくために、節分の豆まきを通して、そういった邪気を祓おうとしています。昔から人々の間では、この邪気祓いの意識が、鬼に向かって豆をまいてきました。そこでは鬼という存在が悪者となり、人々は自らの喜びや願いが叶うことを福と言います。この節分の儀式を長年やってきた結果、今の世の中に至ったのです。

「鬼は外、福は内」の掛け声のように、本当に邪気が祓われ、福が訪れたならば、この世界は素晴らしく調和的で豊かで、命が健全な世界が表現されているはずです。ところが実際の世相を観ると、それとは逆さまな、争いの極みに至っています。そして人々が欲望を叶えようと思えば思うほど、地球は汚染され、我々を生かしている自然のサイクルまでもがおかしくなってきています。

そのような現状の中、私たちはこれからの時代を生きていく上で、とても大きな試練を迎えようとしています。
新たな季節を迎える節目の節分では、邪気を祓うということで、聖なる穀物である豆によって鬼が打ち祓われてきました。それが、本当に世の中に福をもたらしたのかどうかを、今の世の中を通して観てみると、そこには福という欲望が蔓延し、欲のままにあり続けようとひしめき合っている人々の姿が観えてきます。
そこで鬼に向かって邪気祓いの豆をまく人間の心を観ると、幸せになりたい、豊かになりたい、というものでした。そういった幸せや豊かさを求める心も、最近では、他者のことや世の中を想うよりも、自らの願いだけが叶えられればいいというような、わがままな傾向になってきています。それがたくさんの人の心に広がったことが、この世界に不調和を生み、そこから対立が生まれ、現代の優れた技術によって生み出された本来豊かになるためのものであるテクノロジーも、大地を汚し、自然のサイクルを曲げ、人々の中に格差を生み、混乱をもたらすものとなったのです

ここで人間の立ち位置に立たず、この世界の現状を観るために、自らの視点から離れて観ることができたら、邪気とは、我先の心で自らの欲望を叶えることを求め、他者のことを想わない人の心の中にある、ということがわかるでしょう。それがわかれば、人間を健やかに育ててくれる豆は、人の中に巣食っているわがままな心にまかないといけないということが観えてきます。
それが、2016年を迎え、これからの1年を見通してみると、社会の中に顕著に感じられます。しかし世の中では、こういった切り替えの時を迎えても、まだまだ冬が続いているかのように、新たな息吹は感じられません。それは、社会を構成する人々の中に、我先の心が強すぎるからです。
富士浅間木の花祭りは、そういった世相の邪気を祓い、人々が生まれ清まり、新たな時代にふさわしい心となり、美しい社会を生み出すための願いを込めて行われているのです。

今、この富士の地で新たな時代の息吹が芽生えてきています。それを感じると、寒いながらも新たな息吹の芽が伸びようとしているのですから、気持ちがとてもシャキッとします。心が真実に目覚めると、本来世の中はこうあるべきで、人の生き様はこのようにあるべきだという心の柱が立つものです。
それは、凛としています。その凛とした心に基づいて、私たちは生きています。そうすると、世の中がまったく正反対の世界になっていることが観えてきます。その正反対の世界を立て直すためには、出来事の一つひとつを立て直す必要はありません。私たち一人ひとりが凛として立っていれば、それが軸になり、世の中が自然と立ち直っていくのです。

今の世の中は、そういった意味からすると正反対で、軸を見失ってしまった状態です。だから人々が正しいと思うことをやればやるほど、混乱していきます。それがさらに続くと、人々は不動の柱を何処かで求めるようになります。そして混乱が極みに至ると、いよいよ人々の中にも、浮ついた心が創る世界が本当ではないという想いが湧きだし、本物を求めだすものです。

その時のために、真実に目覚めた者たちは何をするべきか。
たったひとつ。凛とした心を、柱を立てて生き、社会がそれを必要とする時を待っていればよいのです。
そうしていれば、自ずと柱のない者たちが寄ってきて、柱を立てることを求めるものです。それが私たちにこういった道を与えたものの意志であり、私たちの役割です。

時代はそういった変革の時を迎えています。そしていよいよ社会の混乱の中に、それが反映されていることが観えてきました。まだ兆しで、これから芽が出るところですが、それでもその根はうずうずとうずきだしています。根は土の中にあるから見えません。そして今、芽吹くことの準備をしています。いずれその芽は大きく伸び、その実体を私たちに見せてくれることでしょう。私たちはそのことを感じ、凛とした柱を立てて生きる。それが私たち、大地と共に生きる者の姿勢です。

私たちは畑を耕し、自然から食べ物をいただいています。健全な食べ物を世の中にもたらすということも役割ですが、私たちの生き方はそのような小さなものではありません。
私たちは、世の中という畑を耕し、そこに正しい生命の息吹となる、種をまく。それは心の種です。そういった役割が、私たちの生きる道にはあるのです。
そういった大切な時代の流れを感じ、天の意志を受け、その役割をいただいているということに気付いた時に、私たちは生きていることの意味を実感し、充実した尊い人生を生きられるのです。

そういった人々の姿勢の先に、とびっきり美しい世界が待っています。その人々には、美しいを求め、豊かさを求め、幸せになろうとして行き着く先があるのです。人類は今、そこに向かう道を歩んでいます。それは自らの汚れを知ることから始まります。泥の中から美しい花を咲かせる蓮のように、人生の花を咲かせる。そういった芽を出すのが、その大事に気付いた者の、社会に対する責任なのです。

そういった時代が訪れたのです。これまでの長い時の中で、これだけの節目を迎える時はなかなかありませんでした。私たちは、そのような時代に生まれ、生き、その役割が果たせることの喜びを知り、凛とした心を持って、新たな年を迎えています。宇宙の法が働き、時代が動き、それを受けて私たちは行動するのですから、難しいことではありません。天体の動きと共に、地球の動きと共に、時代は巡ってくるのですから、私たちはその動きに合わせるだけでいいのです。それを感じ、その流れに委ねることが本来の私たち生命の姿に戻ることなのです。ですから、ただ素直に素直に、そこに流れる大いなる流れに合わせていただいていくだけです。

今日の立春を迎えて、とても新鮮な気持ちです。みんなでその心を束にして、この地球に柱を立て、新たな時代の人々の指針とならんがために、生きたいと思います。

今年もよろしくお願いします!!

 


2017年1月28日(土)

富士浅間木の花祭り 開催!

2017%e5%b9%b4%e6%9c%a8%e3%81%ae%e8%8a%b1%e7%a5%ad%e3%82%8a%e3%83%81%e3%83%a9%e3%82%b7%e8%a1%a8%ef%bc%88rgb%ef%bc%89
新たな時代の幕開けを祝い、うれしうれし、たのしたのしと丸一日舞い踊り、調和の響きを世界に向けて発信しませんか。どなたさまもどうぞお越しください!

→ 詳しくはこちら

 


いさどんの七夜物語 – 第五夜 「満月」

5日目は、まこっちゃんの心のシェアから始まりました。自分の正直な想いを出せずにずっと心が晴れない状態が続き、一度はこの道を諦めようと思ったけれど、やはりやめる気はないということを改めてシェアしたまこっちゃん。もっと楽になるようにとみんながかける言葉を素直に受け取ることができず、なかなか自分の枠から抜け出せずにいるまこっちゃんに向けて、いさどんが語り始めました。

 

928 「満月」

いさどん:
私たちは生きていると、いろいろなテストに出会います。それをどのように受けとめていくかで、その後の人生が変わってきます。

ここでは、次の時代の新たな生き方を実践しています。それは、13000年前のカタカムナ人にとっては当たり前の生き方だったでしょう。今の時代にこれが再び現れてきたということは、それも時代の流れの中にあるということです。

僕は30歳でお釈迦様と、その後日の本の神々と出会い、メッセージを受けるようになりました。昭和天皇からも、日本の国をよろしくお願いしますと伝えられました。

*いさどんとお釈迦様や日の本の神々、昭和天皇との出会いについては、下記のブログをご覧ください。
「木の花記 ~金神様の巻~ 」
「昭和天皇が現れて」

そんな話は、疑い出したらあやしい話ですね。僕も疑っていました。僕はもともと理を通す人で、いい加減な話は信じない人でした。その僕が、親からすると「道を誤った」人生を歩み始めました。僕をそこまで導いたものは半端ではありませんでした。僕の人生は、自分の考えで結論を出すのではなく、流れをいただいていくことがすべてになりました。自分の理解を超える方へ歩んでいくと、必ずその先に「こういうことだったのか」とそれまでの自分を超える世界が広がっていました。

今日のテーマは、満月です。今日の満月はスーパームーンと言って、特別にパワーがあるそうです。
今我々は、とても大事な段階へ来ています。僕は常にその人の心の段階に合わせて話をしてきたので、その人の中に問題があったとしても場合によっては先送りにしてきました。けれども、この道を生きる覚悟について改めて考えた時に、我々はいったい何を目指しているのか、ということを改めて思いました。

今、930hPaの台風が台湾に近付いています。風速50mで、最大瞬間風速は81mを記録したそうです。週刊誌を水に濡らして風速50mの風で飛ばすと、ガラスは簡単に割れます。風速80mならビルのガラスも割れるそうです。エネルギーが強いとはそういうことでしょう。破壊もするのです。逆に言うと、古い概念を壊して新しいところへ行くきっかけにもなるのです。そこで今、何が大事かということをとことん話さなければいけないと思いました。

人間は、地球に肉体を持って生まれて来て、経験というものを積みます。霊的な状態では経験はできませんし、星であれば何億年という長い単位になります。それが地球に生命として生まれてくると、もっと早く経験ができるのです。
人間以外のものにとっては、経験は通過点です。経験したからと言って、その次をどうしようとは考えません。今を生きるだけです。しかし人間は賢いのか、はたまた厄介なのか、経験をするとそれによって概念を作り、その経験をもとにものごとを考えるようになります。学習するということですね。その考えが偏ってしまうと、経験を重ねることでありもしないことを考えるようになります。本来経験とは、重ねることで新たな意識を生み出すものなのです。しかし、そのように偏った状態では、経験を重ねることが、新しい世界へ行くことを逆に阻害するようになるのです。
経験がダメだと言っているのではありません。経験することによって、そこにある流れを感じ、新たな意識に出会えると言っているのです。ところが、人は出来事に出会った時に、その出来事を客観的に捉えるのではなく、「これはこういうことだ」と過去の経験から決めつけて、流れを受け取らなかったりするのです。

僕がこれまでに経験してきた中には、自分の予想を根本的に覆すものがありました。僕はこう見えても、とても人目を気にします。と言うのは、みんなに支持されることを考えるからです。それは自分が支持されたいということではなく、自分を通して湧き出てくるものは道理が通っているから支持されるべきだ、と思っているからです。ですから、いい加減なことは言いません。
しかし、事実として僕は、多くの人にとって信じられないような経験をしてきました。みんなが信じられないようなことを言ったりやったりすることは、支持されないことにつながりますね。それは、狭い枠の中にいると、自分の願望からはどんどん遠ざかって行くものでした。遠ざかっていくということは、自分の想いが壊されるということです。

木の花ファミリーを始める前に、僕は創立メンバーにこう言ったことがあります。
「僕の言うことは、今の世の中からは理解されません。この道を行く者は、僕の言うことを信じてついて行くということであれば、やめておいた方がいい。僕は人間で、進化の途上にあり、今言っていることと未来に言っていることはきっと違うでしょう。それを、今の僕が言うことを信じてついて来たら、それは将来の不信の種になります。だから僕を信じてついてきてはいけないのです。
ただ一つ、僕がみんなに責任を持って言えることがあります。今の延長線上に道がある、ということは確かだということです。」

今の位置の僕が語ることと未来の僕が語ることを比べたら、そこにはまったく違った世界が広がっていることでしょう。昔は宇宙おじさんなんて言っていなかったですよ(笑)。まさか僕の話を翻訳してオバマさんや安倍さんに送る人が現れるなんてことも、思いもしませんでした。僕は最初、老人ホームを作ろうと考えていたのです。もっとも、ここも老人ホームですけれどね。みんないずれは年老いて死んでいくのですから。

いつも、自分の想像とまったく違うものが与えられてきました。その度に僕は経験を積み、自分が思ったことを捨ててきました。初めの頃はそれが辛くて、この道を歩み始めて最初の2年間は泣いて暮らしました。悲しいというよりも、自分を超えられないことが腹立たしかったのです。自分に対しても腹立たしく、しまいには天に対しても腹立たしくなり、上に向かって「私は苦しいのです」と不満を言ったら「ならばこの道、行くのをやめるか」と言われて余計に腹が立ちました。やめるわけがないではないですか、と。

思えば過激な日々を送ってきました。そして一昨年、不二阿祖山太神宮と出会い、本殿の前で天之御中主之大神(あめのみなかぬしのおおかみ)から「難しいことを与えておるゆえ、心して行け」という言葉を受け取りました。
天之御中主之大神は、霊的には僕の父上です。僕は40歳になる前に、あるシャーマンの方から「御中主之大神(みなかぬしのおおかみ)」という神界名をもらいました。もらった時には、「なんだこれは」と思いました。新興宗教が神様の名前を与えて信者をつなぎとめるような世界なのではないかと思い、疑いました。同じシャーマンからはるちゃんは「治姫(はるひめ)」という名を与えられました。じゅんじマンのはなかったですね(笑)。シャーマニズムの世界では、戒名と同じで、だいたいその人の現世の名から文字を取ってそれらしい神界名をもらうのですが、なぜか僕だけ御中主之大神なのです。意味がわかりませんでした。

天之御中主之大神とは、銀河神です。そこから「天之」を取ると、肉体を持って地上を生きるものになります。それは地球に柱を立てるものです。
以前、ようこちゃんが天からメッセージを受け取ったことがありましたね。

ようこ:
2011年に、いさどんは太陽系のバランスを取る役割があるというメッセージが降りてきました。

いさどん:
それもなんだかすごい話だと思うのだけれど、御中主之大神は天之御中主之大神の子ですから、あり得ることです。先日ひみこが、太陽の王様がいさどんをほめていると話していましたね。僕はそんな話をひみこにしたこともないのに。誰もつじつま合わせをしていないのに、話がつながっていくのです。

僕の人生は、30歳の12月26日にお釈迦様と出会ってから、得体の知れないことの連続でした。得体が知れないから、僕も「まさかそんなこと」と思っていましたが、僕にはおかしなところがあって、否定はせずにそのまま進んでいくのです。そして進んでいくと、「ああ、こういうことだったのか」とわかるのです。インドへ行ったこともそうです。

*いさどんのインドへの旅については、下記のブログをご覧ください。
 「いさどんインドへ行く ~ 色が水に溶けていくように」
 「天教山から地教山へ向かって」

僕の魂は金星から来ました。そして地球上に最初に降り立った場所がインドでした。そしてヒマラヤで暮らしていました。
そんな話が口から出てくるのです。そんなことを言ったら「あの人はあやしい」と言われるリスクがあるのに、本当だから言うのです。そしてそう言っていると、インドのヒマラヤでエコビレッジをしている人から招待があり、インドを訪れることになりました。

天之御中主大神が銀河神で、御中主大神が地球上に肉体を持って生きるものだとしたら、それは国之常立大神(くにのとこたちのおおかみ)と縁があるに決まっています。国之常立大神は大地球神ですから。

僕が40歳の冬のことです。ある人が、熊野詣でに出かけ、本宮かどこかで宮司の書いたという文章が載った紙を渡されたそうです。その人は帰って来てから、どこで受け取ったとも言わずに、なぜかその紙を僕に渡してくれました。そこには「熊野は世界の高天原」と書かれていました。日本は世界の縮図です。その高天原が熊野だというのです。そして地球の高天原はどこかと言うと、ヒマラヤです。
それを読んだ時に何が起きたかと言うと、僕の中に「熊野へ行かなければ」という想いが湧きました。当時僕は熊野とはまったく縁がなく、その紙がどこから来たのかも、どこに行けばいいのかも何もわかりませんでしたが、なぜかそう思ったのです。
そうしたら、花祭の地である東栄町に行った時に、毎月熊野詣でをしているという人たちと偶然出会いました。そして、その人たちが次に熊野(玉置神社)へ行く時に、僕も一緒に行くことになったのです。

玉置神社に行く数日前、僕の店のシャッターに、ある宗教団体のパンフレットが挟まっていました。それが不思議なパンフレットで、どこにも連絡先が載っていないのです。そしてそこには、国之常立大神とは何者かということが書かれていました。当時の僕は、国之常立大神のことは全く知りませんでした。パンフレットには、「人は心が美しくなると内なる声を聴くようになる。それが国之常立之大神である」と書かれていました。
そして12月14日、玉置神社に向かう車中でふと思いついて、同行した女性に「ところで玉置神社の祭神はどなたですか」と聞きました。すると「国之常立之大神様ですよ」という答えが返ってきたのです。ちょうど数日前に読んだパンフレットに載っていた神様が、これから行く神社の祭神だというのです。

玉置神社には大日堂というお堂があり、そこには大日如来がいらっしゃって、御香の香りが漂ってきました。しかし本堂に行くと、また別の香りがするのです。熊野権現と言いますが、権現とは神と仏の思想が一体になったものです。日本の八百万信仰は自然と共にありましたが、人間の心が汚れていくと、それを正す道がありませんでした。そこで仏教が輸入され、人の心を導く道ができました。神道では祀るだけで、お祈りをして罪穢れを祓うのですが、権現には仏道という道があり、地獄から極楽までの人の道を説いています。日本は元々神道だけでしたが、そこに仏教が入ってきたのです。

玉置神社に参拝し、その夜は玉置神社に泊まりました。そして翌日は榊原温泉に宿泊しました。なぜかというと、その翌日に伊勢神宮を訪れることになっていたからです。
実は玉置神社行きが決まる前に、僕は、東栄町の御園地区の花祭で代々山見鬼を受け持っている家の出身で、当時町会議員を務めていた人と一緒に、伊勢神宮に行くことになっていました。彼は伊勢神宮の神宮庁舎の事務長と知り合いで、僕がおもしろいことを言うので一緒に伊勢神宮に行こうと誘って来たのです。
伊勢神宮の祭神は天照大御神です。そして東栄町には槻神社という神社があるのですが、その槻神社の祭神である瀬織津姫(せおりつひめ)は、表には現れないけれどとても重要な神様で、天照大御神の妃なのです。天照大御神は一般的には女神と思われていますが、実は男神なのですよ。神宮庁舎には天照大御神の衣装があり、それは男神の衣装だと言われていました。ならばそれを確認しに行こうということで、12月16日に伊勢神宮に行くことが決まっていたのです。
それが12月14日の玉置神社行きとちょうどつながったのです。誰も示し合せておらず、それぞれの相手の都合に合わせて日程を組んだだけなのに、予定がぴたりとつながっていくのです。

16日の朝、僕は榊原温泉駅のプラットホームに立ちました。12月で、雪が降っていました。風が吹いて、雪がふわぁーっと舞ってきました。するとその風と一緒に、御香の香りが香ってきたのです。
それは大日堂の御香の香りとは違いました。それで、一緒にいた愛子さんに、この香りは何だろう、ずいぶん甘い香りで大日堂とは違うね、と言い、天に向かって「この香りは何ですか」と聞きました。その当時の僕は、いつも天からメッセージを受け取っていたので、いつもと同じように上に向かって問いかけました。すると、自分の下の方、丹田のあたりから返事が返ってきたのです。どこを見ているのだ、と。それで、えっと驚き、「あなたはどこにおいでになるのですか」と尋ねました。すると、その声はこう言いました。「我はそなたの中にあり」。
その時に僕は、あのパンフレットに書かれていたことを思い出しました。「人は心が美しくなると内なる声を聴くようになる。それが国之常立之大神である。」それはつまり、神我ということです。

我々人間は、すべて国之常立大神の子です。そうでしょう。国之常立大神は大地球神と言って、大地の神であり、地球を司っています。我々は、土から生まれたものを食べて生きています。そして地球に循環する水をいただいて生きています。それらはすべて、国之常立大神そのものです。つまり、我々は国之常立大神の子どもであり、国之常立大神の循環システム(肉体)の中にあるのです。ですから、そのことに目覚めれば、自らの内にある国之常立大神の分身である神我に目覚め、内なる声を聴くようになるのです。

玉置神社に行ったことも、伊勢神宮に行ったことも、誰も意図的に予定を立てていません。けれどもこういった出会いがやって来る。そんなことばかりでした。そしてここまで歩んできました。
この生き方を始めたばかりの頃、自分の想像を超える出来事をいただく度に「僕もそろそろ神様を信じようかな」と言っていました。それで信じて進んでいくのですが、自分の中にはまだ疑いの心が残っていて、するとまた自分の想像を超える出来事が起こり、また信じて進んでいく、ということを繰り返してここまで来ました。僕の中にも疑いがあったのです。
けれどもさすがにここまで来ると、疑うということはありません。これだけの裏付けをいただいてきましたから。

阿祖山太神宮で父上から「難しいことを与えておるゆえ、心して行け」という言葉をいただきましたが、思えばあれもおかしな日でした。
ちょうどある弁護士さんが初めてここを訪れて、浅間神社の北口に行きたいと言うので浅間大社を案内したら、ここではないと言うのです。それはどうも富士山の北側のことのようでした。そこで調べて、翌日に北口浅間神社へ行くことになり、弁護士さんはここへ1泊することになりました。本当だったらその日のうちに行くはずだったのに、なぜかそこで翌日に延ばされたのです。
翌日、弁護士さんが入力したナビに従って進んでいったら、北口浅間神社の前を通り過ぎてしまいました。それで弁護士さんに「通り過ぎてしまいましたよ」と言ったら、その人もそこには行ったことがなかったようなのですが、他に行かなければならないところがあるのでそちらを入力しましたと言うのです。それでナビに従っていくと、人がたくさんいる場所に着いて、六芒星のバッジをつけた駐車場係の人がなぜか車を誘導してくれるので、誘導されるがままにそこへ入っていきました。そこが不二阿祖山太神宮で、その日はちょうど新嘗祭(にいなめさい)の日だったのです。

車を降りると係りの人が「どちらからおいでになりました?」と聞いてきたので、「天から来ました」と答えました。そうしたら、「そうですか、ではどうぞ」と案内されました。
僕たちの誰もが、そこに行ったのは初めてです。本殿の前で弁護士さんが「アワの歌」を奏上したいと言うので、阿祖山太神宮の方にそれを伝えたら「どうぞ」と言われました。それで、彼らが本殿に向かって祭壇を構えている、その上の段に立って、アワの歌を奏上することになったのです。どこの誰だかもわからないのにですよ。そのうちに新嘗祭の儀式が始まり、彼らが神事をしているその上でアワの歌を奏上しているという、何とも不思議な光景でした。
そしてその後に、阿祖山太神宮の聖主様と一緒に直会(食事)をいただいて、我々が何ものであるかを語り、そこから付き合いが始まったのです。そしてその時に、天之御中主之大神から「難しいことを与えておるゆえ、心して行け」という言葉があったのです。

僕はもともと覚悟ができているつもりでした。それまでもたくさんのことを経験してきましたから。だから、「わかっております。私のありようを観ていてください。」と答えたのですが、それから2年間の日々を過ごしてみて、本当に難しいことを与えられたものだ、とつくづく思いました。このミーティングに来てもそう思います。今日も、ここに来る足は重かったのです。

僕がなぜこんな話を長々としているか、わかりますか。まこっちゃんに、この道を歩むというのはどのくらい奇跡なことなのかを伝えたいからです。
この道は、普通の神経をしていては歩めません。理解できないからといって自分の我が出てくるようでは、歩める道ではありません。理解できないからこそ、自分の我を超えないと観えてこないのです。すべてがそうです。理屈をこねてその延長線上に自分を主張するようなことでは、本当の道は観えないのです。

みかこ:
私も今日まこっちゃんのことを考えてました。みんなエゴだの何だのはあるけれど、この道が大事だという想いさえあれば、エゴを超えていこうと思えるはず。

いさどん:
だからまこっちゃんは、わからないけれどやっていこうという気持ちを表明しました。それが大事なのです。じゅんじマンを見てごらんなさい。あれだけあちこちに心が揺れ動く人だけれど、わからなくても大事だということだけは揺るがずにやってきて、みんなの役に立っています。そのことをみんなに伝えたかったのです。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
今日は満月で、とてもパワーの強い日です。2015年の仕上げである第4コーナーに入る証としてこの満月があるのだと感じています。
一番大切なことは、自分の考えを超えないと観えません。なぜそういう構造になっているのかと言うと、自分の考えというのは、自分という枠が自分を引っ張り降ろしている状態なのです。それは、自分の見える範囲内でことが成就するように願っている状態です。そんな状態で毎日を生きていると、この間話したように、昨日も今日も明日もピーーーッと一直線の状態が続きます。しかし人生というのは変化変容し続け、必ず上がっていくべきものなのです。その上がる時には、自分の理解できないものをいただく、ということです。その心があるからこそ上がっていけるのです。
経験を元にするのではなく、経験することで流れをいただき、いただくからこそ、その次にまた新たに観えてくることをいただいていけるのです。

僕には、得体の知れない経験がたくさんあります。それを言うと変に思われるだろうと思いながら、本当のことだから話してきました。初めのころは、疑う人には話しませんでした。通じる人には話してきました。ところが、だんだん疑う人にも話さなければいけないと思うようになりました。それは、トキが来たからです。必要な時には、理解できない人にも語るのが僕の責任です。
そうやって僕の心はできてきました。できてきたというか、思い出してきました。これが自分の人生だな、と。

昭和天皇との出会いのような話は、まだまだたくさんあるのです。それを語っていたら、なぜかわからないけれどそれが大事だと信じてついて来る人たちがいました。頭は悪いけれど信ずる心だけがあるのが創立メンバーたちです(笑)。そして、我が強く信じ切れない人は離れて行きました。残ったのはバカだけど信じる心のある人たちです。

えいこばあ:
はーい。バカです♪(みんな:笑)

いさどん:
わかっている者が当たり前のことを伝えても、わからない者はそれが当たり前どころか間違っていると思うものです。ではそこでわからない者はどうしたらいいのかというと、自分がわからないからと言って否定してはいけないのです。そこで否定するから、ずっとわからない者のままでい続けるのです。
これからの時代は、自分の思考を回していく時代ではありません。天から降りてきたものを受け取り、それをもとに智恵を湧かせて生きるということです。東大を出たからと言って役に立つわけではないのですよ。
自分の損得勘定でこの生き方がいいと言っているようでは、世間の生き方と同じです。それでは、スーパー台風からは逃れられません。これから、スーパー台風を始めとする自然災害はどんどん増えていくことでしょう。だから僕は今、台風に強く栄養価のある紅芋を育てることを考えています。それは損得勘定ではなく、湧いてくるものです。

僕には疑う心があり、たくさん疑ってきました。けれどももう一つ、これはどういうことだろう、行って見てみたいという好奇心がありました。そして、この奇抜な人生に出会って、それを大事だと感じる心がありました。
だから僕は、渋滞していても迂回しないのですよ。これはどういう理由で渋滞しているのだろうと見なければいけないから(笑)。行ってみたらただのわき見運転だったりしてバカバカしかったりもしますが、そこでまた「そういうこともある」と、そしてその経験が学びとなるのです。

まこっちゃんに伝えたいことは、そういった道がある、ということです。得体の知れない道は、ものすごく精神力を鍛えてくれます。そして道を探求することを外さない能力を与えてくれます。

この道は、自分がああしたいこうしたいという我欲を叶える道ではありません。むしろ、我を超え、我を活かしていく道です。我を超えるには、「いただきます」という精神が必要です。それは難しく思えるかもしれません。けれども、とても簡単にやれることなのですよ。みんなは頭をひねくり回してたくさんエネルギーを使って難しく考えていますが、これは難しそうに見えてとても簡単なのです。天から降りてくる直観を活かして、流れをいただいて生きていくだけですから。他には何もしなくていいのです。

それをやるためには、心が美しくなることを喜びとすることです。以上です。

 

 

 

*その後、富士浅間木の花祭りのポスターのために撮影された艮の金神の写真がみんなにシェアされました。

IMG_9282

IMG_9284

IMG_9335